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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

ウカマウ集団の長征(7)――映像による「帝国主義論」の試み


作家の船戸与一は、ホルヘ・サンヒネスのことを「人種的逆越境を試みる殉教志願者」と名づけたことがある(船戸稿「ホルヘ・サンヒネスの苦悩」、『第一の敵』上映委員会編『ただひとつの拳のごとく――ボリビア・ウカマウ集団シナリオ集』所収、インパクト出版会、1985年)。白人エリートの出自でありながら、先住民インディオの解放をこそ第一義的に重要なことと考え、そのような価値意識の転換を通してメスティソ(混血)と白人もまた、その多くが陥っている精神的な疎外状況の克服に至るのだ――とするホルヘ・サンヒネスの立ち位置は、「果敢な試み」でありながら、同時にきわめて困難な問題も孕んでいることを率直に指摘した言葉であろう。

その観点から見ると興味深いのだが、ウカマウ集団の初期の長編『ウカマウ』と『コンドルの血』に対して先住民が示した反応の形がある。それは、私たちがメキシコで別れる前の最後の話し合いの中で、ホルヘが教えてくれたものである。『ウカマウ』は、仲買人のメスティソに妻が暴行・殺害された先住民の青年が、こと切れる直前の妻の言葉から犯人をすぐに突き止めるが、仲買人がひとりになる機会をじっくりと待ち、一年後についに決闘によって復讐を遂げるまでの物語である。アイマラ文化圏に属する、チチカカ湖上の太陽の島で撮影された。静かな緊迫感に満ちた映画で、先住民とメスティソの間に横たわる文化的相違や価値観の違いも的確に描かれていて、私は好きな作品だが、アイマラ先住民からの批評は散々なものだったそうだ。被害者の青年が、あんな風に孤独に、ひとりで引きこもって苦しみ、悩み、その挙句に復讐を遂げるなどということは、私たちの生活様式からは考えられない、と。「個」と「全体」の問題は繰り返し現われることになるから、あとで詳しく触れる機会があるだろう。

ホルヘは、また、こうも言う。ぼくが白人だからなのか、先住民の人たちはどうにも打ち解けてくれない。警戒心を解こうとしない。ところが、プロデューサーのベアトリスがいくと、彼女はメスティサだし、先住民の母語を話すことができるから、直ちに心をゆるして、迎え入れてくれるんだ――ホルヘが抱え込んだこの葛藤が描かれるさまを、私たちはやがて『鳥の歌』(1995年)で観ることになるだろう。

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メキシコにおけるホルヘ・サンヒネスとの討論の中でもっとも印象に残った言葉は「映像による帝国主義論」をぼくらは試みている、というものだった。確かに、『コンドルの血』(1969年)→或る事故によって永遠に失われた映画『死の道』(1970年)→『人民の勇気』(1971年)→『第一の敵』(1974年)→『ここから出ていけ!』(1977年)→『ただひとつの拳のごとく』(1983年)と並べていくと、60年代末から80年代初頭にかけてのウカマウ集団の映画は、それぞれの時代の国内支配体制の背後にあって、これを支えている世界的な帝国のあり方を浮かび上がらせることに心を砕いていることに気づくだろう。

『コンドルの血』は、富める国による「低開発国援助」という「慈善」の事業が、大国の利害計算に基づいた巧妙な意図を秘めている場合もあることを暴露した。

『死の道』は、1950年代後半、鉱山労働者の強力な組合運動の進展を危惧した米国が、地域に住まう二つの民族の一方を扇動し、争いごとを起こさせ、その平定を口実に介入しようとした史実を描いた。文化人類学的研究を利用しながら或る民族の特徴を捉え、それを政治・軍事の局面に生かすというのは、米国が一貫して行なってきた異世界統治の方法であった。それを暴いたこの作品は、西ドイツ(当時)の現像所に持ち込まれたネガに細工が施され(技術者が買収され、露出時間が引き延ばされたせいだと、ウカマウ側は考えている)、誰の目にも触れられぬまま、永遠に失われた。この話を思い出すたびに、ホルヘが「従来の映画からの質的飛躍であり、過去との決別を意味する映画」と自負する作品の喪失が、彼らにとってどれほど悔しいことであろうか、と思う。もちろん、私たち観客にとっても。

『人民の勇気』は、ボリビアでチェ・ゲバラ指揮下のゲリラ闘争がたたかわれていたとき、これに連帯しようとした鉱山労働者や都市部の学生の動きが実在したが、それが一段階の飛躍を遂げようとした時点を定めて、これを事前に察知した政府軍が武力によって鎮圧した史実を描いた。キューバ革命の出現を不覚にも「許して」しまった米国が、「第二のキューバ」の登場を阻止するために、当時ラテンアメリカ各国で行なっていた「軍事顧問」的な動きを見れば、この作戦の背景が浮かび上がろう。

『第一の敵』は、帝国の利害がかかっている地域/国での民衆の闘争が、国内的な秩序をめぐる攻防の段階を越えたときに、帝国の軍事顧問団はより具体的な指示を当該国の政府軍に与えるようになる姿を描いている。

『ここから出ていけ!』は、『コンドルの血』で描かれた「低開発国医療援助」グループが、その犯罪的な行為のせいで追放されてからしばらくのち、今度は宗教布教グループの外皮をまとって潜り込み、一部の住民を精神的に解体して住民間の対立を煽る一方、多国籍企業の尖兵になって、その国の鉱物資源などの探査を行なう姿を描いている。

『ただひとつの拳のごとく』は、1970年代以降、地域全体がほぼ軍事体制によって覆い尽くされることによって世界に先駆けて新自由主義経済秩序に席捲されたラテンアメリカの姿を描いている。それは、やがて、グローバリゼーションという名の、市場経済原理を唯一神とする現代資本主義の台頭の時代に繋がっていくのである。

こうして、帝国主義には、さまざまな貌がある――援助の貌、軍事の貌、経済の貌、宗教の貌、政治的介入の貌、文化浸透の貌――などである。それはすべて、他を圧するほどの力を持つ、総合的な支配体制である。

幸徳秋水、ホブスン、レーニン――書物による帝国主義論は、それまでにもいくつか読んできた。そこへ跳び込んできた「映像による帝国主義論」を志すというホルヘ・サンヒネスの言葉。そこには、きわめて魅力的な響きがあった。日本もまた、帝国主義の側に位置している以上、別な視線でこれを対象化する映画作品には、独自の意味があるだろう。日本へ帰国したら、ぜひとも、ウカマウ集団/ホルヘ・サンヒネス監督の映画が上映される条件をつくるために努力しよう――ホルヘたちにそう約束して、私たちは別れた。私の手には、ホルヘに託された『第一の敵』の16ミリ・フィルムがあった。

(3月31日記)

追記:これ以降は、1980年、日本における自主上映運動の開始の段階に入ります。少しの時間をおいて、書き続けます。