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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

二〇一二年新春二話 


『支援連ニュース』343号(2012年1月27日発行)掲載

一、原発事故から見えてくるもの――男性原理の派生物

福島原発の事故直後から、多くの人びとの目に焼きついたであろう光景があった。東京電力の経営者・原発担当の幹部、政府の関係閣僚、原子力政策を推進してきた関係省庁の官僚、原子力の専門家――大勢の人びとが、連日のようにカメラの前でしゃべった。その光景である。多くの場合、その物言いが率直さも誠実さも欠くものであることは一目瞭然であった。事故の実態を軽いものとして見せかけようとして、何事かを隠して事実を言わない、言葉遣いによってごまかす――それは、観ている者をして疲れさせるほどに徹底していた。その画面を見ながら、異様なことに気づいた。男しかいないのである。カメラの前に立ってごまかし言葉を話し続ける者も、話す男を一人孤立させるのは忍びないから一緒にいてやるよといった感じでそばに居並ぶ者たちも、例外なく男なのである。

そして思い出したのは、次の挿話である――某テレビ局の女性ディレクターに尋ねられたことがある。「なぜ、男は黙るのか」という番組を企画したことがある。男に対して女がもつ疑問や怒りは、口論になったり、男の振る舞いの欠点を女が指摘したりするときに、男というものは、ほぼ一様に黙りこくったりごまかしの言葉をもてあそんで話の筋道をずらしてしまう点に向けられている。番組をつくってみると、傍から見るとこの人(男)は相当イケていて、普通の男とは違うだろうなと思い込んでいた人でも、その「癖(ヘキ)」は多少なりとも抜け切れていないことがわかった。あなたはどうですか? というのである。私は、あれこれの自分の個人史を思い出し、このような問題に自覚的なつもりでいる私も、まだまだ緩慢な「成長過程」でしかないな、思い当たる節があるなと思い、そのように答えざるを得なかった。

原発事故でマイクの前に立たされている男たちは、少なくとも「黙ってはいない」。語ってはいるが、その言葉遣いがごまかしに満ちている点で、一般の男なるものの類例の裡に入るのである。しかし、彼らは、単なる男ではない。その背後には、政治権力があり、電力の発電・送電の独占権力があり、専門知を誇示する知的権力がある。存在論的に言うなら、いずれも広い意味での支配階級に属しているといえよう。この連中を、「権力を背景に持った男の論理」の巣穴から引きずり出すのは容易なことではない、と私は思ったのだった。

同時にまた、私は、4年有余前に亡くなったことが悔しくてたまらない、愛読する美術史家、故若桑みどりさんの言葉も思い起こしていた。「男たちが戦争を起こしてきたのだから、今度は女性たちが平和をつくらなければならない」(『戦争とジェンダー――戦争を起こす男性同盟と平和を創るジェンダー理論』、大月書店、2005年)。私は戦争廃絶・軍隊解体の論理はここから導くべきだとこの間考えてきているが、脱原発に向けた運動でも、ここに突破口があると思ったのだ。

ここでいう男と女が、生物学的なオスとメスに重なり合うものならば、オスである私には出番がない。もちろん、この「男」とは、家父長制的な男性原理による社会の支配の正当性を微塵も疑うことのない存在を指しているのだから、そこには、メスとしての女も、彼女が有する価値観次第では含まれることもあるということになる。言葉を換えると、「平和をつくりださなければならない女性たち」に、たとえば曾野綾子や塩野七生や工藤美代子や小池百合子や猪口邦子などは金輪際入れることはできないが、(おこがましくも自分を引き合いに出すなら)私を入れることはできるのである。

3・11以降の反原発・脱原発の運動は、基本的にこのような方向性で展開されてきており、私はそのことを好ましいと考えてきたが、最近次のような意見を目にした。反原発情報の発信に努めてきたたんぽぽ舎のメール・ニュースを読んだ読者からの反応である。最近の反原発運動では、「女」「母」「孕む」などの言葉が強調されていて、「母」にも「孕む」にも関係のない独身女性はこんなところでも見捨てられたのか、という気分になるというのである。この人は「放射能に男女差別はありません」とも書いている。これは、幼い子どもや妊娠する可能性をもつ若い女性に及ぼす放射能の危険性が当然のことだが医学的に強調されてきており、それが「母」や「孕む」に一面的につながっていくこと、今や反原発運動のシンボルと化した経産省前テントで座り込みを行なっている福島の女性たちが、その行動を妊娠期間に因んで「とつきとうか(10ヵ月と10日間)」と名づけていることにも関連してくるのだろう。このような言葉に覆い尽くされていく運動空間、という捉え方が事実に即しているならば、それに違和感や疎外感を抱く人びとがいるということも頷ける。いずれにせよ、傾向性を持つ何らかの言動を全否定するところに問題の本質はなく、脱原発を目指す人びとが普遍的に繋がり得る理論と実践が、どこにあるかを冷静に探ることだと思える。生物学的なオス・メスから派生する問題をすべて排除することはできないが、戦争や原発を許してきた構造上の問題を、人間が歴史的に、文化的に、社会的につくりあげてきた「男性性」「女性性」に起因するものとして把握することが常に重要なのだと強調しておきたい。

二、大量死を見てなお叫ばれる「死を待望する声」

『死刑映画週間――「死刑の映画」は「命の映画」だ』――を「死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90」で企画した(2月4日~10日、東京渋谷・ユーロスペース ☞http://www.eurospace.co.jp/)。内外の映画10本を上映する。チラシをまいていると、いろいろな反応に出会う。心が弱っているときに、こんなにしんどい映画を立て続けに見せるの? 重いなあ、人生にはいろいろな辛いことがあり過ぎて、この歳になってもまだそれを続けなけりゃならないの? 見逃した映画がいっぱい、いいチャンスだから、出来るだけ行くよ。いろんな映画週間の企画があるけど、これほど、あまりに内容が暗くて観客が敬遠し、経済的にうまくいくはずのない企画も珍しい。講演者のメンバーをよくここまで集めたね……。

これらの感想には、部分的には同意する点もなくはない。私たちの企図は次のようなところにある。死刑の問題は、社会の表層で語られれば語られるほど、煽情的・煽動的なものになる。むごい犯罪があって死者が生まれ、それを実行した特定の人物がいる以上、その人間は自らが犯した犯罪の質に対応した「応報」の処罰を受けなければならない。死刑制度が存在しているからには、それを甘受するのだ――この「論理」が、ただひたすら尊重されて、現在のこの社会における犯罪報道・裁判報道はなされている。「世論」は哀しい。メディアのこの煽動に鼓舞されて、形成されてゆく。だが、ひとたび、文学・映画・演劇など人間が(創造者として、またその受けてとして)育て上げてきた芸術の分野に目を移すと、そこでは人間社会にあっては避けて通ることのできない問題として、犯罪・罪と罰・死刑・贖罪・転生・再生などの問題が扱われている場合がある。紙幅がないから、例は挙げない。誰もが、何点かの作品名を挙げるに違いない。それこそ、私たちが掘り進めるべき道だ。

読書なら、ひとりひとりの個人の努力と探究の範囲内で、或るテーマについてまとめ読みすることは可能だ。映画はそうはいかない。重たいテーマに関わる映画週間など、このカルーイ時代においては、他人任せでは実現不可能だ。やってみようということで、今回の実現に漕ぎつけた。深く、広く、問題の根源に立ち戻って考える契機をつくりたい。

震災と津波が生み出した大量死と、原発事故が招き寄せている計測不可能な数の近未来の死をこんなにも目撃せざるを得なかった悲劇的な年の終わりに、私たちがこの社会に見たのは、次の光景だった。15年前後前、間違った宗教的信念に基づいて大量殺人を犯した宗教集団メンバーに関わる死刑事犯の審理が終了し、すべて死刑確定者になったからには、その「教祖」から直ちに死刑を執行すべきだとする世論煽動である。

仮りに対象が凶悪犯罪者であれ、その「死を待望する」言論の台頭という雰囲気はいかがわしい。「いやな感じ」だ。別な考え方があり得るよ、と提示する基本的な作業だ。ぜひ、多くの方々に劇場まで足を運んでいただきたい。(1月26日記)

死刑映画週間――「死刑の映画」は「命の映画」だ――に寄せて


『図書新聞』3048号(2012年2月4日号)掲載

特定の監督や俳優を回顧するための映画週間や、あるテーマを掲げてそれに関連する映画をまとめて上映する企画というのは、ありがたい。一映画フアンとして、そう思う。見逃していた作品や、もう一度観たい映画というものは、必ずあるからである。今回、私たち(死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90)は、渋谷ユーロスペースの協力を得て、「死刑映画週間――『死刑の映画』は『命の映画』だ」を企画した。その企図と内容を簡潔に説明したい。

敗戦後、日本というこの国は「戦争放棄・軍隊不保持」を、憲法を通して世界に向かって誓った。国家は、長いこと、戦争行為と死刑制度という二本柱に基づいて、「人を殺す」をいう権限を独占してきた。個人にも国家以外のいかなる集団にも法律的に認められていない行為が、なぜか、国家にだけは許されてきた(きている)歴史を、いまだ人類は断ち切ってはいない。1947年、日本国はそのうちの一本の柱を放棄したのである。国家権力を成り立たせている(と信じ込まれている)秘密の鍵を、いったんは捨てたのだ。画期的なことである。当然にも、1950年代の戦後精神史のなかでは、「戦争放棄と死刑廃止は同じ」とか「前者を放棄して、なぜ後者を廃止できないか」との議論が熱心に行なわれた。だが、一九四八年「死刑は合憲」とした最高裁大法廷の判例もあって、戦後民主主義は死刑という「負の遺産」を克服し得ないままに現在に至っているのである。肝心の「戦争放棄・軍隊不保持」という、世界に対する公約もすぐに踏みにじられてきたことは、言うも悲しく、腹立たしい現実である。

世界の現状を国家の枠で見る限り、戦争放棄は、まだまだ遠い願望だ。戦争廃絶・軍隊解体に向けた個人・小集団・諸地域の努力が続いていることが、か細い希望の根拠だとしても。それに比べると、死刑廃止は「現実化」している。200ヵ国近い世界の中で、その3分の2の国々では、制度的に、あるいは実質的に、死刑は廃止されている。刑罰としての非人道性と非有効性に気づいたからである。EUが、死刑を廃止していることを加盟に必須な条件としていることもあって、日本で尊重される「産業先進国」という基準で言えば、死刑が存置されているのは、日本および米国(の一部の州)だけである。死刑制度を存置していることで、日本は「国際的に孤立している!」のである。欧米的な価値基準に基づいた「人権ランキング」で、常に最下部に位置する中国や朝鮮民主主義人民共和国と、その意味では「肩を並べている!」のである。

日本社会では知られていないこの現状がどんなことを意味しているかということを、関連する映画の連続上映を通して考える機会を得たい/提供したいというのが、今回の企画意図である。総理府が死刑に関する世論調査を行なうと、80%以上の人びとが死刑制度の存続を認めているとは、よく報道されるニュースである。設問の設定の仕方にも問題はあるだろうが、私たちは、「犯罪」やそれに対する刑罰としての「死刑」の実態をどれほど知ったうえで、この種の質問に答えているだろうか。凶悪犯罪の直後に世論調査を行なえば死刑支持率は上がるだろう。深刻な冤罪事件が明らかになった直後の調査なら(霞が関の行政官庁がそんな時期を選ぶはずもないが)、死刑支持の「世論」は急降下するだろう――人は、そんなふうに「迷いながら」生きている。どんなテーマにせよ人が佇む「迷い」や「惑い」の世界をよく描いてきたのが、文学や映画などの芸術だ。

今この社会では、ドストエフスキーの文学が若い読者の心を捉えているというが、彼の作品からは、犯罪・罪と罰・死刑・贖罪・再生など人類普遍のテーマがあふれ出てくる。その作品を深く理解するなら、犯罪も死刑も、他人事のように論評したり極刑を扇動したりするだけのテーマであることをやめ、迷い・苦しみながら自ら考え抜き、次の課題に繋げる問題であることが見えてこよう。

読書と異なり、個人の力では簡単にアクセスできない映画の分野で、この問題を考える機会を集団的につくること――初めての試みである今回は、内外から10本の作品を選んだ。上映期間は一週間だが、毎日1回ゲストを招き、映画や死刑に関する思いを語っていただくというプログラムも工夫した(詳しくは、別表を参照)。私たちの手元には、このテーマでなら上映が可能な作品リストが、まだまだある。2回、3回とこの試みが持続できるよう、大勢のみなさんが劇場を詰めかけてくださることを、こころから望んでいる。詳しくは、http://www.eurospace.co.jp/

広がりゆく死刑囚の表現活動――第7回死刑囚表現展をふり返って


『出版ニュース』2011年11月上旬号掲載

「死刑廃止のための大道寺幸子基金」が行なう「死刑囚表現展」は、今年で7回目を迎えた。応募の締切りは7月末日だったが、この時点での死刑確定囚は120人、未決の人は39人だった。そのなかから、文章表現では12人から、絵画表現では14人からの応募があった。双方に応募したのは3人だったから、実質23人が応募したことになる。総数の中から1割5分程度の人びとの応募があるという数字が、比率的に高いのか低いのかは分からない。表現展を運営している立場から言えば、はじめての応募者があるのもうれしいが、毎年のように応募する人が複数存在していることに、この表現展の試みが根づきつつあることの証しを見るのは早計だろうか。また、毎年のように応募してきた人から作品が届かないと、それはそれで気になることでもある。運営に当たる私たちも、こんな風に、気持ちの微妙な揺らぎをおぼえながら、締切り日を迎えるのである。

文章作品は、原稿用紙に書く人もいれば、レポート用紙、便箋、はがきなど、さまざまな形で書かれて、届けられる。それらを複写して、選考委員(加賀乙彦、池田浩士、北川フラム、川村湊、坂上香の諸氏に、私・太田昌国)に送るのだが、今年はそれを積み重ねた厚みが40センチほどになった。たいへんな分量である。選考委員は9月初旬に開かれる選考会議までにそれらを読み込まなければならない。絵画作品は選考日当日に、壁に掛けたり机上においたりしておく。今回から、新しい風を吹き入れてもらうために、一度限りのゲスト審査員を迎えることにした。今年は、精神科医の香山リカさんにお願いした。

昨年の第6回目くらいからだろうか、公表時には匿名にしてほしいという希望が応募者から寄せられるようになった。加害者である自分が書いた文章が、万が一にも被害者の遺族の目に触れることを憚る気持ちから、また、犯行時および公判時にメディアと世間から非難と好奇の注視を浴びた加害者の家族が、自分の表現を通してふたたび世の中にさらされることを避けたい気持ちからくる要望だという。運営会としては、いまのところ、この希望に沿うことにしている。以下の文中で、筆名らしきものが散見されるのはそれ故であるが、この問題については後で触れる。

さて、今年の応募作品すべてについて万遍なく触れることは不可能だが、主として、誰にも共通の問題を引き出すことができると思われる作品に触れながら、中身に入っていこう。

初めて応募した方だと思うが、「人生記」(高橋義博氏)と題する作品があった。私は、死刑囚の作品だからといって、自らが起こした事件について必ず触れなければならないとは思わない。今までの選考過程での討論を思い出すなら、これは、選考委員に共通の考え方だと思う。しかし、「人生記」と銘打って、自分が歩んできた人生を確かにふりかえっているという調子で叙述を行ないながら、ついに最後まで事件そのものには触れないのでは、少なくとも他者に読ませるものとしては成立し得ないだろう。これは、実は、7回目を迎えた今回まで、異なる人びとの作品でありながら繰り返し現われる共通の性格のひとつである。もちろん、一般論としては、自らが手を染めてしまった犯罪や手酷い失敗、過ちを率直にふりかえり、その事実に向き合うことは、誰にとっても容易なことではない。だが、応募する人は、自らの内面を表現してそれを他者に読ませる(見せる)という場所に進み出てしまった。そこでなそうとする表現において肝心な部分に触れないのでは、自分は根本の問題から逃げていると自覚せざるを得ない時が、必ず来るだろう。従来も同じような指摘を行なった場合が幾度かあったが、その人が次回も同じテーマで応募してきたときには、表現内容に格段の違いが見受けられることがあった。その意味で、この作者の場合でも、ここを出発点にしてさらに深みのある作品に挑んでいただきたいと思う。

「デッドライン」(露雲宇流布氏)は、「荒唐無稽な」と形容したくなるような、これまた典型的な作品である。従来なら、主人公は男女を問わず腕っ節が桁外れに強く、主人公の周辺では法外な額のカネが常に出入りし、彼(女)らは飛び切り高額な酒や食べ物を日常的に飲食している――という形で、その「荒唐無稽さ」が表現される場合が目立った。男が主人公の場合には、その「マッチョ」ぶりも半端ではない。このような場合は、現実社会の中での価値意識としての「強欲資本主義」の姿が、自己批評もないままに、描かれているのだろう。「デッドライン」の場合は違う。或る死刑囚の死刑執行まで余すところ二四時間を切ってしまった段階で、物語が動き始める。時間的に切羽詰った状況の設定は、効果的な場合はもちろんあるが、ここではどうか。死刑囚の冤罪を確信した新聞記者が動き出す、妻や娘が死刑囚と面会する、そこに件の記者も同席する――それは、もちろん、すでに触れた執行前二四時間の時間幅の中で、である。現代日本の死刑囚処遇ではあり得ない設定が、こうして次々と出てくる。日本が不動の場所(舞台背景)である必要はないから、「どことも知れないどこか」の物語として成立するなら、それでもよいかもしれない。しかし、あまりにも無前提な条件設定は、読み手を白けさせる。どこにもない(あり得ない)物語を説得力ある形で作り上げるには、相当な力技が必要である。筆力のある作者だけに、次回はひと工夫もふた工夫もしてほしい。

「繋ぐ手」(風間博子氏)が孕む問題も根が深い。問題のひとつは、警察・検察の取り調べ状況を含めた司法のあり方に関わっている。作者は、この裁判では利害関係が相反する共犯者の供述が唯一の証拠となって、自分が故なく死刑判決を受けていると主張しているのだが、その主張の当否をとりあえず脇に置くとしても、その「証拠」自体を検察側は全面開示していないのである。このかん死刑囚の表現を読み続けてきて思うのは、「調書」の作られ方と「証拠」の限定的な開示方法に、いかに重大かつ深刻な問題があるか、ということである。「限定的」といえば聞こえはいいが、検察側に不利で、被告・弁護側には有利な証拠は隠して開示しないのだから、不当極まりない話である。「調書」と「証拠」に関わるこの現実が大きく改善されて、公正・公平なものになるだけで、死刑裁判に関わる部分冤罪はもとより、冤罪そのものをなくす道に繋がるのではないかと強く思う。もうひとつの問題は、当然のことだが、作者が書いた方法に関わっている。作者は、娘の視点から母である自分を描くという方法を採用している。端的に言って、これは自己内省の仕方を甘くしたと私は思う。地の文章との均衡を失するほどに、法廷文書や新聞記事がたびたび引用されているが、それは、娘の立場からはよく見えない事態を説明する道具として使われている。自分自身の内面との対話を避けて、公的文書に説明を委ねたところに、この作品の弱点が集中的に現われているのではないか。「共犯者」とされる元夫によって、過去ドメスティック・バイオレンス(DV)を受けていたことから追い詰められていく心理の切開も、そのぶんだけ弱まっていると思える。作者は、昨年は絵画数点を応募して、「博愛」「無実という希望・潔白の罪」の2点は優秀賞を獲得した。あの絵画作品に見られた凝視力を思い起せば、文章作品においても、その力を生かす方法は確実にあるだろうと思う。

以上で取り上げた3つの作品からは、作者が匿名を希望したか、実名で参加しているかは別として、冒頭で触れた匿名問題とも関わる事柄を取り出すことができるように思える。冤罪事件でない限り(部分冤罪であっても、全体的な行為の一部における罪を意識せざるを得ない限りにおいて)、加害者が、被害者遺族のふだんの思いや、自らが何らかの表現を行なった場合にそれに対する遺族の反応を意識するのは当然のことであろう。だからといって、自らの本名(正体)を隠して表現する道を選ぶ限りは、自らがなした過去の行為をふりかえるという意味では、自分の表現がいまだ被害者の視線に堪え得る段階には至っていないことを自己告白している場合もあると思える。私は、今後とも匿名での応募は認められるほうがよいと考えるが、こと被害者および被害者遺族との関係においては、上に述べたことを意識し続けることが、応募者には求められると思う。

この問題が、端的かつ直截に表現されるのは、ことばをぎりぎりの地点にまで刻み込んだ短詩型の分野である。今年も、常連の、西山省三氏の俳句、響野湾子こと庄子幸一氏の俳句・短歌・雑感に、それが見られた。前者は寡作だが、後者は量産である。響野氏からは、短歌三六五首、俳句百句、雑感一二編が、巧みな筆さばきの原稿で送られてきた。自らが為したことについての響野氏の悔恨の念は深い。だが、判決文にある、被告についての断定的表現は厳しいものであったようだ。

改悛も矯正も不可能と 言われたる 判決書面 日に一度読む

寝る前に今日得た悔を 積み置きぬ 矯正不能 と言われし身なれど

それでも、作者は、悔い改めの「努力」を続ける。

言霊はあると信じて殺めたる 女を想いて 西向きて祈る

殺めたる帰りに乗りし 電車には 顔無き人の 瞳が照りてゐた

しかし、どんなに「努力」しても、その思いが、被害者に、その遺族に、ましてや野次馬でしかない「世間」にどう届くものであるかは、覚束ない。そのことを思い知った作者を、虚無感が襲う。

贖罪てふ知的努力に 疲れきて 獄舎の闇に 馴染みゆく虚刻

「贖罪」を「知的努力」と称したのは、作者の自己韜晦であろう。一年間に詠まれた短歌を、こうして任意に取り出してみると、万言を費やす文章とは別な方法で到達できる次元があるのだと確信できるように思える。「次元」は、この場合、「高み」といってもよいかもしれない。この人の作品には、例年のように寺山修司との「交感」関係が見られるように思うが、他にも幾人かの文学者・芸術家・反逆者との、想像上の「交感」が繰り広げられていく。このような人が、獄舎の闇にいて、時折り「虚刻」に陥っていくのは、そして次第にその境遇に馴染み親しんでいっているのは、〈外部〉にある社会との相関関係において、である。その地点で、〈外部社会〉の責任が生まれるのだと私は考える。

先だって、死刑制度廃止運動を共に担うひとりの友人が、病を得て獄中の病舎に収容されたまま十分な医療的措置も受けられずにいる死刑囚に関して、獄中に閉じこめておくのは「もう、ほんとうに、これ以上は必要ない」から獄外で十分な治療を受けさせよ、という趣旨のことを書いていた。「もう、ほんとうに、これ以上は……」という表現にはこころがこもっていて、私の胸をうった。獄中者を日常的処遇の厳しさにおいて痛めつけたうえで、長期拘留者の釈放など論外といった日本社会の刑罰制度の現状は、決して世界に普遍的なものではない。さしあたっては、政治囚の領域のことになるが、軍事政権下の韓国で死刑判決を受けたこともあった金大中氏は、民政移管後の選挙において大統領に選出された。アパルトヘイトという名の人種差別制度に叛逆して終身刑の獄にあった南アフリカのネルソン・マンデラ氏は、アパルトヘイト廃絶後の選挙で大統領に選ばれた。現在のウルグアイ大統領、ホセ・ムヒカ氏は、一九六〇年代には都市ゲリラ活動で逮捕されて獄中にあったが、獄に向けて外部から掘られたトンネルを伝って脱獄した経験の持ち主である。その彼が、およそ四〇年後には選挙によって大統領に選ばれたのである。ある時代状況の中で「罪」を犯し、「刑罰」に服している人も、価値観の変化によっては、これほどまでに劇的に、担う役割を変えることができる。むしろ、それが世界に普遍的なあり方である。一般刑事犯の場合にも、犯した犯罪をめぐっての内省的な捉え返しがどこまでできているかを基本的な基準として、刑罰のあり方に関しての再検討がなされるべきであろう。私たちの社会のあり方がそこまで成熟するには、なお長い時間を要するだろう。死刑囚が行なう表現が、「罪と罰」をめぐる一般社会の把握の仕方に変革を迫るだけの訴求力を持つよう、私はこころから望んでいる。

「贖罪」の問題を糸口に話が逸れたが、ことは表現展の根幹にも関わることがらだと思えたので、あえて触れてみた。文章ジャンルでの今回の受賞者は、以下の人びとに決まった。星彩氏の「メモリーず」に奨励賞。河村啓三氏の「落伍者」に優秀賞。西山省三氏の俳句2句「汗かきて 我れも少し蒸発す」「雪消えて 元の太さの鉄格子」に努力賞。響野湾子氏の表現全体に持続賞。

最後に、絵画部門の作品に簡潔に触れよう。毎年のように、発想の自在さと表現方法上の工夫で楽しませてくれる松田康敏氏の「生死の境」が、変わらず、おもしろかった。A4用紙を20枚貼りあわせた大きさである。観る者が解釈する余地をいっぱい残してくれている作品からは、対話が生まれる。その意味でも、今年も随一の作品だった。北村孝紘氏の絵画3点は、いずれも「無題」だが、一つ目のテルテル坊主の首に縄が掛けられ、吊るされている作品には、観る者をしてギグッとさせる迫力、怖さがあった。謝依悌氏が描く世界にはますます深みが増していることが感じられた。

絵画部門の受賞者は以下の通りである。松田康敏氏の「生死の境」に奨励賞。北村孝紘氏の「無題」2点に努力賞。常連となっている謝依悌氏の3点の作品には奨励賞である。

絵画をめぐっては、10月8日に開かれた死刑廃止デー企画の一プログラムとして行なわれた表現展シンポジウムにおいて、選考委員の北川フラム氏から印象的な発言があった。応募者が、制約の多いなかでギリギリの表現を行なおうとしていることはわかるが、次の段階へと飛躍するためには、粘土を使ったり料理をしたりする手仕事が重要だ、粘土を差し入れすることはできないだろうか――という趣旨の発言である。これを実現するために、獄外からどんな働きかけができるのか。それは、今後の私たちの課題となろうが、ここでも日本との対比ですぐに思い出すのは、外国での受刑者処遇のあり方である。私がかつて調べたのは、1970年代軍事政権下にあった南米ウルグアイと、民政下ではあったが同じ時期のペルーにおける政治犯処遇の実態に関してであった。以下の説明は、両国に共通するものと理解していただいてよい。収容されていた人自身の報告によるものだから、信頼はできよう。それによると、政治犯は獄中での集団的生活が許可されている。演劇集団をつくり、集団的討論を通してシナリオを創作することも、獄内公演に際しては楽器を持ち込んで伴奏し、大きな壁画を描いて背景とすることも認められている。党派によっては、獄壁に大きな字でスローガンを描いている場合もある。集団で料理をつくることも認められているから、誰かの誕生日にはパーティ料理をつくり、みんなで楽器演奏や歌を楽しみながら、祝うことも可能だ。

これが、過酷な独裁政治が行なわれていた時代の、一部の国々での獄中の現実だった。もちろん、厳しい獄中処遇を行ない、政治犯に対する死刑執行を次々と行なっていた国家体制もあった。しかし、少なくとも、右にあげたような実例も存在した。ここには、人間存在に対する基本的な肯定感情があるように思える。仮に「罪」を犯した人がいたとして、その人が「自己回復」を図ることができるのは、どんな条件の下においてなのかと考えるうえでのおおらかさが感じられる。軍事独裁下にあってすら――という点が大事だ。

寄せられた死刑囚の作品に触発されて、何ごとかを思いついても、この国=日本では、即座に高く厚い壁に突き当たる。閉ざされた集団主義と強制力のある同調主義が支配するこの国で、この閉鎖性と同調圧力をどのように打破できるのか。課題は遠大だ。

「壁の高さ」に触れたので、唐突のようだが、「廃炉アクション福島原発四十年実行委員会」の武藤類子さんが、去る9月19日の「さよなら原発」6万人集会で行なった訴えの末尾の文言を引用して、この文章を終えたい。それは、この年が「3・11」の悲劇を迎えた年でもあって、私たちは否応なく、生命を見つめなおしながら「震災と死刑」(『年報・死刑廃止2011』総タイトル。インパクト出版会)が孕む問題の再考を迫られているからである。武藤さんは、相手側の高い壁に対抗する道に触れて、こう語った。

「真実は隠され、県民は核の実験材料にされ、棄てられたのだ。私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼。どうか福島を忘れないで。原発推進が垂直の壁ならば、限りなく横に広がり繋がり続けていくことが、私たちの力。その手のぬくもりを広げていきましょう。」

(10月18日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[17]大量の被災死/未来の「死」を準備する放射能/刑死


反天皇制運動『モンスター』19号(2011年8月9日発行)掲載

困難な諸懸案に直面しているはずの民主党の政治家たちが、驚き呆れるほどの停滞と劣化ぶりを示しているなかで(自民党・公明党については、言うも愚かで、論外)、実に久しぶりに、政治家の、考え抜いた発言を聞いた。それは、最後の死刑執行から1年目を迎えた7月28日付読売新聞のインタビューに答えた江田五月法相が発したものである。江田とて、他の諸案件に関しては、菅直人の「現在」を支える役割しか果たしていないが、このインタビューで、江田は次のように語っている。

「人間というのは理性の生き物なので、理性の発露として、(死刑で)人の命を奪うのは、ちょっと違うのではないか。(死刑の)執行が大切だということも一つの国家の正義で、そのはざまで悩んでいる」「3月11日(の東日本大震災)があり、これほど人の死で皆が涙を流している時だ。(死刑執行で)命を失うことを、あえて人の理性の活動として付け加えるような時期ではないと思う」

1年前、千葉景子法相の指令に基づいたふたりの執行直後、確定死刑囚の数は107人だった。この1年間で新たに16人の死刑が確定し、3人が病死しているから、現在の確定者は120人で、過去最多の数字である。また、この間制度化された裁判員裁判では一審段階で、少年に対するものも含めて8件の死刑判決が出ており、うち2件では被告による控訴取り下げが行なわれて、死刑が確定している。状況的には、一般市民が参加した法廷で下された判決を基にして死刑が執行されかねない事態が、すぐそこまできているのである。死刑制度が存在している社会において、検事の求刑に応えて「職能」として死刑判決を下すのは裁判官だけであった時代は終わりを告げ、複数の「市民」がひとりの「市民」を死刑に処するという判断を「合法的」に行ないうる時代が、私たちの心性の何を、どう変えることになるか。それは、軽視することのできないほどに重大なことだと思える。

このような現実を背景におくと、江田が踏み留まろうとしている地点が、よく見えてくる。欲を言えば、震災による大量死との関係で死刑への思いを語った後段の発言は、より詳しく展開してほしかった。この問題については、江田とはまったく異なるが、私なりの捉え方がある。自然災害としての地震・津波と、人災としての原発事故に対する国家(この場合は、=政府)の政策を見ていると、その無責任さと冷たさが否応なく痛感される。国家(=政府)は、人びとの安全な生活を保証してくれる拠り所だという「信仰」が、人びとのなかには、ある。そうだろうか、と疑う私は、最悪の国家テロとしての戦争を発動し外部社会の他者(=敵)の死を望み/殺人を自国兵士に扇動し命令できること、死刑によって内部社会の「犯罪者」を処刑できること――に、国家の冷酷な本質を見てきた。国家は、個人や小集団を超越した地点で、なぜ他者に死を強いるこの「権限」を独占できるのか。この秘密を解くことが、国家・社会・個人の相互関係を解明する道だと考えてきた。

しかし、人に死を強いるうえで、もっとさりげなく、〈合法的な〉方法がある。それを、私は、被災と放射能汚染に対する現政府の無策と放置に感じ取っている。これは、特殊に現代日本だけの問題ではなく、世界じゅうの国家(=政府)が抱える問題に通底するものだろう。これは、おそらく、現在のレベルで行なわれている〈政治〉の本質に関わってくるものだと思える。

1年前にふたりの死刑執行を命じた千葉景子元法相も、選挙区であった地元の神奈川新聞のインタビューに応じている(7月28日)。死刑廃止の信条に矛盾する決定をしたが、それは、刑場公開や死刑制度に関する勉強会の設置など一つでも進めるためには法相としての責務を棚上げにはできない、死刑問題を問いかけるためには決断が必要だった――との見解を示している。死刑制度の是非を問いかけるために、ふたりを処刑したというのが、詰まるところ、千葉の弁明の仕方である。この弁明が通用すると千葉が誤解しているところにこそ、国家が行使しうる権力の秘密の鍵が隠されている。

国家に強制される死に馴れないこと。生み出された大量の被災死と、未来における〈死〉を準備している放射能が飛散するなかで、そう思う。(8月6日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[8]検察特捜部の「巨悪」の陰に見え隠れする、日常不断の検察の「悪行」


『反天皇制運動モンスター』9号(2010年10月5日発行)掲載

この六年間、死刑囚が獄中で行なう「表現」に触れている。

「死刑囚表現展」の運営と選考に私自身が携わっているからである。

書、絵画、俳句、短歌、詩、エッセイ、フィクションおよびノンフィクションの中長編――何かにつけて制限の多い獄中にあって、さまざまに工夫を凝らした表現が届けられる。ここでは、ノンフィクションの作品に孕まれている問題に限って、いう。

自らが関わった事件をふり返り、犯罪の様態を含めて詳しく書き込んだ作品が送られてくることがある。

なぜ、あのような残虐な行為に、自分が手を染めたのか。悔恨は深い――そのような作品もある。

書かれてあることの「真実性」如何は、肝心な箇所での表現方法や全体的な筆致から判断するしかないが、それにしても、犯行の構成要素のひとつでも欠けていたなら!、と思わせられることがある。

犯罪の多くは、「必然性」によってではなく「偶然性」によって引き起こされると思われるほどに、あれか/これかの要件をひとつでも欠いていたなら、この人があの、目を背けずにはいられないような犯罪に走ることはなかったろうに、と思われるのである。

さらに印象的なことは、多くの死刑囚が「部分冤罪」を訴えていることである。

被害者は当然にも身を避けたり抵抗したりするわけだから行為それ自体の順序、絞殺などの手による行為の場合の被害者との位置関係、凶器の用い方、共犯者がいる場合にはそれぞれの「役割分担」、主導性と随伴性――いくつもの問題をめぐって、死刑囚は、警察・検察の取調べ段階で取られた調書では、自分の行為・役割・意図などが捻じ曲げられて表現されているという不満をもっている。

結果的に被害者を死に至らしめたとしても、それがいかなる経緯でなされたかということは「情状」問題に大きく関わってくることであり、また誰にせよ、自分がなした行為が曲げて解釈されることには耐えがたいものを感じるだろう。

加害者が自らの罪を軽減するために自分に都合のよい形で自己主張している、という捉え方は当然にもあり得る。

その点は、けっこう、用いられている言葉や文体によって推し量ることができるものだという感想はあるが、いずれにせよ、決定的な根拠にはなり得ない。

このことを前提にしたうえで、警察・検察段階での取調べの様態と調書の作られ方には、あまりにも深刻な問題が孕まれているということは強調しておきたい。

自分が関わった事件を記述する死刑囚の多くは、取調べ段階で、警察・検察が描いた通りのシナリオに嫌々ながら引きずり込まれていく心理を語っている。

そのシナリオをどんなに否定しても、怒鳴られ、こずかれ、蹴られ、殴打され、彼らのシナリオを認めなければ長時間の取調べが続いて、自暴自棄になるのだ。

あるいは、これを認めれば罪が軽くなるという甘言を信じたり、裁判で真実を話せば分かってくれるだろうと絶望感の底で思ったりしてしまうのだ。

このことは、警察・検察が犯し、それに無批判的に追随した裁判所によって引き起こされたいくつもの冤罪事件によって、夙に明らかになっていたことだ。

最近の例でいえば、足利事件の菅谷さんに過酷な半生を強いた責任は、警察・検察・裁判所の「共犯」にあったという、隠しようもない事実を思い起こせば十分だろう。

加えて、警察・検察は持てる権限と人員を最大限に活用していくつもの証拠物件を得ていくが、仮にそのうちのひとつが、自らが描いたシナリオを覆す場合には隠蔽してしまい、被告も弁護人もその存在を知らないままに裁判が進行して判決にまで至ってしまうというのが、日本の刑事司法の現実なのだ。

大阪地検特捜部の主任検事による押収物改竄事件は大きく報道され、当然にも、世間の関心を集めている。それ自体は、もちろん、許しがたいことだが、「正義の味方」=検察内部に、突然のように、異形の者が立ち現われたわけではない。

国家権力を背景にしてその権限を行使することに――巷の「愚民」からは隔絶した特権的なその地位に――「蜜の味」を感じてきた検察が、「国策捜査」ではない一般事犯においても日常普段に行なってきたことが、誰の目にも明白な形で明るみに出た、に過ぎない。

「大阪地検のエース」「割り屋」の前田某には、吉田修一の『悪人』が小説でも映画でも評判になっていることに因んで、このさい洗いざらい検察内部の悪行のすべてを暴露してせめてもの罪償いをしてもらいたいものだが、他方「愚民」である私たちには、検察「トップ」の巨悪だけに目くらましされることなく、警察・検察・裁判所が抱える構造的な問題にこそ目を向けるべきだという課題が課せられているのだと言える。(10月2日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[6] 国家論なき政治家の行方――死刑執行に踏み切った法相の問題


『反天皇制運動モンスター』7号(2010年8月3日発行)掲載

去る五月一九日午後、私は死刑囚の処遇改善を「直訴」する各種団体のメンバーのひとりとして、法務省内大臣室にいた。

一〇人ほどで千葉景子法相に面談するために、である。多忙を極めているという理由で、一五分間という制限時間があらかじめ設けられていた。

一〇人はそれぞれ、一分間で、死刑囚が置かれている劣悪な医療事情、開示されない医療情報、外部との厳しい交通制限……などの問題に関して、法相に検討するよう訴えた。

就任して以来その日まで、死刑執行命令書に署名していない法相のあり方に関して、肯定的に評価する気持ちを伝える発言もあった。

二〇分間で、面談は終わった。法相は一言も言葉を発することなく、熱心そうに耳を傾けているだけだった。

私たちの背後では、三人の法務官僚が、私たちの発言内容をしきりにメモに取っていた。

千葉法相就任以来、彼女が死刑執行を強く要請する法務官僚たちの、厳しい包囲網に囲まれているらしいという噂は、私たちのもとにも届いていた。

メモを取る背広姿の三人の男たちは、日々法相にかけられているらしい「圧力」を、無言のうちに象徴するものに違いなかった。

それから二ヵ月有余を経た七月二八日、他ならぬ千葉法相の指令に基づいて、ふたりの人に対する死刑が執行された。

怒りと哀しみは、深い。先の参院選挙で落選してなお、菅首相の要請に応えて法相の座に座り続けている法相への批判は、野党から出ていた。

メディア上でもその種の論調は多く見られ、とりわけ読売紙は、結果的に執行当日となった二八日付けの朝刊で、殺人事件被害者遺族の怨念に満ちた言葉の陰に隠れて、死刑確定者の執行(人殺し、と読め)を扇動する意図的な紙面造りを行なった。

法相を窮地に追い込む網がさらに狭まっていたであろうことは、想像に難くない。

ここでは、究極においては死刑制度廃絶をなお望んでいるらしい法相が、信条に反するはずの死刑執行に踏み切った事情の背後にあるものを推察することにしたい。

大韓航空機爆破事件の実行者・金賢姫の来日招請は、拉致問題担当相でもある中井国家公安委員長の主導で行なわれたものと思われるが、「テロリスト」の入国に問題なしとの結論を下したのは、千葉法相である。

罪と罰をめぐっての私の考えからすれば、偽造した日本旅券を行使し、百十五人を死に至らしめる航空機爆破を行なった人物といえども、自らの行為を内省し、悔やみ、贖罪の気持ちをいだき、新たな価値観に基づいた人生を送ることは保障されるべきである。

決定を下した当時の韓国政府の意図がどこにあろうと、いったんは死刑を宣告された彼女が「特赦」の対象となったことには、十分な意義があった。

韓国政府の決定が、単に、北朝鮮の出方を睨んだ政策的・戦術的な水準で、「転向者」を歓迎し利用するために選択されたものだとしても、それを越える本質的な問題領域を、刑罰論や国家論の形で設定し直すことはできる。

それは、日本においても同じことだ。だが、千葉法相は、本来ならば入国拒否対象者である金賢姫を特別招請する根拠を「拉致問題の解決を韓国政府と一体となって進め、国民にも改めて拉致問題の重要性を理解してもらう」という水準の、政策的なものに押し留めてしまった。

北朝鮮を出国して二三年にもなる彼女からは、拉致問題をめぐる新たな情報が得られるはずがないにもかかわらず、拉致被害者家族会と世論に迎合する安易な言い方に堕したのである。

このとき、北朝鮮との関係をいかに打開するかという、国家(=社会)のあり方をめぐる本質論は後景に退くしかなかった。

社会変革運動に携わる者が、世論なるものと対決してでも自らの理念と行動を選択しなければならない時があるように、政治家もまた、本来的にはそのような存在だといえる。

死刑廃止の理念を持つ者が法相の任に就いた時、制度を維持しようとする法務官僚や制度を容認するという85%もの世論に抗しうる力の拠り所はどこにあるのだろう。

それは、自分が行使し得る、国家を背後に持つ権限をめぐっての本質論から逃げないことだろう。

在野にあった時には、いくぶんか情緒的であったかもしれない気分から抜け出し、国家の名の下で人の命を奪うことが許されるとする死刑存置論を、国家論のレベルで論破できる根拠を自力で探ることだろう。

国家論なき政治家は、二国間軍事同盟問題でも、その根源的な解決の道にたどりつくことはなかった。死刑問題でも、問われるのは国家の本質論だ。