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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

書評:本田哲郎『聖書を発見する』(岩波書店、2010年11月刊、2500円+税)


2011年1月上旬、「共同通信」から全国各紙に配信

著者はこの20年来、大阪の日雇い労働者の街・釜ケ崎でカトリックの神父をしている。神父であると名乗るよりは、「釜ケ崎反失業連絡会」などでの社会活動に重点を置いている。三代続くキリスト教徒の家に生まれ、生後二ヵ月で幼児洗礼を受けた著者は四代目となる。70年近い人生のほぼ全体をキリスト者として生きてきた。著者の述懐によれば、長いこと、聖書の翻訳文にしても神学者たちの聖書解釈にしても、伝統的なものを疑うことはなかった。

釜ヶ崎にあるアパートの二畳間に居を移し、日雇い労働者と日々接するようになってから、キリスト者としての著者の確信は揺らいだ。そこは、仕事も住む家も持たず、路上生活を強いられる「小さくされている人たち」がおおぜいいる街だ。憐れみや施しの感情を接点にして、食べ物や寒さしのぎの毛布を配布して、著者が満足感を覚えた時期はやがて終わる。難民というべき労働者が耐え忍んでいる受苦の本質とも、自立したいという彼らの熱望とも、自分の行為は噛み合っていない事実に気づいたからだ。

そこで、著者は労働者とともに聖書を読み直し、その神髄を「発見」する。その過程を行きつ戻りつたどったのが本書だ。信仰者ではない私でも知っているような、聖書の中の有名な表現が、原語に基づく著者の再解釈によって読み直されていく。そこにこそ、本書の読みでがある。伝統的な訳業および解釈と、著者のそれとは、価値観において真っ向から対立する。だからこそ、同じキリスト者の名において、一方では十字軍や米大陸の征服のような無慈悲な事業がなされ、現代にもブッシュのような好戦主義者もいれば、他方に解放神学者や著者のような理念と生き方も生まれる。

無神論者の私にも、その宗教的理念と生き方が大切だと思う宗教の開祖や信仰者は幾人かいる。著者は、私にとってそのような人となった。