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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

袴田巖さんが、「死刑囚表現展」に応募してきた


金聖雄監督『袴田巖:夢の間の世の中』パンフレット(2016年2月27日発行、Kimoon Film )

死刑制度の廃止を目指して死刑囚表現展を始めて、11年が経った。死刑囚は社会との接点をギリギリまで断ち切られて、存在している。冤罪の身であれば、身を切るような叫びがあろう。人を殺めたならば、顧みて言うべき言葉があるかもしれない。事件を離れて、想像力の世界に浸る表現もあろう。毎年、心に迫る作品が寄せられる。その表現に出会うことで、隔離されている死刑囚と、私たち外部社会との間に接点が生まれる。私たちはその時、犯罪と刑罰について、死刑について、冤罪について、あらかじめわかったような顔をせずに、深く向き合う契機にできるかもしれない。

映画『袴田巖――夢の間の世の中』のスクリーンに浮かび上がる袴田さんの獄中書簡のいくつかを目で追いながら、袴田さんが死刑囚表現展に応募してきたのだ、と幻想した。「さて、私も冤罪ながら死刑囚。全身にしみわたって来る悲しみにたえつつ、生きなければならない。」などという表現に触れて、私は思わず、居ずまいを正した。若い日々に、ボクシングという激しいスポーツに身を投じていた袴田青年は、内面に、このように静謐で、文学的ともいえる世界を持つ人でもあったのだ。

映画が映し出すのは、だが、2014年3月27日、静岡地裁が死刑および拘置の執行停止を決定して48年ぶりに袴田さんが釈放されて以降の日常である。拘禁症状の下で、独特の幻想世界に生きる袴田さんの姿と言葉が私たちの耳目に飛び込んでくる。それは、獄中の孤独を彷彿させるものだが、その姿を描いているのが総合芸術としての映画である以上、袴田さんがここを抜け出る方向性も示唆されている。

金聖雄監督をはじめスタッフ、出演者、そして私たち観客との協働性の中でこそ、袴田さんは新たな生を生き始めている ということである。この映画の中での袴田さんの立ち居振る舞いと言葉に触れて、これは死刑囚表現展への見事な応募作品ではないか――あらためて私は独断的に、そう思う。