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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[94]戦争を放棄したのだから死刑も……という戦後初期の雰囲気


『反天皇制運動 Alert』第21号(通巻403号、2018年3月6日発行)掲載

死刑廃止のためには、犯罪に対する刑罰のあり方、死刑という制度が人類社会でどんな役割を果たしてきたのか、国家による「合法的な殺人」が人びとの在り方にどう影響してきたのか、犠牲者遺族の癒しや処罰感情をどう考えるか――など多面的な角度からの検討が必要だ。死刑に関わっての世界各地における経験と実情に学び、日本の現実に舞い戻るという往還作業を行なううえで、2時間程度の時間幅で、それぞれの社会的・文化的な背景も描きながら「犯罪と刑罰」を扱う映画をまとめて上映すれば、大いに参考になるだろう――そう考えて始めた死刑映画週間も、今年で7回目を迎えた。死刑廃止の目標が達成されたならやめればよい、将来的には消えてなくなるべき活動だと思うから、持続性は誇ることではない。だが残念ながら、情勢的にはまだ、やめる条件は整っていないようだ。

7年間で56本の映画を上映してきた。思いがけない出会いが、ときどき、ある。外国の映画を観れば、映画とは、それぞれの文化・社会の扉を開く重要な表現媒体だということがわかる。韓国映画が、死刑をテーマにしながら奇想天外なファンタジーにしてしまったり、あからさまなお涙頂戴の作品に仕上げたりするのを見ると、ある意味「自由闊達な」その精神の在り方に感心する。加えて、軍事政権時代の死刑判決と執行の多さに胸が塞がれた世代としては、制度的には存続しつつも執行がなされぬ歳月が20年も続いているというかの国の在り方に心惹かれる。社会が前向きに、確実に変化するという手応えのない社会に(それは自らの責任でもあると痛感しつつも)生きている身としては。

日本映画、とりわけ1950年代から60年代にかけての、映画の「黄金時代」の作品に触れると、冤罪事件の多かった時代だから、それがテーマの映画だと驚き呆れ、憤怒がこみ上げてくると同時に、骨太な物語構成・俳優陣の達者さと厚み、そして何よりも高度経済成長以前の街のたたずまいや人びとの生活のつましさに打たれる。深作欣二監督の『軍規はためく下に』(1972年)には驚いた。私も、周囲の映画好きですらもが、未見だった。敵前逃亡ゆえに戦地で処刑された軍人の妻が遺族年金を受給できないという事実から、軍人恩給制度・戦没者追悼式・天皇の戦争責任・帝国軍隊を支配した上意下達的な秩序と戦犯級の軍人の安穏とした戦後の生活ぶり――などの戦後史の重要項目に孕まれる問題点が、スクリーン上で語られ、描かれてゆく。1960年前後の深沢七郎による天皇制に関わる複数の作品(創作とエッセイ)もそうだが、表現者がタブーをつくらずに、自由かつ大胆に己が思うところを表現する時代はあったのだ。

今年の上映作品では『白と黒』(堀川弘通監督、橋本忍脚本、1963年)が面白かった。妻を殺害された死刑廃止論者の弁護士が、被告とされた者の弁護を引き受けるという仕掛けを軸に展開する、重層的な物語の構造が見事だった。証拠なき、自白のみに依拠する捜査が綻びを見せる過程もサスペンスに満ちていて、映画としての面白さが堪能できる。

死刑反対の弁護士の妻が殺された事件は実際にあったと教えられて、調べてみた。1956年、磯部常治弁護士の妻と娘が強盗に殺害された事件が確かにあった。明らかな冤罪事件である帝銀事件の平沢貞通被告の弁護団長も務めた人だ。事件直後にも氏は、「犯人が過去を反省して誤りを生かすこと」が真の裁判だと語り、心から済まぬと反省して、依頼されるなら弁護するとすら言った。氏は、56年3月に参議院に提出された死刑廃止法案の公聴会へ公述人として出ている。曰く「自分の事件についていえば、犯人は悪い。だが、あの行為をなさねば生きてはいけぬという犯人を作り上げたのは何か。10年前、彼が17、8歳のころ日本が戦争をして、彼に殺すことを一生懸命に教育し、ほんとうに生きる道を教育しなかったことに過ちがある」。この言葉は、作家・加賀乙彦氏が語ってくれる「新憲法で軍隊保持と戦争を放棄した以上、人殺しとしての死刑を廃止しようという気運が戦後初期には漲っていた」という証言と呼応し合っている。残念ながら法案は廃案になったが、その経緯を詳説している『年報・死刑廃止2003』(インパクト出版会)を読むと、時代状況の中でのこの法案のリアリティが実感できる。諦めることなく、「時を掴む」機会をうかがうのだ、と改めて思った。(3月3日記)