連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態(その2)

複眼の視点設定の提案

1999.1.8

戦争の記憶はどのように『捏造』されたか

 前回の「(その1)」の後半で紹介したNHK放送文化研究所による「調査分析」について、改めて評価を述べたい。

 実は前回「(その1)」を入力したあとで、メーリングリスト仲間の中に何人も NHKの職員がいることを思い出した。私の辛口は、われながら時として皮肉が過ぎることがあるので、今回を書き始める前に、 NHK放送文化研究所に電話して、担当者に挨拶した。その細部は省略するが、評価を述べると同時に、『NHK放送文化調査研究年報43』(1998)におけるこの研究のメインタイトル「戦争の記憶はどのように伝えられたのか」の方に、注文を付けた。「伝えられ」という部分は、「歪曲され」にも、「抹殺され」にもなり得るのである。その「複眼」の視点の発想を、今後に期待すると伝えたのである。

 表題のすべてを記すと、「戦争の記憶はどのように伝えられたのか~アメリカのテレビニュースにみる第2次世界大戦表現~」であるが、これは非常に貴重な労作である。私には、ホロコースト問題に関しては、当該研究者らの評価と意見を異にするところがあるものの、「非常に貴重な労作」という表現は、決して皮肉などではない。

 むしろ私は、ホロコースト問題を抜きにしても、この「調査分析」の存在を、昨年の開戦記念日の ETV特集を見て知った時には、いささか興奮した。このような手法による大規模な放送内容の調査分析は、私の知る限りでは日本では初めての、いわば画期的な放送研究の新局面を切り開いたものだからである。

 ただし、手法そのものが新しいわけではない。規模と調査の主体が違うのである。

 日本でも、すでに市民運動が先鞭を付けている。FCTと名乗る組織がある。子供に悪影響を与えるテレヴィ番組へのの母親を中心とする批判・抗議運動から出発したので、FCTは最初、Forum, Children, TV の頭文字だった。今では Cを Citizenの頭文字に読み替えているが、まだ組織の規模は小さい。

 FCTは、この手法をカナダに学んだ。 FCTが訳した『メディア・リテラシイ』には、隣国アメリカの電波が否応なしに家庭に飛び込んでくるカナダの特殊な事情が記されているが、そのアメリカでも、テレヴィ局の経営者に有無を言わさないようにする目的で、もっと大人数の組織が総掛かりで番組の暴力シーンをチェックしたりしている。

 私も実は、自分一人だけで、この手法に近いやりかたをしたことがある。その結果の総集編が拙著『湾岸報道に偽りあり』である。私は、湾岸戦争の勃発以前の危機の段階から、関係資料の収集を始めていたので、勃発と同時に、日本のテレヴィ報道のを放送時に見るか録画するかして、可能な限り目を通す決意をした。カセットデッキが一台しかないので、実際には、すべてとはいかなかったが、主な放送は見逃していない。

 活字メディアの場合は、あとで図書館に行けば何とかなるが、故中野好夫が「空中に消えるのをいことに[中略]知らぬ存ぜぬ」と皮肉った「NHKという名の公共放送」を筆頭として、電波メディアは、事後の検証逃れの空遁の術を胎児の頃から自然に身に付けている。「逃がすものか」と必死に追い掛け続けて、やっとのことで戦闘が中止された時には、目の充血が限界に達し、瞼が張れ上がっていた。

 そういう予備知識と自分自身の経験もあったから、 NHK放送文化研究所の「調査分析」の意義を評価する資格に関しては、人後に落ちることはないと自負している。

 私の「シオニスト『ガス室』謀略」批判は、当然、「ユダヤ人迫害」に関するアメリカでの報道には「歪曲され」た面が多々あるという主張になる。この面での私の主張と立場と、 NHK放送文化研究所の担当者のそれとは、相当に離れている。この違いを、いきなり全面的に展開するのは、まだ早い。稿を改めざるを得ない。

 なにしろ、この調査分析は、タイトルをもう一度全部記すと「戦争の記憶はどのように伝えられたのか~アメリカのテレビニュースにみる第2次世界大戦表現~」となるが、この項目だけでB5判ギッシリ106頁である。『 NHK放送文化調査研究年報43』(1998)の全体が303頁だから、その3分1を越える。主要項目5つの中でも最大の長文である。まとめの文章の「第4章/共有された被害体験・ホロコースト報道」も9頁ある。

 だから、今回は、この章の冒頭に記された目的についての記載だけを取り上げる。それは、次のような部分である。

「アメリカのテレビニュースで自国民以外の被害体験で多く伝えられたのが、ユダヤ人のホロコースト被害であった。ここでは、なぜユダヤ人の被害体験が多く伝えられたのか、その理由を探り、アメリカ国内でホロコースト体験が広く認識され共有化されていった経緯を明らかにする」

 こう記された目的を意識しながら、以後9頁の記述を読むと、残念と言うよりも当然と言うべきであろうが、そこには、シオニスト批判はもとより、ホロコースト見直し論の存在も、アメリカ国内の大手メディアでもかなり報道された議論も運動も、まったく記されていない。なんらの疑問もないかのように、アメリカにおけるホロコースト関連報道を、最初から事実に基づくものという前提で調査分析しているのである。

 私は、上記の「アメリカ国内でホロコースト体験が広く認識され共有化されていった経緯」という表現を振り返ってみて、途方もなく分厚いメディアによる一方的な「教育」の積み重ねという重圧を覚えた。その重圧が、ここでも、NHK放送文化研究所の担当者を一方的に「教育」してしまっているのである。

裏取りなし発表報道の典型という視点

 そこで、ホロコースト「体験」だけに止まらないメディア報道の基本的問題点を、ズバリ指摘する。それは何も難しい理論などではない。数多の冤罪報道が露呈した習性的な欠陥であり、簡単に言えば「裏取りなし発表報道」の積み重ねなのである。

 昨年末に亡くなった黒沢明監督の「追悼」放映の録画でモノクロ映画『羅生門』を見直した。原作の『藪の中』まで読み直す気はないが、4人の証言が食い違う殺人事件の物語である。巫女が呼び出す死者(犠牲者)の証言さえ信ずることはできないのだ。

 それなのになぜ、視聴者は「ホロコースト報道」を信じ、体験を「共有」してしまうのだろうか。ここに、大手メディアによる圧倒的な「報道」の基本的な問題点がある。

 まず、私自身のメディア「教育」体験を振り返ってみる。

 昨年10月15日に出版した拙訳・解説、ロジェ・ガロディ著『偽イスラエル政治神話』の「訳者はしがきの最初に、以下のように記した。

私自身も何も調べずに「明らか」と断定

 まず最初に正直に、私自身に関する告白をしておこう。

 拙著『アウシュヴィッツの争点』(96)に続いて執筆した『読売新聞・歴史検証』(97)には、旧著『読売新聞・日本テレビグループ研究』(79)を改訂増補した部分が多い。旧著をパラパラめくって見た際、まったく忘れていた記述に気付いて、いささか青ざめた。

 第6代読売新聞社長の正力松太郎がA級戦犯に指名された決定打は、労組が主導権を握る読売新聞の記事、「熱狂的なナチ崇拝者、本社民主化闘争、迷夢深し正力氏」だった。私は、その時代背景について、「当時は、ナチのアウシュヴィッツなどの大虐殺が明らかになり、ニュルンベルグで国際軍事裁判がはじまったばかりだった」と書いていた。

 私は、自分では何も調べずに「明らか」としていた。当時は、いわゆるホロコーストに疑いを挟む説があるなどとは、まったく思ってもみなかったのである。

 弁解がましいが、古代哲学以来の「人間機械論」に立つと、「疑い」情報入力なしには疑う思考は働かない。その意味で、1995年2月号の「ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事による『マルコポーロ』廃刊事件以後に関する限り、日本の知識人の科学的な思考能力は、問われざるを得ない。

 本来、「すべてを疑え」が科学的思考の原則である。私自身が疑いを抱き始めた経過は、すでに『アウシュヴィッツの争点』に記した。

 その後、記録によれば「1998年5月19日の開設」となっているが、戦犯として処刑された東条英機を主人公とする映画『プライド』への批判が話題となった際、わがホームページの中の「日本近現代『意外』史の城」に、「勅令『阿片謀略』の丸」を設けた。

 東条英機は、関東軍の総参謀長時代に、満州の東側のチャハルへの侵略軍を率いたのであるが、これは参謀としては越権行為なのだった。さらにこの侵略は、のちに蒙疆と名付けられる傀儡政権樹立の布石だったが、その主たる目的は阿片栽培地帯の獲得だった。

 初出は『噂の真相』(1989.5)。題名は「戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の中国『阿片戦略』の詳報」。レポーター・木村愛二(フリージャーナリスト)となっていた。

 執筆当時のフロッピ-から呼び出して、読み見直した時、またまた、冷や汗が出た。以下のようになっていたのだ。

「極秘」資料出現

 大日本帝国アウシュヴィッツのナンバーワンに数えられるべき「阿片戦略」は、東京裁判で告発され、判決文でも事実認定されながら、なぜその後、「抹殺」されたままになっていたのだろうか。

 そこで、わがホームページでは、ここに[注1]を付して、こう記した。

注1:この当時、私自身も「自分では何も調べずに」、「アウシュヴィッツ」を悪の象徴として記述していた。

 この「悪の象徴」という言葉は、「決定的なキーワード」と言い換えることもできる。最早、論証の必要がない「お札」であり、「葵の御紋の印籠」なのである。だから、ついつい、「正義の味方」を気取る時には、これを、高く掲げたくなってしまうのである。

 幸いなことに、『偽イスラエル政治神話』には、豊富な資料が盛り込まれている。初版の編集者としてガロディとともにパリ地裁の刑事法廷の被告だったピエール・ギヨームとは、法廷の前のロービーで並んで写真を撮ってきた。その写真をフランスで公開すると、また刑法にふれるというので、「日本でだけ」と約束していきた。ギヨーム自身が『歴史見直し論年代記』の著者でもあり、彼の何十年もの資料収集の成果が、ガロディに提供されている。

 その中には、「元収容者」であり、しかも、「フランスの第1級の歴史家」による自己点検の文章があった。

 以下は、『偽イスラエル政治神話』p.228.からの引用である。

「“ガス室”の知識の出所は戦後の“特集読み物”」

 ブッフェンヴァルトやダッハウの元収容者たちでさえも、このように念を入れて物語られる伝説によって、暗示を与えられてしまう。フランスの第1級の歴史家で、カン市分科大学の名誉学長であり、元収容者としてマウトハウゼン研究所のメンバーに加わっているミシェル・ドゥ・ブアールは、1986年に、つぎのように言明した。

《1954年に……提出したマウトハウゼンに関する専攻論文で、私は、2度にわたってガス室のことを書いた。その後に思い返す機会があって、私は、自分に問い直した。私は、どこで、マウトハウゼンのガス室についての確信を得たのだろうか?

 それは、私が、あの集中収容所で暮らしていた時期ではない。なぜなら、そのころは私自身も、その他の誰であろうとも、そんなものがあり得るなどとは想像さえしていなかったからである。だから、その知識の出所は、私が戦後に読んだ“特集読み物”だと認めざるを得ないのである。そこで、自分の論文を点検してみると、……私は、常に自分の確信の大部分を引用文献から得ているのだが、……そこにはガス室に関係する引用文献が明記されてなかったのである》(『西部フランス』86.8.2.& 3.)

 つまり、ドゥ・ブアールの場合、「戦後に読んだ“特集読み物”」の強烈な印象が、最早、検証の必要を感じない「記憶」になっていたのである。

 問題は、このような「記憶」の形成についての警戒心が、現代の「科学」幻想によって、ますます薄れがちだということである。これは実際のメディアの仕組みとは、まったく逆の幻想のなせる業なのである。この点を、私は、拙著『湾岸報道に偽りあり』の中で強調し、同書のp.54で、次のように記した。

 イギリス海軍情報部の将校としての経験を持つベテラン・ジャーナリストのドナルド・マコーミックは、リチャード・ディーコンのペンネームも使い、すでに50冊以上の著書を著している。情報機関についての著述は評価が高い。

『日本の情報機関』という題名の本もある。

 ディーコン名の『情報操作/歪められた真実』(原題『THE TRUTH TWISTERS』)には、次のような記述がある。

「過去40年間、マスコミ界ほど情報操作が効果的に浸透した分野は他には見当たらない。第2次世界大戦以前には、マスコミといえば新聞、雑誌、ラジオしかなかったのを考えれば、これは驚くに当たらない。今日ではこれにテレビとステレオ録音が加わったから、いっそうつけ入りやすくなった」

 テレヴィ漬けの一般大衆は、特に「つけ入りやすい」受け手である。

以上で(その2)終り。(その3)に続く。