「パリ報告」ロジェ・ガロディの刑事裁判@憎まれ愚痴

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために ― 論証と資料

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木村愛二のガロディ裁判傍聴パリ滞在記
本物の「パリ通信」2

1998年1月(2017.9.1 憎まれ愚痴内記事から構成)


▼1998年1月5日に東京発。1月16日までパリに滞在。1月17日帰国。

 冒頭に記したように、渡仏の主目的は、1月8、9、15の3日の予定で、実際には16日を加えて4日にわたって行われたロジェ・ガロディ(今年85歳を迎える哲学者。元フランス共産党政治局員。日本語の訳書が9冊:Roger Garaudy)の刑事裁判の傍聴である。ガロディは、私が一昨年来、生まれて初めてどころか、まったく夢見たことさえないフランス語の1冊丸ごと翻訳をすることになった訳題:『偽イスラエル政治神話』の原著者である。

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 勢い込んだ私は、自称『マック坊やご一行様』を背嚢(実は安物デーパック)に仕込み、鬼が島ならぬパリに渡った。パリでの主な仕事は、後述のガロディの刑事裁判傍聴であった。

 『マック坊やご一行様』持参の魂胆には、いささか言い澱むが、本を読むのが苦手なテレヴィゲーム世代の仲間にも、パリからのEメール送信成功の『快挙』によって、私の仕事への関心をかき立てたいという『希望』があった。

 この『希望』を抱く私は、電源と電話線の国際コネクターを持参した。国際電話でEメール&ホームページする計画だった。

 だがまず、ホテルの電話線使用は業務妨害になるから不可能。そこで見当を付けて、受付の夜番の学生アルバイト風の若者に相談すると、自分は大学でやってるから行ったことはないが、「サイバー喫茶」なら便宜を図ってくれるのではと言う。

 翌日、パリ地裁は法廷前の行列で「サイバー喫茶」の所在を聞いたのが、パレスチナ人、バジルとの出会いの始まりだった。

 最初はアルジェリア料理を奢って貰った。次には「我が家に来い。俺の電話を使え」だけではなく、「キャリーがフランス料理を作る」ときた。

 世界三大珍味の一つ「トリュフ」(松露)を何個も丸ごと陶器鍋で蒸し焼きの手料理に舌鼓。これぞインターネット冥利に尽きる土産話は別途記すが、その豪華な家庭サービスの食卓で、私は、以上のような小池とマックの物語をした。

 同じアラブ人としてイラクへの経済制裁への怒りを共有するバジルと、その妻、ガザの救援キャンプで2年間働いたためにフランスに戻っても仕事が得られない考古学者の友人、この三人は一様に涙ぐみ、私の肩を叩いた。バジルとインターネット、PCの関係は、のちに詳報する。
⇒WEB雑誌「憎まれ愚痴」創刊のはしがき または、湾岸戦争からゴラン高原出兵に至る深層の解明  1998.3.14


▼イラン人作家ジャヴァッド・ビシェタブ

 パリ地裁のガロディ裁判傍聴取材で、多数の「モズレム」(彼らの自称)と親しくなった。一人だけがイラン人で、ほかは全部アラブ人だったが、「モズレム」の連帯感に「共通の敵シオニスト」があることを痛いほど感じた。

 イラン人の作家、ジャヴァッド・ビシェタブには連れがいなかった。たった一人で毅然として佇み、実に強烈な個性を発揮していた。彼は、開廷を待つ法廷前のロビーの行列の中で、どぎつい図柄のシオニズム告発ポスターを高く掲げて、何度か演説し、一度は警備員に取り囲まれ、階段の下へ連れて行かれた。翌日にもまた会えたので、どうなったのかとか聞くと、ケロリとして、平気、平気、外へ出されただけだと答えた。

 あのポスターを見せてくれと頼むと、喜んでアタッシュケースの中から同じ図柄の大小2枚を取り出して、両方とも上げるよ、と言う。ついでにREXYと題する彼のフランス語の小説までくれた。全部読む時間はないので、裏表紙の解説だけを読んでみると、REXYは犬の名前で、その犬が飼われた家庭の出来事を通じて、ホメイニ政権時代のイランの全体主義的な環境への批判を記したものらしい。『吾輩は猫である』のような設定である。
⇒ガロディを支持したユダヤ人音楽家 長老メニューイン 1998.3.14


▼「チーズも石鹸も一緒くた」

 中国人が天皇の「現人神」説を信じなかったと同様に、「偽」イスラエル人造国家の侵略によってパレスチナの先祖伝来の土地を追われ、パリでインターネットを駆使しながら戦っているアラブ人(別途「パリ通信」で紹介したパレスチナ人、バジル・アブエイドのこと)などが「ガス室」神話を信ずる訳がない。

 この簡単な手品の種を暴くために「味噌も糞も一緒くたにする」では、いささか汚らしいし、普通のフランス人は味噌を知らないので、パリ取材に際して「チーズも石鹸も一緒くたにする」を考えて行ったところ、すでにその通りの警句が現地にあった。どこか似ているから同じという「子供だまし」は古今東西、一番簡単な報道操作である。 ⇒『週刊金曜日』『出版レポート』座談会記事批判  1998.4.17


▼パレスチナ人バジル・アブエイド
 ロベール・フォーリソン
 パリ支局「大野博人」記者

 パリ支局の「大野博人」記者は、私がパリで公判開始以前に、日本の大手メディアの支局回りをした際、直接会って詳しい状況を話し、持参した資料を手渡した内の一人である。結局、日本人は誰もパリ地裁の取材には現われず、私一人だったし、上記の記事にもガロディの著作そのものを読んだ気配は見えない。

 パリ取材の全体についても稿を改めざるを得ないが、私の脳裏に最も強く刻まれた現場の実感は、先の記事で「アラブ諸国の知識人やイスラム教徒」と記された人々の位置付けであった。本書がアラブ語に訳されていることや、本書の出版後にガロディが何度もアラブ諸国を訪れていることについては、訪仏以前にも情報を得ていた。ところが、右のように法廷の中も外も埋め尽くしていた傍聴者支援者の約半数が、この「アラブ諸国の知識人やイスラム教徒」だった。より正確に言うと、そのほとんどは、フランスで働き、学んでいる「モズレム」(彼ら自身の表現)だったのである。

 ガロディ側の数多い証人の中でも、パレスチナ人、モロッコ人とエジプト人の法律家、この三人のアラブ人の証言が、咄々としたフランス語ながら、またはそれゆえにこそ、最も迫力があった。

 しかも、それまでに聞いてはいたものの、パリの街路にも地下鉄にも、黒人、褐色人、白人風だが中東型の人々が、これまたまさに溢れていた。いわゆる「3K」労働の担い手も彼らであった。私は、「アラブ諸国」と言うよりは、むしろ、フランスの国内問題としてのアラブ人の位置付けを痛感したのである。裁判所では、鋭くシオニストを告発するイラン人の作家とも知り合いになれた。まだたったの一人だが、これでアラブ人以外の「イスラム教徒」または「モズレム」にまで、私の交友範囲が広がった。特に親しくなり、二度も自宅に招待され、フランス人の妻、キャリーの手料理による世界三大珍味、トリュフまで振る舞ってくれたパレスチナ人のインターネット活動家、バジル・アブエイドとの「遭遇」は、私の人生でも最大の曲がり角の一つとなる経験であった。

 ここでは、短く付け加えるに止めるが、フォーリソンには安宿の世話までしてもらい、同じホテルに泊まって、何度もの長時間にわたる面談の機会を得た。渡仏前に記しておいたフォーリソンの政治的な立場については、その通りで、彼は、ソルボンヌ大学の教授だった頃に教員の組合の執行委員をしていたので、「左翼だという人もいる」と注釈しながら、「政治的経歴はない」と明言した。私の「文は人なり」という資料の読み方が当たっていたのである。

 本書の初版の編集者、ギヨームとも裁判所で会い、前述のLa Vielle Taupeの件の確認を得た。

 カルパントラの件は、バジルに聞くと、やはり現地では有名な話で、名乗り出た「チンピラ」が有罪で投獄されはしたが、誰も警察の処置を信じていないそうである。

 その他、何人もの意見を聞いたが、それらを要約すると、ガロディは「政治的」で、フォーリソンは「正直な人」といったところが、最も核心を衝いているようだ。フォーリソンは、ガロディが再版で自分を含めた見直し論者の名前が入った部分を削った処置を怒っているが、ガロディは、法廷で、外国向けに複雑な国内事情に関する部分を削ったという主旨の答弁をしていた。バジルはバジルで、フォーリソンがパレスチナ問題に熱心ではないのが不満だという。私は、これらのそれぞれの異なるスタンスの群像が、期せずしてそれぞれの視点から歴史の真実に迫るスカラーを発揮し、その総合的なベクトルが現在の政治的事件の土台をも白日の下に晒し出し始めていると感じた。

 なお、前述のような日本大手メディアのパリ支局「オルグ」に前半を費やし、中間はバジルらとの交友の深まりで連日の過密日程となり、その上に最後の一日までが裁判期日の延長という不測の事態となったために、予定していた図書館などでの資料調査の時間がなくなってしまった。 ⇒『偽イスラエル政治神話』訳者解説 1998.9.30


▼編集者ピエール・ギヨームと

 幸いなことに、『偽イスラエル政治神話』には、豊富な資料が盛り込まれている。初版の編集者としてガロディとともにパリ地裁の刑事法廷の被告だったピエール・ギヨームとは、法廷の前のロビーで並んで写真を撮ってきた。その写真をフランスで公開すると、また刑法にふれるというので、「日本でだけ」と約束していきた。ギヨーム自身が『歴史見直し論年代記』の著者でもあり、彼の何十年もの資料収集の成果が、ガロディに提供されている。 ⇒連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 2  1999.1.26
写真⇒木村愛二の総合奧付 1999.1.26
(お断り:ガロディ以外の人物特定できず)


▼カフェにてギヨーマ・ジャンと

 場所はパリの中心部のカフェで、昨年、1998年1月15日、午後11時の少し前、まもなく閉店の時間になる頃だった。ジャンとは、そのまたほんの少し前の午後 9時過ぎに終了した裁判の法廷の傍聴席で、知り合ったばかりの仲である。だが、すぐに話が通じた。

 なぜかというと、その法廷は、拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディを刑事被告とするパリ地裁の17号法廷(注1)で、ジャンもガロディの支持者だった。つまり、当日の話題に関して、お互いに予備知識があったわけで、しかも、話し始めてすぐに分かったのだが、ジャンは実に詳しく知っていた。湾岸戦争前後のことや、ガロディの事件をめぐるフランス国内の反応についても、かなりうがった意見を披瀝するので、「色々と詳しいね」とさらに探りを入れると、父親はジャック・シラク政権の閣僚の一人だったという。

 それどころか、ジャンは、日本語まで相当程度に習得していた。日本に帰ってから資料を送る約束をしたのだが、彼は名刺を持っていなかったので、私の名刺を2枚渡して、その1枚の裏に宛名を書かせたら、GUILLAUMAT Jeanと日本式の順序にして、その上にカタカナで「ギヨーマ・ジャン」と書いて、ニッコリ笑った。

 パリで偶然会った日本語が分かるフランス人と、長時間語り合ったのだから、これは旅日記ものだが、筆無精の私には頭の中の記憶しか残っていない。だが、冒頭に紹介したジャンの台詞の記憶は特に鮮明である。実は、彼が精神病理学(psychiatric pathology)をやっていると聞いたので、しめたと思って、むしろこちらから、そう言うように仕向けたのだった。私には、精神病理学どころか、精神病一般についても専門知識はない。しかし、長年の人生経験がある。特に、その人生の仕上げの段階で味わった「ガス室」問題に関する多くの人々の反応の強さには、かなりの異常性を覚えざるを得なかったし、その異常性の根底には、死体の映像の影響があると睨んでいたのである。 ⇒連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 4 1999.1.26


▼ソルボンヌ大学の坂の上の狭い路地のルーマニア文庫

 これらのモヤモヤが、一挙に噴火したかのような気分を味わったのは、昨年の1月17日、私自身にとっては61歳の誕生日当日、パリからの帰途の「一番安い」大韓航空機の狭い座席の上で、睡眠薬代わりに頁をめくり始めた本によってであった。

 以上は、パリはソルボンヌ大学の坂の上の狭い路地の、ルーマニア文庫、チャウシェスク独裁との闘いのために亡命してきたルーマニア人の経営するアングラ書店で始めて知り、求めてきたばかりの本、『第2次世界大戦を引き起こした責任者』(Les responsable de la seconde guerre mondiale)の冒頭部分、「執筆意図」の10-11頁に掛けての1節である。 ⇒元共産党「二重秘密党員」の遺言 5 1999.1.29


▼シェイフ・アンタ・ディオプ、「面白い」(C'est interessant)

 シェイフ・アンタ・ディオプにも会いたいと願っていた。彼のフランス語の著書は、その後、英語にも訳されており、アフロ・アメリカンの聖書になっている。その状況は、最近にも、日本語版の『ニュースウィーク』に載っていた。以下、そのような国際的状況の一端にふれた私自身の体験を記す。

 パリ地裁の傍聴席で知り合った精神病理学者も知っていた

 画像の方の原典確認については、2年と10ヶ月前に、パリの図書館の入り口まで確かめながら、未遂に終わったままである。その未遂の特別の事情は、1998年9月30日に初版を出した拙訳『偽イスラエル政治神話』の末尾、369頁に記した。日本では絶対に起きない事態なのだが、この訳本の原著者のガロディを裁き、その後に有罪の罰金刑を課したパリ地裁では、簡単に審理の日程を延長したり、追加したりしてしまうのだった。ところが、一番危険との噂ばかりか事実もあって一番安い大韓航空のそのまた安い、「私の超エコノミー切符の期日は、変更不可能だった」(同書あとがき)ので、「予定していた図書館などでの資料調査の時間がなくなってしまった」(同)のである。この不測の事態により、原典は未確認。今はただ、またのパリの訪問を夢見ながら、スキャナー読み込みのインターネット配信により憂さを晴らすのみである。

 しかし、パリでは、実に面白い偶然の事態も発生した。その一方で、私は、この「大スフィンクス」の画像入りの本書の表紙を縮小してモノクロで印刷した『歴史見直しジャーナル』12号を、多数持参していた。トップ記事の見出しは「ガロディ裁判傍聴」だったのだが、人目を引く目玉として、パリで実物確認の予定の画像を使ったのである。

 この12号の大部分は、実際にパリ市内を闊歩して「オルグ」に回った日本の大手報道機関の記者に、裁判の取材要請の説明用に渡したのだった。その後、パリ地裁の傍聴で知り合ったフランス人の熟年男性が私に、彼の妻が日本語を勉強していると言うので、残りの1部を渡した。彼は、それを手に持ってまま座っていた。すると、その隣に後から着席したフランス人の中年男性が、それを見て、「面白い」(C'est interessant)と呟いた。この程度のフランス語なら、私にも分かる。すぐに彼にも1部を渡すと、「ありがとう」と日本語で言う。裁判がすぐ始まる時だったので、「あとでまた」と約束し、ビールの飲める喫茶店に行った。 ⇒『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』序文 2000.11.10


▼書店にて『第二次世界大戦の責任者たち』を発見

 すでに、わがホームページのどこかに記した記憶があるのだが、1998年1月にパリで、拙訳『偽イスラエル政治神話』の著者、ガロディの裁判取材の折に、書店で、「見直し論の父」ことポール・ラッシニエの著書、『第二次世界大戦の責任者たち』を発見して買い求めた。その序文を読んだだけで、実に重大なことに気付いた。ラッシニエは、戦前に共産党から社会党に移り、戦時中にはレジスタンス運動でナチに逮捕された経歴の持ち主なのだが、収容所の経験について「人間(ドイツ人)への怨恨の念を抱かずに戻ってきた」と断言し、暴力に反対し、「階級闘争の概念によってマルクスは社会主義に暴力を導入した」と記していたのである。これはまさに、ウヌッであった。私の長年の疑問が一挙に解けた感があったのである。 ⇒木村愛二の生活と意見 2001.1.1


▼イスラエルに追い出されて、ヨルダンに逃れた難民

 私がパリで知り合ったバジル・アブ=エイドは、パレスチナの地を踏んだ経験すらない。彼の父親は、現在の偽イスラエルに追い出されて、ヨルダンに逃れた難民だった。バジル自身は現在、フランス当局が「テロリスト」として逮捕・監禁しているパレスチナ支援者、の救援運動をしている。彼に「テロ反対!」と言うのは、私でさえ、ためらう。 ⇒木村愛二の生活と意見 2001.1.27


▼元ソルボンヌ大学教授フォーリソン

 もちろん、私は、いわゆる知識人や一定の地位のある教職者を、すべて「薄味」と決めつけているのではない。私は、「ホロコースト見直し論者」の国際的代表格のフォーリソン博士とは、1995年の『マルコポーロ』廃刊事件以来の付き合いである。拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディも、同じく戦う文化人であるが、1998年1月、そのガロディが被告の刑事事件、「ホロコースト」裁判が行われた際には、フォーリソンがパリで行きつけの安宿の世話までしてくれた。1週間、毎日、一緒にパリ地裁に通い、ホテルの喫茶店や彼の部屋で何度も話し合った。フォーリソンは元ソルボンヌ大学教授である。イスラエル支持の極右シオニストからの襲撃で半殺しの目に遭ったこともあるが、決して節を曲げない「勇者」である。日本の歴史から実例を挙げれば、大塩平八郎もいた。要は、画期的な時期に、自己の信念を貫くために命を投げ出すだけの覚悟があるのかないのか、なのである。今は発言だけで命を失う危険はない。少なくとも、自分の地位ぐらいは賭けて発言すべきなのである。 ⇒『9・11事件の真相と背景』第7章 2002.10


▼ロベール・フォーリソンは、「否定論者」ではなく「見直し論者」

 で、以下 [ここでは上記] の映画の中の「ロベール・フォーリソン」とは、著書を読んだのが1994年で、1995年以来、文通、電話、パリで同宿し、数日の裁判傍聴、談論の関係ですが、彼はrevisionist(見直し論者)と名乗っており、「否定論者」(negasionist) は悪口なのです。「歴史修正主義者」も、「修正主義」の語感が悪いので、私は採用しません。御検討下さい。 ⇒『亜空間通信』237号(2002/04/21) 2002.4.21


▼イランの作家がくれたカラーのポスター

 この際どい局面で、イランの新聞は、ホロコースト風刺漫画募集の斬り返しで、新たな反撃に転じた。

 これは陽気で宜しい。早速、イランの新聞社に、1998年、パリ地裁のロジェ・ガロディ裁判で、イランの作家がくれたカラーのポスターの画像を送った。 ⇒辛口時評 2006.02.17


▼ロベール・フォーリソン

 今を去ること7年前、1998年に、パリ地裁で拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディの(敗訴に終わった)裁判を傍聴した後、現在の世界のホロコースト見直し論、または歴史見直し論の理論的指導者、フォーリソンは、安ホテルの一室で、自らの長期にわたる戦いの感慨を、録音してくれと言った。

 私は、ヴィデオ・カメラのレンズを覆って、録音だけしてきた。話の内容は、切り詰めて言うと、「なぜ、ホロコーストの嘘を、世間が認めないのか」という主旨の嘆きであった。

 私は、このフォーリソンの嘆きを受けて、「ホロコーストはイスラエルの侵略戦争プロパガンダ、戦時宣伝だから、パレスチナ紛争が決着しなければ、終わりにならない」と答えた。私は、ホロコースト神話はイスラエルの神様であるとし、その歴史的な例証として、日本の「生き神様」、天皇制と敗戦の実例を挙げた。 ⇒辛口時評 051222  2005.12.22

➡「パリ報告」ロジェ・ガロディの刑事裁判
本物の「パリ通信」

 わざわざ「本物」の「パリ通信」と題したのは、本件に関して、日本で自他ともに「高級雑誌」を以て任ずる『世界』(1997.9/10)に連載された「パリ通信」なる記事が、事件の渦中の主人公たちの意見も聞かず、背景調査もせずという、典型的な「えん罪」(漢字が出てこないのはなぜか分からない)型デタラメ報道をしていたからである。


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2016.3