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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

戦争の準備が「平和支援」? 壊れゆく言葉


『反天皇制運動カーニバル』第26号(通巻369号、2015年5月12日発行)掲載

「言葉が壊れ始めたな」と思ったのは、小泉政権の時代だった。大衆煽動の術だけは心得たこの男は、それまでの保守党政治家にはなかった歯切れの良さで、しかも断定的に言葉を発して、「斬新さ」を演出した。彼が吐く言葉は実態を伴わず空虚そのものだったし、質疑応答の時には、相手をはぐらかす言葉しか使わなかった。したがって、論戦・論争は成立しようもなかった。それでも、演出の功か、大衆的な「人気」は高く、メディア上での小泉批判は弱かった。批判すると、抗議の電話やファクスが殺到し、減紙や視聴率の低下に直結するからであった。「敵ながらあっぱれ」とまでは口が裂けても言えないが、なにかしらの「才」はあることを感じさせた。

小泉が後継指名したのは、「拉致」問題に熱心に取り組んできたというふれこみの安倍晋三だった。時はすでに、政治家が近隣地域に対して強硬かつ敵対的な言動に出ればそのぶん排外主義的なナショナリズムが増幅される状況下にあった。この社会的な雰囲気を背景に、第一次政権が惨めに挫折したにも拘わらず彼は復活を遂げ、現在の「安定した」政権基盤を保持している。すでに2年半有余が経過した第二次以降の安倍政権下で「言葉はますます壊れ」つつある。

アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議における安倍演説は、その典型をなした。彼は日ごろから「私は(日本がアジア諸国を)侵略(したこと)を否定したことは一度もない」と答弁する。「否定した」ことはないかもしれないが、「侵略した」事実を自ら発語することは、一貫して、ない。「侵略の定義は定まっていない」というのが彼の本音だから、自らを主語に置いた明快な表現を極力避けるのだ。ジャカルタ演説においても、60年前に採択されたバンドン10原則でいう「侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない」を引用して、「この原則を、日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と述べたのみである。ここでも、自分の言葉で語ろうとはしなかった。

1955年バンドン会議は、自らを植民地支配から解放し、侵略戦争に打ち勝ったアジア・アフリカ諸国が主導的に開催した。敗戦から10年しか経っておらず、「国際社会への復帰」も果たしていなかった日本からは、経済審議庁長官であった高碕達之助が出席した。高碕個人はいくらかなりとも「ハト派」とはいえ、再軍備などの「逆コース」を推進する日本政府代表が、革命や民族解放運動の指導者たちと同席していることへの不信感を、幼かった私は抱いた。この遠い記憶に基づけば、右に触れた安倍演説は、「主体なき我田引水」とでも言うべきもので、歴史を知る者/恥を知る者には、とうてい口にできる文言ではない。主語を立てたくないから引用にすがるのは、安倍の変わることなき詐術である。

現政権が自衛隊海外派遣恒久法を検討し始めたのは昨年7月だったが、去る4月、茶番としか言いようのない与党協議の場で「国際平和支援法」なる法案名が提示された。米軍が行なっている戦争を支援するために、いつでも、地球上のどこにでも自衛隊を派兵したり他国軍への給油や輸送を可能にしたりするというこの法案の本質は「戦争の遂行」を可能にすることに他ならないが、それを「平和支援」と呼ぶのである。この法案の立案者は、ジョージ・オーウェルの『1984年』の良き読者なのだろう。架空の国=オセアニア国の住人を精神的に支配した3原理――「戦争は平和なり、自由は屈従なり、無知は力なり」――を、心底信じることのできる影武者がいたのだろう。ここまで愚弄されて、真の「言葉」は、ウォッ―!という怒りの叫びをあげたくなるのではないかという思いすらが去来する。

一議員はいみじくも、関連法案を総称して「戦争法案」と名づけたが、このとき見せた政府・与党の反応を思えば、「戦争は平和なり」というスローガンによっては、いまは「屈従している、無知な」大衆を騙し続けることができなくなる日の到来を怖れているのだろう。逆に言えば、彼らは、これまでのメディア対策と世論操作が首尾よくいっていることに一定の自信を持っていることを意味しよう。

問題は、安倍など一握りの愚かな政治家たちの在り方にのみ帰せられるものではない。敗戦直後、昭和天皇の戦争責任が連合国側に免罪されたことをもって、戦争を支えた誰もが免罪されたと思い込んだ歴史を繰り返さないために、この現状をもたらしたのは、現政権・与党の路線に、消極的ではあっても一定の支持を与えてきた「民意」なるものであることを確認せずしては、何事も始まらないのだ。(5月7日記)