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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[50]日朝合意をめぐって、相変わらず、語られないこと


『反天皇制運動カーニバル』15号(通巻358号、2014年6月10府発行)掲載

5月末、スウェーデンのストックホルムで開かれていた日朝両政府の外務省局長級協議が終わると、メディアは一斉に「焦点だった拉致問題の再調査については合意に至らず」との報道を行なった。加えて、日本側担当者は「相手方は拉致問題についての議論を拒否する姿勢ではなかった」と語り、朝鮮側は「朝鮮総連中央本部問題は必ず解決しなければならない」と強調したことも報道された。目に見える成果が得られなかったらしいことから、拉致被害者家族会メンバーの「落胆ぶり」も伝えられた(以上はいずれも、5月29日付各紙朝刊。テレビ・ニュースは見るに耐え難いので、第二次現政権が成立して以降、ほとんど見ない)。二国間協議である以上は「焦点が拉致問題」であるはずはなく、「国境正常化問題」だと捉えるべきであろうが、そのような姿勢を、政府・外務省、メディア、「世論」なるものに期待することは、今さら、できるものではない。

このような新聞報道がなされた同じ日の夜、帰国した外務省担当者から報告を受けた首相は、急遽、記者団に会い、「拉致再調査で日朝が合意し、その調査開始後に日本側が課してきた制裁を解除する」ことで一致をみた、と語った。首相のイメージ・アップにつなげようとするメディア戦略はありありと窺われるが、「合意」それ自体は好ましいことには違いない。そのうえで、どんな問題が残るかについて考えておきたい。

日朝協議合意事項全文や朝鮮中央通信による報道全文を読むと、今回の合意が、2002年の日朝平壌宣言を前提にしていることは明らかである。その指摘が、新聞報道の中にも、ないではない。たとえば、5月30日付朝日新聞で平岩俊司関西学院大教授が寄せているコメントのように。だが、日本での報道は、ほぼ「拉致一色」状態が、変わることなく続いている。この日、サンプル的に見たテレビ・ニュースのいくつかにも、その傾向が色濃く出ていた。それは、「報道側」が抱える問題点に終わるわけではない。29日の首相発言そのものに孕まれている問題である。「拉致問題の全面解決は最重要課題の一つだ」とする首相は、「全ての拉致被害者の家族が自身の手でお子さんを抱きしめる日がやってくるまで、私たちの使命は終わらない」という、得意の〈情緒的な〉言葉をちりばめながら「拉致」のことを語るのみである。官房長官会見の内容は「要旨」でしか読めなかったが、国交正常化にまで至る日本政府の「覚悟」を語る言葉も、それを質す問いかけも見られない。要するに、この社会には、政策・態度を改めるべきは相手側のみである、という牢固たる考えが貫いているのである。

これは、2002年9月17日、日朝首脳会談が行なわれ、平壌宣言が発せられて以降12年間にわたって日本社会を支配してきた「空気」である。歴史過程を顧みての論理にも倫理にも依拠することなく、いったん、この不気味な「空気」に支配され始めると、社会はテコでも動かなくなる。私は、2003年に刊行した『「拉致」異論』において、拉致問題に関わっての朝鮮国指導部の政治責任にも言及しながら、「相手側に要求することは、自らにも突きつけるべきだ」と主張した。拉致問題の真相究明と謝罪を相手側に求めるのはよいが、その前提には、植民地支配問題に関わる真相究明と謝罪・補償を日本側が積極的に行なわなければならないという課題が、厳として存在しているのだ。その構えが日本側にあれば、この12年間がこれほどまでに「無為」に過ぎることはなかっただろうというのは、私の確信である。ところが、家族会は「拉致問題解決優先」という、非歴史的な、いたずらな強硬路線を主張した。政府もメディアも「世論」も、家族会の方針に〈情緒的に〉反応するという「安易な」態度に終始した。したがって、相手側の「不誠意」や「不実」や「不履行」を言い立てるばかりで、自らを省みることのないままに、歳月は過ぎたのだ。この「空気」に助けられて、辛うじて成立している現政権が、今回の日朝合意から実りある成果を得るためには、自らが何を発言し、何を果たさなければならないかという「覚悟」が要ることは自明のことである。だが、それを指摘する者はごく少数派で、この社会は変わることなく「自己中心音頭」を歌い痴れ、踊り痴れるばかりである。

(6月7日記)