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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[49]政治家の「誇り高い」言葉をめぐって


『反天皇制運動カーニバル』第14号(通巻357号、2014年5月20日発行)掲載

やはり、ここは、「五月一五日」のことを書くべきではないのか、という内心の声がないではない。愚かすぎる政治屋が演じた、あの空疎な「記者会見ショウ」を取り上げるべきではないのか、と。だが、私には、いま、言葉がない。ひとりの個人が、哀しくも犯してしまうどんな犯罪よりも、もっと「凶暴な」というべきこの「政治犯罪」が大手をふって罷り通ってしまう状況を言いあらわす言葉が、ない。テレビを通して公然と犯されたこの「犯罪」を前に、なすすべもなく(と、あえて言わなければならない気持ちがする)立ち竦む社会――そこに映し出されているのは、他ならぬ私たちの貌であり姿なのだ。この愚挙を許している私たちへの「絶望」を、いまは、語りたくない。それよりは、「希望」を語りたい。あるかなきかのものでしかないかもしれないにせよ、「希望」の根拠を語りたい。私自身が関わっていることなので「私事」の印象があるかもしれないから、それを「公」の領域に拡張する努力をしつつ。

1980年に始めたボリビア映画集団ウカマウの作品を自主上映する活動が、今年34年目を迎えた。新作『叛乱者たち』が届いたこともあって、全作品の回顧上映を「革命の映画/映画の革命の半世紀(1962~2014)」と題して始めている。ウカマウ集団と監督のホルヘ・サンヒネスは、ボリビア人口の60%を占める先住民族の存在に徹底してこだわる。スペインによる植民地支配以降一貫して、ピラミッド構造の社会構成体の最下層に組み込まれ、徹底して差別・抑圧されてきたこの人びとが主権を回復することが最優先の課題だが、それが実現することで、社会の上層と中層を構成している白人とメスティソ(混血層)もまた自己解放される――かくして社会全体の変革へと至る、という揺るぎない確信に基づいて、作品の創造がなされてきた。「先住民族」なる存在を生み出したのは、他者の土地に身勝手にも侵入し、「無主地論」に基づいてそこを我が物にしてしまった植民地主義に他ならないから、ウカマウ集団が作品のテーマとして設定することがらは、特殊アンデス地域の問題であるように見えて、常に世界的な普遍性を帯びてくる。

『叛乱者たち』は、18世紀末に起こった植民地期最大の先住民叛乱以降、先住民および「良心的な」白人・メスティソ層によって主権回復の努力がいかになされてきたかをたどりながら、2006年にはついに左派の先住民大統領(エボ・モラレス)が誕生するに至る過程を描く。このようにテーマを設定する芸術作品が、時の「権力」との距離をどのように確保するかという問題は、厳として存在する。その意味で、この作品の「出来栄え」は十分論議される余地がある。また、すでに2期・9年目を迎えているモラレス大統領が、どんな改革を、どのように、どこまで実現できているかという現実的な問題もある。その究明は別途なされなければならないとして、映画に挿入された、実際の大統領就任式におけるモラレス演説の一節には胸打たれる。要旨は、こうである。「自分たちの祖先は半世紀前までは公の場所に入ることも母語を話すことも許されなかったし、今でもインディオを目の敵にする人びとがいる。だが、私たちはそのような人びととも共生したい。先住民の独占物ではないこの改革の過程においては、復讐も報復も行なわれない」。

アパルトヘイト廃絶後の南アフリカにおいて、「真実究明・赦し・和解」の努力がなされてきたことは周知の通りである。報復処刑と「政敵」の粛清に満ちていた20世紀型社会革命の「負の遺産」を克服する歩みが、期せずして世界のいくつかの地で行なわれていることがわかる。この映画を観たひとりの観客は、このモラレス演説を評して「誇り高い」と言った。それに比して「我が国のトップのお粗末さに辟易する」とも。劇場の賑わいの興奮から深夜帰宅して新聞を開き、この国の政治ニュースに接するたびに、私も毎夜この「落差」に眩暈をおぼえた。

ウカマウ全作品を上映したこの2週間、『第一の敵』を観て熱心に感想を語り合ったこともある佐藤満夫・山岡強一(註)を思った。作劇方法から、ブレヒトを思った。よそとここの政治の在り方の違いを思った。民衆運動の「差」を痛感した。そこからは、芸術表現の次元でも、現実の政治・社会の次元でも、いくつもの新たな思いが生まれよう。それを、冒頭で触れた「絶望」から這い上がる根拠にしたい――そう、思った。(5月17日記)

(註)佐藤満夫・山岡強一と聞いても、知らない世代が育っていよう。ふたりとも、映画『山谷(ヤマ) やられたらやりかえせ』(1985年)の監督であった。日雇い労働者を手配する者たちの背後には暴力団=右翼が介在して、労働者の権利を侵害し暴利をむさぼっていることも描くこの映画を嫌った者が、最初の監督、佐藤満夫さんを殺害した(84年12月22日)。そのため、ヤマの労働者、山岡強一さんが監督を引き継ぎ、85年末に完成にこぎつけた。その山岡さんも右翼の凶弾に斃れた(86年1月13日)。ふたりは、ウカマウ集団の『第一の敵』を初回上映時に観ており、強い印象を受けたと語っていた。佐藤さんは『第一の敵』論を書いたとも言っており、亡くなった後探してもらったが、見つからなかった。山岡さんは、『山谷』上映の参考にしたいからウカマウ映画自主上映運動の経験を教えてほしいといって、仲間と一緒に私を訪ねて来ていた。そのわずか数週間後に、彼は殺害された。遺稿集に、山岡強一=著『山谷 やられたらやりかえせ』がある(現代企画室、1996年)。

ウカマウ集団との40年


『毎日新聞』2014年5月14日夕刊掲載

南米エクアドルで一本の映画を観て、40年近くが経った。1969年の『コンドルの血』というボリビア映画だ。製作はウカマウ集団、監督はホルヘ・サンヒネス。アンデスの先住民村に「後進国援助」の目的で診療所を造った米国の医療チームが、現地の若い女性たちに不妊手術を秘密裡に施していたことを暴露した作品だった。迫りくる食糧危機を前に、避妊をしない貧しい国々の人間には、強制的にでも子どもを産めない体にして人口爆発を防ぐしかないという身勝手な考えが、米国にはあったのだ。内容の衝撃性もさることながら、スクリーンに飛び交うアンデスの先住民言語=ケチュア語、慣れ親しんだ日本や欧米映画のそれとは違うカメラ・ワーク、過去と現在が複雑に行き交う時制感覚などが、強く印象に残った。

縁あって、監督と知り合った。白人エリートの出身だが、先住民が人口の60%以上を占めていながら、植民地時代から一貫して深刻なまでの差別構造の下に置かれていることに危機感を持つ人物だった。白人とメスティソ(混血層)は先住民差別を克服して初めて自己を解放できるし、社会は公平なものとなる、と彼は信じていた。それは、世界に普遍的な原理だ、と私たちは確認し合った。

帰国時に、フィルムを一本預かった。『第一の敵』と題された一九七四年の作品だ。ボリビアの軍事体制下から逃れた監督が、亡命地ペルーで撮った。地主の圧政に苦しむ先住民貧農とゲリラの出会いを描いた作品だ。1980年に日本で初公開した。13年前の、ボリビアにおけるチェ・ゲバラのたたかいと死を彷彿させる内容だ。評判となり、自主上映は全国各地に広がった。来場者の反応から、確かな手応えを感じ、旧作品も次々と輸入して上映した。上映収入を製作集団に送ると、それが次回作の資金になった。八九年の『地下の民』には、共同製作者として参加した。この作品はサンセバスティアン映画祭でグランプリを獲得した。

初公開以来34年が経った。ボリビアでは、軍事体制から民主化の過程を経て、驚くべきことには、2006年に左派の先住民大統領が誕生した。困難な諸問題を抱えつつも、米国の言いなりにはならず、新自由主義政策が遺したマイナスの要因とたたかい続けている。

私たちの手元にあるウカマウ集団の作品も、12作になった。半世紀に及ぶ期間に製作されたすべての作品だ。最新作『叛乱者たち』は、18世紀末の植民地期最大の先住民叛乱から、21世紀初頭の先住民大統領の誕生までをたどった歴史劇だ。「革命の映画/映画の革命の半世紀」と題して、全作品上映を開始している。チェ・ゲバラ、水の民営化に抵抗する反グローバリズム運動の高揚、ウカマウの映画――「ボリビアは、いつだって、世界を熱くする」。これが、私たちの合言葉だ。