現代企画室

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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

「鼓直さん お別れの会」におけるスピーチ


【まえがき――去る2019年9月14日(土)午後、東京「アルカディア市ケ谷 私学会館」で、先だって亡くなられたラテンアメリカ文学者・鼓直さんとの「お別れの会」が開かれました。現代企画室では、「ラテンアメリカ文学選集」(全15巻。1990~96年刊行)の企画でお世話になり、ご自分でも、バルガス=リョサ『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』、ガルシア=マルケス『ジャーナリズム作品集』、ビオイ=カサレス『脱獄計画』(後2冊は共訳)の翻訳を担当されました。その後、私たちが女性作家の作品の紹介に力を入れていた時期には、読み終えられた女性作家の原書をダンボール箱に詰めて送ってくださったこともありました。お別れの会では、私が最後のスピーチを行ないました。事前に3分間の制限を受けていたので、長い講演の時には用意しない原稿を予め書きました。その通りに話したわけではありませんが、用意した原稿を紹介しておきます。】

私が数年間に及んだラテンアメリカ放浪の旅を終えて帰国し、現代企画室に関わったのは1980年代半ばでした。旅で蓄積したものを、次第に書物の形にして刊行し始めておりましたが、その過程で、『百年の孤独』のすぐれた翻訳者として、読者の立場から遠く仰ぎ見るばかりであった鼓直さんにお会いする機会がありました。5、6年にわたる私たちの仕事をご存じだったのでしょう、「ラテンアメリカ文学を少しまとめて出版しませんか」との言葉をかけてくださいました。1989年のことでした。

70年代後半から80年代半ばにかけて国書刊行会から「ラテンアメリカ文学叢書」全15巻が、また80年代前半には集英社から全18巻の「ラテンアメリカの文学」が刊行されていた段階です。新潮社もガルシア・マルケスの作品を次々と出版しておりましたし、果たして私たちの小さな出版社がさらに参入する余地があるだろうかという疑問が、正直なところ、私にはありました。でも、鼓さんは木村栄一さんを相談相手にしながら10冊以上の候補作品リストを作られ、それに私たちからの推薦作品も加えて、15冊のラインアップが完成したのです。マルケス、リョサ、フエンテス、パス、プイグ、コルタサル、ドノソらの常連も名を連ねたうえで、アルゲダスの『深い川』、アベル・ポッセの『楽園の犬』、ドルフマンの『マヌエル・センデロの最後の歌』を加えることができたこと、さらにそれまで紹介されることがなかった女性作家の作品を、まだわずか2作品でしたが紹介できたことは、私たちの小さな誇りでした。それは、ルイサ・バレンスエラの『武器の交換』、マルタ・トラーバの『陽かがよう迷宮』です。

鼓さんと長い時間を共に過ごしたのは、つまりお酒を飲んだのは、ほんの数回です。どの場面もお店のたたずまいも含めて思い起こすことが出来ますが、一番強烈だったのは、初回でした。鼓さん行きつけのバー「ペーパームーン」、確か新宿の大ガードを外側へ超えたあたりにあったのですが、ビリヤード付きの広いバーで、飲み疲れると玉突きをやって遊び、また飲む、鼓さんは時々バーのカウンターの内側に入り込んでバーテンダーの真似事をする――そうこうしているうちに、夜は明け、お互い始発電車で帰る破目になりました。いつも、楽しいお酒でしたね。

私の若い友人に、時々新宿のゴールデン街で飲んでいる人がいます。ここ数年来でしょうか、同じ店で鼓さんにお会いして話しをした、とよく言っていました。複数回聞きましたから、お気に入りのお店があったのですね。友人は、いつか鼓さんと私の公開対談を企画したかったようなのですが、鼓さんの急逝でそれは実現できなくなって残念だ、と先日会ったときに言っておりました。

スペイン語文化圏に関わる私たちの仕事も、文学に限定しなければ今では150冊以上を数えるに至っています。それぞれに深い思い出がありながら、やはり、ラテンアメリカ文学紹介のパイオニアとしての鼓直さんのお仕事は際立っています。個人的にはこの間、若かった時とも異なる観点でロルカを読んでいるのですが、鼓さんは今はなき福武文庫でロルカの『ニューヨークの詩人』を翻訳されておられます。1929年大恐慌時のニューヨーク、ウォール街の繁栄と荒廃を見届けたロルカがこの詩集で見せる貌つきは、彼の他の詩集におけるそれとはずいぶん違います。他の方の訳業もありますが、われらが鼓さんがこの仕事も遺してくださって本当によかった。しみじみ、そう思います。

すぐれた先達を失った私たちの「孤独」は、このあと「百年」続くのでしょうか。