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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[100]百年後のロシア革命――極秘文書の公開から見えてくるもの


『反天皇制運動Alert』第27号(通巻409号、2018年9月4日発行)掲載

あるところで「ロシア革命百年」講座を行なっている。半年かけて、全6回である。昨年もこのテーマに関しては2回ほど公の場で話した。そのうち1回は、「レーニン主義」をなお墨守していると思われる人びとが多く集う場だから、緊張した。私は一定の〈敬意〉をもってこの人物に接してはきたが、いわゆる「レーニン主義者」であったことは一度もない。若い頃の思いを、恐れも知らず埴谷雄高を模して表現するなら、ヨリ自由な立場から『国家と革命』に対峙し、理論的に負けたと思ったら、選ぶ道を考え直そう、というものだった。〈勝ったか負けたか〉はともかく、レーニンが主導した道は選ばなかった。だから、その道を選び、今なお〈悔い改めない〉人びとの前では、いい意味で緊張するのである。

53歳で亡くなったレーニンは、論文・著作の生産量が高い人だった。最終的には、ロシア語第5版で補巻を含めて全57巻、日本語版はロシア語第4版に依拠し全48巻の全集が編まれた。いずれも、1950年代から60年代にかけての、息の長い出版の仕事だった。レーニンの著作をめぐって、事態が決定的に変わるのは、ソ連体制が崩壊した1991年以降である。ソ連共産党中央委員会のアーカイブに厳密に保管されてきていた極秘文書が公開されるようになった。書き込みも含めてレーニンの手になる文書3700点、レーニンが署名した公的文書3000点が明るみに出た。極秘にされていた理由は、以下による。(1)国家機密に関わるもの。陰謀的な性格を持つもの。(2)公定レーニン像に抵触する、不適切なイデオロギー的性格をもつもの。(3)判読不能・鑑定上の疑義のあるもの。技術的・学術的な問題。(文書の点数は、池田嘉郎による)

ロシアではもとより、英語圏・フランス語圏でもこれらの文書を参照しないロシア革命研究はもはやあり得ない。重要な著作は、いくつか日本語訳も出版されている。日本でも、梶川伸一、池田嘉郎、故稲子恒夫のように、従来の未公開文書を駆使して重要な仕事を行なっている研究者が生まれている。そんな時代がきて、4半世紀が過ぎた。

それらの資料を読みながら、私はつくづく思う。党中央委員会の文書管理部は、一貫して、実に〈すぐれた〉人物を擁していた。同時代的に、あるいは後世においてさえ、この文書を公開しては、レーニンとロシア革命のイメージをひどく毀損すると「的確に」判断できていたからである。この短い文章では具体的な引用はできない。ただ、〈敵〉と名指しした人びとに対する、公開絞首刑の執行を含めた仮借なき弾圧が幾度となく指示されているとか、レーニンの忠実な「配下」であったトゥハチェフスキーが「反革命」鎮圧のために毒ガス使用を指示したとか程度には触れておこう。「富農を人質に取れ」という苛烈なレーニンの指令に驚き、心がひるみ、この指令を無視する地方の党幹部の姿も現われる。つまり、この幹部のように、そしてクレムリンの文書管理部局スタッフのように、難局極まりない内戦の渦中にあっても「的確な」判断を成し得た人物は実在したのである。レーニンと革命が掲げる〈目的〉に照らせば、採用してはいけない〈手段〉があることを知っていた人物が……。

その意味では、1921年のクロンシュタット叛乱と、1918~21年のウクライナのマフノ農民運動に対して、レーニンやトロツキーが先頭に立って「弾圧」した事実は、夙に(同時代の中でも)知られていた。前者の叛乱は、「革命の聖地」ペトログラードのすぐ近くのクロンシュタット要塞で進行した。それは、ボリシェヴィキの一党独裁を批判する立場から革命の根源的な深化を求めた水兵・労働者の公然たる動きであり、ボリシェヴィキも機関紙上で反論せざるを得なかった。叛乱なるものの背後にはフランスのスパイがいる、というお定まりの宣伝ではあったが。後者の場合は、ボリシェヴィキの弾圧にさらされる農民アナキストが渦中で情報を発信した。1922年末に日本を脱出した大杉栄は、翌年2月パリに着くと、マフノ運動関連の文献渉猟に全力を挙げている。7月に帰国して、翌8月には「無政府主義将軍 ネストル・マフノ」という優れた紹介文を執筆した。大杉が虐殺される前の月である。

ロシア革命は、当時も百年後の今も、その本質について、どんな情報に基づいてどのような判断を持つかを迫られる、或る意味で「おそろしい」場であり続けている。

(9月1日記)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[98]「貧しい」現実を「豊かに」解き放つ想像力


『反天皇制運動Alert』第25号(通巻407号、2018年7月10日発行)掲載

10や50や100のように「数」として区切りのよい周年期を祝ったり、内省的に追憶したり、それに過剰に意味付与したりするのはおかしいと常々思ってはいる。だが、ロシア革命百年(1917~)、米騒動・シベリア干渉戦争百年(1918~)、三・一独立運動/五・四運動百年(1919~)、関東大震災・朝鮮人虐殺百年(1923~)という具合に、近代日本の歩みを顧みるうえで忘れ難い百周年期が打ち続くここ数年には、その歴史的な出来事自体はもとよりこれに続いた歴史過程の検証という視点に立つと、深く刺激される。百歳を超えて存命されている方を周辺にも見聞きするとき、ああこの歳月を生きてこられたのだ、と思いはさらに深まる。

厄介な「米国問題」を抱えて苦悶する近現代の世界を思えば、五年後の2023年は、米国は身勝手なふるまいをするぞと高らかに宣言したに等しいモンロー教義から二百周年期にも当たることが想起される。それに、現在のトランプ大統領の勝手気ままなふるまいを重ね合わせると、他地域への軍事侵攻と戦争に明け暮れている米国二百年史が重層的に見えてきて、嘆息するしかない(いまのところ、唯一、トランプ氏の対朝鮮外交だけは、伝統的な米外交政策顧問団が不在のままに大統領単独で突っ走ったことが、局面打開の上で有効であったと私は肯定的に判断しているが、この先たどるべき道は、なお遠い。紆余曲折はあろうとも、よい形で、朝鮮半島南北間の、そして朝米間の、相互友好関係が築かれることを熱望してはいるが……)。

さて足下に戻る。冒頭に記した百周年期を迎える一連の出来事を見ても一目瞭然、問題は、百年前の当時、日本が東アジアの周辺地域といかなる関係を築いていたのかとふり返ることこそが、私たちの視点である。先ごろ実現した南北首脳会談と朝米首脳会談に対して、日本の政府、マスメディア、そして「世論」なるものが示した反応を見ても、この社会は総体として、朝鮮に対する植民地主義的態度を維持し続けていることがわかる。民族的な和解に向けた着実な歩みを理解しようとせずに、そこには「ぼくがいない」(=拉致問題に触れていない)などと駄々をこねているからである。この腹立たしい現実を思うと、改めて、「日韓併合」から10年ほどを経た1920年前後の史実に、百年後の今いかに向き合うかが重要な課題としてせりあがってくる。

その意味で注目に値するのが、公開が始まったばかりの瀬々敬久監督の映画『菊とギロチン』である(2018年)。関東大震災前後に実在した、アナキスト系青年たちの拠点=ギロチン社に集う面々を描いた作品である。ギロチン社の実態をご存知の方は、そんなことに何の意味があろうと訝しく思われよう。大言壮語を駆使して資本家から「略奪」した資金を酒と「女郎屋」で使い果たしたり、震災後の大杉栄虐殺に怒り「テロ」を企てるも悉く惨めな失敗に終わったりと、ギロチン社に関しては情けなくも頼りない史実が目立つばかりである。映画はそこへ、当時盛んであった女相撲の興行という要素を絡ませた。姉の死後、姉の夫だった男の「後妻」に、こころ通わぬままになったが、夫の暴力に耐えかねて貧しい農村を出奔した花菊(木竜麻生)にまつわる物語は、当時の農村社会の縮図といえよう。元「遊女」の十勝川(韓英恵)は朝鮮出身の力士と設定されているが、彼女が経験してきたことがさまざまな形で挿入されることで、物語は一気に歴史的な現実に裏づけられた深みと広がりをもつものとなった。過去の、実態としては「貧しい」物語が、フィクションを導入することによって、現在の観客にも訴えかける、中身の濃い「豊かな」物語へと転成を遂げたのである。大言壮語型の典型と言うべき中濵鐵(東出昌大)も、思索家で、現金奪取のために銀行員を襲撃したときに心ならずも相手を殺害してしまったことに苦しむ古田大次郎(寛一郎)も、この物語の中では、いささか頼りないには違いないが、悩み苦しみつつ、「自由な世界」を求める人間として、生き生きとしてくる。大震災の直後の朝鮮人虐殺にまつわる挿話は、十勝川も、威張りちらす在郷軍人も、今は貧しい土地にへばりついて働いているが、自警団としての耐え難い経験を心底に秘めた元シベリア出兵兵士も、それぞれの場から語って、映画の骨格をなした。

現実は、ご存知のように、耐え難い。想像力が解き放つ映像空間を楽しみたい。

(7月6日記)

【追記】『菊とギロチン』の公式サイトは以下です。

http://kiku-guillo.com/

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[97]米朝首脳会談を陰で支える文在寅韓国大統領


『反天皇制運動 Alert』第24号(通巻406号、2018年6月5日発行)掲載

引き続き朝鮮半島情勢について考えたい。東アジア世界に生きる私たちにとって、情勢が日々変化していることが実感されるからである。しかも、差し当たっては政府レベルでの動きに注目が集まるこの事態の中に、日本政府の主体的な姿はない。見えるとしても、激変する状況への妨害者として、はっきり言えば、和解と和平の困難な道を歩もうとする者たちを押し止めようとする役割を自ら進んで果たす姿ばかりである。その意味での無念な思いも込めて、注目すべき状況が朝鮮半島では続いている。

政治家は押し並べて気まぐれだが、その点では群を抜く米朝ふたりの政治指導者の逐一の言葉に翻弄されていては、問題の本質には行きつかない。そこで、今回のこの情勢の変化を生み出した当事者のひとりで、米朝のふたりとは逆の意味で頭ひとつ抜けていると思われる政治家、文在寅韓国大統領の言葉の検討から始めたい。

17年5月に就任したばかりの文大統領は、直後の5月18日に、記憶に残る演説を行なっている。光州民主化運動37周年記念式典において、である。文大統領は、朴正煕暗殺の「危機」を粛軍クーデタで乗り越えようとした軍部が全土に非常戒厳令を布告し、ひときわ抵抗運動が激しかった光州市を戒厳軍が制圧する過程で起こった80年5月の事態を「不義の国家権力が国民の生命と人権を蹂躙した現代史の悲劇だった」として、自らの問題として国家の責任を問うた。18年3月1日の「第99周年3.1節記念式」では、日本帝国主義支配下で起きた独立運動の意義を強調し、この運動によってこそ「王政と植民地を超え、私たちの先祖が民主共和国に進むことができた」と述べた。最後には、独島(竹島)と慰安婦問題に触れて、日本は「帝国主義的侵略への反省を拒んでいる」が、「加害者である日本政府が『終わった』と言ってはならない。不幸な歴史ほどその歴史を記憶し、その歴史から学ぶことだけが真の解決だ」と語った。私たちは、韓国憲法が前文で、同国が「3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」に立脚したものと規定している事実を想起すべきだろう。来年はこの3・1運動から百年目を迎える。改めて私たちの歴史認識が、避けがたくも問われるのである。

文大統領は18年4月3日の「済州島4・3犠牲者追念日」でも追念の辞を述べた。日本帝国主義軍を武装解除した米軍政は、1948年に南側の単独選挙を画策したが、これに反対し武装蜂起した人びとに対する弾圧が、その後の7年間で3万人もの死者を生んだ悲劇を思い起こす行事である。今年は70周年の節目でもあった。文氏はここで、70年前の犠牲者遺族と弾圧側の警友会の和解の意義を強調しつつ、「これからの韓国は、正義にかなった保守と、正義にかなった進歩が『正義』で競争する国、公正な保守と公正な進歩が『公正』で評価される時代」になるべきだと語っている。

どの演説にあっても貫かれているのは、国家の責任で引き起こされた過去の悲劇をも、後世に生きる自らの責任で引き受ける姿勢である。私は、文氏が行なっている内政の在り方を詳らかには知らない。韓国内に生きるひとりの人間を想定するなら、氏の政策にも批判すべき点は多々あるのだろう。だが、今や世界中を探しても容易には見つからない、しかるべき識見と歴史的展望を備えた政治家だ、とは思う。米クリントン政権時代の労働省長官だったロバート・ライシ氏は、文氏が「才能、知性、謙虚さ、進歩性」において類を見ない人物であり、「偏執症的なふたりの指導者、トランプと金正恩がやり合っている脆弱な時期に」文在寅大統領が介在していることの重要性を指摘している(「ハンギョレ新聞」18年5月27日)。13年来の「新年辞」で南北対話と緊張緩和を呼びかけてきた金正恩氏にとっても、またとない相手と相まみえている思いだろう。

来るべき米朝会談のふたりの主役は、その内政および外交政策に批判すべき点の多い人物同士ではあるが、会談の行方をじっくりと見守りたい。この重要な政治過程にまったく関わり合いがもてない政治家に牛耳られているこの国の在り方を振り返りながら。

(6月2日記)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[96]板門店宣言を読み、改めて思うこと


『反天皇制運動 Alert』第23号(2018年5月8日発行)掲載

去る4月27日の朝鮮半島南北首脳会談に際して発表された板門店宣言の内容を知って、「日本人拉致問題への言及がない」という感想を漏らしたのは、拉致被害者家族会の会長だった。置かれている立場は気の毒としか言いようがないが、見当外れも甚だしいこのような見解が紙面に載るというのも、2002年9月の日朝首脳会談以降16年の長きにわたって日本政府が採用してきた過てる対朝鮮政策の直接的な結果だろう。自ら問題解決のために動くことなく、他国の政府に下駄を預けるという方針を貫いてきたからである。多くのメディアもまた、その政府の方針に無批判で、日本ナショナリズムに純化した報道に専念している。長い年月、分断され非和解的な敵対関係にあった南北朝鮮の2人の指導者が「民族的な和解」のために会談を行なう時に、なぜ「日本人」に関わる案件が宣言文に盛られるほどの重要度をもち得ると錯覚できるのであろうか。藁にも縋りたい家族会の人びとをこのような迷妄的な境地に導き入れてきた政府とメディアの責任は大きい。

金正恩朝鮮労働党委員長は「いつでも日本と対話する用意がある」と文在寅韓国大統領に伝えたという。日本政府は絶好の機会を捉えてすぐ応答することもせずに、首相が中東地域歴訪に出かけるという頓珍漢な動きをした。あまつさえ、去る1月に対朝鮮国断交を行なったヨルダン政府の方針を高く「評価」した。事ほど左様に、およそ確たる外交方針を持たない日本政府ではあるが、日朝間にも何らかの交渉の動きが近いうちに始まるのではあろう。会談の結果明らかになる拉致問題に関わる内容如何では、両国間にはさらなる緊張状態が高まるかもしれず、今の段階から、その時代風潮に対処するための準備が必要だろう。

私は16年前の日朝首脳会談直後から、あるべき対朝鮮政策の在り方を具体的に述べてきているので、ここでは違う角度から触れてみたい。対朝鮮問題に関しては一家言を有する元国会議員・石井一氏が「約束を破ったのは北朝鮮ではない、日本だ」とする発言を行なっている(『月刊日本』2018年5月号)。氏は日朝議員連盟会長を務め、1990年の金丸訪朝団の事務総長の任にも当たり、先遣隊の団長でもあった。自民党、(まだ存在していた)社会党、朝鮮労働党の3党合意が成ったこの会談に関する氏の証言は重要だろう。朝鮮ではまだ金日成が存命中だった。金丸・金日成の2者会談を軸にしながら、「国交正常化」「植民地時代の補償」「南北分断後45年間についての補償」の3点の合意が成った。だが、日本国内にあっては、金丸氏に対して「売国奴」「北朝鮮のスパイ」との非難が殺到した。国外にあっては、日本の「抜け駆け」を警戒する米国からの圧力があった。自民党の「実力者」金丸氏にして、自主外交を貫くまでの力はなかった。かくして1990年の日朝3党合意は、日本側の理由で破棄されたも同然、と石井氏は言う。

2002年の日朝首脳会談も「平壌宣言」の合意にまでは至った。拉致問題に関わって明らかになった事実が、被害者家族にとってどれほど悲痛で受け入れがたいものであったとしても、また社会全体が激高したとしても、この事実を認め、「拉致問題は決着した」との前提で、宣言はまとめられた。家族会の怒りに「無責任に」同伴するだけの世論と、それを煽るメディアを前に、訪朝と国交正常化までは決断していた小泉氏も屈した。日本の独自外交を嫌う米国からの圧力が、ここでも、あった。平壌宣言を無視し、国交正常化交渉を推進しなかったのは、小泉氏を首班とする日本側だった――石井氏の結論である。世上言われている捉え方とは真逆である。

石井氏は2014年に「横田めぐみさんはとっくに亡くなっている」と公言して、家族会の反発を喰らっている。「被害者全員を生きて、奪い返す」とする安倍路線が破綻していることは、石井氏にも私にも明らかなのだが、今後の事態がいざそれを証明するように展開した場合に、日本社会の「責め」は改めて朝鮮国に集中するだろう。拉致問題をナショナリズムの高揚と自らの政権基盤の維持に利用しただけの政権をこそ批判しなければならない。この雰囲気が醸成された2002年以降の過程で、民衆に対する国家的統制を強化し、戦争に備える悪法がどれほど成立したかを冷静に見つめなければならない。

(5月5日記。200年前、カール・マルクスが生まれたこの日に)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[95]現首相の価値観が出来させた内政・外交の行詰り


『反天皇制運動 Alert』第22号(通巻404号、2018年4月11日発行)掲載

我慢して、安倍晋三氏が書いた(らしき)本や対談本、安倍論などを読み始めたのは、2002年9月17日の日朝首脳会談を経て、数年が過ぎたころからだったか。その数年間には、彼が拉致問題を理由にした対朝鮮強硬派であるがゆえにメディア上での注目度が上がった歳月や、2001年に「慰安婦」問題を扱ったNHK番組に関して、「勘ぐれ」という言葉を用いてNHK幹部に改竄するよう圧力をかけたことが明るみに出た2005年の日々が含まれている。やがて2006年、小泉氏の後継者をめぐる自民党総裁選が近づくと、件のNHKニュースは、安倍氏に「国民的人気が高い」という形容詞を漏れなく付けるようになった。それ以降現在にまで至る経緯は、もはや、付け加えることもないだろう。

最初の本を目にした時から、とんでもない人物が台頭してきたものだとつくづく思った。論理がない、倫理もない、歴史的な知識も展望もない、あるのは、ギラギラした、内向きで排外主義的なナショナリズムだけだ。昔の「保守」はこれほどひどいものではなかった、と独り言ちた。1980年代後半以降、『正論』『諸君!』などの極右雑誌に目立ち始めた、歴史の偽造を厭わない低劣な文章群は、とうとう、こんな政治家を生み出す社会的な基盤を造成したのかと慨嘆した。そうは思いつつも、拉致問題の捉え方を軸にその言動の批判的な分析は続けてきた。だから、関連書を読み続けたのだ。そのとき思った――右翼がここまで劣化すると、左翼も危ないぞ、と。まもなく、ソ連的社会主義体制が崩壊して、左翼は危ないどころか、理念的にはともかく運動としてはほぼ消滅した。

批判的な左翼が消えた時代に、安倍的な価値意識に彩られた社会が花開いた。5年有余が経ち(わずか1年で瓦解した第一次政権の成立時から数えると12年が経ち)、その結果を私たちは日々見ている/見せられている。改竄・隠蔽・捏造が公然と罷り通る内政の荒廃ぶりは、かくまでか、と思うほどだ。幼稚園の子どもたちに教育勅語を暗唱させ、軍歌を歌わせ、首相の妻を前に安保法制の議会通過を喜ぶ台詞を斉唱させて彼女を涙ぐませるような「愛国主義教育」を行なうことを目指した私学経営者に、首相とその取り巻きが肩入れし、国有地の安価な払い下げと設立認可を急いだ――森友学園問題のこの原点に、強権主義的な安倍政治の本質がまぎれもなくにじみ出ている。

米国頼み一本鎗が「方針」であったかのような外交の行き詰まりぶりも、内政同様、見苦しい。今年度初頭の金正恩氏の路線転換以来、朝鮮半島情勢はめざましい進展ぶりをみせている。対朝鮮外交における「対話ではなく圧力」路線の盟友であったトランプ米大統領は来る5月の米朝首脳会談を決意する一方、日本に対する輸入制限も発動した。「日本ひとりが蚊帳の外」という印象がぬぐい難い。

あるジャーナリストの調査によると、首相がこの5年間、「拉致問題は、安倍内閣の最重要課題であります」と本会議や委員会で語ったのは54回に上るという。1年に10回以上もこんな発言をしていることになる。その実、解決のための努力を少しもしていないことは、蓮池透氏や私が夙に指摘してきたとおりである。拉致問題あったればこそ首相に上りつめた彼は、自らが煽った「朝鮮への憎悪感情」が社会に充満していることが政権維持の必要条件なのだから、日朝関係は現状のままでよいのだろう。去る2月の日韓首脳会談において、「米韓合同軍事演習を延期するな」と主張した首相に、「我が国の主権の問題」とする韓国大統領は反発した。160ヵ国との外交関係を持つ朝鮮との断交を国際会議で求めた日本国外相の演説は、あるべき外交政策を知らぬその無知無策ぶりに、心ある外交官の失笑を買っただろう。この期に及んで外相は韓国へ行き、4月の韓朝首脳会談で拉致問題に触れるよう、韓国外相に要請するという。首相は「盟友」トランプに会いに行き、5月の米朝首脳会談での同じふるまいを頼むのだという。自力解決の意図も能力もないことを自白したに等しい。河野外相はさらに、3月31日に「北朝鮮は次の核実験の用意を一生懸命やっているのも見える」と語った。私も時々見ている米ジョンズ・ホプキンズ大学の朝鮮分析サイト「38NORTH」は、逆にその動きは激減しているとして、外相発言の根拠に疑問を投げかけている。中国外務省は、各国が東アジアの緊張緩和に向けて努力を積み重ねている時に「その過程から冷遇されている日本は、足を引っ張るな」と不快感を示した。

かくも無惨な外交路線があり得ようか。内政・外交ともに進退窮まっている現政権の現状は確認できた。次は何か、が私たちの課題だ。            (4月7日記)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[93]ソ連の北方四島占領作戦は、米国の援助の下で実施されたという「発見」


『反天皇制運動Alert』第20号(通巻402号、2018年2月6日発行)掲載

1945年2月、米英ソ首脳によるヤルタ会談で、ソ連の対日参戦が決定された。同年8月9日、米軍による長崎への原爆投下と同じ日、ソ連軍は樺太南部と千島列島に投入された。さらに8月28日からは、択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島占領作戦が展開された。各島で日本兵の武装解除が行なわれ、9月5日、ソ連軍は四島を制圧した。

ここまでは、従来もよく知られた歴史である。8月15日直後の状況下で、スターリンが北海道占領計画なるものを提示し、これをトルーマンが拒否したことも知られている。いつ頃のことだったか、スターリンが夢想した北海道占領案を地図上で知ったことがあった。それによると、釧路と留萌を結ぶ線を引き、その北東部分をソ連が占領することになっていた。そのとき2歳で、釧路に住んでいた私は、ソ連占領下に生きることにもなり得たのだった。権謀術数の駆け引きに拠って成立している国際政治の在り方如何によっては、所与の地域に生きる(とりわけ、敗戦国や勝者に占領された国の)民草の行く末などはいかようにも翻弄され得るのだという、世界政治に対する私の基本的な視点は、この段階で定まった。21世紀に入って4半世紀、このことが、アフガニスタン、イラク、シリア……などアラブ地域の国々で繰り返されているさまを、私たちは目撃し続けている。背後で蠢いているのが、米国とロシア(旧ソ連)であることにも変わりはない。これが、人間の歴史に対する諦観をわれらが裡に育てるものなのか、もっと深く絶望を植えつけるものなのか、それとも?――ここでは、問うまい。

さて、上に触れた歴史を受けて、北方4島問題を国家帰属に関わるそれとして捉えて角逐し合っているのが日露の両国家だが、そこは、近代国家成立以前には先住民族の土地であったことを考えるなら、歴史哲学的にはこの契機を挟むことなく、ことを「領土問題」に凝縮して解決を図ることの「不可能性」が浮かび上がる。この点を指摘したうえで、次へ進もう。日本が敗戦した1945年以降73年間ものあいだ揺るぐことのなかった「ソ連対日参戦」の事実に、新たな視点が付け加えられたのは昨年末のことだった。ソ連の北方4島占領を「米国が援助し、極秘に艦船を貸与し訓練も施していた」事実が明らかになったのだ(『北海道新聞』17年12月30日朝刊)。冒頭に触れたヤルタ会談の直後から、共に連合国であった米ソは「プロジェクト・フラ」(Project Hula)と呼ばれる合同の極秘作戦を開始した。内容は以下のごとくであった。米国は45年5~9月、掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与し、4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイ基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行なった。これら一連の訓練は、45年8~9月の「実践」で役立てられた。4島占領作戦に参加したソ連側の艦船数は17隻だったが、そのうち10隻が米国から貸与されたものだった。

つまり、ソ連の勝手なふるまいと考えられてきた北方4島の電撃的な占領作戦は、米ソをトップとする連合国の作戦であった、ということになる。こんなこともあるのか、と思えるほどの、歴史的な「一大発見」ということになる。発見者は2015年来北方四島の遺産発掘・継承事業を行なっている根室振興局である。各国の資料に当たる中で、サハリン及びクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦リストを調査した一ロシア人学者の2011年度の研究が糸口になったようだ。調べてみると、米の元軍人リチャード・ラッセルが2003年に『プロジェクト・フラ』を書いて、この極秘プランの内実を著してもいる。これが最初の研究だとすれば、やはり真相は60年近くも秘されてきたということになる。

この場合は、国際関係の微妙さを口実とした「隠蔽」だったのか、よくわからぬ。時代の制約の中に生きる人間の問題意識・歴史認識の水準に帰すべき場合もあろう。近着の『極東書店ニュース』643号電子版を見るにつけても、学生時代以降半世紀間見続けて読書の指針にしてきたこの学術洋書案内に見られる内容の変化は著しい。ジェンダー研究、女性史、移民史、移民問題、少数民族、人種問題、環境問題などという書目分類は昔ならあり得なかったが、昨今は際立って冊数も多い。国際政治ゆえの「隠蔽」の力が作用しているのか、それともわが認識水準が及ばないのか、いずれにせよ、歴史にはこんなことが起こり得るのだ。

まだ真相に行き着いてはいないのではないかという恐れをもって、歴史に向き合いたいものだ。(2月3日記)

カタルーニャのついての本あれこれ


カタルーニャの分離独立をめぐる住民投票の結果の行く末に注目している。若いころ、ピカソ、ダリ、ミロ、カザルスなどの作品に触れ、ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』を読み、その地に根づいたアナキズムの思想と運動の深さを知れば、カタルーニャは、どこか、魅力あふれる芸術と政治思想の揺籃の地と思えたのだった。

そんな思いを抱えながら、私が30代半ばから加わった現代企画室の仕事においては、カタルーニャの人びととの付き合いが結構な比重を占めることとなった。

現代企画室に関わり始めて初期の仕事のひとつが、『ガウディを読む』(北川フラム=編、1984)への関わりだった。これに収録したフランシスコ・アルバルダネの論文「ガウディ論序説」を「編集部訳」ということで、翻訳した。彼は日本で建築を学んでいたので、直接何度も会っていた。熱烈なカタルーニャ・ナショナリストで、のちに私がスペインを訪れた時には、「コロンブスはカタルーニャ人だった」と確信する市井の歴史好事家を紹介してくれたが、その人物は自宅の薄暗い書斎の中で、「コロンブス=カタルーニャ人」説を何時間にもわたって講義してくれた。それは、コロンブスは「アメリカ大陸発見」の偉業を成し遂げた偉人であり、その偉人を生んだのは、ほかならぬここカタルーニャだった、というものだった。翻って、コロンブスに対する私の関心は「コロンブス=侵略者=西洋植民地主義の創始者」というものだったので、ふたりの立場の食い違いははなはだしいものだった。

それはともかく、ガウディという興味深い人物のことを、私はこの『ガウディを読む』を通して詳しく知ることとなった。

http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-9810-1

現代企画室は、それ以前に、粟津潔『ガウディ讃歌』(1981)を刊行していた。帯には、「ガウディ入〈悶〉書」とあって、粟津さんがガウディに出会って以降、それこそ「悶える」ようにガウディに入れ込んだ様子が感じ取られて、微笑ましかった。残念ながら、この本は、いま品切れになっている。

http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-8101-1

それからしばらく経った1988年、私はチュニスで開かれたアジア・アフリカ作家会議の国際会議に参加した後、バルセロナへ飛んだ。そこで、漫画家セスクと会った。フランコ時代に発禁になった作品を含めて、たくさんの作品を見せてもらった。それらを並べて、カタルーニャ現代史を描いた本をつくれないかという相談をした。漫画だけで、それを描くのは難しい。当時、小説や評論の分野でめざましい活躍をしていたモンセラー・ローチに、並べた漫画作品に即した「カタルーニャ現代史」を書いてもらうことにした。彼女にも会って、「書く」との約束を取りつけた。

その後の何回ものやり取りを経て、スペイン語でもカタルーニャ語でも未刊行の『発禁カタルーニャ現代史』日本語版は、バルセロナ・オリンピックを2年後に控えた1990年に刊行された。それからしばらくして、現地でカタルーニャ語版も出版された。また一緒に仕事のできるチームだなと考えていたが、ローチは日本語版ができた翌年の1991年に病死した(生年は1946年)。また、セスクも2007年に亡くなってしまった(生年1927年)。制作経緯も含めて、忘れ難い本のひとつだ。

『発禁カタルューニャ現代史』(山道佳子・潤田順一・市川秋子・八嶋由香利=訳、1990)

http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-87470-058-7

カタルーニャ語の辞書や学習書、『ティラン・ロ・ブラン』の翻訳などで活躍されている田澤耕さんと田澤佳子さんによる翻訳は、20世紀末もどん詰りの1999年に刊行された。植民地の喪失、内戦、フランコ独裁、近代化と打ち続く19世紀から20世紀にかけてのスペインの歩みを、カタルーニャの片隅に生きた村人の目で描いた佳作だ。

ジェズス・ムンカダ『引き船道』(田澤佳子・田澤耕=訳、1999)

http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-9911-5

1974年――フランコ独裁体制の末期、恩赦される可能性もあったアナキスト系の政治青年が、鉄環処刑された。バルセロナが主要な舞台である。この実在の青年が生きた生の軌跡を描いたのが、次の本だ。同名の映画の公開に間に合わせるために、翻訳者には大急ぎでの仕事をお願いした。映画もなかなかの力作だった。

フランセスク・エスクリバーノ『サルバドールの朝』(潤田順一=訳、2007)

http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-0709-7

アルモドバルの映画の魅力は大きい。これも、同名の映画の公開を前に、杉山晃さんが持ちかけてこられた作品だ。試写を観て感銘を受け、監督自らが書き下ろした原作本に相当するというので、刊行を決めた。バルセロナが主要な舞台だ。本の帯には、「映画の奇才は、手練れの文学者でもあった。」と書いた。

アルモドバル『オール・アバウト・マイ・マザー』(杉山晃=訳、2004)

http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-0002-9

版画も油絵も描き、テラコッタや鉄・木を使った作品も多い、カタルーニャの美術家、エステル・アルバルダネとの付き合いが深いのは、もともとは、日本滞在中の通訳兼同行者=唐澤秀子だった。来日すると、彼女が私たちの家も訪ねてくるようになったので、私も親しくなった。彼女のパートナーはジョバンニというイタリア人で、文学研究者だ。そのうち、お互いに家族ぐるみの付き合いになった。

私の郷里・釧路で開かれたエステルの展覧会に行ったこと。絵を描いたり作品の設置場所を検討したりする、現場での彼女の仕事ぶりは知らないが、伝え聞くエピソードには、面白いことがたくさん含まれていたこと。彼女が急逝したのち、2006年にバルセロナの北方、フィゲーラス(ダリの生地だ)で開かれた追悼展に唐澤と出かけたが、そこで未見の作品にたくさん出会えたこと――など、思い出は尽きない。”Abrazos”(抱擁)と題する油絵の作品は、構図を少しづつ替えて何点も展示されていた。多作の人だった。「ほしい!」と思うような出来栄えなのだが、抱擁している女性の貌が一様に寂しげなのが、こころに残った。

私の家の壁には、『ハムレット』のオフェリアの最後の場面を彷彿させる、エステル作の一枚の版画が架かっている。

釧路での展覧会は、小さなカタログになっているが、現代企画室で作品集を刊行するまでにはいかなかった。でも、日本各地に彼女の先品が残っている。いくつか例を挙げよう。

「庭師の巨人」は、新潟・妻有に。

http://yuki8154.blog.so-net.ne.jp/2008-09-11

「家族」は、クイーンズスクエア横浜に。

http://www.qsy-tqc.jp/floor/art.html

「タチカワの女たち」は、ファーレ立川に。

http://mapbinder.com/Map/Japan/Tokyo/Tachikawashi/Faret/029/029.html

川口のスキップシティにも、日本における彼女の最後の作品が設置されているようだが、私は未見であり、ネット上でもその情報を見つけることはできなかった。

カタルーニャの分離独立の動きについて思うところを書くことは、改めて他日を期したい。(10月3日記)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[88]過去・現在の世界的な文脈の中に東アジア危機を置く


反天皇制運動連絡会機関誌『Alert』第15号(通巻397号、2017年9月12日発行)掲載

米韓及び日米合同軍事演習と朝鮮国の核・ミサイル開発をめぐって、朝鮮と米国の政治指導者間で激烈な言葉が飛び交っている。日本の首相や官房長官も、緊張状態を煽るような硬直した言葉のみを発している。

いくつもの過去と現在の事例が頭を過ぎる。1962年10月、キューバに配備されたソ連のミサイル基地をめぐって、米ソ関係が緊張した。若かった私も、新聞を読みながら、核戦争の「現実性」に恐れ戦いた。その時点での妥協は成ったが、それから30年近く経ったころ、米・ソ(のちに露)・キューバの当事者が一堂に会し、当時の問題点を互いに検証し合った。モスクワ再検討会議(1989年)、ハバナ再検討会議(1992年、2002年)である。二度に及ぶハバナ会議には、フィデル・カストロも出席している。当時の米国防長官マクナマラも、三度の会議すべてに出席した。二度目のハバナ会議の時はすでに「反テロ戦争」の真っただ中であり、ブッシュ大統領が主張していたイラクへの先制攻撃論をマクナマラが批判していたことは、思い起こすに値しよう。カストロも「ソ連のミサイル配備の過ち」を認めた。キューバ・ミサイル危機では、「敵」の出方を誤読して、まさに核戦争寸前の事態にまで立ち至っていたことが明らかになった。それが回避されたのは、僥倖に近い偶然の賜物だった。

マクナマラは、ベトナム戦争の一時期の国防長官でもあって、彼は後年のベトナムとの、ベトナム戦争検証会議にも出席している。そこでも彼は、米国の政策の過ちに言及している(『マクナマラ回顧録――ベトナムの悲劇と教訓』共同通信社、 1997年)。対キューバ政策にせよ、ベトナム戦争にせよ、あれほどの大きな過ちだったのだから、「現役」の時にそれと気づけばよかったものを、そうはいかないらしい。「目覚め」はいつも遅れてやってくるもののようだ。

それにしても、人類の歴史を顧みると、同じ過ちを性懲りもなく繰り返している事実に嫌気がさすが、この種の「検証会議」はその中にあってか細い希望の証しのように思える。かつては真っ向から敵対していた者同士が、「時の経過」に助けられて一堂に会し、過ぎ去った危機の時代を検証し合うからである。そこからは、次代のための貴重な知恵が湧き出ている。それを生かすも殺すも、その証言を知り得ている時代を生きる者の責任だ。

南米コロンビアの現在進行中の例も挙げよう。キューバ革命に刺激を受けて1960年代初頭から武装闘争を続けていたFARC(コロンビア革命軍)が、昨年実現した政府との和平合意に基づいて武器を捨て、合法政党に移行した。略称はFARCのままだが、「人民革命代替勢力」と名を変えた。同党は自動的に、議会に10の議席を得た。彼らが初心を失い、後年は麻薬取引や無暗な暴力行為に走っていたことを思えば、この「妥協的」な条件には驚く。政治風土も違うのだろうが、困難な事態を解決するための、関係者の決然たる意志が感じられる。50年以上に及んだ内戦の経緯を思えば、この「和解・合意」の在り方が示唆するところは深い。朝鮮危機が報じられた9月1日の朝日新聞には「戦争は対話で解決できる/ポピュリズムは差別生む」と題されたコロンビアのサントス大統領との会見記が載っている。「ゲリラに譲歩し過ぎだ」との世論の批判を押し切ったブルジョワ政治家・サントスの思いは強靭だ。「双方の意志で対話し、明確な目標を持てば、武力紛争や戦争は終わらせることができる」。内戦で苦しんだ地方の人びとの多くが和平に賛成し、内戦の被害が少なかった都市部の住民が和平に否定的だったという文言にも頷く。当事者性が希薄な人が、妥協なき強硬路線を主張して、事態をいっそう紛糾させてしまうということは、人間社会にありふれた現象だからだ。

さて、以上の振り返りはすべて、今日の東アジア危機を乗り越えるための参照項として行なってきた。導くべき答は明快なのだが、惜しむらくは、朝鮮を見ても、米国を見ても、日本を見ても、政治・外交を司る者たちの思想と言動の愚かさを思えば、事態は予断を許さない。こんな者たちに政治を委ねてしまっている私たちは、渦中の「検証会議」を想像力で行なって、この状況下で「当事者」として行なうべき言動の質を見極めなければならぬ。

(9月8日記)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[87]「一帯一路」構想と「古代文明フォーラム」


反天皇制運動連絡会機関誌『Alert』第14号(通巻396号、2017年8月8日発行)掲載

去る5月、北京で「一帯一路国際協力サミットフォーラム」が開催された。およそ130ヵ国の政府代表団が出席する大規模な国際会議だった。元来は、中国の習近平総書記が2013年に行なったふたつの演説で(カザフスタンのナザルバエフ大学とインドネシア議会)明らかにした構想の延長上で開かれた国際会議である。この構想で目論見られている世界地図は、当時の新聞でたびたび報道されて、私も注目していた。南北の中央部には、中国大陸がどっしりと構えている。その北に広がる「シルクロード経済ベルト」(=一帯)は、中国西部から中央アジアを経由してヨーロッパに至るが、シベリアを含めた広大なロシアの全領土を覆い尽くしている。南に位置する「21世紀海上シルクロード」(=一路)は、中国沿岸部から東南アジア、インド亜大陸、アラビア半島を経て、アフリカ東海岸部へと至るものである。このふたつの地域で、インフラストラクチャー整備、貿易および資金の往来を促進しようとする計画である。習近平は、ふたつの演説地を周到に選んだと言うべきだろう。

ここに描かれる世界地図では、何事につけても口出しをする欧米諸国の影は薄い。だが、EUは「一帯一路」構想の支持を表明しており、日米両国も北京会議には閣僚級の代表団を派遣した。いずれも、構想が「オープンかつ公正、透明に」実施されるなら、積極的に協力する意思を表明している。

中国が交通インフラ整備の要としているのは高速鉄道網の建設だという。日本の新幹線の派生技術として始まった中国の高速鉄道は、国産技術の水準を急速に高め、自信をつけている。このことをひとつ取ってみても、「一帯一路」事業が孕み得る経済的な可能性(利潤の獲得、とはっきり言っておこう)を思えば、どの国の経済界もこれに参画することを欲して政府に働きかけたであろうことは疑うべくもない。

歴史論・文明論としての魅力は備えているかに見える「一帯一路」構想は、経済合理性に基づいて実施されるしかないから、世界各地の「近代化」が歴史に刻んだ負性を帯びざるを得ない。各国を支配するのが、強権政治を事も無げに行なう連中である限り(東アジアだけを見ても、中国・朝鮮・日本を例に挙げればわかる。新政権が誕生したばかりの韓国は、その行方を今しばらく見守るとしても)、「政経分離」による協力体制がもたらす未来像は、決して明るくはない。経済発展のために常に「フロンティア(辺境)」を必要としている資本主義体制にとって、今後2度とないビッグ・チャンスとすら言えよう。広大な各地に住まう「辺境の民」を蹴散らし、それはまさに、「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。」といった態をなすだろう。

もうひとつ、去る4月に、中国が主導し、ギリシャと語らってアテネで開催した閣僚級の国際会議にも注目したい。「古代文明フォーラム」である。参加国は、上記の両国に加えて、エジプト、イラン、イラク、イタリア、インド、メキシコ、ペルー、ボリビアの計10ヵ国である。古典的な「世界4大文明圏」に、5世紀有余前に世界史に「登場」した南北アメリカ大陸の、アステカ、マヤ、インカの古代文明圏を組み入れた国際会議であることが、見てとれる。描かれる世界地図からは、ここでも、従来はあまり見たこともない世界史像が浮かび上がってきて、その魅力がないではない。たかだか250年足らずの歴史をしか刻んでいない米国は、姿・形も見えない。ギリシャとイタリアを除くヨーロッパ諸地域も、古代にあっては「辺境」の地であったから、同じことだ。

発表されたアテネ宣言によれば 排外主義やテロなど不寛容な精神の広がりを防ぐために文明間の対話を進め、歴史の知恵を生かすことを唱っている。異論は、ない。だが、「古代文明フォーラム」にも、私は疑念をもつ。古代史研究は、自民族の文化と国家の起源を、「ヨリ古く」「ヨリ大きい」ものにすることに価値を置く方向ではたらくことがある。それが高じれば、異なる文明間に、「発展段階」による優劣をつける歴史観に流されてゆく。

習近平が次々と繰り出す外交方針は、人目を惹く。魅力もある。だが、「中華」の悠久の歴史を思う存分活用しようとするその方針には、検証と批判が不可欠だろう。(8月5日記)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[84] 韓国大統領選挙を背景にした東アジアの情勢について


『反天皇制運動 Alert 』第11号(通巻393号、2017年5月9日発行)掲載

選挙は水物だ。下手に結果を予測しても、それが覆される可能性は常にある。しかし、現在の韓国大統領選挙の状況を複数のメディア報道を通してみる限り、「共に民主党」の文在寅の優位は動かないように思える。対立候補から「親北左派」とレッテル貼りされている文在寅が大統領になれば、現在の東アジアの政治状況は「劇的に」とまでは言わないが、ゆっくりとした変化を遂げていく可能性がある。朝鮮をめぐる日米中露首脳の言動が相次いで行なわれているいま、その文脈の中に「可能性としての文在寅大統領」の位置を定めてみる作業には、(慎重にも付言するなら、万一それが実現しなかった場合にも、東アジアの政治状況に関わる思考訓練として)何かしらの意味があるだろう。

文在寅は、廬武鉉大統領の側近として太陽政策を推進した経験をもつ。具体化したのは金剛山観光、開城工業団地、京義線と東海線の鉄道・道路連結、離散家族再会などの事業であった。それは、「無謀極まりない北」への融和策として、対立者からの厳しい批判にさらされてきた。あらためて大統領候補として名乗りを上げた文在寅は、ヨリ「現実的」になって、韓国軍の軍事力の強化を図ること、つまり、朝鮮国に対して軍事的に厳しく対峙する姿勢を堅持している。注目すべきは、それが、対米従属からの一定の離脱志向を伴っているということである。1950年代の朝鮮戦争以来、韓国軍の指揮は在韓米軍が掌握してきた。平時の指揮権こそ1994年に韓国政府に委譲されたものの、2012年に予定されていた有事の指揮権移譲は何度も延期されたまま、現在に至っている。

文在寅は、大統領に就任したならば早急に有事指揮権の韓国政府への委譲を実現すると表明した。それは対米交渉を伴うだろうが、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプには、世界のどこにあっても米国が軍事的・政治的・経済的に君臨し続けることへの執着がない。韓国の軍事力の強化を代償として、在韓米軍の撤収への道が開かれる可能性が生まれる。それは、朝鮮国指導部が要求していることと重なってくる。

朝鮮国・韓国の両国間では激烈な言葉が飛び交っている。とりわけ、朝鮮国からは、あの強固な独裁体制下での下部の人びとの「忠誠心競争」の表われであろう、ヨリ激しい言葉を競い合うような表現が繰り出されている。それでも、底流では、戦火勃発に至らせないための、「国家の面子」を賭けた駆け引きが行なわれていると見るべきだろう。

朝鮮半島をめぐって同時的に進行しているいくつかの事態も整理してみよう。4月27日に行なわれたプーチン+安倍晋三会談において、前者は「少しでも早く6者協議を再開させることだ」と強調した。後者は記者会見で「さらなる挑発行為を自制するよう(北に)働きかけていくことで一致した」ことに重点をおいて、語った。

4月29日、朝鮮は弾道ミサイルの発射実験を行なったが、失敗したと伝えられた。ロンドンにいた安倍首相は「対話のための対話は何の解決にもつながらない」、「挑発行動を繰り返し、非核化に向けた真摯な意思や具体的な行動を全く示していない現状に鑑みれば、(6者協議を)直ちに再開できる状況にない」と断言した。

4月30日、トランプは「若くして父親を亡くし権力を引き継いだ金正恩委員長は、かなりタフな相手とやり取りしながら、やってのけた。頭の切れる人物に違いない」と語った。翌5月1日にも「適切な条件の下でなら、金委員長に会う。名誉なことだ」とまで言った。

さて、5月3日付けの「夕刊フジ」ゴールデンウィーク特別号に載った首相インタビュー記事での発言は次のようなものだ。「トランプの北朝鮮への覚悟は本物か」と問われて「間違いない。すべての選択肢がテーブルの上にあることを言葉と行動で示すトランプ大統領の姿勢を高く評価する」。「軍事的対応もテーブルの上にあるか」との問いには「まさにすべての選択肢がテーブルの上にある。高度な警戒・監視行動を維持する」と答えている。その「成果」が、ミサイル発射時の東京メトロの一時運行停止や、内閣官房ポータルサイトに「核爆発時の対応の仕方」を注意事項として掲げることなのだろう。

これ以上わたしの言葉を詳しく重ねる必要はないだろう。当事国も超大国も、駆け引きはあっても、朝鮮半島の和平に向けて「暴発」や「偶発的衝突」を回避するための姿勢を一定は示している。その中にあって、平和に向けての姿勢をいっさい示さず、むしろ緊張を煽りたてているのは、2020年の改憲を公言した日本国首相ひとりである。 (5月5日記)