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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

軍隊のない、戦争のない未来世界の視点から――米軍兵士アンケートの「背後」を読む


『米海軍横須賀基地兵士アンケートを読む――私たちの「ともだち作戦」』(非核市民宣言運動・ヨコスカ+ヨコスカ平和船団=発行、2019年9月)所収

私がときどき焼酎や日本酒を買う地元の酒屋さんのモットーは「★あせらず★あわてず★あきらめず★あくせくせずに★あてにせず」である。角打ちコーナーがあるので、毎日のようにメールで、「今日入荷した酒と用意するおつまみ」の案内がくる。メールの末尾にいつも付いてくるこの文言を読むたびに、私にはそれが「非核市民宣言運動・ヨコスカ」のモットーのように思えてくる。自らの立ち位置をしっかりと定めて右往左往せず、他人の力を当てにせずに、悠然と(?)わが道を行く……とでもいうような。

同運動が2016年から18年にかけて11日間かけて行なった「米海軍横須賀基地兵士アンケート」と題する『私たちの「ともだち作戦」』の暫定報告書を読んだ。「軍隊には反対でも、働いている兵士は同じ街に住む〈ともだち〉だ」という気持ちにあふれた「作戦」で、私が勝手に、この運動のモットーと推定した精神がここでも貫かれていると思える。

112人の兵士がアンケートに答えたという。兵士の年齢・性別・出身地・所属機関・入隊の動機・仕事の内容などの統計を見ても、私のような外部の者が言えることは少ない。「横須賀市民にひとこと」の項目で、兵士の心の襞に辛うじて触れたか、と思えるくらいだ。私に言えることは、これら現役の若い兵士の背後に浮かび上がってくる、幾人もの米国の元兵士たちについての思いだ。

まず、Veterans for Peace (平和を求める元軍人の会)の人びとがいる。米国が行なってきて、自らも兵士としてどこかで参画させられてきた戦争の本質に気づいた元兵士たちの組織である。来日ツアーを企画しては、横須賀、広島、長崎などを回り、自らの戦争体験に基づく反戦・平和の活動を行なっている。辺野古では新基地建設に抗議する座り込み活動にも参加している。現在沖縄に住む友人、ダグラス・ラミスが、この元兵士の運動に参加しているのは、1936年生まれの彼が1960年には海兵隊員として沖縄に駐留したからだろう。翌61年には除隊したが、その後の彼の長年にわたる反戦・平和活動は、兵士としての経験に基づく貴重な証言によって裏打ちされている。本土が戦場になった経験を持たず、常に海外を戦場とした戦争を続けている米国に「戦争が帰ってくる」という彼の分析は核心を突いている。戦場での経験からPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ元兵士が、帰国後に引き起こす家庭内暴力や銃の乱射事件などは、「帰ってきた戦争」そのものだからだ。

国際政治学者、チャルマーズ・ジョンソンは『アメリカ帝国への報復』(集英社、2000年)や『帝国解体:アメリカ最後の選択』(岩波書店、2012年)などの著作を通して、「軍事基地帝国」を維持することに憑りつかれている米国の政策に対する厳しい批判者であった。1931年生まれの彼(2010年逝去)は、1950年に始まる朝鮮戦争に従軍した。彼は戦車上陸用舟艇LST883に乗り、中国義勇軍捕虜を北朝鮮側に運ぶ作戦にも従事した。この舟艇に乗って横須賀に停泊したことから、日本への関心を深めた。除隊後、彼は中国・日本などのアジア研究者となるが、その原点にあるのも、すでに見たように、兵士としての朝鮮戦争体験なのだろう。

私が随時参照するアメリカ史は、ハワード・ジンの『民衆のアメリカ史』全3巻(TBSブリタニカ、1993年)と『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』全2巻(あすなろ書房、2009年)である。ジンの名は、1960年代の公民権運動やベトナム反戦運動の重要な担い手として、早くから知っていた。その後彼の本を読むようになって、1922年生まれの彼は第二次世界大戦に従軍し、「優秀な」空軍爆撃手として働いたことを知った。革新的な歴史家の若いころの素顔に、私は心底驚いた。

こうして私ひとりの体験に即して振り返ってみても、アメリカ帝国内部から聞こえてくる強力な反戦・平和の声を発しているのは、元兵士たちなのである。軍隊内でどれほど「アメリカ・ファースト」の価値観や米国が行なう戦争の「絶対的な正義」を叩き込まれようとも、現実の戦場で行なわれた自国軍の殺戮行為・無差別爆撃・焦土作戦などのむごさと傲慢さに、市井の一庶民に戻った元兵士たちの心が疼いたのだろう。

「非核宣言市民運動・ヨコスカ」の人びとが行なってきている月例デモ、米兵士アンケート、米基地ゲート前での英語によるスピーチなどが〈持ち得る〉意味合い=可能性は、ここでこそ明らかになる。

もうひとつの視点からも、この問題を考えてみよう。私は韓国の作家、黄晳暎と同年生まれである。1960年代後半、当時の韓国の朴正煕軍事政権は、米国との同盟関係を強固なものにするためにその要請に応えて、ベトナムへ韓国軍を派兵した。徴兵制度の下で、若き黄晳暎もベトナムへ派遣された。その後作家となった黄晳暎は、例えば『駱駝の目玉』のような短編(中上健次編『韓国現代短編小説』、新潮社、1985年)や『武器の影』(岩波書店、1989年)のような長編で、自らのベトナム戦争体験を、こころに迫る形で描いた。私はかつて、黄晳暎論を書いたが、そのとき心に留めたのは、同じ東アジア地域に生きていながら、同世代の人間の中には、国によっては徴兵されて侵略兵としてベトナムへ派遣された者もいれば、他方、徴兵制はなく、ましてや軍隊不保持と戦争放棄を定めた憲法に守られて、海外へ派兵されるどころか、軍隊への入隊そのものを強いられることのなかった私たちもいるという、存在形態の〈差異〉を重視することだった。もちろん、後者の場合にあっては、憲法9条の本源的な精神に相反することに、日米安保条約の下で日本各地に米軍基地が存在し、そこからベトナムを爆撃する戦闘機が絶え間なく飛び立っていたことから、日本は明らかにベトナム侵略に加担していた事実を忘れることなく。

「非核宣言市民運動・ヨコスカ」には「高い理想を掲げない」というモットーもあるようだ。足元の地道な実践を大事にしたいという戒めだろう。でも、「私には夢がある」と敢えて言いたい。「ひとを殺す兵士という仕事が地球上から消えてしまう日を夢見るという夢」が……。それは、軍隊のない世界、したがって戦争のない世界、ということである。人びとは誰でも、他人を活かし、自分を活かす仕事に就くということである。この夢は,結局のところ、幸いなことに兵士になることを強いられることなく育つ人びとと、一時にせよ兵士として生きざるを得なかった辛い経験を通して「戦争を拒否せよ!」の意志を固めた元軍人たちとの協働作業の果てに実現されるものなのだろう。いまだ見ることのできないその協働作業を、横須賀の人びとは米海軍横須賀基地の兵士たちに呼びかけているのだ。人類史のどこかの時点で、それが実現されるだろうという夢を、私は手放したくない。