連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 (その34)

アイヒマン獄中記「公開」は「雪隠詰め」

2000.3.3

「アイヒマン回想録公開」という2段見出し、本文52行のの短い記事が『日本経済新聞』(2000.2.28夕)に載りました。

「歴史学的新発見はない」古文書なのに、なぜ?

 翌々日、3月1日の朝刊でも同紙は、同じ情報を掲載しましたが、今度はさらに短くなり、「アイヒマン回想録公表」の1段見出し「ベタ記事」扱いで、本文は、たったの18行でした。

 ただし、既報とは違う新しい情報も入っていました。「公開」したのは、アイヒマン裁判を行い、死刑にしたイスラエル国家の検事総長(日経2000.2.28夕)なのですが、「アイヒマン回想録」について、「同国公文書館長は『歴史学的新発見はない』としている」(日経2000.3.1)というのです。さらに、わがホームページ読者が届けてくれた同日の朝日新聞記事の切抜き、「アイヒマンの獄中記を公開」を見ると、この古文書の価値は、ますます興味深く矛盾に満ちたものになります。「同政府は、ナチスによるユダヤ人大量逆虐殺、ホロコーストを否定する側に利用される恐れがあるとして保管してきた」(朝日2000.3.1)というのです。

 この「公開」について、日本の大手メディアの扱いは非常に小さいのですが、米軍放送傍受によるアメリカの各種ラディオのニュースでは、以後、毎日のように何度も報じていました。では、「歴史学的新発見はない」とされる古文書の公開が、なぜ、アメリカでは連日のニュースの種になるのでしょうか。

 事情は複雑なので、これから順序立てて説明しますが、私の評価を簡略に表現すると、この事態は、本連載の表題、「シオニスト『ガス室』謀略」の犯人たちにとっては、「雪隠詰め」の状況なのです。手元の安物辞書の「雪隠詰め」の説明は、「将棋で王将をすみに追い込んで詰めること」「逃げ道のない所へおいつめる意にも使う」となっています。「雪隠」(セッチン)は「便所」ですが、「禅宗の用語から広まった」のだそうです。逃げ場に窮して便所に隠れるという、とてもとても臭い状況なのでしょう。

偶然ながらも歴史的必然の同時並行多発状況

 さて、本シリーズではすでに、キーワード、「アイヒマン」が入っている記事を連発していました。

(その31)では、2000.1.31.放映NHK3チャンネルETV特集『アイヒマン裁判と現代』への批判、(その32)では、その番組の中心素材の映画、『スペシャリスト』に関する『しんぶん赤旗』(2000.2.6)「文化・学問」欄の論評記事への批判でした。『スペシャリスト』の題材は「回想録」ではなくて、「アイヒマン裁判」を撮影したアメリカの白黒ヴィデオでした。

 1960年にエルサレムで裁判に掛けられ、1962年に処刑されたアイヒマンの物語が、まさに踵を接して大手メディアに浮上し、さらに私が、それを論評しているわけですが、この時期の一致は、偶然のように見えながらも、実は、歴史的必然に基づく一致なのであって、本シリーズ(その33)で紹介した「同時並行多発」ハルマゲドンの一環なのです。

 私自身にとっては、もう一つの「偶然の一致」があります。本シリーズ(その28)で紹介した本、『アメリカ人の生活の中のホロコースト』(Peter Novick. The Holocaust in American Life. HOUGHTON MIFFLIN COMPANY, 1999)をボチボチ読んでいる最中で、丁度、「アイヒマン裁判」の章に入ったところだったからです。

決まり文句「ユダヤ人大虐殺の首謀者」の位置付け

 最初に紹介した『日本経済新聞』(2000.2.28夕)記事の見出しには、もつ一つ、「アイヒマン」を形容する言葉がありました。「ユダヤ人大虐殺の首謀者」です。本文では、もっと詳しく「ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺の首謀者として死刑となったアドルフ・アイヒマン」としています。翌々日の「チョウチョウ」短い記事でも、この長い形容だけは同じままでした。どちらも「エルサレム=共同」となっているので、共同通信記者の表現を、そのまま使ったのでしょう。アメリカのラディオ報道でも、「首謀者」(master-mind)を連発していました。アイヒマンの形容としては決まり文句です。

 ところが、上記の朝日新聞記事では、単に「ナチスの指導者の一人」としか形容していません。こちらは「エルサレム29日=村上宏一」ですから、朝日新聞の現地駐在記者の表現でしょう。いわば「腰が引けて」います。これも実に興味深い現象です。

ロンドンの「ガス室」裁判も時期的には偶然の一致

「公開」の理由については、朝日新聞の表現の方が、日経(共同)よりも正確なので、以下、その部分を紹介します。

公開を決めた理由の一つは、ナチスの大虐殺説に疑問を示す英国の歴史家アービング氏を非難し、侮辱罪で訴えられた米国の学者の裁判を助ける資料にする、というもの。政府は、日記が組織的な殺人の証拠を提供すると期待して公開に踏み切った、としている」

「英国の歴史家アービング氏」、正確には「デヴィッド・アーヴィング」のことは、前回(その33)のシリア政府機関紙の記事にも出てきました。拙著『アウシュヴィッツの争点』の「参考資料」にも収録した日本語訳書、『ヒトラーの戦争』(上下、赤羽龍夫訳、早川書房、1980)もある著名な歴史家です。

 相手の「米国の学者」は、デボラ・リップスタットというユダヤ人女性で、日経(共同)記事では「歴史家」になっていましたが、歴史は専門ではなくて「宗教学の教授」です。上記の拙著でも批判の対象にしましたが、拙訳題では『ホロコースト否定論/真実と記憶にたいしての増大する攻撃』(1993)を「エルサレムのヘブライ大学の調査プロジェクトの一環」として出版しています。この本がイギリスの著名出版社のペンギン文庫にも入ったので、アーヴィングが弁護士を雇わない本人訴訟を起こし、リップスタット側には故ダイアナ妃のスキャンダルを弁護しで名を上げた超々著名弁護士ほか20名もの弁護士が付き、法廷は超満員という大騒ぎになっているのです。この裁判も、やはり、時期としては偶然の一致の歴史的必然の事態ですが、この件は別途、詳しく報告します。

「溺れる者は藁をも掴む」最後のあがきに裏の裏か?

 アイヒマンの獄中記が、彼を「ユダヤ人大虐殺の首謀者」、または「ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺の首謀者として死刑となったアドルフ・アインヒマン」という決まり文句を立証する材料になり得ない理由は、すでに(その32)で指摘したことと同じです。その内の核心部分だけを繰り返します。


 アイヒマンは、「600万人のユダヤ人虐殺」を認めながら、自分は移送を担当しただけだから無罪と主張するのですが、アイヒマンが「認め」たからといって、それが「ユダヤ人虐殺」の立証にはなるわけではありません。ナチスドイツは独裁支配の典型でしたから、末端歯車の官僚には、自分が担当したことしか分からなかったのです。そのために、[中略]大量の死体と、ダッハウのシャワールームの水栓の映像などを見せられた結果、ニュルンベルグ裁判でも、「(トップクラスだった)ゲーリングとシュトライヒャーを除く被告は、それを信じた」(『偽イスラエル政治神話』p.230)のでした。アイヒマンも同様の心理状態に陥っていたのでしょう。


 こういう材料に「助け」を求めるのは、まさに最後のあがきでしかないのですが、一応、警戒をしておきましょう。というのは、拙著「アウシュヴィッツの争点』でも指摘したように、リップスタットは、「『ホロコースト』見直し論に対抗する『もっとも有効な反撃の戦略』」として、「『テレビやラジオのトークショー』の話題に「取り上げさせない』」ことを提案していたのです。この著書が実は逆に、大騒ぎになって「取り上げ」られているのですが、その裏の裏の戦術も、あり得るのです。

 キーワード「アイヒマン」「首謀者」を大々的に報道させたのちに、メディアを操作して、「真実と記憶」をゴチャマゼにし、「人の噂も75日」と逃げ切る戦法も、一応、予想しておくべきでしょう。囲碁では「紛れ」を求めると言います。しかし、1960年代と違うのは、歴史見直し論者の輩出、アラブ諸国の反撃の桁違いの発展です。ついには「打つ手なし」に至るでしょう。

以上で(その34)終わり。(その35)に続く。