現代企画室

現代企画室

お問い合わせ
  • twitter
  • facebook

状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

アンデス史の広がりと深みに迫る作品 ――ペルー映画『悲しみのミルク』について


あいち国際女性映画祭2011パンフレットに掲載

主人公の女性ファウスタの母親は、住まいのある山岳農村部が、政府と反政府ゲリラが激しい暴力で応酬し合う中心地になったとき、何者かに凌辱された。殺された夫のペニスを口に突っ込まれるほどの辱めも受けた。これは、5世紀前ヨーロッパ人がやってきて、集団的な強姦を含めた暴力によってこの地が征服されたという、先住民族にとっての癒しがたい記憶に繋がるものでもある。苦しみと哀しみを歌にして、母は死んだ。娘は、母が体験した苦しみが母乳を通して娘に伝わると信じるアンデス山岳民である。男たちからわが身を守るために、膣にジャガイモを埋め込んでいる。ジャガイモは生きていて、花が咲き、葉が茂る。ときどき、それを切り落とさなければならない。それは、下劣な男からわが身を守る盾であり、社会に対してわが身を閉ざす蓋でもある。

ファウスタはいま、叔父一家を頼りに首都郊外のスラムに住む。農村を離れざるを得なかった人びとが、首都の片隅でひっそりと、だが楽しげに送る日常生活の描写には見どころが多い。物語の背後には、いくつもの大事な要素がちりばめられている――母と娘が話す先住民族の母語=ケチュア語。その母語を話す庭師にはおずおずながら心を半ば開くがスペイン語の発語が容易にはできないファウスタの心のわだかまり。山岳民の土着的な信念。原産地であることからジャガイモが彼女たちの食と生活の中で果たしている重要で象徴的な役割。エリート的な都市住民を象徴する白人ピアニストの利用主義と裏切り。

これらの背景を読み取ることができれば、この映画の広がりと深みが並々ならぬものであることが理解できよう。可憐な花をつけたジャガイモの苗が、庭師から贈り届けられる最後のシーンからは、これから主人公が歩みだすであろう方向への想像も及ぼう。

『悲しみのミルク』とは意訳で、原題に忠実に訳すと『怯えた乳房』とでもなるだろう。

追記:映画祭は、2011年9月7日~11日 会場ウィルあいち

『悲しみのミルク』上映は、9月8日(木)午前10時から、大会議室。

問い合わせは専用電話 052-962-2512