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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[4]「理想主義がゆえの失政」に失望し、それを嗤う人びとの群


『反天皇制運動モンスター』5号(2010年6月8日発行)掲載

「宇宙人ではないか」とあまねく噂されていた人の謎が解けた。

ご本人の解釈によれば「今から5年、10年、15年先の姿を国民に申し上げている姿が、そう映っているのではないか」ということだった。なるほど、そうだったのか。

他方、生涯を通じて理想の「リ」の字も考えたこともないらしい愚かな記者が、普天間問題に関わって彼に問いかけた。

「理想主義への反省はあるか」と。宇宙人は答えた、「理想は追い求めるべきだ。やり方の稚拙さがあったことは認めたい。

ただ、普天間(問題)は次代において選択として間違ってなかったと言われるときが来ると思う」。

ふたつの問題が残る。首相の座から去り行く人に対して、今さら皮肉を言う気持ちにはなれない。

政治的責任を負う立場の人でなければ、人間として悪い人ではないのだろう。しかし、次代のことを考えていると自認している割には、肝心なところで対米交渉のための努力の痕跡が見えない。

外務・防衛官僚の壁は厚く、高かったであろう。

しかし、5年先や15年先を見通しているなら、「いま」が重要なのだ。とどのつまりは、自爆的な辞任をするのであれば、ペンタゴンに牛耳られているオバマとの「死闘」を行なえばよかったのに。沖縄には「もう、たくさんだ!」という民意がある。

他の地域には「基地を誘致してまで沖縄と痛みを分かち合うつもりはない」という本音がある。

去った人は「米国に依存を続けて良いとは思いません」という気持ちを、今ここで持っていたというではないか。

それらを背景に、対米交渉を開始すれば、問題は「日米安保」でしかないことが、いっそう浮かび上がったに違いない。

安保解消は仮に5年先の目標かもしれないが、普天間基地即時閉鎖・地位協定改定に加えて、この政権の目玉をなしている仕分け作業の対象外にされてきた「思いやり予算」を全額廃止するなどの具体的な課題を、もっと手元に手繰り寄せることになる交渉が始められたり、決断に至ったりしたに違いない。

ふたつ目の問題は、宇宙人の「理想主義」を嗤った記者や、メディアの意見として、そこで踊るコメンテーターなる者たちの言論として、また世論として、メディア上に溢れかえっている、去り行く人に対する失望感や嗤い声に関わっている。

ここには、普天間問題での彼の「迷走」をしたり顔で批判する自民党や公明党の面々も入れなければならない。

残念なことには、おそらく、少なからぬ「護憲派」の姿もまた、ここに含めなくてはならないだろう。

それくらいに、幅広い人びとがここには〈無意識のうちに〉集っているのだ。

これらの人びとの立場を大まかにくくることのできる共通項は「日米安保体制」容認――これである。

沖縄の人びとに同情するような顔つきをして、前政権の失政を指摘した人びとの多くは、実はその本心に「安保体制容認」の気持ちを隠し持っていることを何度でも指摘しなければならない。

なぜなら、いつ「暴発」するかもしれない北朝鮮や、日本周辺海域へ海軍を広く進出させている中国の「不穏な」動きを思えば、沖縄に一万九〇〇七人から成る米海兵隊員が駐留している(〇九年一二月末現在、米国防総省の統計による)ことに、これらの人びとは安心感をおぼえているからである。積極的な平和のための努力も行なわずに。

これが、現在にまで続く戦後日本の「平和」の根拠である。 米本土以外で、米海兵隊基地があるのは日本だけだ。駐留数でいっても、第2位はフィリピンの四二九名だ。

二万人ちかい海兵隊員が沖縄にいるから「抑止力」があって「安心だ」と考えているのは、二〇〇ヵ国ちかくある世界のなかで日本だけだ、という事実が広く知られるならば、世界における日本の異常性がいかほどばかりかがくっきりと浮かび上がるだろう。

黒船来航→帝国主義間競争→開戦→原爆投下→敗戦→占領下→独立後も依存……と続いてきた一五〇年以上におよぶ近代・現代の過程で、日米関係がいかにいびつなものになったか、を明るみにださなければならない。

来る八月に、ある町の市民運動団体から講演依頼があった。この間の状況をみながら、タイトルを「戦後史の中の憲法9条と安保体制」とすることにした。(6月4日記す)

韓国哨戒艦沈没事件を読む


『反改憲運動通信』第6期No.2掲載

(以下の文章においては、朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と表記している。)  3月26日、韓国の西側にあって、南北朝鮮の領海を隔てている黄海上の周辺海域で、韓国海軍の哨戒鑑「天安」が沈没し、乗員104名のうち46名が死亡・行方不明となった。

韓国における当初の報道を思い起こすと、北朝鮮による攻撃の可能性を示唆するものは少なく、内部的なミスに起因するという見方が有力だった。

軍は、爆発時間の説明を二転三転させ、沈没前後の交信記録の情報公開にも消極的だった。

世論形成に影響力を持つ韓国メディアが、4月に入って「北朝鮮関与説」を報道し始めた。

李明博政権は、国際軍民合同調査団なるものを設置し、韓国一国の利害を離れた地点での「国際的で、客観的な調査」に判断を委ねる態度を取った。

事故からおよそ2ヵ月近く経った5月20日、調査団は「北朝鮮の小型艦・艇から発射された魚雷による水中爆発」によって事件は起こったと断定した。

北朝鮮の国防委員会報道官は、同日、調査団報告は「でっち上げだ」とする声明を発表し、韓国が制裁措置を講じるなら「全面戦争を含む強行措置」を取ると主張した。

この段階での、日本社会での受けとめ方を考えてみる。普天間問題で苦慮していた前首相はこの事件を奇貨として、北東アジア情勢の不安定性を強調し、在沖縄米海兵隊が持つという「抑止力」なるものへの信仰を突然のように語り始めた。

それは、6月2日、首相辞任を表明した民主党議員総会での発言に至るまで続いた。

大方のメディアも、ほぼ同じ論調に依拠している。韓国哨戒艦沈没事件という悲劇は、日本の前首相や日米安保信奉者に向かっての「追い風」となったのである。

まこと、軍事の論理は輪廻する。その車輪の中で生きようとする者すべてを、他者の死を前提とした、終わりのない/極まりのない戦時の世界へと導くのである。

問題は、民衆レベルでの受け止め方であろうが、「あの国なら、やりかねない」という捉え方があっても、反駁する方法はなかなかに難しい。そのことが悩ましい。

私個人の問題として書いてみる。国際社会への復帰を試みている北朝鮮が、いまさらこんな軍事冒険主義に走るはずはないとするのが、解釈する側にあり得べき理性的な判断である。

この理性的な判断の下では、あえて過去は問わない。大韓航空機爆破も、拉致も、不審船も、工作船も、“もはや”過去のことだ、と考えよう。

その程度の信頼感をもって、相手との付き合い方を考えよう――と、そこでは思うのである。

同時にまた、こうも考える。軍事路線を優先し、軍事の力によって大国の譲歩を引き出し、貧しい社会の中で軍人層を手厚く処遇する先軍政治を、この国の指導部は放棄してはいない。

責任逃れの論理を使って金日成・金正日父子がよく言った(言う)ことばを使えば、今回の魚雷発射事件が「私のあずかり知らないところで、英雄主義に駆られた一部機関の者が仕出かしてしまった」可能性を、全面的に排除することもできない。

しかも、伝えられる経済危機は深刻だ。「やりかねない」。ここが、私が佇むジレンマの地点である。

だが、後者の可能性を考えるとき、私は問題を普遍化して、特殊に北朝鮮だけを名指しして言うのではないと考えて、辛うじて「理性」を保つ。

日本、韓国、中国、ソ連、ロシア、米国、イスラエル……およそ、人類史上に存在してきた〈国家〉なるものが、ある所与の時代に、所与の条件の下でなら「やりかねない」非行として、この種の出来事を捉えるのである。

〈国家〉の「非理性」を、〈国家〉を担うと自惚れている政治家や、軍人や、官僚たちの、そして付け加えるなら、時にそこへ哀しくも巻き込まれてしまう大衆の「非理性」を、その程度には「確信して」いる。

その意味では、古今・東西・左右のいかなる〈国家〉も、「非理性的であること」において等価である。

イスラエル国家が、封鎖されているパレスチナ自治区ガザへ救援物資を届けようとしていた非武装の船舶を攻撃したように。

北アメリカ国家が、自らは傷つかない無人爆撃機できょうもアフガニスタンやイラクの民衆の上に爆撃を加えているように。

革命後の中国国家が、チベットや新彊ウィグル自治区などで、恐るべき強圧的なふるまいを続けてきたように。

そして、日本国家が……(読者よ、皆さんの見識に基づいて、このあとを続けてください)。 したがって、仮に北朝鮮を疑う目をもつとして、その目は他国へも及ぶ。

前述の調査団報告が出た同じ日に、40近くの韓国民主運動団体が連名で、「調査内容、調査過程と方向、調査主体など、あらゆる側面から調査の科学性と客観性、透明性と公正性を認めることはできない」との声明を発表している。

それは、「反北」の感情を煽ることに利益を見出す政権と軍の拙速な論理だと批判して、慎重な対応を求めている。6月2日の韓国統一地方選挙において、与党ハンナラ党が敗北したのは、民衆レベルで広く同じ感情があることの証左なのだろう。

北朝鮮による哨戒艦撃沈説が、そのまま、反北ナショナリズムに行き着いてはいない点は、健全だと言える。

韓国では、この事件をめぐって別な情報も報道されているから、判断のための選択肢が広いのだろう。

たとえば、事件と同時刻に、同じ海域で訓練していた米軍潜水艦が沈没したが、事件は密かに処理されたという報道があった。

仮にこの事件と哨戒艦沈没事件に関わりがあったとして、米国がこれを隠蔽することは過去の歴史からみて「やりかねない」。

また前述の調査団員として「座礁・沈没」説を主張した委員が、その後公安当局の捜査を受けているという報道もある。

これまた、現韓国政権の性格からみて「やりかねない」。

総合すると、真実はまだ「藪の中」だと言える。問題は、またしても、日本社会での受け止め方である。多様な情報に接することもないままに、調査団報告を聞いてすぐ対北制裁強化を率先して主張した人物が、新首相になるようだから。(6月4日朝記す)