現代企画室

現代企画室

お問い合わせ
  • twitter
  • facebook

状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[73]先住民族と、ひとりの作家の死


『反天皇制運動カーニバル』38号(通巻381号、2016年5月10日発行)掲載

去る2月に急逝した作家・津島佑子の作品には、初期のころから親しんでいた。ある時、某紙に載った彼女のエッセイを読むと、しばらくのフランス滞在中に、アイヌの神話・ユーカラのフランス語訳出版に協力していたという。彼女の作品には、北方、ひいてはそこに住まう先住民族と、山への関心が深まっていく様子を見て取ることができるようになった。父親が青森県、母親が山梨県の出身だから、「北」と「山」の文化への興味がわいた、とどこかで語ったことがあったようだ。20数年前、先住民族=アイヌの権利獲得の一環として、アイヌの人びとが働き、集うことができる料理店「レラ・チセ(風の家)」建設のための活動をしていた私たちは、この未知の作家に手紙を書き、レラ・チセ建設活動の呼びかけ人となってくれることを依頼した。快い承諾を得て、彼女はさらに身近な存在になった。

『アイヌの神話 トーキナ・ト ふくろうのかみの いもうとのおはなし』という絵本がある(福音館書店、2008年)。翻案された文は津島、挿画に使用されているアイヌ刺繍は宇梶静江の手になる。アイヌ文化活動家の宇梶も、レラ・チセ初期の担い手のひとりであり、現在にまで至るその活動は目覚ましい(存在感のある俳優、宇梶剛士は。彼女の長男である)。レラ・チセは十数年間に及ぶ営業ののち事情あって閉店したが、当時の若い担い手が数年前から、東京・新大久保で「北海道・アイヌ料理店/ハルコロ」(アイヌ語で、おなかいっぱい、の意)を運営している。朝鮮、中国、ベトナム、タイなどの料理店や食材店が林立し、東南アジアの人びとで賑わう「イスラーム横丁」もある新大久保に、ハルコロがあるのは似つかわしい。数年前、恥ずべき「ヘイトスピーチ(差別煽動表現)」のデモ行進現場ともされた新大久保界隈は、外部から悪煽動のためにやって来る者たちがいない限りは、日常的にはほんとうは、多民族共生・多文化表現の場所である。

津島佑子急逝の衝撃から書き始めたので、思わず、回顧的な書き方となったが、もう少しそれを続ける。その後、彼女の知遇を得た私は、アンデスの先住民族の世界を描いたボリビア映画上映時の対談相手をお願いしたり、彼女が高く評価するアジア女性作家の小説を翻訳・紹介する出版企画で協働したりしてきた。「3・11」後には、経産省包囲行動の現場で偶然出くわしたこともあった。その作品には、時代への危機意識が顕わになっていた。

津島の死後、早くも、遺作と最後のエッセイ集が刊行された。前者は『ジャッカ・ドフニ―海の記憶の物語』(集英社)、後者は『夢の歌から』(インスクリプト)である。時空を超えて展開する壮大な物語『ジャッカ・ドフニ』は、もちろん、興味深いが、ここでは、後者に「母の声が聞こえる人々とともに」と題した後書きを寄せている津島香以の文章で描かれている作家の晩年の姿に触れたい。2015年4月、通院治療の段階に入っていた津島は、中学校の一歴史教科書に文科省が行なった検定結果を報道した小さな新聞記事を、怒ったようにして、娘に示す。そこには「政府は、1899年に北海道旧土人保護法を制定し、狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました」となっていた記述が、「誤解を生む」との文科省の指摘で、「アイヌの人々に土地をあたえて」と変更されたと記されていた。土地を「取り上げた」を「与えた」と変えさせるような詐術を、文科省に巣食う歴史修正主義官僚は事もなげに行なうのである。保護法には、確かに、アイヌ家族一戸当たり一定の土地を「無償下付」するとの規定があったが、それが農地に適さないものであったという事実や、それ以前の段階での土地収奪などをも無視した教科書の記述は、「歴史を偽造する」ものでしかない、と作家は怒りをもったのだろう。

先住民族は、歴史上のどこかの時点で植民地主義支配を実践した欧米日諸国によって必然的に生み出された存在である。歴史的にも、国際法上も「不法な」ところ一点の曇りもない洗練された国家であることを誇りたい欧米日諸国にとっては、国家成立の根源を問い質す存在である。国際的には、先住民族と規定された人びとに対して各国政府が特別な権利を保障しなければならないとする動きが加速している。当該の政府は、それを拒絶したい。そのせめぎ合いが、いま世界的に進行している。日本では、アイヌと琉球の地で。

「近代」が孕む問題と真正面から向き合って、文学的な格闘を続けた作家の、早すぎる死を悼む。(5月4日記)