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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[25]「海上の道」をたどる軍事力の展開――70年前の史実と、現在と


反天皇制運動『モンスター』27号(2012年4月10日発行)掲載

オーストラリア連邦北部ノーザンテリトリ準州にダーウィンという町がある。ティモール海に面し、オーストラリアのなかではもっともアジアに近い町だ。真珠湾奇襲攻撃から2ヵ月後の1942年2月、日本軍はこの町を空襲した。日本軍がオランダ領東インド諸島(その後のインドネシア)を占領したことに対して、連合国側がオーストラリア北部にある基地から反撃に出ることを封じるための先制攻撃である。日本軍占領によって追われた植民者・オランダ人の一部がオーストラリアへ逃げ、日本軍は続けてティモールをも占領した史実を重ね合せると、確かにオーストラリア北部はアジア多島海の延長上に位置する地勢上の要件を備えていることがわかる。

このダーウィンに、去る4月3日、米海兵隊の第一陣二百人が本拠地ハワイから到着した。昨年11月、豪州を訪問した米国大統領は、豪首相との会談で、ダーウィン近郊の豪軍施設を利用して米海兵隊を駐留させることで合意した。五年後の2017年(ロシア革命百周年! と書いても、虚しくも意味ないか)には2千5百人規模にする計画である。70年前の日本軍の海洋展開を頭に描きながら、中国の「海洋進出」を警戒して仕組まれた米豪軍事協力体制が確立したのである。米国はさらに、豪西部パースの海軍基地の利用拡大や、インド洋の豪領ココス諸島を無人機基地として利用する可能性も検討しているという情報もある(4月5日付しんぶん赤旗)。世界規模での米軍再編は、豪州地域で先行的に展開されている。去る2月の米豪軍事共同訓練には日本の航空自衛隊が初めて参加しており、さらに経済面では日本はオーストラリアにとっての最大の貿易相手国であることを考え合わせると、私たちが日常感覚として持つ「オーストラリアの遠さ」は、為政者たちが取り仕切る政治・経済・軍事の領域での実態とはかけ離れているのであろう。

ここから、二つの問題を考えておきたい。一つ目は「米軍の世界展開」の現状である。昨年末時点での米国防総省の統計に基づいた数字がある(3月25日付朝日新聞)。米国内の基地と領海には122万人の兵士がいる。国外には30万人の兵士が駐留している。合計152万人の兵士を抱え、年間軍事支出は50兆円に上る。特徴的なことを挙げてみる。

一、ドイツに5万3526人、イタリアに1万817人、日本に3万6708人の米兵士が駐留している。欧州とアジア太平洋の枠組みでそれぞれを見ると、いずれも突出した数字である。第2次大戦の敗戦国への「仕打ち」が60年有余以後の今なお継続している。帝国主義間戦争とはいえ、日独伊がファシズム国家であったことから、連合国側は道義的な「優位性」を保持し得たが、その「成果」を米国が独り占めして現在に至っている。

二、アフガニスタンには9万1千人の兵士が駐留している。イラクからは完全撤退したが、クウェートなど周辺地域には4万人程度を残していることからわかるように、原油確保とイランに向けた戦略は十分に担保されている。

三、中南米・カナダの駐留数は1970人とされている。中南米は、かつてなら「裏庭」意識で思うがままに利用してきた地域だが、政権レベルでも民衆レベルでも対米従属を絶ち、自立的な動きが高まった結果と見るべきだろう。東アジア、日本にとって、もって他山の石となすべき教訓だと言える。

二つ目は「北朝鮮が打ち上げる『衛星』に対する破壊措置令」の意図である。部品落下の可能性に向けての措置としては、きわめて異常な警戒態勢が準備されている。沖縄本島、宮古島、石垣島へ地上発射型迎撃ミサイルPAC3を配備したことは、2010年の「防衛計画の大綱」が言及した、中国を意識しての「南西防衛」構想の具体化のための一里塚であろう。日米軍事同盟の下にある限り、この構想は「海上の道」をたどって、冒頭で見た米豪軍事協力体制とも結びつくだろう。

どの国の為政者も、隣国の軍事的脅威を言い募っては、自国の軍事力強化の口実としている。東アジアのこの悪循環を断ち切るために「他山の石」から知恵を得たい。切に、そう思う。(4月7日記)

破壊しに、とわれらは言う――「民衆運動の同時代性」なるものに関わる一視点


『季刊ピープルズ・プラン』57号(ピープルズ・プラン研究所、2012年3月刊行)掲載

1960年代後半の東京には、アナキズムに心情的な共感を寄せる一定数の学生がいた。私もその中の一員だった。フランス1848年革命の前と後の時代に、ルイ・オーギュスト・ブランキが情勢をいかに捉え、いかに行動し、いかに幽閉されたかにまつわる魅力的な話を年長者から聴いた夜だったか、話は、ボリシェヴィキの革命が、その初心を貫くことができずに、常に歪められ、裏切られてゆくのはなぜか、それこそ、前衛党と、それが指導して建設されるはずの新しい国家を絶対化する彼らの思考と実践のあり方に由来するものだ、と討論は進んだ。ところで、そうならない保証はどこに? 年長者が言うには、ある革命が起こったら、前衛党主義者ではないわれわれが、その権威化・権力化を阻止するためにそれを壊すこと。要は、つくっては壊し、つくっては壊しだよ。それを繰り返すしか他に方法はないんだ。ふーん、かくめいって疲れるものなんですねえ。一時(いっとき)の高揚なら、祭りのように楽しめるものを、四六時中緊張していなけりゃならないなんて――そんな軽口をたたきながらも、まだ若く20代前半であった私(たち)は、そんな未来を考えることが、まっとうな夢であり希望であるような日々を生きていた。

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(2011年1月のエジプト)革命前夜、広場では次の大統領候補について、あちこちで議論の輪ができていた。土産物屋の店員、ムハンマド・ハムシャリーは「(次の大統領は)副大統領(当時)のスレイマーンだって、かまいやしない」と言った。しかし、スレイマーンではムバラークと同じではないかと反論すると、彼はあっさりこう言った。「奴が変わらなければ、また僕たちがデモをすればいいのさ」

既成の権力に代わる新たな権力や政策の代案を創るよりも、眼前の倫理に反する権力に対し、ひたすら叛逆し続けること。そうした生き方に価値を置くこと。青年たちの精神はアナキストのそれだった。ハムシャリーの台詞は、戦前の日本における叛逆者の一人、金子文子を想起させた。

田原牧『中東民衆革命の真実――エジプト現地レポート』(集英社新書、2011年)

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O 君は若いころから、レボルト社の『世界革命運動情報』の編集・刊行・販売に関わり、40~45年後の今となっては「夢」のような、革命の同時代性に惹きつけられていたようだった。その後長じてからも、世界各地の政治・社会の動きに一種の「同時代性」がうかがえることに留意した発言をしてきたように思える。そんな君は、現在の世界の状況をどう見ているのか。昨今のありふれた言説と言えば、こういうものだ――すなわち、米国発祥の金融危機は資本主義の、そう言ってよければ「死の苦悶」だが、それに加えてヨーロッパも債務危機に見舞われており、あたかも世界恐慌前夜の様相を呈し始めている。この危機的な状況を前に、世界各地の民衆はそれぞれ独自の形で新しい運動を展開しており、それは大きなうねりとなっている。「アラブの春」を見よ、財政緊縮政策に抗議するヨーロッパ諸国の民衆運動を見よ、1%の独占に抗議する99%の人びとのたたかいという象徴的な表現を生み出した米国のたたかいを見よ、というわけだ。そしてそこに、日本における反原発運動の高揚を付け加えることも、ありふれた流儀だ。これは本当に「同時代性」なのだろうか。仮にそうだとすれば、その「同時代性」は何を物語るものなのだろう。君の考えを聞かせてくれないか。

M 世界の動きを新聞とテレビの大メディアだけで知る時代はとうに終わった。背後にいる資本の利害を忠実に反映して、報道すべきニュースを選択し、隠蔽したい事実は報道せず、したがって表層に流れる組織的大メディアの報道は、個人や小集団が発信するインターネット情報によって乗り越えられつつある。しかし、それもまた玉石混交であり、しかも厖大だからすべてに接しそれを咀嚼することはできず、信頼しうる発信源に行き着くには、かなりの努力と時間が要る。私にはそれができていると言い切る自信は、とてもじゃないが、ない。自信がない分は、(それがあると仮定して)過去の蓄積と、勘に頼るというのが正直なところだ。最近では、大メディアが世界の民衆運動の中でもニューヨークの占拠運動を突出して取り上げたという傾向に対して、インターネット情報に基づいて、別な視点を提示したいと思った。

O 君は、オキュペイション(占拠)という語感には、米国国家が世界各地で繰り広げてきた植民地主義的「占領」を連想して〈引いてしまう〉とか、自分たちは「99%」だと言って誇る多数派とは、数値として対アフガニスタン・イラク攻撃に賛成した人間を含めないと成立しない数字だといって、警戒する見解を発表して(註1)、ネット上で若干の物議を醸したな。

M その運動を全面否定したわけでもないし、基本精神には共感するとしたうえでの、部分的な、しかし歴史的な把握の観点では重要な、問題提起のつもりだった。米国発だとなんでも肯定的に受け入れるという受容の仕方に対する批判の一環だった。事実、広場や街頭の占拠運動の出発点は、今でこそ知られているが、2011年5月15日、スペインの首都マドリードのプエルタ・デル・ソル(太陽の門)広場で行なわれた(註2)。「15-M」と書いて、スペイン語で「キンセ・デ・エメ」と発音される。日本で私たちがよく使う「5・15」という感じだ。この日、マドリードでは数万人の人びとが集まって、「今こそ真の民主主義を!」を合言葉に、示威行進を繰り広げた。バルセロナでは1万5千人、スペイン全土で15万人が参加したという。

O 「15-M」にしても、突如始まったわけではなくそれに先行する象徴的な行動があったと聞いたことがある。

M 例のフラメンコ集団のことだね。前年の2010年末ころから、スペイン南部のアンダルシア州を中心に、大銀行の店内で突然フラメンコを踊り出す数十名の男女が出没するようになった。「バンケーロ(銀行家)! あんたは財布を握り、私はスッカラカン」と歌いながら、数分間銀行を占拠したのだという。この、傍から見ても愉快な行動には、二重の意味があると思う。アンダルシアは伝統的にスペインでも最も貧しい地域で、アラブ人、北アフリカのベルベル人、ロマ、スペイン系ユダヤ人、アフリカ黒人など多地域から住民が集まり、独特の芸術表現が花開いた地域だ。フラメンコは、かつてジプシーと呼ばれたロマの人びとがホェルガ(どんちゃんさわぎ)の場で育んだ舞踏音楽で、今では商業化した面もあるが、根強いロマ差別がある社会にあっては、他者にも一目おかせる有力な自己表現の一方法でもある。だから、根づいた文化表現を通しての抵抗運動であることが、意義の一つ目。私もなんどか観ているが、フラメンコは、なんたってカッコいい。現場に居合わせた人は、最初は度胆を抜かれ、いつしか喝采をおくるしかなかったと思う。次いで、2003年3月、米英首脳と並んでイラク攻撃の道を掃き清めたのは、当時のスペイン首相アスナールだったが、彼は1996年の首相就任以来、米英政治指導部の政治・経済政策に一体化していた。つまり、新自由主義政策の忠実な実行者であったのだが、その結果、実態経済を離れた地点でマネーが舞う金融操作主体の経済に堕している現実を、フラメンコ集団は大銀行を占拠したり、その門前で踊ったりするという象徴的行為で暴いた。スペインはその後、社会労働党のサパテロ政権に移行してはいたのだが、新自由主義政策からの大胆な転換を図るという意味では無為無策だった。その現実を白日の下に曝したこと、それがふたつ目の意義だ。

O 1973年のチリ軍事クーデタを契機に20世紀末までの数十年間、世界に先駆けて新自由主義経済政策に翻弄されて、世界銀行やIMFのような国際金融機関や先進国の金融資本に都合よく操られたラテンアメリカ諸国を二重写しに見るような経験だな。

M 現在EU圏で最も深刻な経済危機に見舞われているのは、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルの諸国だ。いずれも地中海に面した、いわゆるラテン系の国々だ。ドイツ首相メルケルは苛立って、ラテン系の人びとはもっと働いたら、と語ったというが、ここに現れたのはまさにEU圏内の南北問題だね。君が言うように、ラテンアメリカ諸国が前世紀末から新世紀初頭にかけて経済危機に直面した時に、その原因をつくった先進国や国際金融機関が責任を前者に転嫁した視線そのものだ。大国であるドイツやフランスの大銀行が、EUの南の諸国、つまり相対的に貧しい諸国を借金漬けにして、見返りに新自由主義政策の実施を強要した。小さな政府、公営部門の廃止、福祉・医療・教育部門への競争原理の導入などだ。EUはいまその結果に直面しているのだ。いわゆる「メルコジ」連合が、地中海方面を迷惑気に眺めながら文句を言うようなことではない。

O 「同時代性」のひとつが見えてきた気がする。ソ連亡き後、つまり社会主義圏崩壊を見て勝利を謳歌した資本主義は「グローバリゼーション(全球化)」という形で世界を支配した。その原動力は、ラテンアメリカ地域で功を奏したかに見えた新自由主義路線だった。その恐るべき結果を見届けた人びとは20世紀末からそれへの抵抗運動を始めた。それは現在、政権レベルでも民衆運動レベルでもしっかりと根づき、新自由主義に抗し別な価値観を具体的に提示する、世界でも稀な地域となっている。ラテンアメリカ地域から一周遅れで新自由主義に席捲されてきたヨーロッパで、それと同じことが始まっているのだと言える。ヨーロッパ各地や米国でのオキュパイ運動をその延長上で捉えると、すべてがすっきりと繋がって見えてくるようだな。

M 「同時代性」という観点から言うなら、誰もが気づいていることだろうが、一点重要な事実がある。この大衆運動には、かつてのようには「党」や「大労組」の影も形もない。20世紀を通しての社会主義・共産主義運動は、強固な「党」の指導の下で展開された。その専制と独断が無惨な結果に行き着いたことで、党そのものが自滅した場合もある。人びとの意識がそれに見切りをつけたとも言える。昨今では、新自由主義政策によって旧来なら労働者が大労組に結集していた産業分野が分割させられ、必然的に労組の解体・再編に至たった場合も多い。人びとは、上からの「動員」によってではなく、自らの責任と主体性において判断し、行動を選び、自由に発言するようになった。党や組織の官僚統制が効かない時代の当然の傾向として、それは歓迎すべきことだと思える。党と労組の役割という点では、米国の場合は推して知るべしだが、スペインでも政権党であった社会労働党は先にも言ったように新自由主義政策を是正する意欲もなかったし、UGT(スペイン労働総同盟)も既成の秩序の枠内で既得権を守るのに精いっぱいだ。世界中どこを見ても、民衆運動に共通する性格はこれだ。

O それは「アラブの春」にも共通するものだろうか。いろいろな報告や分析を読んだが、何が驚いたって、第二次大戦後の時代幅で見ると、あの権威主義的な政治的指導者ばかりが輩出し、それが声高に叫ぶ民族主義的スローガンに世論が一体化する、「英雄待望論」そのものが実践されてきたような地域で、「英雄も指導者も不在」(田原牧、前掲書)の民衆運動が丸腰の状態で沸き起こり政権打倒にまで至ったことだ。「アラブの大義」という曖昧な包括的指針の下で、外部に米国とイスラエルという敵を設定し、国内の強権政治も非民主的な王政も許容してきたアラブ世界の構造そのものが崩壊し始めたのだ。指導部が不在のままに大衆運動が展開されているという点では、他の世界との共通点を持っているように見えるが、従来のアラブ社会の独特のあり方を思うと、そこでははるかに深く地殻そのものの変動を準備する動きがあるように思える。

M 君も引用した田原牧氏の『中東民衆革命の真実』はそのあたりの事情をよく伝えているな。ムバーラク打倒の理由を、米国とイスラエルに妥協的なその姿勢に対する怒りだと解釈した左派知識人がいたというが、虚飾にまみれたアラブ民族主義こそが青年たちに葬られたのだと田原氏は正しくも主張している。アラブ諸国の中でイスラエルに最も非妥協的な政権党を持つシリアにまで、チュニジア、エジプト、リビアの激動が波及している理由は、ここでこそ解き明かされるという分析も明快だ。グローバリゼーション時代を象徴するコンピューターが、ツイッターやフェイスブックというツールを駆使して人びとを広場に駆り立てた点も、情報封鎖社会にあっては特異なことだった。

自律的な民衆運動の展開という共通項はあっても、その背景としての社会をどこまで揺り動かすかという意味では、深度が違っているようだね。ここまで話してきてつくづく思うが、メキシコ・チアパスのサパティスタの1994年蜂起の影響力・波及力は、決して軽視できないな。持久戦段階の現在、この運動が大きな転機に立たされていることは事実だとしても。第一に、それはソ連崩壊直後のことで、いまさら「革命」だの「反体制」だの、ましてや「武装蜂起」など問題外のことだと思われているような時代のたたかいだった。単純なようだが、諦めるな、という叫びはいつだって貴重だね。第二に、多国間自由貿易協定反対というスローガンが、グローバリゼーションの時代的特徴を正確に捉えていた。先に触れたように、ラテンアメリカ地域は新自由主義に翻弄されてきていたから、身に染みてその本質を見抜いていた。第三に、自分たちは電気の通じていない山中にいながら、深い山から出たところにある町や、米国はテキサスに住む同胞(メキシコ系の人びと)のコンピュータ―・ネットワークを通じて次々とメッセージを発信できた。第四に、そのメッセージの文体と内容が、訴える力もある豊かなものであった。第五に、自らを前衛党と名乗らず、権力獲得をめざさないと明言した。同じ方向へ歩むさまざまな社会運動との間に共通の社会的空間を形成し、その協働性の中で社会変革をめざすと語った。第六に、止むを得ぬ手段として武装蜂起しながら軍事至上主義ではなかった。相手(政府)に対しても民衆に対しても武器を誇示することなく、戦争は避けたい/武器は捨てたい/平和を望むとのメッセージを発信し、それを実践した(註3)。これらはすべて、今まで見てきた世界中の新しい社会運動が、従来のそれとは異次元で帯びている性格だ。ボリシェヴィキ指導下の20世紀の社会運動が持っていた性格とは、根底的に異なるものをそこに見ることができる。

O サパティスタを重視するのはラテンアメリカや欧米が主だと思われてきたが、アジアでも、韓国、中国、インドなどでは大いなる関心を持つ社会運動家がいる。社会運動が見過ごしてきたり、関心をすら持ち得なかったりする問題に、真正面から取り組んだ提起を行なっているのだから、当然だと思う。日本でもそれを深めたいところだね、「同時代性」を見極めるためにも。

M こうして、世界の状況と民衆運動に「同時代性」を見るという話をする時、どうしても触れざるを得ないことがある。それは、この問題意識は日本を含めた東アジアにも適用できるのか。そのとき、現政権の抑圧性という点では突出している中国や朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の位置はどこにあるのか、という問題だ。もちろん、日本では「3・11」以後の反原発運動の活性化のなかに、新しい社会運動の萌芽がいくつも見られる。大気と大地と海洋に対処のしようのない放射性物質が浸み込んでいくという事態は、いまだかつて想像すらし得なかった諸問題を私たちに提起している。論争なき社会にあって、それらをめぐって論議が起きていること自体が好ましい方向だと思う。私たち自身がこの過程を生きており、今後も生き続けるのだから、きょうの話で出てきた世界各地の民衆運動から学び得ることがらを生かす方法を探りたいと思う。

中国でも、乱開発・経済格差・言論の統制・辺境の非漢民族地域での弾圧・党と行政幹部の腐敗などをめぐって、めざましい大衆運動が起こっている。人間が、自らのスケールというか器量とでも言ったらいいのか、それでは御し得ないほどの人口を抱えた「帝国」における激動は、なまなかな想像を超える問題を提起することになるだろう。民族的な排外主義の傾向が深まる日本社会の只中にあって、これといかに向き合うかという問題は、私たちにとっての厳しい試練だと思う。そして最後が北朝鮮だ。金日成の独裁が確立して以降の長い間、ありとあらゆる民衆の自立的な動きが封じ込められ、恐るべき弾圧にさらされてきたこの社会でも、デジタル機器の浸透によって情報封鎖を打ち破る萌芽がいくつも出てきた(註4)。1989年の東欧革命においても、きょう話し合ってきたエジプトなどのアラブ世界の激動においても、権力によって封じ込められてきた情報が社会に広くあふれ出ることが、変革の決定的な契機となった。「同時代性」という問題意識のなかから、中国も北朝鮮も除外しないという意識的な努力が、私たちには求められると思う。

O 確固たる論理的な枠組みを示しながら輝かしい未来を約束した20世紀的な社会運動は敗北した。いまは、そのあとの混乱・混沌期だ。さしあたっては、現存秩序を「破壊しに」といって台頭してくる民衆運動のなかにみずからの身をさらして考え抜くしかないと思える。

(註1)「〈占拠せよ〉(occupy)という語に、なぜ、私はたじろぐか」、『反天皇制運動 モンスター』21号(2011年10月)および「領土問題を考えるための歴史的文脈」、『月刊 社会民主』680号(2012年1月)

(註2)スペイン語各紙も参照したが、日本語で読むことのできる、スペイン情勢に関する詳しく刺激的なブログに、スペイン在住の童子丸開氏が主宰する「幻想のパティオ(スペインの庭)」doujibar.ganriki.net/webspain/menuspainhtml.htmlがある。本稿で触れた運動的事実の記述は、童子丸氏のブログに負うところが大きい。記して、感謝する。

(註3)サパティスタの思想については、以下の重要な書物がある。サパティスタ民族解放軍『もうたくさんだ!』(太田・小林編訳、現代企画室、1996年)。マルコス+イボン・ルボ『サパティスタの夢』(佐々木真一訳、現代企画室、2005年)

(註4)『北朝鮮内部からの通信 リムジンガン』第6号(アジアプレス出版部、2012年2月)所収の「北朝鮮デジタル・IT事情最新報告」に詳しい。