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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

「日本一行詩大賞」授賞式での代理挨拶


2013年9月17日 アルカディア市ヶ谷

受賞者・大道寺将司君の「受賞の言葉」を、まず、ご紹介いたします。

このたびはありがとうございました。拙句に「悪名を生きゐて久し竹の秋」がありますが、私は、俳人諸氏や俳句メディアにとってのみならず忌むべき存在です。其れ故、いかなる賞とも無縁だと弁えてきましたし、望んだこともありませんでした。

そのような私の句を作品本位に評価して下さいました選考委員の皆様には 深い敬意を表し、感謝申し上げます。

また、拙句集『棺一基』の上梓に御尽力して下さいました辺見庸さん、太田出版はじめ関係者の皆様にも感謝を申し上げます。

私は病牀六尺の正岡子規に魅かれ、独学で自己流のまま独房から俳句を発出してきました。俳句は小さな詩型ですが詠むことのできる世界は広く、豊かな叙情性を表現することもできるものです。私の句はいまだ狭小な世界のとばぐちに立つばかりですが、時間の許す限り、今後も句作を続けてまいります。

2013年8月11日      大道寺将司

この受賞の言葉は、文通や面会という交通権を持つ私宛てに送ろうとしたものです。ところが、本人が拘置所側に発信を依頼してから一週間以上も経ってから、これは交通権を持たない第三者、つまり一行詩大賞の事務局を担う俳句誌「河」に宛てた文面だから、発信を不許可とするとの告知を受けました。これ以前に、一行詩大賞主催者から本人宛に「受賞の言葉」と自薦20句の原稿を8月20日までに送るようにとの依頼状があったのですが、私が媒介者となって差し入れたこの文書も、同じ理由で交付されませんでした。私が主催者からの申し出を手紙で書き送り、面会時にも口頭で伝えたので、本人はようやく事の次第を理解しました。結局、この原稿は、弁護人経由で私に送られ、延期していただいた〆切日に辛うじて間に合ったのです。

彼がいるのは、ここからわずか1時間もあれば行き着くことのできる、小菅駅や綾瀬駅に近い東京拘置所です。逮捕されてから38年、死刑が確定してから26年になります。刑が確定するまでは、文通も面会も、回数制限はあっても自由にできます。死刑が確定すると、処遇はがらりと変わります。彼の場合、交通権は、当初、弁護人と母親一人に限定されました。手紙は、書く内容を事前に当局に提出し、弁護人には裁判以外のこと、母親には安否を尋ねる以外の文言を書くことは許されませんでした。母親ひとりでは、差し入れられる本の冊数も極端に限られ、拘置所備え付けの本もあらかた読み終えてしまいました。そこで、或る文庫に収録されている日本文学の古典を自分で購入するようになり、そこで、子規の『病牀六尺』や『仰臥漫録』などに出会ったのです。それらを読み進めるうちに、検閲によって頭脳の中まで覗かれているような獄中の日常にあって、それを免れる、あるいは突き破る精神の突破口を、彼は俳句に求めたのでした。

以来22年、そして公表したものとしては母親宛ての手紙の末尾に最初の一句を添えてから17年、彼は俳句を詠み続けてきました。最初の5~6年は、箸にも棒にもかからぬ作品しかできず、一万数千の句を捨てた、と本人は語っています。

彼の句集をお読みの方はお分かりのように、そこにはまず何よりも、自らの行為によって意図せずして殺傷してしまった方々に対する、深い悔いと償いの気持ちがあります。同じ境遇にある死刑囚や獄中の仲間のことを想う句があります。自然に触れることを許されていない環境の中にあって、26年間を生きた外界での記憶と想像力に基づいて、自然のさまざまな姿を詠んだ句があります。日々読む新聞から得た情報に基づいて、同時代の社会や政治のあり方を冷徹に詠む句もあります。彼は病を得てここ数半来は病舎におりますから、そこからしか見えない世界を詠むこともあります。

いま、面会・文通の権利を有する人間は7人まで増えました。明日以降、私たちは面会を行ない手紙を書き、今夜みなさんから寄せられた言葉をできるだけ正確に彼に伝えます。外部の人間にできることは少ないが、彼が句作を続け、また何よりも生き抜くために、外部からできるだけのことはいたします。大道寺君の作品から、何らかの思いを受け止められたみなさんが、今後とも、共感をもってか批判的な視点をもってかのいずれにせよ、彼の俳句と生き方に関心をお寄せくださるよう、お願いいたします。

ありがとうございました。

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく[41] 排外的愛国主義が充満する社会の中の異端者


『反天皇制運動カーニバル』第6号(通巻349号、2013年9月10日発行)掲載

仲代達矢の言葉に励まされた。「みんな同じものばかりになったらどうなる? 人と違うものをつくる異端者が、次の世代のためにしっかりしないといけないんです」(八月一六日付け「朝日新聞」夕刊)。出演した最新作『日本の悲劇』に触れての言葉である。映画制作の現場から生まれたものだが、時代状況から見て、普遍性を持つと私には思える。口にするのが、仲代のような「有名人」でなくても、誰であっても、いい。私たちは、いま、このような言葉を欲し、それを自らの内部で確認することが必要な日々を生きているような感じがする。

例えば――本欄では、元東京都知事I・S、現大阪市長H・T、現首相A・Sなどの、人権意識のかけら(ここは「欠片」と漢字で書く方が、言葉の本質が見えやすいようだ)もなく、歴史に無知な連中の言動をたびたび批判の対象としてきた。彼らがその種の発言をしたときには、もちろん、社会のさまざまな場所から、批判の声が上がった(上がり続けている)。人権を尊重する国際的な水準からすれば、そして、地域と世界に生きる異民族同士の相互の関連の中で歴史をふり返り、捉えるべきだという普遍的な立場からすれば、「失格」「退場」でしかない言葉を彼らは吐いたからである。

だが、彼らはいまだに政治の前線にいる。一度は消えたのに、再登場した者すらいる。選挙ともなると、大量得票を得る。すなわち、現在の日本社会の現状では、この傾向を批判する私たちが「少数派」で「異端者」であるかのように、現象している。私にとっては、ずっと以前から「わかりきった」ことではあった。「覚悟」していたことでもあった。いまや、その少数派や異端者をも寛容に包み込む「海」(往年の「前衛主義者」でもあるまいし「人民の海」などという古典的な表現は使うまい)がここまで干上がってきたのである。自分たちの姿を、有明の干潟でのたうつムツゴロウの姿に模してみる。だがムツゴロウには、あの場所で生きる生態的な必然性があろうが、私たちはどうだろうか? その私たちを包囲しているのは、「排外的愛国主義」である。社会的雰囲気としてのこの潮流と、前記の政治家たちの言動とは見合っているから、彼らは「安泰」なのである。

7月29日には、例の麻生発言もあった。桜井よし子が理事長を務める「国家基本問題研究所」のシンポジウムの場に、桜井、田久保忠衛、西村真悟などと共に登壇した時に、である。あまりにも低劣ゆえ、麻生発言の紹介はしまい。後日、麻生は「あしき例としてナチスをあげた」などと弁解したが、元の発言に立ち戻れば、それがまったくの嘘であることは文脈上明らかだ、というに留めよう。問題は、だが、こんな閣僚をすら私たちは即罷免(リコール)することができない状況下にあるということである。

これに先立って4月には、自民党幹事長・石破茂が「改憲成って国防軍が創設された暁には、戦場への出動命令を拒否すれば軍法会議で死刑もしくは懲役300年」と発言した。石破の表現を再現するなら「すべては軍の規律を維持するために」である。石破は、また、災害発生時の非常事態宣言、すなわち戒厳令発令の意図をたびたび語っている。企図されている防衛省「改革」では、これを実現するために、自衛隊の運用業務を制服組の統合幕僚監部(統幕)に一元化する方向が目指されよう。

主要閣僚や与党幹部がこのような「超」歴史的/「超」憲法的発言を次々と繰り出すことによって、この種の「言論」がいまや日常と化した。日常化するとは、それが「ふつうのこと」となること、「当たり前のこと」となることを意味する。それでも、自民党改憲案に基づく改憲へと一気に行き着くことは、「世論」動向を配慮すれば出来ないと知った彼らは、憲法を機能停止させる動きを急速化している。画策されている秘密保全法案は、そのもっとも顕著な表われのひとつである。ここでは、「行政機関の長」と都道府県の警察本部長に、「特定秘密」を扱う者の「適正評価」を行なう大幅な権限が与えられようとしている。

こうして、行政・警察・軍隊という、その本質において「抑圧的」な機構を一体化させて社会の根本的な再編を行なうこと――彼らのでたらめな発言に呆然とし、それを時に嘲笑している私たちの背後に迫るのは、この現実である。(9月7日記)

(追記:本連載のタイトルに因み、藤圭子さんの死を悼みます。)