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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[20]「官許」――TPP問題と原発問題で立ち塞がるこの社会の壁


反天皇制運動『モンスター』22号(2011年11月8日発行)掲載

そのむかし、私が愛読した書物のなかに、在野の哲学者・三浦つとむの著書があった。彼の書物から受けた「恩義」はいまも忘れてはいない。辞書にもある用語だが、彼がよく用いたことばに「官許」というのがあった。辞書で言えば「政府からの許可」とか「政府が民間に与えた許可」となるが、左翼である三浦の場合は「官許マルクス主義」のように使うのである。生きた時代の必然性からいって(1911~89年)、スターリン主義のような俗流マルクス主義の言語論・芸術論・組織論とたたかった三浦は、自称前衛党もアカデミズムも自らを支える背景としては持たない場所に、ひとり立ち続けた。だから、「官」なるもの、すなわち、政府・国家・前衛党など支配権力を持つ立場やその御用学者から繰り出される議論や言説に孕まれる虚偽と歪曲をいち早く嗅ぎ当て、それを徹底して批判する立場に立ったのである。

このところ、しきりに三浦のことが思い出されるのは、虚偽と歪曲に満ちた「官」の横行があまりに目立つからであろうか。日本的な構造なので、この場合は、霞が関「官僚」による情報統制の下で、自らの意思を持たない「閣僚」が完全に支配されている事態を指している。現象的には、前者の「官僚」と後者の「閣僚」が一体化して、「政府」として立ち現れているのである。それを「科学的な知見」に基づいて支える立場から、専門家や研究者たちが登場していることは、言うまでもない。

いまや、小さなかけらのような記憶になってしまったが、民主党政権が成立した当初には、官僚支配の政治を打破するという明確な意思表示が、まだしも、なされた。在沖縄米軍基地のあり方を見直すという形で、既存の日米関係をほんの少し変えようとした鳩山政権は、「日米同盟は不変」との信念を持つ外務・防衛両省の官僚たちからの黙殺と妨害にあって、あえなく潰された。福島原発事故の重大性に鑑みて、少なくとも「脱原発」の方向性に向かおうとした菅前首相は、原発推進に固執する経済産業省の官僚たちと経団連によるエネルギー危機の扇動と、政策次元よりも菅直人という政治家が嫌いなだけの与野党・マスメディアからの集中攻撃にさらされて、〈個人的に〉失脚した。二代続いた民主党政権下にあっては、官僚支配が打破されるどころか、逆に、その支配力の強さを見せつけられたのである。

ご面相を見ただけで、自民党時代に逆戻りしたのか、とつくづく思わせられる現首相の登場は、「日本を根本のところで統治しているのは自分たちだ」と考えている霞が関官僚たちを、自民党政権時代以上に安心させたに違いない。自民党にもできなかったことをやる用意のある政権だ――就任以来の首相のさまざまな発言(むしろ、肝心な箇所での「発言の無さ」と言うべきかもしれない)から、官僚たちは、野田政権の性格をそう読んだと思われる。

そのことがいま集中して現われているのは、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題である。昨秋、菅首相が突然のように打ち出したこれへの参加方針は、マスメディア挙げての支持を受けた。いくらか社会的に開かれた形で議論が起ころうとしていた時期に、「3・11」が起こった。社会全体が、その後の7ヵ月間は、震災からの復興問題と原発事故への対処が主要な関心事であった。その間に、官僚たちは着々と参加の基盤づくりを行なっていたようだ。野田政権の成立を待つかのように、この1ヵ月間TPPに関する情報が小出しに漏れ始めた。「11月にハワイで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の場で参加表明することが、米国が最も評価するタイミング」との政府文書の存在が明らかになったのは10月27日のことだ。この「政府」文書は「官僚」文書と読み替えるべきだろう。米通商代表部高官が「日本の参加を認めるためには議会との協議が必要で、参加承認には半年必要」と語ったことを明らかにした「政府内部文書」も11月1日に明らかになった。すべてを時間不足に追い込んで、ドサクサまぎれの首相決断に委ねること――TPP問題についても、原発問題についても、経済産業省に巣食う高位の官僚たちの恣意のままに操作されているのが、この社会の現状なのだ。(11月5日記)