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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、みたび、夢は夜ひらく[74]グローバリゼーションの時代の只中での、英国のEU 離脱


『反天皇制運動 Alert』1号(通巻383号、2016年7月12日発行)掲載

1991年12月、ソ連体制が崩壊した時、理念としての社会主義とその現実形態の一つとしてのソ連に対する思いとは別に、たいへんな激動の時代を生きているものだ、と思った。そして、この政治・社会の激動と併行して進行していた技術革新の重大な意味に突き動かされて、この分野には決して明るくはない私でさえもが身を投じたのが、それから数年後に急速に普及したインターネットの世界だった。メキシコ南東部の叛乱者たち=サパティスタが、自分たちがいるチアパスの山深い密林ではインターネットが使えないのに、媒介者さえいるなら、彼ら/彼女らが発したメッセージがその日のうちにでも世界中で受信されてしまうという事実に、心底、驚いた。この驚きが、大げさのようだが、私を変えた。1997年以降の私の発言の多くは(おそらく90パーセント近くは)、いつでもインターネット空間で読むことが可能だ。同時に、この言論がそこに、いつまで「浮遊」し続けるのか? と思うと、実のところ、こころ穏やかではない。

この新しい時代を意味づけている決定的な要素は、新自由主義的グローバリゼーションである。それが始まった契機に関しては、ソ連崩壊に2年先立つ、1989年11月のベルリンの壁の崩壊も付け加えたほうがよいだろう。私は、人類史の中で「地理上の発見」や「植民地化」の史実に、異なる地域に住まう人間同士の関係性を歪める画期的な意味を読みこんできたが、いま私たちを取り巻いている「グローバリゼーション」という状況も、それに匹敵する意味を持たざるを得ないだろうと考えてきた。いずれの現象もが、もっとも重要な要素としてもっているのは、異世界の「征服」という動機である。かつてなら、それを主導したのは国家であった。領土の拡大という、明快な目標もあった。今回のそれを主導するのは国家ではなく、米国・ヨーロッパ・日本の三極に根拠をもつ多国籍企業、複合企業、金融グループである(もちろん、そのなかでも米国が圧倒的なシェアを誇っている)。征服する側が国家ではないと同じく、征服される側も国家単位ではない。いわば、地球そのものである。技術革新が、生命操作のための遺伝子工学の分野でも驚くべき展開を遂げていることを見ても、「征服」の対象は、生命体としての人間そのものであり、それを取り巻く自然環境にまで及んでいることがわかる。

日本国の現首相は、「企業がもっとも活動しやすい国にする」と世界に向けて常々アピールしている。彼の本音には常に、内向きの偏狭な国家主義があるが、その一方、国民国家・主権・国境・独立・民主主義など、「国家」が成り立つにあたって根源をなしているはずの諸「価値」を、大企業や大金融資本の利益の前になら惜し気もなく差し出すことを公言し、それを実行しているのである。グローバリゼーションの時代とは、こんな風に引き裂かれた人間を悲喜劇的にも生み出してしまうのだが、「引き裂かれた」とはいっても、国家主義的なポーズは国内基盤を固めるのに役立ち、後者の開国主義は、グローバリゼーションを推進する勢力によって歓迎されているのだから、本人は自己矛盾も感じることなく、心は安らいでいるのかもしれぬ。

英国のEU(欧州連合)離脱をめぐる国民投票の結果を見つめながら、グローバリゼーションの暴力的な力に翻弄されて〈ゆらぐ〉人びとの心に触れた思いがした。ここでいう「人びと」とは、もちろん、ロンドン金融街の「シティ」で活躍している人びとを指してはいない。労働党が明確に「残留」方針を示したにもかかわらず、その支持層の相当部分が離脱に投票したという報道に接して、たとえばケン・ローチが好んで描く普通の、あるいは下層の労働者が現実にはどんな選択をしたのか、と気にかかったのである。2015年度の英国の移民純増数は33万人、その半数以上が、英国で労働ビザを取得することなく就業できるEU加盟国出身者だ。とりわけ、ポーランド、ルーマニア、ブルガリアなどからの新規移民に対して、英国人の雇用を奪うとか公共サービスを圧迫するなどという警戒心が広がっている現在、この生活保守主義的な傾向が、あの階級社会に生きるふつうの労働者や家族の間でどう機能したのか。一定の「理」がないではない生活保守への傾斜を、極右・排外主義と結合させない担保をどこに求めるのか。問題は、鋭角的に提起されている。

ドーバー海峡のむこうの「島国」でのみ燃え盛っている対岸の火事ではない。フランスでも、ドイツでも、米国でも、そしてこの日本でも――グローバリゼーションの時代を生きる地球上のすべての者が逃れることのできない問いに対して、英国人が最初の回答を出したのだ、と捉える視点が必要だ。(7月9日記)