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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[27]オウム真理教事件報道と権力の変幻自在さ


『反天皇制運動モンスター』29号(2012年6月12日発行)掲載

「NHKスペシャル 未解決事件」でオウム真理教事件が取り上げられた(5月26~27日)。NHKが独自に入手したという七百本を超える教団内部の音声テープや元信者・元警察官の証言を基に実録ドラマとドキュメンタリーの手法を組み合わせて、事件の原因や教団の実態を複眼的に描こうとした、と番組の惹句にはある。

決定的ともいうべき内容的な欠陥がひとつある。坂本弁護士事件と松本サリン事件の捜査に当たった神奈川県警と長野県警の元警察官の取材を行ないながら、聖域にして踏み込まなかった問題があるからである。両県警の元警察官は、それぞれ、「オウムとサリン」の関係を疑い、あと一歩で摘発できる寸前までいっていた、と語る。今はすべての「サティアン」が撤去されている、上九一色村の茫々たる廃墟に立たせて、そう語らせるのである。思わせぶりたっぷりと。

NHKの取材グループは、映像記録や音声記録以外にも、膨大な文字記録も読み込んで、番組を構成したに違いない。そこには、麻原氏の国選弁護人であった渡辺脩氏の二著もあったに違いない。なければならない。『麻原裁判の法廷から』(和多田進氏との対談、晩聲社、1998年)と『麻原を死刑にして、それで済むのか?』(三五館、2004年)である。もちろん、もっと一般的な関連書でもいい。それらを読めば、松本サリン事件(1994年)や地下鉄サリン事件(1995年)よりはるか以前の坂本弁護士事件(1989年)にこそ、問題究明のカギがあることを知ったに違いない。なぜなら、神奈川県警はこの事件の捜査を徹底的にサボタージュしたからである。発端は1980年代半ばの事件だが、神奈川県警警察官が共産党幹部の自宅の電話盗聴を行なっていた事件が明るみに出た。

坂本氏が属していた弁護士事務所は、この一件で県警を追及する立場にあった。県警は、そこで対抗心から、坂本一家失踪事件に「事件性は薄い」との立場を貫いた。失踪現場には、オウムとの関連性を強く疑わせる証拠物件があったにもかかわらず。江川紹子の言によれば、県警は、坂本弁護士の「借金まみれの逃亡」「大金持ち逃げ」「過激派内部の内ゲバ」などの諸説を一部メディアに漏らしさえしている。

これに劣らず重大なことがある。この事件に加担した信者のひとりは、事件の数ヵ月後、教団と対立し後者を脅す目的で、坂本弁護士らの遺体を埋めた場所を明かす地図を県警に送っている。だが県警は、この「密告者」に対する取り調べも埋葬現場での引き当たりも行なわず、遺体発掘に最も不適切な積雪期に捜索したために遺体発見に至らず、というような信じがたい怠慢捜査しか行なわなかった。遺体発見は、したがって、オウム一斉摘発後の1995年9月であった。「タレこみ」から、実に5年有余の年月が流れていた。その間に、松本サリン事件と地下鉄サリン事件が起こったのである。

問題の本質は、だから、元警察官に「オウム追及まで、あと一歩のところまで来ていたのに」と詠嘆的に語らせるところには、ない。それは、むしろ、本質を故意に歪める効果をもつ。神奈川県警が坂本弁護士事件の真剣な捜査を怠ったことが、二つのサリン事件での膨大な犠牲者を生み出し、また、宗教的な救済を求めていただけの悩める若い信者たちを許しがたい犯罪に走らせる結果につながったのである。この事実が描かれれば、オウム真理教問題の見え方は一変する。NHKの番組は、舞台設定をまったく誤ったと言うべきであるが、ことが警察・検察権力のあり方に深く関わることである以上、私たちはこれを、社会の普遍的な病巣に手を届かせる契機に転化できると考えればよいだろう。

番組は、ひとつだけ重要なことを明らかにした。国軍でもない一民間宗教団体がいかにして技術的にサリン製造に至ったのか。米軍の一高官がそれを究明するために、サリン開発に関わった複数の確定死刑囚との面会を東京拘置所で重ねているというのである。国家としての米国は、やはり、ただものではない。自国の安全保障の観点からみて重要な情報はすべてホワイトハウスとペンタゴンに集中させよ。この気迫を前に、確定死刑囚との交通を厳しく制限している日本の法務当局は、あえなく拝跪したのであろう。神奈川県警といい、日本法務省といい、権力は実に変幻自在である。(6月9日記)