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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[102]東アジアにおける変革の動きと、停滞を続ける歴史認識


『反天皇制運動 Alert』第29号(通巻411号、2018年11月6日発行)掲載

『JSA』と題された韓国映画が日本で公開されたのは2001年だった(パク・チャヌク監督、イ・ビョンホン、ソン・ガンホ主演。製作は前年の2000年)。板門店の「共同警備区域」(Joint Security Area)で朝鮮人民軍の兵士が韓国軍兵士に射殺される事件を起点に、「許されざる」友情を育む南北の兵士たちの姿を描いた力作だった。見直さないと詳論はできないが、朝鮮国の兵士を独裁者の傀儡としてではなく「人格をもつ」人間として描いたことから、映画は退役軍人を主とする韓国保守層から厳しい批判を受ける一方、若年層が朝鮮への親近感を深めるきっかけとなったという挿話が印象的だった。

そのJSAの非武装化が、去る10月25日までに実現した。すべての武器と弾薬の撤収が完了したことを、南北の軍事当局と国連軍司令部が共同検証した。今後は、南北それぞれ35人ほどの人員が武器を持たずに警備に当たるという。これらはすべて、去る9月19日に当事者間で締結された「軍事分野合意書」に基づく措置だが、この全文は一読に値する。

→https://www.thekoreanpolitics.com/news/articleView.html?idxno=2683

4月27日の板門店宣言以降の5月間のうちに、軍事上の実務当事者同士が重ねた討議の質的な内容と速度とに驚くからである。それは、「無為に過ぎた」と敢えて言うべき以下の期間と対照させた時にはっきりする。JSAが設けられたのは、1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定によってだから、そこから数えると65年が経っている。朝鮮人民軍の兵士が米軍将校2人を殺害した1976年8月の事件以降、それまで非武装だった警備兵士たちが武装するようになった時から数えると、42年ぶりの非武装化ということになる。最後に、映画『JSA』の製作年度との関連で言うなら、四半世紀有余を経て進行している事態である。いずれにせよ、人類が刻む歴史では無念にも、これだけの時間を費やさなければ根源的な変化は起こらない。それを繰り返して現在があるのだが、いったん事態が動き始めた時の速度には目を見張るものがある。11月1日からは、陸・海・空の敵対行為も停止された。今後も困難を克服して、東アジア地域の平和安定化のための努力が実りをもたらすことを願う。

こう語る私の居心地の悪さは、どこから来るのか? 翻って私の住まう日本社会は、この平和安定化にいかに寄与しているかという問いに向き合わねばならず、現状では官民双方のレベルで、肯定的な答え方ができないからである。これまでも何度も指摘してきたが、2018年度になって和平に向かって急速に流動化している朝鮮半島情勢に関して、日本政府や(時に)マスメディアが、この動きに警戒心を示し、ひどい時にはこれを妨害するかのごとき言動を行なってきていることは、誰の目にも明らかであろう。軍事力整備の強大化、自衛隊および在日米軍の基地新設・強化を推進している日本政府の政策路線からすれば、東アジア世界で進行する平和安定化傾向は「不都合な真実」に他ならないからである。

そこへ、新たな難題が生まれた。韓国最高裁が、1939年国家総動員法に基づく国民徴用令によって日本の工場に動員され働かせられた韓国人の元徴用工4人が新日鉄住金を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、個人の請求権を認めた控訴審判決を支持し、同社に賠償命令を下したからである。西欧起源の「国際法」なるものは西洋が実践した植民地主義を肯定する性格を持つとの捉え返しが世界的に行われている現状を理解しているはずもない日本国首相が「判決は国際法に照らして、あり得ない」と言えば、メディアとそこに登場する「識者」の多くも「国と国との約束である請求権協定を覆すなら」国家間関係の前提が壊れると悲鳴を上げている。敗戦後の日本社会が、東アジアに対する加害の事実に正面から向き合い、まっとうな謝罪・賠償・補償を行なってきたならば、そうも言えよう。現実には、加害の事実を「低く」見積り、あわよくばそれを否定しようとする勢力が官民を牛耳ってきた。その象徴というべき人物が首相の座に6年間も就いたままなのである。植民地支配をめぐる歴史認識の変化を主体的に受け止めるための努力を止めるわけにはいかない。

(11月3日記)