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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[26]米日「主従」関係を自己暴露する、耐え難い言葉について


『反天皇制運動モンスター』第28号(2012年5月15日発行)掲載

一、「TPP(環太平洋経済連携協定)をビートルズに喩えれば、日本はポール・マッカートニーのようなもの。ポールなしのビートルズは考えられない。ジョン・レノンはもちろんアメリカです。この二人がきっちりハーモニーしなければならない」

二、「自分はバスケットボールのポイントガード。チームワークを重んじる。目立つ選手ではないが、結果を残していく」

前者は、3月24日、日本の現首相がTPP加盟を推進する意向を強調して行なった、東京における講演の一節である。私は、この日、いつものながらでテレビのニュースをつけていて、喩えの出鱈目さに驚倒して耳をそばだてた。全体を聞き取った自信はなかったが、事後的に調べると発言の内容は確かにこうであった。

後者は、4月30日、ワシントンを訪れた日本首相が、米国大統領との会談時に行なった発言だ。これも、いくつかのルートで確認した。バスケットボールに詳しくはないが、ポイントガードとは、知る人が言うところでは、ドリブルして主役にいい球をパスする役割だという。スポーツ競技での役割分担として見るなら麗しいことだが、政治の場で使うべき喩えとは言えない。バスケット好きのオバマの気を惹くために、外務官僚が思いついて首相に焚きつけた文句なのだろう。「主役」は、もちろん、米国大統領であり、共同会見時には首相はその人物を「相手守備に切り込んで得点を稼ぐパワーフォワードだ」とまで持ち上げたという。これに対して大統領は「首相は柔道の専門家、黒帯だ。記者団から不適切な質問が出たら、守ってくれるだろう」と応じたという挿話さえ付け足されている。

私は、民族的義憤とも国民的憤怒とも無縁な人間なので、その種の思いはない。しかし、人間としての、譬えようもない恥じの感覚が、この一連の言葉を聞いて生まれる。自虐的な、あまりに自虐的な! ウィットからも、文学的・芸能的なセンスからも限りなく遠い、おべっかとへつらい。他人事ながら、恥じらいのあまり身悶えるほどである。他人事とはいっても、私が否応なく所属させられている国家社会にあって、政治的代表であることを表象する人物の言動が、これなのである。

その恥じらいは、翌日には憤怒と化す。5月1日付け読売新聞は言う。「大統領選挙まで半年となり、活動の多くを全米各地の遊説に費やしている大統領が野田首相がらみで約3時間の時間を割くのは、首相への期待度の高さを物語る」。同じ記事が、加えて言うには、リチャード・アーミテージ元国務副長官は、仙石由人などの超党派議員訪米団と会見し、歴代首相で誰を評価しているかと問われて(そんな頓馬な質問をする議員がいることも驚きであり、恥じでもあるが)「一に中曽根、二に小泉。その二人に野田は匹敵する。日米同盟の意義を理解しており、消費税やTPPも一生懸命やっている」と答えたという(ワシントン支局・中島健太郎記者)。

どのエピソードからも、「主人と下僕」という関係を内面化している政治家とジャーナリストが記した言葉であることが、否定しようもなく立ち上ってくる。これらは、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が、不可分の一セットで発効した1952年4月28日から、60年目を迎える日々に吐かれた言葉である。

『続 重光葵手記』(中央公論社、1988年)によれば、60年前の日々対米交渉に当たっていた外相の同氏は、那須で天皇裕仁から「日米協力反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なり」との「下賜」を受けた(55年8月20日)。駐留米軍全面撤退構想すら持っていた重光は、なぜかそれを取り下げ、今日まで続く「主従」としての米日関係が固定化し始めた。それは、沖縄を切り捨て、日米一体となってそこへの植民地主義的支配を貫徹してゆくことになる節目の日々であった。

沖縄の「役割」を軸にした、自民党政権時にも不可能であった水準の米日主従関係の固定化――私たちが直面している事態は、これである。これへの反発を反米民族主義として表現しないためには、1952年(講和条約+日米安保)→1972年(「復帰」=再併合)→2012年(現在)より射程を伸ばし、1879年(琉球の武力併合)以来の植民地主義史として捉え返すことで、ようやく主体的な問題設定となると思う。(5月12日記)