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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[80]何よりも肝要なことは「アジアとの和解」だ


『反天皇制運動 Alert』第7号(通巻389号、2017年1月10日発行)掲載

2012年に再登場して以降の安倍政権の官邸周辺には、よほどの知恵者がブレーンとしているように思える。世論なるものの気まぐれな動きを、蓄積された経験智に基づいて的確に察知でき、これに対処する方法に長け、同時にマスメディア対策もゆめゆめ怠ることなく、効果的に行ない得る複数の人物が……。このように言う場合、もちろん、働きかけられる「世論」と「メディア」の側にも、「自発的に隷従して」(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ)それを受け入れるという意味での、哀しい〈相互作用〉が生まれているのだという事実を大急ぎで付け加えておかなければならない。

2016年12月、ロシア大統領をわざわざ首相の地元の温泉に招いて会談するという宣伝がなされていた時期には、「北方諸島」の帰属問題で日本に有利な結果が生まれそうだとの観測がしきりになされた。例えば「二島返還」という具体的な形で。その「成果」の余勢を駆って、首相は年末あるいは年始の衆議院解散に踏み切るのでは、との予測すらなされていた。その前段において、この展望は甘かったという感触が得られてすぐ、日露首脳会談の展望をめぐる首相の口は、重くかつ慎重になった。間もなく、首相はロシア大統領との会談を終えた半月後の年末ギリギリにハワイの真珠湾を米国大統領ともども訪れるというニュースが大々的に報道された。官邸ブレーンは、「見事な」までの、首相スケジュール調整機能を発揮した。

世論とメディアは、首脳会談なるものにも弱い、あるいは、甘い。会談の無内容さは、世界の二大超大国、ロシアと米国の大統領と次々と渉り合っている「われらが宰相」――というパフォーマンス効果によって打ち消される。16年5月の米国大統領の広島訪問を思い起せばよい。主眼は、大統領が広島訪問の直前に行なった岩国の米軍海兵隊基地での兵士激励であり、その付け足しのように行なわれた、一時間にも満たない広島行きではなかった。せめても、岩国米軍基地と広島への訪問が「セット」で行なわれた事実の意味を問う報道や発言がもっと多くなされるべきだったが、それは極端に少なかった。にもかかわらず、大統領の広島訪問とあの空疎なメッセージは、大きな効果を発揮した。日本国首相にとっても。大統領が苦心して折った折り鶴を持参して原爆資料館に贈呈したなどという無意味な行為が、感傷的に報道されたりもした。8年間の任期中にこの大統領が、核廃絶のために行なった具体的な政策の質と総量が同時に検証報道されたなら、広島行きのパフォーマンスの偽善性が明らかになっただろう。この点に関しては、在日の米国詩人アーサー・ビナードも、峠三吉『原爆詩集』(岩波文庫、2016年)に付された解説で的確に論じている。

16年末、真珠湾を訪れた日本の首相も、「不戦の誓い」と「日米の和解の力」を強調する演説を行なった。これを大々的に報道した主要メディアの中には、訪問を一定評価しつつも、「アジアへの視点」の欠如を指摘するものもあった。だが、「不戦の誓い」は、この政権が続けている諸政策と沖縄への態度に照らせば、化けの皮がすぐに剝れる性質のものであり、「日米和解」に至っては、戦後日本の米国への「自発的隷従」が続けられたことで夙に実現しているというのが、冷めた一般的な見方であろう。したがって、後者の「アジアへの視点」の欠如こそが強調されなければならなかった。例えば、12月8日(日本時間)真珠湾攻撃の一時間前には、日本陸軍がマレー半島への上陸作戦を開始していた、という史実への言及がなされるだけで、「日米戦争」という狭い枠組みは崩れ、短く見ても1931年の日本軍の中国侵略に始まるアジア・太平洋戦争の全体像に迫る視点が生まれるだろう。中国侵略戦争が行き詰まることで、日本はフランス、英国、オランダなどの植民地が居並ぶ東南アジアへの侵攻を国策の中心に据えていたのだから、真珠湾攻撃に先立って行なわれたマレー侵攻の意図は、明らかなのだ。アジアと向き合うことを、歴史的にも現在的にも無視する常習犯=現日本国首相は、にもかかわらず「地球儀を俯瞰する外交」などとしたり顔で語っている。首相の真珠湾訪問と同じ日、韓国は釜山の日本総領事館前に「慰安婦」を象徴する少女像が設置されたことは(これには論ずべき多様な問題が孕まれているとはいえ)、日本がもっとも肝要な「アジアとの和解」を実現できていないことを示している。この事実を改めて心に刻んで、一年を送りたい。(1月7日記)