連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 (その20)

「良心」か「悟性」か、ともかく「論理」が必須

1999.7.23 1999.7.19.mail再録・増補。

 インターネット上での情報収集、情勢分析のためにも役立つと思える分かりやすい文章の記事がありましたので、ご紹介します。

 ここで「良心」と名付けられている精神現象、または倫理的規範についての私見は、記事の全文を紹介した後に述べます。


日本経済新聞(1999.7.19.夕刊)
「健康生活」頁の連載「ココロジ-」欄

良心

日ごろから是々非々で

 銀行や証券会社の旧役員が、業務上の決裁に関して逮捕されたのが記憶に新しい。会社に対しても誤りを正せる判断と良心が要求されているわけだ。

 社会心理学的に、良心の発揮を妨げるもっとも大きな要因は同調性である。他者と同じ行動をしていると安心でき、他者と異なる行動をするのには勇気がいる。これを同調性という。他の人が「白だ」と口をそろえて言っているものを「黒だ」とは言いにくいものなのである。

 疑似コンセンサス効果という現象がそれに輪をかける。これは何人かの人が「白だ」と言い、それ以外の人が黙っていると、黙っている人たちも「白だ」という多数派意見に思えてくるという心理的錯覚だ。

 自分に黒く見えるものを「黒だ」と言いうるためには、いくつかの条件が必要である。まず、自分の判断への自信である。それには、自分の仕事の周辺で判断能力を鍛える姿勢を日ごろから維持し、自信を養うことが必要となる。

 次に、自他の被暗示性についての認識と警戒が必要である。だれでも暗示に影響されるものだが、他者からよく思われたいという欲求(承認欲求)が強い人や、認知能力の低い人は被暗示性が強くなる。また、会議の場所や出席者の顔ぶれによって被暗示性が高まることもある。目分自身の被暗示性を目覚し、割り引いて考える習慣が必要だ。

 さらに、自分自身の職業的役割は、同僚の判断に盲従せず、自分の判断を提供することだという役割認知が必要となる。十人中自分一人の意見が異なるときに、それを口にして他者の参考に資するのが、自分の職務だという態度である。そのためには日ごろから是々非々の態度を養っていなければならない。

 さらに、そのような役割認知を一般化した自己概念の形成が必要である。良心の自覚とでも言おうか。自分自身の良心がとらえた問題は、誠心誠意発言するのだという自負である。

 本来、職業上の役割や良心は、個人としての良心を前提にして存在する。上意下達を黙認する「宮仕え」的な職業観は、封建時代の名残ですらない。

 そのためには、袂(たもと)を分かって会社を出る覚悟が必要なこともある。能力主義が行き渡れば、そういう事情で袂を分かっても口を糊(のり)するのに、困ることはない。これまで日本の労働市場が非能力主義で、「所属主義」とでもいえるような状態だったことが、イエスマンの優遇を生んでいたとけえる。

 取締役会などの合議の最高意思決定は、個人として良心をもち、職業的見識と良心を備えた人が腹蔵なく話し合った結果を意思決定とするところに本来の機能と目的があるのだ。

(東洋英和女学院大学教授・岡本浩一)


 ここで「良心」とされている精神現象について、私は、その表現の倫理的規範としての意味の古さを嫌い、「知性」や「理性」を超える「悟性」(手元の安物辞書では「(哲学)人間の認識能力の一つ。論理学的な思考力。特に理性と区別して、経験界に関する知性)を採用し、その「論理学的な思考力」の新しい位置付けを提案しています。

 このことを、すでに私は、あるメ-リングリストで、私にジャレてきた某法学教員に対する注意として、簡略に記しました。彼がジャレてきた根拠は、「ガス室」妄想なのですが、この妄想こそが、上記の記事の「同調性」「疑似コンセンサス効果」「心理的錯覚」「被暗示性」による「同僚の判断に盲従」現象の典型なのです。しかも、日本の自称平和主義者、自称文化人の中にも、いわゆる暗記秀才の優等生型が多くて、そういう人々は、丸暗記はとても上手なのですが、実は、「他者からよく思われたいという欲求(承認欲求)が強い人や、認知能力の低い人」でもあるので、かなり重い症状の「論理学的な思考力」欠如の結果としての「ガス室」妄想患者になってしまうのです。

 この場合、「認知能力の低い人」を、単純に頭の悪い人と解釈してはなりません。「知性」「理性」の基準で計ると、非常に優秀な人が、実は、まるで世間知らずで、現実に対する「認知能力の低い人」でもあり得るのです。この点で、最近、実に面白い発言を聞きましたので、それを簡単に紹介しておきましょう。

 1999.7.17.あるユーゴ問題の集会で、最後に指名されて客席から前に出た某経済学教員が、ユーゴの西欧寄り文化人の実態を紹介する前提として、大略、以下の主旨のことを語ったのです。

「知識人は、誰かが言ったり書いたりしたことを論じながら、だんだんと空想の世界に入り込む」

 この傾向は、しかし、いわゆる情報洪水の中で、知識人だけではなく、ほとんどの経済大国の庶民にも及んでいると見るべきでしょう。この「情報過多」、しかし、実は「無知蒙昧」と選ぶところのない状況を、悲劇的あるいは喜劇的に増幅する最大の戦犯、または国家独占資本の先兵は、戦前でさえ、軍人よりもむしろ、大手メディアことマスコミ業界、および、教育界ことアカデミ業界だったのです。

 以上の「良心」に関するmailは、次の先行するmailを踏まえています。


Re:ネオナチ文献&謀略論

1999.7.8.[aml 13010]mail再録。

([aml 12998]で、私に「ネオナチ文献&謀略論」などとジャレてきた前田法学教員への注意)

 前田さんから、またまた返事を必要とする公開mailが出たので、この件での議論は管理人の小倉さんの立場も考えて控えていたものの、若干、お答えしなければ、新たな誤解が生まれる恐れありと判断し、短く述べることにします。

 まず、私の方の訂正で、学部までは覚えていなかったので、今後は前田さんを「法学教員」として記憶しますが、いかがでしょうか。

 なお、ついでに、先に前田さんが私の事を「学者嫌悪症」とされ、それに私が、「どの商売にも1%は信頼できる人がいる」という趣旨でお答えしたところ、前田さんがさらに「99%嫌悪症」かと書かれ、そのまま放置しておいたら、場外で、「99%嫌悪症も不味いですよ」との忠告を受けました。つまり、その忠告者は、私が「99%」の学者を嫌悪していると誤解したのです。私は、「学者を嫌悪する」などと書いたことはないのです。前田さんが、勝手に書いたのであって、詳しく言えば、なんでも「好きか嫌いか」で判断する最近の子供の小児病的習慣が、教える方の大人(でしょ?)に伝染したのでないでしょうか。

 次に、前田さんは、何人かの名前を挙げ、論争せよと言われますが、すでに記したように、狂信者と議論するのは時間の無駄です。すでにホームページなどで、彼らの誤りとその原因を明確に記しました。

 ついでに最近になって、新たに定めた人間の分類基準を申し上げて起きます。これは別に差別ではなくて、区別です。数理的天才のアインシュタインも神の存在を信じていたそうですから、宗教なしには生きていけない人が馬鹿だとは言えません。ただ、私が、その面での議論の相手としないだけのことです。分類基準は実に簡単なものです。ありきたりの言葉を、私の都合に合わせて、定義し直しただけのことです。

 手元の安物辞書によれば、

知性:物事を知り、考えたり判断したりする能力。

理性:物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力。

悟性:(哲学)人間の認識能力の一つ。論理的な思考力。特に理性と区別して、経験界に関する知性。

 詳しくは別途、わがホームページの内の『21世紀デカメロン』で展開する予定ですが、ここでは、最後の「悟性」の「論理的な思考力」だけを指摘しておきます。いわゆる狂信者には、これが欠けているのです。

 さらに、実は昨日、旧知の後藤昌次郎弁護士から、小人数の場で神戸少年事件の話を伺う機会を得ました。そこで、後藤さんは、「イデオロギーに囚われると真実が見えなくなる」という主旨の話をされました。まったく同感です。イデオロギー、または党派の(カッコ付)「論理」ほど、非論理的な危険をはらむものはありません。

 思い込みではなくて、冷静に事実を見ること、いわゆる虚心坦懐(先入観を持たず、広く平らな心で物事に臨む)の境地こそが、悟性の「論理的な思考」を可能とします。

 その意味で、前田さんが、私の「ガス室」問題の主張について、「ネオナチ文献に依拠するのを止めて、謀略論も控えて」と書かれたのは、全くの調査不足の思い込みで、あのインチキ社長の『週刊金曜日』による中毒症状の現れです。

 拙著を冷静に検討されれば、私が可能な限りの日本語の文献、当然のことながら、600万人のユダヤ人虐殺説に立つ資料に当たっていることが分かるでしょう。巻末の文献リストにも明記してあります。私は英語や仏語で仕事をしてきたわけではなくて、約27年半、日本語だけの労働組合運動、政党運動に没入してきました。ですから、西岡さんから多数の横文文献を提供された後に、その幾つかだけを原語で読み、つぎには、その裏取りの意味で、日本語の文献を総まくりし、そこに書かれた「ガス室」物語が矛盾だらけ、検証なしの状況を確認したのです。原語の文献のほとんどは、それ以後に見ました。試しに、この順序で、やって御覧なさい。「非」ネオナチ文献は、まったく支離滅裂なのですよ。

 さらには、この恐るべき大嘘に「犯行動機」としての「イスラエル建国」という大謀略を描かなければ、何のための「歴史見直し」なのか、ということになります。確かに複雑な問題ですが、前田さんも含めて(?)、私の「味方が着実に増えている」との感想も寄せられています。言論の自由さえ保証されれば、見直し論の先輩が多い欧米では、もっと急速に、そういう方向に向かうでしょう。

 私の手元には、昨年正月にパリで10日間も同じ宿で過ごし、何度も語り合ったフランスのフォ-リソン博士の見直し論の著作集、4巻で2000ページが届いています。表紙には「商業的流通外の私的出版」と記されています。その文字の列は、言論の歴史の画期を刻んでいるのです。


以上で(その20)終わり。(その21-1)に続く。


(その21-1) SWC-Blackmailに屈した小学館『週刊ポスト』1.前半

「ガス室」謀略
週刊『憎まれ愚痴』30号の目次