連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態(その4)

『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』:ティル・バスティアン(著)、石田勇治、星乃治彦、芝野由和 編訳(日本版1995/11)

『アウシュヴィッツの嘘』:元ドイツ軍の中尉、ティエス・クリストファーセンが1973年に発表した短い回想録の題名。参照➡『アウシュヴィッツの嘘』の内容をなぜ正確に報道しないのか

「死体ショック」症例と病状悪化のデタラメ本批判

1999.1.26.一部校正。

「人間は死体を見ると精神的な平静を失い、正常な判断ができなくなります」

 綺麗な発音の英語でゆっくりと考え深げにジャン・ギヨーマが語った。

 ジャンは精神病理学者で、いかにも育ちの良さそうな細面で長身の美男子である。年齢は聞かなかったが40歳代に見えた。

 場所はパリの中心部のカフェで、昨年、1998年1月15日、午後11時の少し前、まもなく閉店の時間になる頃だった。ジャンとは、そのまたほんの少し前の午後 9時過ぎに終了した裁判の法廷の傍聴席で、知り合ったばかりの仲である。だが、すぐに話が通じた。

 なぜかというと、その法廷は、拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディを刑事被告とするパリ地裁の17号法廷(注1)で、ジャンもガロディの支持者だった。つまり、当日の話題に関して、お互いに予備知識があったわけで、しかも、話し始めてすぐに分かったのだが、ジャンは実に詳しく知っていた。湾岸戦争前後のことや、ガロディの事件をめぐるフランス国内の反応についても、かなりうがった意見を披瀝するので、「色々と詳しいね」とさらに探りを入れると、父親はジャック・シラク政権の閣僚の一人だったという。

 それどころか、ジャンは、日本語まで相当程度に習得していた。日本に帰ってから資料を送る約束をしたのだが、彼は名刺を持っていなかったので、私の名刺を2枚渡して、その1枚の裏に宛名を書かせたら、GUILLAUMATJeanと日本式の順序にして、その上にカタカナで「ギヨーマ・ジャン」と書いて、ニッコリ笑った。

 パリで偶然会った日本語が分かるフランス人と、長時間語り合ったのだから、これは旅日記ものだが、筆無精の私には頭の中の記憶しか残っていない。だが、冒頭に紹介したジャンの台詞の記憶は特に鮮明である。実は、彼が精神病理学(psychiatric pathology)をやっていると聞いたので、しめたと思って、むしろこちらから、そう言うように仕向けたのだった。私には、精神病理学どころか、精神病一般についても専門知識はない。しかし、長年の人生経験がある。特に、その人生の仕上げの段階で味わった「ガス室」問題に関する多くの人々の反応の強さには、かなりの異常性を覚えざるを得なかったし、その異常性の根底には、死体の映像の影響があると睨んでいたのである。

 理性の働きによってではなくて本能的に死を恐れる人間は、たとえモノクロ写真の映像だけであっても、死体を見せられ、「殺人者は彼だ!」などと教え込まれると、それが強烈な印象として刻み込まれ、その印象は殺人を目撃したかのような強い「記憶」として残ってしまう。だから、その「記憶」を否定されると、憤激するのである。

 本連載の(その1)と(その2)で取り上げたNHK-ETV特集の中にも、アメリカのホロコースト報道の一部として、すでに何度も見掛けた「収容所の死体の山」のモノクロ写真映像が出てきた。アメリカ人の脳の記憶装置は、子供の頃から、あの種の映像に晒され続けているのだ。

『マルコポーロ』廃刊事件に関するマスコミ業界の風潮に乗って、こういう「記憶」の症状をさらに「悪化」させる「デタラメ本」が氾濫した。今回は、その一つの『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』を題材にして、「ガス室」謀略信者の精神病理学的、といえば大袈裟だが、いくつかの典型的な症状を紹介し、その誤りを指摘する。

 上記のデタラメ本、原著はドイツ語、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の日本語版の第一刷発行は1995年11月9日で、「編訳者あとがき」の日付は「9月」になっている。『マルコポーロ』廃刊事件以後の出来事としては、異常に早かった。事件発生は1995年1月17日発売の同誌 2月号に起因するもので、文囈春秋が廃刊決定を発表したのが同月30日である。新聞広告を見た記憶があるが、定価は2000円。実物を図書館で見掛けて、少し薄い本だと認識した。

『マルコポーロ』廃刊事件の当事者も当事者、問題になった記事「ナチス『ガス室』はなかった」の執筆者、西岡昌紀が読んだと言うので評価を求めると、「デタラメの寄せ集め。新しい材料はないから読むのは無駄」と、まるで問題にしていない。だから、今まで手に取ってもみなかったのだが、図書館で借りて、パラリとめくっただけで、唖然としてしまった。なぜかというと、このデタラメ本しか読んでいないらしいのに、やけに自信を持って『マルコポーロ』記事執筆者を批判していた大学の歴史学教授がいたからである。

 その名は笠原十九司、勤務先は宇都宮大学、『週刊金曜日』(1996.8.9.&23.)座談会連載記事の座談会参加者の一人である。

 もっとも、その歴史学教授は、今や正体が誰の目にも明らかになった本多勝一と一緒の「南京事件調査研究会」メンバーだったのだから、人を見る目がある方とはいえないし、むしろ、いささか粗忽の気味があるのだろう。

 だが、「大学の歴史学教授」の肩書きで発言すると、すぐに信じ込む読者は実に多い。その「大学教授」が発言の根拠に挙げるのだから、必ずや確実な資料に基づく研究書であろうと思う読者も出てくる。

 ところが、この『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の日本語版は、驚くべき構造になっていたのである。

 まず、中堅出版社の白水社が出したにしては、2000円の税込み定価が高過ぎる。全部で176頁しかない。それも1頁に16行、1行が42字のパラパラである。

 それより少し早い同年6月26日に出した拙著『アウシュヴィッツの争点』は、たった1人の間借り社長のリベルタ出版の発行だが、税込み定価は2575円、352頁、1頁に18行、1行が43字である。

 全頁がギッシリと字だけで埋まる仮定で計算すると、字数は前者が、118,272.後者が、272,448.約2.3倍である。値段の方は、1円に対して前者は59字強、後者は 106字弱となる。倍に近い。

 私としては、『マルコポーロ』廃刊事件後の状況を考え合わせながらも、不況下でもなんとか買い手が付くように、拙著『アウシュヴィッツの争点』の文章を短くすべく、かなり苦労した。積み残しの文章も沢山ある。つまり、272,448の字数では、まだまだ不足なほど、この問題には複雑な要素があると思っている。

 拙訳『偽イスラエル政治神話』の方は、 416頁、1頁に18行、1行に45字、同様に計算すると全部で336,960.『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の約2.85倍になる。

 もちろん、長さだけが問題なのではない。長いデタラメ本もある。

 だが、それだけならまだしも、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』と題する日本語版は、戦後の日本で流行った「上げ底」式の見掛け倒し、「羊頭狗肉」の典型だったのである。「ティル・セバスチャン著」と記し、ドイツ語の原題をローマ字で飾っているものの、本来の原文に当たる部分は、たったの98頁しかないのである。せいぜいパンフレット程度のものでしかない。

 しかも、「大学の歴史学教授」の肩書きで「ものを言う」材料にするにしては、お粗末この上ないことに、「出典の明示」という決定的な重点または争点の資料索引の手掛かりを欠いている。出版社と訳者は、その決定的な欠陥をごまかすために、たったの12項目の「訳注」と、たったの3頁の「参考文献」(34点)で、補うというよりも、「素人騙し」することに踏み切ったのである。

 なんとも破廉恥な、アカデミー業者、マスコミ業者の、共同の所業ではなかろうか!

 内容のお粗末さは、すでに記した西岡医師の表現の通りだった。すでに撤回された「絶滅論者」(「ガス室」信奉者)の旧説までが、そのまま麗々しく並んでいた。

 細部の批判は、次回に詳しく述べる。

(注1):朝日新聞(1998.2.28夕)「パリの軽罪裁判所は27日、著作の中でナチスによるユダヤ人虐殺に疑義を呈したとして哲学者のロジェ・ガロディに対して、罰金22万フラン(約 250万円)の判決を言い渡した[後略]」(記事全文と論評は拙訳『偽イスラエル政治神話』p.365-366)。

 なお、「軽罪裁判所」は原語でtribunal correctionnelであり、仏和辞典では、いずれも「軽罪」の訳となっているが、「軽罪」には別途、それ以外の意味を持たない明確な単語で構成されたcrime delit(delitのe の上に右上から左下への楔)がある。ロジェ・ガロディ事件では特にcorrection(矯正、感化)の原義と、思想犯の取り扱いの歴史を感じたのだが、手元の事典では歴史的経過が分からない。法律専門家の意見を求めたい。

以上で(その4)終り。(その5)に続く。