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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[15]震災・原発報道に、「世界性」の視点の導入を


反天皇制運動機関誌『モンスター』17号(2011年6月7日発行)掲載

この社会のマス・メディア報道が、長い期間にわたって一つの重大事件一色で埋め尽くされることは、まま起こる。この十数年間をふりかえっても、在ペルー日本大使公邸占拠・人質事件(1996-97年)、9・11事件と米軍などのアフガニスタン攻撃(2001年)、拉致事件(2002年)、米軍のイラク攻撃(2003年)などがたちどころに思い浮かぶ。そのたびに私たちは、溢れかえる情報の中から事態の本質をいかに見抜くかという試練にさらされるのだと言える。3・11事態にまつわる災害・原発危機報道は、もちろん、報道量において、比類のないものだ。今後も長く報道が続けられることを思えば、継続期間においても、空前のものとなろう。私たちを待ち受ける試練は、厳しいものとなる。

今回の事態は、被災の悲惨さと規模において世界的な同情を呼び、また原発事故による放射性物質の拡散が世界中に恐怖を与えているという意味でも、国際的な関心の的となっている。したがって、報道のあり方を検証する基準のひとつは、国際的な視野がどれだけ働いているか、という点にあるだろう。間もなく3ヵ月に及ぼうとする今回の3・11報道を、この観点からふりかえると、新聞で言えば、(私が知る限りでは)一紙のみが取り上げた記事や、「ニュースにならず」記者が小さなコラムに書き残した記事が、強く印象に残った。5月9日毎日紙朝刊は、原発ビジネス拡大を狙う日米両国が、モンゴルに核処分場を建設する計画を立てて、昨秋から交渉に入っていると報じた。モンゴル側の思惑は、大国の核のゴミを引き受けてでも技術支援を期待しているところにあるのだが、候補地は、道路・鉄道・電気の整備がなされていることから旧ソ連軍が駐屯していた宿舎の跡地周辺だという。この2つのエピソードからは、いつの時代にも、大国の放埓なふるまいに右往左往せざるを得ない小国の悲哀が思われて、切ない。メトロポリスには置きたくないものを、札束で相手の頬をひっぱたいて押しつけるというやり口は、沖縄や青森や福島などの「国内の辺境」だけで行なわれているわけではない。原発ビジネスには、このような無恥な「国際性」が刻印されていることを忘れることはできない。

また、5月24日毎日紙朝刊に、ジュネーブ支局伊藤特派員のコラムが載った。同地で開かれた世界保健機関(WHO)総会で、大塚耕平副厚生労働相は、放射性物質の放出を各国に謝罪した。だが「複数の国から、日本の責任ではない」と言われた。「日本では、地震に伴う原発の安全停止はきちんと行われ、その後の津波で冷却設備がやられた。事故は自然災害によるもので、米スリーマイル島や旧ソ連チェルノブイリのような人為ミスが原因ではない、と正確に認識してもらえた」と大塚は説明したのだという。前段の事実認識そのものが間違っているが、事故から2ヵ月半を経た5月下旬に政府要人が国際的な場で行なった釈明がこの内容だったこと、しかもそれがニュースとしては報道されなかったことを知って、私は心底驚いた。この驚きは二度目のもので、去る4月4日、東京電力は集中廃棄物処理施設などにたまっていた「低レベルの」汚染水11,500トンを海へ放出し始めたが、このとき政府も東電も近隣諸国と世界全体に対して何らの説明も謝罪も行なわなかったことが、私の最初の驚きだった。しかも、放射性廃棄物の海洋投棄を禁止したロンドン条約との整合性を問われた原子力安全・保安院は、「同条約は、船や飛行機からの海洋投棄を禁じているのであって、陸上施設からの放出は該当しない」と公式に答弁した(東京紙4月5日、朝日紙4月6日など)。いかにも外務官僚が考えそうなこの説明を聞いた時点で、私はこの国を「放射能テロ国家」と呼び始めた。もちろん、当事国の主権者としての恥じの感情を込めて。

震災直後の絶望的な状況の中にあっても日本人は冷静さと団結心を失っていないことに世界中が驚嘆しているといった趣旨の報道も目立った。しかし、1972年ニカラグア・マナグア地震や1985年メキシコ地震後に、同地の民衆があてにならない政府から自立した地点で示した相互扶助と連帯の具体例を知る私からすれば、災害時に示されるこの種の精神は、日本人の特性を示すものではない。震災・原発報道に、語の真の意味での「世界性」を導入して解釈すること。その重要性が、これらの諸例からわかる。(6月4日記)