| ┃生活と意見┃項目別案内┃ |
| 1946年、北京から引揚げ船で送還された“少年A”の物語 | 編集長の腹の虫 | |
| 秘蔵写真館(1):だから私は右翼と言われるが− 鉄砲担いだ青春 | ||
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(きむらあいじ)1937年生れ。 防衛大学校(三期)中退。 東京大学・文学部・英文科卒。 |
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東京大学在学中には、学生演劇の大道具製作、端役出演、いくつかの同人雑誌に短編小説、戯曲、映画シナリオを寄稿。 |
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![]() 60年安保:国会闘争で負傷 |
1961年:日本テレビ放送網(株)入社。 編成局編成部・広報部・調査部勤務を経て退社後、自由記者。 現在、Web雑誌『憎まれ愚痴』編集長。 |
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日本テレビ放送網(株)在籍中には、労組活動で民放労連関東甲信越地連執行委員として、タブロイド紙『おしゃべりアンテナ』(現『放送レポート』が後継)を創刊、執筆・編集・発行・販売など、放送民主化運動に取り組み、マスコミ共闘幹事、東京春闘共闘幹事、千代田区労協幹事&事務局長、日本テレビ労組書記次長&執行委員などを歴任し、元自治省事務次官で読売新聞社の戦前から戦後の独裁者・正力松太郎の娘婿、小林与三次が、読売新聞社の副社長と兼任で日本テレビ社長に就任後の労資紛争では、「赤字決算」を逆用した「赤字攻撃」と対決して、経営分析に基づく情報宣伝活動を展開。 | |||||||
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| 編集発行: 『五ヵ国語資本論』(エレメンタルフォルムの会発行) 『U.S.SECURITY INTERESTS AND POLICIES IN SOUTHWEST ASIA 』(1980年春の米上院外交委員会聴聞会報告書。英文マイクロ・フィルムからの復刻版。フリージャーナル発行) |
ヴィデオ: 『誰が水鳥を殺したか』(フリージャーナル) 『軍隊の影に利権あり』(フリージャーナル) 『土地開発公社の不思議なカラクリ』(武蔵野市民オンブズマン) 『ガス室検証』(歴史見直し研究会) 『NATOの標的〜ユーゴ“空爆”の実態』(岩川事務所、入手と製作) |
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上記の内、テレビ関係では経営分析を基礎としており、特に『電波メディアの神話』ではマルチメディアの動向を経済紙誌で徹底的に調べ上げ、湾岸戦争以後の戦争関係ではエネルギーを中心とする国際利権について、日本国内でも佐川急便、土地開発公社などについても、同様の徹底調査を行った。 『エコノミスト』(96.5.20)の記事「マルチメディア社会の落とし穴/『総合デジタル網の利権争い』観戦記」は、『電波メディアの神話』を見ての寄稿依頼であり、現在に至るアメリカの「米重要技術報告書/復活のカルテ」(日経産業新聞91.5.21‾6.3)の存在と対日巻き返し戦略を指摘している。これを圧縮し、最新情報を加えた「日本経済再生への提言(その2)」は、下記の頁で公開している。 |
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