連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 (その46)

「偽の友は公然の敵より悪い」1.
マスコミ商売人がパレスチナ内戦に煙幕張る

2000.12.3

随時追加「編集長日記風」木村愛二の生活と意見
2000年12月6日転載から

 9日前の11.27(月)、アメリカ大使館前にて1時間の英語演説を敢行した。その次第はすでに簡略に報告したが、これは同時に、きたるべきインターネット高速化時代の『憎まれ愚痴』テレヴィ放送局、自称『超々辛口キャスター』、英語版の修行開始でもあった。アメリカ大使館前を稽古場に使ったと言えば、失礼な、となるだろうが、仕方がない。

 孫子は作戦篇の冒頭で「拙速」を推薦した。英語のキャスター修行と、稽古場の選び方、突然のような一念発起は、わが拙速作戦である。先には日本赤軍を半気違いと批判したが、パレスチナ問題での半端な「偽の友」は数限りない。数多の邪魔者を一気に追い抜くには、それなりの奇襲作戦が必須である。なにも無理に「拙く」やることはない。しかし、ぐずぐずしている内に、好機を逸してしまう。だから、拙速を承知の上で決起したのだ。私の闘争の手段は言論以外にない。だからキャスター修行を兼ねた街頭宣伝となるのだ。

キャスター修行は本当に本気なのだ

 私は、かつて、日本テレビの広報部時代に、番組宣伝のための短い番組、「新番組ハイライト」などの録音に、何人ものアナウンサーを使った。新人の育成には本番の緊張の経験が一番有効である。時には失敗することも良い経験になる。失敗は成功の源である。

 私が使った新人の中には、現在、独立してフリーの超々著名な徳光アナウンサーもいた。徳光は非常に熱心だった。私がオーケーを出しても、「もう一度やらせて下さい」と言うことが多かった。それでも、なかなか芽が出ない時期が続いた。その頃、社員食堂で私に、突然、「僕なんかより、木村さんの方がアナウンサーに向いていますよ」、と言ったことがある。その時、私は、虚を突かれた気分になった。私は、当時、労組役員だったから、決起集会の壇上などで演説をする機会が多かった。徳光は、そういう時の私の声音を聞いていたのだ。しかし私は、いわゆる「もぐり専従」状態で、広報部の仕事自体も、あまりしていなかった。だから、いささか伸び悩んでいるらしい徳光に、そう言われた時、反射的に、仕事上の悩みを覚えたことのない自分の方に、現場から浮いた足のない幽霊のような危険を意識したのである。

 私は、その後、不当解雇を受けて労組の全面支援の下に闘っていた時期にも、しょっちゅう演説した。会議の議長や集会の司会を頼まれることも多かった。謝礼を貰ったこともある。何度も、「木村さんはアナウンサーだったんですか」と聞かれた。私は、「戻ったらニュース・キャスター」と答えて笑い、Vサインしていた。職場復帰はできなかったが、その夢は、新たな「個人放送局」の実現によって、必ず果たす。しかも、中味は、ますます濃くなっているのである。以下、まずは「偽の友」を撫斬りする。量が多いので連載とする。


(その1)元NHKキャスターの平山健太郎が口をアングリ

 アメリカ大使館前では、持参のヴィデオ・カメラを道路の反対側に設置して、自分自身の演説を収録した。自宅で、VHSテープへのダビング(dubbing)[再録音]作業をしながら聞いていると、力み過ぎで、破裂音ばかりが響く。もっとゆっくり、母音を長く発音する必要がある。その他、原稿の準備など、改善すべき点が多々ある。

 そう思って見ている内に、ふと、英語のキャスター修行と、この稽古場の選び方、一念発起の拙速作戦には、もうひとつのきっかけがあったのではないか、と気付いた。

 実は、この11.27(月)から丁度半月、15日前の11.12(日)に、『ピース・ネット・ニュース』で、市民運動「パレスチナ子供のキャンペーン」主催の集会を知って参加した。この種の市民運動では、決して「ガス室の嘘」や「シオニストとナチの協力関係」などに触れないことは、重々承知しているのだが、パネラーの中に会いたい人がいた。湾岸戦争報道批判の関係で知り合い、『アウシュヴィッツの争点』執筆の際にも教えを受けた元・東京大学、現・東京経済大学の板垣雄三教授の名が、3人のパネラーの中にあったのだ。

 集会では、しかし、白鴎大学教授の肩書きの元NHKニュース・キャスター、平山健太郎が、3人のパネラーの冒頭に立った。平山について私は、旧著『湾岸報道に偽りあり』の中で、いささか批判した。いかにもNHK風の「バランス感覚」の持ち主である。資料リストには、彼の著書、『エルサレムは誰のものか』(1992,NHK出版)を記載しておいた。NHKの定年退職以後の商売として、いわゆる中東専門家の位置を狙っているな、と睨んでいたが、その通りだった。この日も、最近の集会で使われることが多いフィルムの映像プロジェクターを巧みに使いながら、エルサレムの歴史と現状について、一応は、詳しい説明をした。もちろん、「立て板に水を流すような名調子」であった。

 詳しく説明すればするほどに、私が「偽イスラエル」と呼ぶ国家の無法な現状は、いやでも明らかにならざるを得ない。ところが、平山は、「ガス室の嘘」はもとより、シオニストの歴史にすらまるで触れないどころか、最後に、お得意の「バランス感覚」を発揮した。「パレスチナの側にも反省すべき点がある」と言い出したのである。曰く、「神殿の壁は嘘だとまで言う。これは挑発になる」

「嘆きの壁」とも言われる壁の遺跡は、旧約聖書のソロモン王時代の神殿の一部だと称されており、それが「偽イスラエル」建国の決定的な根拠の一つとなっているのである。

 ところが、この点に関して、中東史では右に出る者のない板垣教授が、さらりと言ってのけた。曰く、「神殿の証拠は、いくら掘っても、掘っても、出てこない。旧約聖書時代のイスラエルは現在のイエメンに近いアシール地方だったという説がイスラエルでも有力になっていて、イスラエル人のアイデンティティが揺らいでいる」。この説の存在については、すでに日本語訳の『聖書アラビア起源説』(1988,草思社)がある。拙訳『偽イスラエル政治神話』(1998,れんが書房新社)でも紹介した。平山は、どうやら、この説の存在そのものを知らなかったらしく、愕然とした表情で、口をアングリ開けて、板垣教授を見上げていた。

以上で「偽の友は公然の敵より悪い」(その1)終り。(その2)に続く。
以上で(その46)終り。(その47)に続く。