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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[13]天災を前にした茫然自失、人災の罪深さを問わず語りする放心の態


反天皇制運動『モンスター』15号(2011年4月5日発行)掲載

前世紀末からの20年あまり、私たちは政治・社会上の、経済上の、自然災害上の、大事件に見舞われてきた。ソ連崩壊(91年)、神戸大震災(95年)、地下鉄サリン事件(95年)、9・11事態(01年)、拉致事件の顕在化(02年)――加えて、世界のどこかしこで、従来の頻度と規模をはるかに凌駕して、ハリケーン、地震、津波による災厄が起こった。そのたびに、ひとは放心状態となった。それは、ときに、自分自身の姿でもあったから、他人事では、ない。

人が為したること、自然が為したること――ふたつが、未曽有の形で押し寄せてくる時代だ、と私は考えてきた。自然の、荒々しい胎動に関しては、新たな「創世記」の始まりなのか、という印象すらひそかに抱いていた。

そして、3月11日がきた。三陸沖で大地震が起こり、地震から瞬時をおかずして津波が、広く北日本・東日本の海岸地域に押し寄せた。この恐るべき天災について書くことばが、私には見つからない。三陸海岸地域の光景をひたすら目に焼きつけ、新聞記事を読みこむばかりだった。同時に、東京大空襲について考えようとした堀田善衛がそうしたように、鴨長明の『方丈記』を取り出して、読みふけった。

自然がもたらした災厄を前に、私自身が放心状態になっているとき、別な意味で放心状態になっている一群の人びとの存在に気づいた。それは、人災に関わることであるから、同じ放心状態と言っても、おのずからその意味は異なってくる。地震と津波の影響で福島原子力発電所に破損事故が発生した。この危機的事態の行く先は、3週間後の今も見えない。この問題については、毎日のように記者会見が行なわれている。登場するのは、原発の持ち主=東京電力の経営幹部・技術者・社員たち、「原子力施設を潜在的に危険性のあるものとしてとらえ、その危険性を顕在化させないこと」を使命としていると自ら謳う原子力安全・保安院の幹部たち、そして記者会見場に掲げられた日の丸になぜか敬礼してから登壇することを習慣化した官房長官と、ごく稀にしか出てこないが、東工大出身なので「原子力には強いんだ」という自負を持つらしい首相――これらの人びとの顔つき・表情に見られる「放心」の態のことをいうのである。

この時期に、いたずらに虚仮にするつもりは、ない。今回の事態の責任者たちは、ひとりの例外もなく、「想定外」の事態を前に、打つ手を知らず途方に暮れているのが現実だということを、しっかりと脳髄に刻み込んでおきたいと思うのだ。ネット情報ではあるが、原発の危険性をつとに指摘してきたある物理学者は、事故発生後「どうすればいいの?」と問うた人に、「打つ手はない。こういうことが起きる危険性があるから、原発に反対してきたんだ」と答えたという。原子力利用を推進する理論的根拠を提起してきた元原子力安全委員長・松浦祥次郎は、事故から三週間も経って発言し、「今回のような事故について考えを突き詰め、問題解決の方法を考えなかった」と語って「陳謝」したという。対極的な立場に立つふたりの発言から、私たちが現在直面している危機の深度を推測することができる。記者会見に現われる東電技術者たちは、見るからに確信を欠いた説明に終始しているが、専門家=松浦が告白したように、「想定外」のことに対処する術などもともと考えてもいなかったのだから、電力企業の技術者たちにも、日々起こっている想定外の新たな事態を前に、言うべき言葉が見つからないのであろう。泥縄式の対処であることを知っているから、表情は「放心」の態にしかならないのであろう。

福島原発の現場では、今日も、協力会社という名の下請け・孫請け企業の不定期労働者や東電労働者が、おそらく本人たちにも先の見えない弥縫的な労働に苦闘している。福島県からは、今日も、被爆を避けるために、日常的な暮らしの場を離れて県外へ出ていく人びとがいる。そして、外の世界には、「唯一の被爆国」と謳ってきた国が、人為によって、大気中と海水中に放出しつつある「死の灰」を恐れる人びとが大勢いる。名指しされるべき責任者たちが、いつまでも放心状態であってよいはずはない。津波災害に遠くから茫然自失していた私とて、「人が為しうること」を果たさねば、と自覚する。(4月3日記)