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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

この3冊 太田昌国・選 「テロ」


「毎日新聞」2015年9月13日読書欄掲載

(1)テロリズムと戦争(ハワード・ジン著/大月書店/1944円)

(2)テロルと映画(四方田犬彦著/中公新書/820円)

(3)新潮世界文学49 『カミュⅡ』(アルベール・カミュ著、渡辺守章ら訳/新潮社/品切れ)

14年前の「9・11」に遭遇して、米国は世界にまたとない悲劇の主人公のようにふるまった。確かに悲劇ではあった。同時に、私は世界の近現代史を思い、米国の理不尽な軍事・政治・経済的な介入が世界各地で多くの犠牲者を生み出してきた史実に目を瞑るわけにもいかなかった。それを省みず、テロに戦争で報いる「反テロ戦争」なるものは必ず失敗する、かえって世界を混乱の極地に陥れるに違いない、と確信した。

(1)の著者は、第二次大戦時には米軍の優秀な爆撃手だった。のちに歴史家となり60年代ベトナム反戦運動の強力な推進者だった。9・11以後の米国で、彼は考える。テロと戦争の因果関係を。口を極めてテロを非難する国家指導者が、それに対抗して発動する戦争とは何か。戦争とは最悪の「国家テロ」ではないのか。戦争をテロから切り離し国家の崇高な行為だと見せかけるのは、詐術である。テロに対抗する戦争を肯定するのではなく、テロと戦争の双方を廃絶する道はどこにあるのか。いつ/どこにあっても、ためらうことなく軍事力を行使する米国に果てしなく追従する政権下にある私たちが手離したくはない視点である。テロが起こりやすいのは、すぐに戦争を仕掛ける国が強い影響力を及ぼしている地域なのだ。

9・11事件は、大都会の通勤時間帯に起き、すぐテレビ中継されたことで、劇的に効果を増した。テロとは、すぐれて映像的な行為である。現場で多くの人に目撃され、映像で世界じゅうの人びとが見ることで、行為は完結する。いわば見世物である。世界の映画に通じた(2)の著者は、「スペクタクルとしての暴力」であるテロの本質に着眼して、本書を著した。ブニュエル、若松孝二、スピルバーグらの作品を通して、テロの問題が内包する、意外なまでの現代的な広がりと切実性が浮かび上がる。

啄木が「われは知る、テロリストのかなしき心を!」と謳いえた昔はよかったのだろうか? 啄木が書物で知った帝政ロシア下のナロードニキ(人民主義者)は、皇帝によって奪われた言葉の代わりにわが身や爆弾を投げつけた。それは後年、(3)の中の戯曲「正義の人びと」を著したカミュの心をも捉えた。無差別攻撃ではなかったテロの初源的なあり方は何を物語るのか。それが、どこで、どう間違えると、ドストエフスキーが『悪霊』(光文社古典新訳文庫など)で描いた隘路に至るのか。

テロが投げかける問題は、かくも深く、広い。

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[65]内向きに「壊れゆく」社会と難民問題


『反天皇制運動カーニバル』第30号(通巻373号、2015年9月8日刊)掲載

一年でこの時期だけ国を挙げて戦争時代を回顧する「八月のナショナリズム」の日々――私なりに、さまざまな思いをもって過ごした。「8・15」の前日には、近くを通りかかったので靖国神社へ入った。急に、その前日の雰囲気を感じ取っておきたくなった。鳥居前の歩道に、「中国人、朝鮮人、反日主義者による敵情査察お断り」の旗を掲げる人物が立っていた。境内は、翌日の全国戦没者追悼式に参加するのであろう、各県の遺族会員が50人や70人の塊りをなしていて、いっぱいだった。高齢者からその孫の世代まで、一家を挙げての参加者の姿が目立った。これを大切な「年中行事」のひとつとしている家族が多いのだろう。翌朝の新聞には、厚生労働省が、戦没者遺族に対する「特別弔慰金」を支給するとの広告を載せていたが、軍人とその遺族(優先順位高位の人が亡くなっている場合には、孫・姪・甥までが支給対象となるのは、従来通りである)を経済的に手厚く遇する措置は、しかるべき効果を生み出している事実を、目の当りにする思いだった。

悔しいが800円を支払って「遊就館」にも入った。持ち時間も少なかったが、家族連れで混み合っていて、じっくりと見ることはできなかった。それでも、知る人ぞ知る靖国神社的な戦争観のエッセンスは掴み取った。この社会の中にあって、それはけっして「浮いている」史観ではない、だからこそ問題なのだ、と思った。

八月の別な日々には、70年前までのこの社会の姿を何度も思い起していた。校舎の壁に貼られている「鬼畜米英」と書かれた紙、本土決戦に備えて竹やり訓練に励む〈銃後の〉女性たち、バケツリレーで消火のための水を運ぶ防空演習――私はそれに参加したり、見たりしたことのない世代ではあるが、「戦前」といえば、書物や映画で見知っている、この滑稽で、異常な光景を思い起こす。戦後の仕事を読み、見聞きしてこころを寄せる多くの作家や詩人、評論家、画家たちが、戦前のこの社会的な雰囲気の中にあって異端児ではなかったこと、与えられた役割をしっかりと果たしていたことを知ったときの驚きも、いまなお鮮明な記憶だ。

あんな時代が繰り返されるはずがない――わけもなく、そう思い込んでいたのは、あの時代の〈異常性〉があまりに際立っていて、人間の理性はそれを反復するほど愚かではないだろうという〈期待〉か〈希望〉があったからだ。だが、この社会の現状を見て少なからぬ人びとが思い始めているように思える――「社会はここまで壊れたのか」と。

このかん「政治の言葉」、正確には「政治家の語る言葉」が壊れていることは、何度も触れてきた。短期的に言えば、小泉純一郎が首相になった時期から、それは始まった。日々のニュース報道の中でもっとも露出する度合いが高い首相の言葉がどれほどまでに壊れていようとも、それでいて、彼は大衆的な「人気」を誇る人物でもあった。「壊れていること」がマイナス価値ではなく、ごく「ふつう」のこととして社会に浸透した。

いったん壊れ始めると、容易には止まらない。それがまるで「運命のように」人びとを、社会を縛る。戦争法案をめぐる国会質疑、原発再稼働、辺野古・高江問題への政府の態度、オリンピックをめぐる大混乱――「壊れていること」が「ふつう」のこととなって、社会に浸透してしまったという実感を拭い去ることはできない。遊就館に掲示されている史観と心を一つにする人物が与党総裁となり、首相となる時代には、その史観もごく「ふつう」のものとなって、それを極限的に表現する在特会的な存在までもが現れる。当たり前の因果関係だ。

この国内情勢との関連で、私がいまもっとも注視しているのは、前々回も触れたヨーロッパ圏に向けて難民が押し寄せている問題だ。欧州圏の草の根では排外主義的な動きもあるが、政府レベルの態度は、いまのところ人道主義に根差して冷静である。他人事ではない。近隣アジア圏にひとたび社会的混乱か動乱が発生した時には、日本は現在の欧州圏の立場におかれよう。政府と大衆のレベルで排外主義が「ふつう」のこととなった社会が、その試練によい形で堪え得るとは思えない。内向きにだけ「壊れて」いくとすれば、それは私たちの自業自得だが、そう言って済ますことのできない近未来が、そこに、ある。(9月5日記)