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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[12]環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐる一視点


反天皇制運動機関誌『モンスター』第13号(2011年2月8日発行)掲載

世界で唯一冷戦構造が残る東アジアの状況をいかに打開するかの指針ひとつ示すこともない菅民主党政権が、環太平洋経済連携協定(TPP)については、参加に向けて前のめりになり始めたのは昨年末だった。11月9日、TPPについて「関係国との協議を開始」する基本方針を閣議決定したのだ。翌日10日の日経紙は、それが「事実上の日米FTA(自由貿易協定)になる」と報じた。年が明けて、TPP参加を念頭においた首相の口からは、「平成の開国」「第三の開国」などという大仰な言葉が飛び出すようになった。

元来これは、2006年、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの4ヵ国が開始したFTAである。例によってこれに米国が参入の意思を表明した。[「環太平洋」という地域概念に関わることなので、長くなるが、以下の点には触れておきたい。私は思うのだが、1846~48年のメキシコ・米国戦争と、勝利した米国がテキサス、カリフォルニアなどの広大な地域をメキシコから奪って太平洋岸へ達したことは、その後の世界にとって痛恨の出来事であった。大西洋に面しただけだった国は、「西部開拓史」の頂点をなすこの史実によって、世界最大の2つの海洋に出口をもつ大国となった。象徴都市ニューヨークを基軸に大西洋を通してヨーロッパへも、環太平洋圏にも含まれていると言い張って遠くアジアへも、そして米州圏に位置することでカリブ海域とラテンアメリカ全域へも、政治・経済・軍事・文化のあらゆる面で「浸透」を遂げてゆく世界に稀な「帝国」の礎は、まさにこの19世紀半ばの戦争と領土割譲によって築かれたのである。この出来事から5年後の1853年に、対メキシコ戦争への参戦を経て早くもインド洋に展開していた米国・ペリー総督下の艦隊は「黒船」として浦賀沖に現われ、日本に開国を迫って砲艦外交を繰り広げた。東アジア世界には精神的に閉じたままで(冷戦解消の努力もせずに「精神的な鎖国」をしたままで)「開国」を語る首相の目線は、どこを向いているのか。右に述べたような歴史的展望を背景に、首相の真意を厳しく問い質す声が、もっとあっていいだろう。]

歴史哲学を欠いた首相には、同じ水準の閣僚が随伴している。海江田経済産業相は「TPP参加は歴史の必然」と語る。前原外相は「TPPは日米同盟強化の一環」と発言する。後者の発言は、確かに、日米両国の政府関係者によって構成されている政策シンクタンクが昨秋提言した内容に合致している。軍事面での強い同盟関係には健全な財政基盤が不可欠だとする立場から、米国がすでに参加を表明しているTPPに日本も加わり、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想の実現へ向けて積極的な役割を果たすべきだとするのが、その提言の核心だからである。

現状では、TPP交渉への参加を表明しているのは9ヵ国だが、仮に日本がこれに参加するなら、日米合わせたGDP(国内総生産)は全体の9割を超える(2009年実績)。しかも日本は、9ヵ国のうち6ヵ国との間ですでに二国間経済連携協定(EPA)を締結している。「日米間の経済協定」でしかないTPPの本質は、ここに表われている。

米国は、1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)までは、思うがままに自らの意思を押し通すことができた。余剰農産物をメキシコへ輸出し、メキシコ農業を破壊し、ただでさえ貧しいメキシコ農民をさらに貧窮に追い込んだが、知ったことか。だが、この自由貿易圏を(キューバを除く)カリブ・ラテンアメリカ全域に拡大しようとしたブッシュの試みは、自由貿易の本質を見抜いた同地の新生諸政府と民衆運動の抵抗によって、2005年に挫折した。GATT(関税及び貿易に関する一般協定)なき後のWTO(世界貿易機関)を通しての多角的交渉も失敗を重ねている。この機関が多国籍企業が企図する世界制覇の代理人であると察知した世界各地の民衆運動の粘り強い抵抗があるからである。また、農業政策をめぐって、富裕国と貧困国との間には、埋めがたい溝があるからである。

通商問題が、超大国の言いなりには進行しない現実は、こうして世界各地に作り出されている。自由貿易を、二国間あるいは「環」で括られる地域限定で実施しようとするものたちの意図を正確に射抜いた批判的言論を、「食と農のナショナリズム」から遠く離れた地点で、さらに展開しなければならぬ。(2月4日記)

憲法9条と日米安保・沖縄の基地を共存させている「民意」


『支援連ニュース』第332号(2011年1月26日発行)掲載

政治家が吐く言葉が虚しいというのは、世界のどこにあっても、多くの人びとの共通の思いだ。代議制の政治において、「選ばれたい」と好んで選挙に群がってくるのは、権力や金力や世襲制などにとても近しい感情を持つ連中が大多数である以上、そしてそれが選挙権を持つ大衆によって許容されている以上、これと同調できない者が持つ虚しさの感情は、世界のどこかしこで、際限なく続いてきた。私は思うのだが、選挙とは、有権者のなかでもっとも奢り昂ぶっている人物を、つまり金の力と、権力と、親の威光とを最悪の形でかざす人物を、わざわざ選びだす儀式と化しているのではないだろうか。

最近の日本でいえば、小泉という男が首相であった時代――それは、2001年から2006年までの時期のことだったから、現代的な時間の流れの速度でいえば、「もはや昔」の話に属する――に、つくづくそのことを痛感した。大した苦労もなく育ったことによって屈託もない笑顔を常に浮かべていることができた時期の加山雄三のような男とでもいおうか、歴史や思想を背景に深く考えるという訓練を積んでこなかった小泉は、(時に苦しまぎれにでも)即興で口にした短い言葉が、けっこう「世間」的には通用する、否、むしろ「受ける」ことを知って、5年ものあいだ徹底してその場所に居座った。居直った、と言ってもよい。思い出したくもない、無惨な言葉の数々をこの男は遺した。

この時期の私の思いは、単純に政治家個人の言葉に対する虚しさというのではなく、その虚しい言葉を連発する男に「世論」の共感が集まっているという意味で、もっと複雑で、にがいものだった。ある社会が、他地域の植民地化・侵略戦争へと向かって、雪崩を打って巻き込まれていった過去の歴史的な時代を回顧したときに否応なく生まれる思い――人間っていうものは、どうしようもないものだなあ、という感慨を持たざるを得なかった。この時期、政治全般で、とりわけ経済と軍事の領域で、日本社会のあり方を大転換させる政策が次々と採用されていった。弱肉強食の新自由主義経済秩序の浸透によって社会がずたずたに切り裂かれ、同時に、世界第一・第二の経済大国である米日二国が軍事的協力体制を強化しているという、経済と軍事の「現在」は、あの小泉時代の政治の直接的な延長上にある。

そのころ、小泉は、おそらく、政治の虚しさを実感させる頂点のような言動を弄する人物だろうと私は思っていた。ところが――これと同等の、いや見方によっては、はるかに上手、がいたのだ。

(1) 「海兵隊は即座に米国内に戻ってもらっていい。民主党が政権を取れば、しっかりと米国に提示する事を約束する」(2001年7月21日)。

(2) 自民党政権下では「政権が変わるたびに新しい首相は真っ先に首相官邸のホットラインで米国大統領に電話し、日米首脳会談の予定を入れるという『現代の参勤交代』とも言うべき慣行が続いている」(2002年9月)。

(3) 「沖縄から海兵隊がいなくなると抑止力が落ちるという人がいるが、海兵隊は(日本を)守る部隊ではない。地球の裏側まで飛んでいって、攻める部隊だ。沖縄に海兵隊がいるかいないかは、日本にとっての抑止力とはあまり関係がない」(2006年6月1日)。

野党の政治家なら、この程度は言って当然というべきこれらは、いずれも、菅直人という名の政治家がかつて行なった発言である。(1)と(2)は、民主党幹事長時代のもの、とくに(1)は参議院選挙のさなかに那覇市で行なった演説の一節である。(3)は、民主党代表代行時代の発言だ。

その菅は、前任者・鳩山が自滅して後任の首相に就いた2010年6月6日、米国大統領に真っ先に電話し、「普天間基地の辺野古移設を明記した先般の日米合意を踏まえ、しっかりと取り組んでいきたい」と語りかけた。さらに、6月14日の衆院本会議で「海兵隊を含む在日米軍の抑止力は、日本の安全保障上の観点から極めて重要だと考えている」とも語った。そして、新しい年が明けて開かれた通常国会では、1月24日の施政方針演説で「日米同盟はわが国の外交・安全保障の基軸であり、今年前半に予定されている訪米時に21世紀の日米同盟のビジョンを示したい」と断言した。

大きな信頼感を抱いているわけでもなかった政治家だが、これらの発言の間に横たわる「落差」と「矛盾」には、頭がくらくらする。小泉の場合には、以前と後の言動が大きく食い違っているという問題ではない。非歴史的かつ非論理的な発言をしておいて、恬として恥じないという(これはこれで困った特質だが)ところから派生する問題である。菅の場合は、右に掲げた野党時代の意見と、首相になって以降のこの間の言動を比較対象されたなら、人間としてナイーブな存在を想定するなら、身もだえして我が身の置き所がなくなるような矛盾である。結果的にはとても脆いものではあったが、鳩山由紀夫が最初に持っていた程度の「逡巡」や「迷い」すらも、首相に就任した菅は当初から示すことはなかった。ひとは誰でも、時に矛盾に満ちた言動をしがちである、という一般論に流し去ることはできない。政治的・社会的責任を伴う立場の人間の、底知れぬ暗闇をもった「転向」なのだから。

だが同時に、菅のこの転向が、他ならぬ「世論」によって支えられているという点を見逃すわけにはいかない。菅政権は、世論調査によれば、支持率は低い。昨今の世論調査では、設問の設定にも依るのであろうが、いかようにも浮遊する気まぐれな世論の傾向が浮かび上がるだけだから、どこまで信をおくに値するか、という疑問があるにしても。しかし、こと外交政策の問題としては、アジア諸海域への中国の軍事的台頭や北朝鮮の軍事冒険主義に大きな脅威を感じて、日米同盟の強化と自衛隊の装備増強を容認しているのが、世論なるものの大方の流れであることは、無念ながら、認めざるを得ないようだ。それがはっきりと表われたのは、昨年5月、民主党政権が鳩山から菅へと移行した際の、社会の動向だった。マスメディアの報道傾向も大きく影響したと思われるが、普天間基地の「移設先」(移設先という発想が、そもそも、おかしいのだが)を最低でも県外と公約していた鳩山が為すすべもなく対米追随へと落ち込んでいったとき、世論の大勢は、確かに、公約違反の鳩山を批判し、沖縄の民意に「同情的」だった。その鳩山が行き詰って退陣し、菅が首相に就任し、先に触れたように「日米合意厳守」の方針を明らかにしたときに、世論は急速に菅支持の傾向を示した。すなわち、社会の大勢は、公約違反の限りにおいて鳩山を批判したが、沖縄に米軍基地の過重負担を強いている現行の日米安保体制そのものには無関心であること――したがって、現状を肯定していることを自己暴露したのだった。

私たちは現在、このような社会状況のなかに位置している。沖縄のジャーナリスト、新川明は5年前に次のように語った。「憲法9条が成立しうる根拠は沖縄に米軍基地があるからだ。それがあって日本国が守れるという担保の構造を日本国も良しとしてきた」(『世界』2005年6月号)。これを換言すると、「戦争は嫌だが、中国や北朝鮮の脅威に向けて日米安保と沖縄の基地は必要だ」というのが、日本社会に住む者の多数派の意見だということになる。ここをいかに突き崩すか。今後の課題は、ここにある。