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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

いわゆる「尖閣諸島」問題について


『人民新聞』2010年10月15日号掲載

国家を背景にして発言したくはない、と思い続けてきた。国家人あるいは国民という自己規定に基づいて発言することはしたくない、とも。
それは、先人たちが火傷を負い、他民族にまで害悪を及ぼした日本民族主義・日本国家主義の克服をめざす立場から、である。加えて、国家なるものは、私自身のアイデンティティを最後まで根拠づけてくれるような存在ではないからである。

人類史をふり返ってきて、たかだか数世紀の歴史しかもたない近代国家の枠組にわが身を預けてしまうことの、自他に対する「危うさ」を知ったからである。

そのような立場から、いわゆる北方諸島問題について発言したことがある。

ソ連体制末期の一九九一年、当時のゴルバチョフ大統領の来日が予定されていたころ、日本での「北方領土返還運動」はメディア上での世論扇動も、右翼の情宣活動もピークに達していた。

日本もソ連も、近代国家の枠組の論理で相互の対立的な主張を繰り返していたのだが、私の考えでは、領土問題はそのような国権の主張では解決できない種類のものであった。

近代国家の形成以前から、「無主地」であるそこを生活の現場としていた先住民族の共同管理地域として、領土紛争なき自由地とするしかない。日本からはアイヌが、ソ連からはサハリン、シベリアの北方諸民族が集って、土地と周辺海域の利用方法を考えればよい、と私は主張した。

国民国家の論理を否定するこの解決方法を「夢想」と嗤う者もいたが、国境や排他的経済水域の論理で国家同士が角突き合いしていれば解決できるという見通しを、その批判者とて持っているわけでもない。

ならば、一見したところ永遠の彼岸にあるかのごとくに見えるかもしれない、脱国家主権の論理に基づいて「地域住民」による共同管理の方途を探ることを提案し、その具体化を図るという道をたどる者がいてもよい。

その場合「地域住民」のなかには、近代国家形成の過程でそこへ「植民」してきて今も住みついている人びとを、排他的な既得権を主張しない限り排除しない、という程度の倫理を忍び込ませておけばよい。

ひとが、現存する秩序を前提としてしか発想ができないものであるならば、遠く未来を見通した理想を語ることも、来るべき未来を夢想することも、それを手近に引き寄せるために日常的な努力する者も立ち現われることはない。

いわゆる尖閣諸島(中国の言う魚釣島)をめぐって噴出している日中間の軋轢についても、私なら、同じ視点で分析する。菅民主党政権、マスメディア、北朝鮮や中国との間に緊張が走ると途端に活気づく安部晋三らの愚昧な政治家、反中ナショナリズムで沸騰する「世論」――この社会の多くの人びとは、この諸島が「日本の領土」であることと確信している。

日本政府が一八九五年の閣議決定によってここを日本領に編入し、これが歴史的に最初の「領有行為」であったから、国際法上でも、最初に占有した「先占」に基づく取得および実効支配が認められている、とするのである。

この、歴史的には後世につくられた国際法上の概念こそが、すでに既成の事実として積み重ねられてきていた、帝国主義による植民地支配を「合法化」し正当化する論理を構成してきた。

尖閣諸島の場合も、「一八九五年」という年号と「台湾」の近々である該当地域に注目するなら、やがて悲劇的に展開することになる日本帝国主義による植民地支配の一歴史的過程であることは、一目瞭然ではないか。

二一世紀も一〇年が過ぎて、国家間対立・国境紛争・経済格差・環境悪化・温暖化など人類社会が突き当たっている諸問題と真剣に向き合うならば、たとえば「領有権」問題に関して言うなら、「先占」の概念そのものを再審に付さなければならないことは、自明のことと思える。

そこへ踏み出すことなど考えたこともなく、未来永劫「国家」にしがみついていれば安心立命していられると思い込んでいる人びとが、中国を含めてどの国でも「国民」の多数派であることは、否定し難い現実だ。

一見不動に見える現実を前にしてもなお、その時代状況の中では「空想」か「夢」のような問題提起を行なう者がおり、それを実現するための、不断の運動・活動があったからこそ、惨めでもあるが進歩してきた側面もないではない「現在」があるのだ。
(10月13日記)