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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[101]日米首脳会談共同声明から見抜くべきこと


『反天皇制運動Alert』第28号(通巻410号、2018年10月9日発行)掲載

移民や難民の入国規制や禁止を求めて欧州各国に台頭しつつある排外主義的な政治勢力を、正しくも「極右政党」と表現するメディアは、日本に成立した今次安倍政権を「極右政権」と名づけて報道しなければならないのではないか。「日本会議」と「神道政治連盟」に加入している政治屋たちが居並ぶ閣僚名簿を見て、かつ彼(女)らのこれまでの発言を思い起こして、つくづくそう思うのだが、こんな問題提起をしても、虚しさが募るばかりの、政治・社会・メディアの状況が続いている。だが、これが偽りのない日本社会の現状なのだ。私たちは、ここで考え、発言し、叫び、跳び、転がり、駆け、座り込み、動き回るしかないのだと覚悟して、久しい。

衝くべき問題は、いくつもある。ここでは、去る9月27日に行なわれた日米首脳会談が孕む問題に触れよう。共同声明の発表を受けて、日本での報道では「日米物品協定交渉入り合意」(9月27日毎日新聞)、「日米、関税交渉入り合意」(同日朝日新聞夕刊)などの見出しが躍った。詳しく読むと、記者会見で日本国首相は、「今回のTAG(物品貿易協定)は、これまで日本が結んできた包括的なFTA(自由貿易協定)とは全く異なる」と強調している。これは、従来から、日米二国間のFTA交渉を行なうことはあり得ないと否定してきた首相の立場に即せば当然のことだが、しかし、交渉翌日の新聞は「事実上のFTA」(毎日新聞)、「実態 FTAに近い」(朝日新聞)との見出しを付したように、マスメディアによっても問題の本質は疾うに見抜かれていたのである。

10月4日、東京新聞が共同声明のホワイトハウス発表の英語版および、在日米国大使館による仮翻訳と日本政府訳を並列し、食い違っている問題点を指摘した。私自身も原資料に当たって、検討してみた。すると、東京紙も指摘しているところだが、日本政府が公表した声明文で「日米物品貿易協定(TAG)」となっている個所は、Unitesd States-Japan Trade Agreement on goods となっており、使用されている大文字と小文字の関係性から言えば、goods はTrade Agreementと同格の位置にはないから、「物品貿易協定」と熟語的に翻訳することには無理があることがわかる。英語本文では「TAG」の略称も用いられてはいない。しかも、on goods の後には ,as well as on other key areas including services, と続いており、「物品」と「サービスを含めた他の重要な分野」を同格と捉えた表現になっていることがわかる。ここをごまかして、首相の従来の言動にぎりぎり合わせた翻訳文にするのだから、政府と官僚たちは、森友・加計問題で駆使した文書捏造技術にさらに磨きをかけるつもりなのだろう。

だが、この翻訳「技術」には既視感がある。1999年、新たな国際情勢の下で日米両政府が「防衛協力のための新ガイドライン」について協議していた。まとめられたガイドラインの正文(英語)と、政府から発表された日本語訳を読み合わせすると、微妙だが、明らかなズレが見られる。ふたつの文章は実際には厳密な対応関係にはなく、日本語文は、語る内容から「軍事色」を消すことに腐心していると私には思えた。いざ「周辺事態」が発生した時に自衛隊は米軍に「物品および役務を提供」する「後方支援」に従事することになるにもかかわらず、日本語文からは「戦争の匂い」が消えているのだ。この日米協議の場に出席していた防衛庁・陸幕調査部一等陸佐、山口昇氏(現在は防衛大学校教授で、「軍人スカラー」と呼ばれている)が公開の場で講演するというので、当時聞きに行った。氏の話を直接聞いても、ふたつのテキストを読んだ時と同じ感想を持ったので、私は「ガイドラインがまぎれもない戦争マニュアルであること」を隠そうとしているのではないか、と質問した。見解の相違で、そんなつもりはないと氏は断言した。だが、日本語文は英語正文からの翻訳ではなく、討論を経てふたつの言語で同時に起草したことは認めた。2国間の共同声明や協定が、こんな風に処理される場合もあるようだ。現在の権力者たち(政府+高級官僚)の論理と倫理の水準に照らして、今回の日米共同声明を厳しく解読すべきだろう。  (10月6日記)

スペイン語圏文学の翻訳と普及をいかに推進するか


以下は、2018年10月5日、「第3回日本 スペイン語・スペイン語圏文化国際会議」(市ヶ谷、セルバンテス文化センター)のラウンド・テーブル「編集・出版について――スペイン語文学の翻訳と普及をいかに推進するか」において、私が行なった発言の内容です。

この30年有余、私は人文書の企画・編集・営業に携わってきました。特に力を入れてきたのは、スペイン語圏の文化・歴史に関わる仕事です。出版の仕事に関わり始めたのは1980年代半ばでしたが、間もなく来る1992年に、世界の歴史の捉え方が大きく変化するだろうと予感していました。この年こそ、あのクリストファー・コロンの大航海とアメリカ到達からちょうど5世紀が経つからです。人類史の中でのこの5世紀には、重大な出来事がたくさん詰まっています。征服・植民地化・植民地から資源を獲得した欧州における資本主義の発展・産業革命・繁栄した地域への労働力移動・ひとと物の行き来――いわば、グローバリゼーションがこの過程で進行したのです。その主要な舞台となったラテンアメリカとイベリア半島が5世紀をかけて刻んだ歴史と、そこで育くまれた文化を紹介することを、私たちの出版活動の軸の一つにしようと考えたのです。日本は、アジアで唯一植民地主義を実践した国ですから、この作業は私たちの足元を見つめ直す機会にもなると考えました。

しかし、スペインもラテンアメリカも、日本からは遠い。それらの国と文化に強烈な関心を持つ人は確かにいますが、それはあくまでも少数です。どう工夫して、少しでも多くの読者を獲得するか。人間は多様です。スペイン語圏を深く理解するためには、人間の多様性に見合うように、数多くの入り口を用意してはどうか。一つのジャンルに固執しない。文学、映画、美術、音楽、デザイン、建築、歴史、考古学、文化人類学、社会思想、社会運動、社会的な証言、革命、哲学、サッカー――さまざまな分野の書物を企画し、刊行してきました。30年有余で、その数は150冊に達しつつあります。すると、私たちが刊行する書物は、次第に、スペイン語文化圏全体を小宇宙として表現するような形を成していったのです。

私たちは小さな出版社でしかありませんから、映画や音楽や美術など他のジャンルのひとたちの仕事も積極的に活用します。アルモドバルの映画がよいから、彼の本『オール・アバウト・マイ・マザー』を出す。フランコの時代末期に、その政治活動ゆえに死刑囚となり鐵環処刑された青年を描いた映画『サルバドールの朝』が評判になれば、その原作、フランセスク・エスクリバノの『カウントダウン――サルバドール・プッチ・アンチックの物語』(Francesc Escribano “Cuenta Atrás: La historia de Salvador Puig Antich”)を出版する。私たちが数多くの装丁をお願いしたデザイナーは、アントニオ・ガウディの創造性に惚れ込んで映画まで作ってしまいました。そこで、私たちもガウディに関する本を数冊出して、上映会場で売る。すると、映画という入り口からスペイン語文化圏に入った人は、そこに映し出された土地の風景や人びとのたたずまい、展開される物語に刺激されて、次は別な入り口を探し求めて、例えば文学や歴史の書物の読者になるのです。

たくさんの窓や入り口を持つことは、民族の問題を考えるうえでも重要です。スペインもラテンアメリカも、単一民族ではなく多民族によって構成されている社会です。その意味では歴史過程には重大な悲劇も孕まれており、その調査と分析も必要です。バルトロメー・デ・ラス・カサスの『インディアス破壊に関する簡潔な報告』(Bartolomé de las Casas,”Brevíssima relación de la destruyción de las Indias”)を初期の段階で出版したのは、そのためです。また現代にあっても民族差別は残っていますが、逆に、民族的な多様性が極めて寛容な社会をそこに生み出していることにも注目したいのです。日本には、日本が単一民族社会であることを利点として強調する意見があります。それは事実としても間違いであり、民族排外主義に通じる危険な考えでもあります。このような日本社会が、寛容性や異文化・異民族交流をめぐって、多民族社会から学ぶべきことはたくさんあるのです。ですから、私たちは、民族・植民地問題に関する本、覗き見主義ではない文化人類学の本などを意識的に企画・刊行してきました。

いくつか、想い出の深い出版物に触れます。

ガルリエル・ガルシア=マルケスは、日本でもよく読まれている作家です。重要な文学作品は、すでに他の大きな出版社によって刊行されていました。そこで、私たちは、彼が新聞記者時代に書いた社会面や芸能欄の記事がスペイン語で集成されていることに着目し、それを読んでみました。すると、それらの記事が、とても読ませるのです。1950年代にコロンビアで起きたちょっとした事件や出来事を扱ったその記事が、まるで、よくできた「ショートショート」の創作のように思えてくるのでした。ローマ特派員の時代には、映画好きのマルケスらしく、イタリア映画や女優たち、そしてもちろんローマ法王に関する記事があって、それも面白かった。そこで、私たちは、それを『ジャーナリズム作品集』(“ Obra Periodistica”)として刊行しました。意外な観点からの出版でしたが、かなりの読者に好感をもって迎えられたと思います。

ディエゴ・マラドーナの本も出版しました。彼はサッカーの歴史を塗りかえた不世出の天才レフティでしたが、メディアを通して実に数々の名言を放っています。いわば、「言葉のファンタジスタ」でもあります。そこで、アルゼンチンのジャーナリストがまとめた本(Diego dijo :Las mejores 1000 frases del “10 ″de toda su carrera” )を、『マラドーナ!――永遠のサッカー少年「ディエゴ」が話すのを聞いた』を出版しました。期待したほどは売れませんでしたが、スペイン語文化圏でとても人気のあるスポーツに関わる仕事ができたという満足感が得られました。

1980年代末、バルセロナを訪れた私は、或る人に紹介されて、漫画家セスク氏に会いました。ユーモアとウィット、風刺に満ち溢れた氏の漫画は、フランコ治世下でたくさん発禁になりました。彼の漫画を時代順に並べてみると、それは、さながら「カタルーニャ現代史」となるのでした。発禁作品には、上から×印を付けて『発禁・カタルーニャ現代史』を名づけて出版しました。解説は、モンセラー・ローチさんに会って、お願いしました。たぐい稀なコラボレーションによる出版でした。日本語版が世界に先駆けて出版され、カタルーニャ語版はそのあとで出たのです。

以上簡潔に述べてきたように、出版企画・編集・営業・販売などの点で、私たちなりの努力は続けてまいりました。力不足は否めませんが、小さいながらもある程度の手応えを感じていることも事実です。しかし、インターンット時代に突入して早や4半世紀――人人は指でタブレットを圧す作業に熱中するばかりで、落ち着いて書物を読むという習慣は急速に失われつつあります。当初から限定的な数の読者に向けての出版活動であった私たちは、読者のいっそうの減少、書物の売り上げの低下傾向に苦しんでいます。この傾向は、世界のどこでも起こっていることだと思います。私たちなりの工夫をさらに重ねて、この現実に立ち向かっていこうと思います。

そんな中にあって21世紀に入って以降、スペイン語圏の現代作家の作品を紹介する「セルバンテス賞コレクション」を14冊、スペイン語圏の読者にながいあいだ読み継がれてきた作品を紹介する「ロス・クラシコス」シリーズが12冊まで出版できたのは、スペイン文化省をはじめとして、メキシコ、アルゼンチン、チリなどの文化省からの出版助成があったからこそでした。「ロス・クラシコス」シリーズの12冊目、最新刊は、ここにありますパブロ・ネルーダの『大いなる歌』です。このような重要な詩集を出版できたことは、私たちのささやかな誇りです。

私たちをここまで熱中させるような文化表現を生み出してこられたスペイン語文化園の皆さまに対する深い尊敬と感謝の気持ちをお伝えして、私の話を終わります。

Muchas gracias por su atención.