電網木村書店 Web無料公開

『9.11事件の真相と背景』(10)

「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?
アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く

『9.11事件の真相と背景』

第7章 なぜアメリカとイスラエルだけが何をしても「許される」のか(その1)

 アメリカとイスラエルをめぐる問題では、様々な心理的障壁が、虚心坦懐の理解を妨げ、謀略を見誤らせる仕掛けとして働く。

 本章では簡略に、なぜアメリカとイスラエルだけが何をしても「許される」のか(その1)として、アメリカ帝国が振りかざす「正義」の御旗の最新実例、「ナチス・ヒトラー打倒」を挙げ、その具体例の「600万ユダヤ人虐殺」「ガス室」「ホロコースト」の神話が、大嘘であることを指摘する。詳しくは拙著『アウシュヴィッツの争点』および拙訳『偽イスラエル政治神話』を参照されたい。

●虚心坦懐の理解を妨げる20世紀最大のタブー「ホロコースト」

 その『偽イスラエル政治神話』の冒頭、普通のよりもかなり長い「訳者解説」の中に、私は、「私自身も何も調べずに『明らか』と断定」の小見出しを設けて、以下のように「告白」すると同時に、1995年2月号の「ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事による『マルコポーロ』廃刊事件以後に関する限り、日本の知識人の科学的な思考能力は、問われざるを得ないと記した。以下は、その部分のみの抜粋である。

 まず最初に正直に、私自身に関する告白をしておこう。

 拙著『アウシュヴィッツの争点』(1995年発表)に続いて執筆した『読売新聞・歴史検証』(1997年発表)には、旧著『読売新聞・日本テレビグループ研究』(1979年発表)を改訂増補した部分が多い。旧著をパラパラめくった際、まったく忘れていた記述に気づいて、いささか青ざめた。第6代読売新聞社長の正力松太郎がA級戦犯に指名された決定打は、労組が主導権を握る読売新聞の記事、「熱狂的なナチ崇拝者、本社民主化闘争、迷夢深し正力氏」だった。

 私は、その時代背景について、「当時は、ナチのアウシュヴィッツなどの大虐殺が明らかになり、ニュルンベルグで国際軍事裁判が始まったばかりだった」と書いていた。私は、自分では何も調べずに「明らか」としていた。当時は、いわゆるホロコーストに疑いを挟む説があるなどとは、まったく思ってもみなかったのである。

 弁解がましいが、古代哲学以来の「人間機械論」に立つと、「疑い」情報入力なしには疑う思考は働かない。その意味で、1995年2月号の「ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事による『マルコポーロ』廃刊事件以後に関する限り、日本の知識人の科学的な思考能力は、問われざるを得ない。

 本来、「すべてを疑え」が科学的思考の原則である。[後略]

 拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者は、フランス共産党政治局員として活躍したロジェ・ガロディである。彼は、「ホロコースト神話」の欧米における位置づけを、欧米ではラテン語でそのまま意味が通じる「ア・プリオリ」(a priori)であると皮肉る。

●「ア・プリオリ」(a priori)「だいたいねえ!」の脅し

 「ア・プリオリ」は哲学の用語でもあるが、「先験的な前提」、つまりは、「神が与えたもうた前提」のようなことで、この前提を「夢々疑うことなかれ」というような意味である。

 アメリカ人は、普段、この言葉を訛って大声で脅すような口調で、「エイ・プライ・オウライ」と発音する。日本語の慣用句なら「あんた、だいたいねえ!」という感じの常套句であって、疑問をのっけから封殺する狙いの脅し文句である。この「脅し文句」を私は、第2次世界大戦以来の思想謀略の決定版として位置づける。強固なアメリカ帝国の「正義」の神話であり、同時に、ナチス・ドイツ・ヒトラーの「600万ユダヤ人虐殺」計画の「被害者」、ユダヤ人、またはイスラエル人にとっては、決定的な意味を持つ「建国神話」なのである。ここにこそ、本書の副題、アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心の原点があるのである。

 私は常に非常に単純に、歴史的事実に即して考え直すことにしている。アメリカが振り回す正義の御旗を疑い、パレスチナ人に対するイスラエルの仕打ちに憤激する人ならば、筋として、彼らの基盤を疑い、その背後の「ホロコースト」をも疑うのが当然ではなかろうか、と思う。ところが、これがなかなか、世間一般には理解されないどころか、疑問を呈したら逆にこちらが攻撃されてしまったのである。それほどに、この「現代神話」の催眠術の効き目は、あらたかなのである。特に優等生の言論人の場合、その思い込みの激しさは尋常ではない。

 「エイ・プライ・オウライ」を再び、日本人向きに、くだいて言い直すと、鬼が島の鬼(ドイツのナチ)退治の英雄、桃太郎(アメリカ)こそが「正義の味方」であることを「夢々疑うことなかれ」となる。これが、アメリカにとっての「ホロコーストの大嘘」神話植え込みタブー教育の長年粒々辛苦の成果なのである。

 「ホロコースト」「ジェノサイド」「大量虐殺」「ナチ」の脅し文句は、日本の講談型テレヴィ・ドラマに例えれば、水戸黄門の印籠の葵の御紋なのである。「どうじゃ、ものども、恐れ入ったか!」なのである。

 特に日本では、私が「司法業界の商売人」と呼ぶ業界の司法資格者の間に多い現象なのだが、ニュルンベルグ国際軍事裁判所の規約を見たことすらないのに、この「実はシオニスト企画」の勝者によるリンチ裁判を「法の裁きの最高峰」と丸暗記し、その思い込みを「あんた、だいたいねえ!」と押しつける。その影響は、アカデミー業界全体にも、もともと「法」音痴の不勉強な権威主義のマスコミ業界にも、ず、ず、ずいっと及ぶ。

 今回もほとんどの日本人、特に暗記秀才が多い主観的な平和主義者たちが、実に素直に無造作に、「米=日」マスコミ業界の意図的造語、「敵はアラブ」に即座に連結するパブロフの犬的条件反射用語、「同時多発テロ」を無批判に使い、モサドとアメリカCIAや軍情報部の謀略の可能性すらに、触れるのを避けた現象も、この心理的障壁の重圧を抜きにしては、理解し難いのである。

 この心理的重圧下の唖然と言うしかない症状のひどさは、湾岸戦争の頃よりもさらに度を加えた。

 時期的に重要な要素としては、その間のいわゆるバブル経済の崩壊がある。マスコミ業界の商売人にも他の業界と同様の顕著な症例として、逆らうと息の根を止められる恐怖が先にあり、それが以前にも増して、ことさらに強く働く。

 長年の習慣の通称「マスコミ仁義」による内輪かばい、大手企業の社員同士の「武士は相身互い」の習慣が、さらにその度を強めて働くのだから、もう処置なしである。

 私は、「ホロコーストの嘘」問題を、言論人の事実に関する理解力の程度を測るための一種の試金石と見なしている。メディアだけでなく、いわゆる知識人とか文化人とか、教授とかの対処の仕方にも、厳しい批判の目を向けなければならない。

●薄味文化人「おっかけ」チョムスキーやサイードは逃げ腰の保身主義者

 この問題の中心には、いわゆる権威主義が横たわっているのである。権威主義に欧米崇拝主義または劣等感が複合すると、これは大変なことになる。

 たとえば、私が「薄味文化人」と呼ぶマスコミ業界とアカデミー業界の商売人たちは、ほぼ同類のアメリカ国籍のユダヤ人のチョムスキー教授や、やはりアメリカ国籍のパレスチナ人のサイード教授を、後生大事な魔除けの護符のように持ち出す。私が言う「薄味」とは、いわゆる中道、穏健、微温、などのことであり、何のことはない。胸に手を当てて、つらつら思い見れば、所詮は、体制の補完物の目印でしかないのである。

 チョムスキーもサイードも一応、いわゆる反戦派ではあるが、「あの」日本の大手メディアにも登場するし、ともに「あの」アメリカで大学教授の地位を保っているのだから、実は、体制の許容範囲内の言動しか、していないのである。日本でも、「あの」東京帝国大学の教授とか名誉教授とかで、いわゆる反戦の運動の場で講師をつとめる人はたくさんいたし、今も少しはいる。しかし、本当に役に立つのかと言えば、実に怪しいのである。

 戦前にも、この手の教授たちは、権力が総攻撃に転じた際、総崩れしたのである。

 今回、決定的に明らかになったことは、チョムスキーもサイードも、ともに、「ホロコーストの嘘」に関する熾烈な論争の存在を知りつつ避けていること、そして、その必然的な帰結なのであるが、9・11事件の謀略説からも逃げていることであった。 

 私は、アメリカから入った情報を、以下に抜粋するような文章にして発表した。

http://www.asyura.com/2002/war11/msg/645.html
『亜空間通信』244号(2002・4・28)
【チョムスキーら米左翼9・11謀略不感症批判の遠方の友を支持し更なる追撃を要請】

 (アメリカの独立系情報の筆者)ビル・ダグラスは、日本の自称平和主義者らが今、しきりともてはやしては「おっかけ」するアメリカのユダヤ人言語学者チョムスキーをも名指して、左翼知識人が9・11謀略に不感症だと批判しているのである。[後略]

 チョムスキーに関して、今、唯一評価できるのは、彼が、アメリカこそが「最大のテロリスト国家」だと批判していることだけである。しかし、まず、この「著名言語学者」の表現自体を端緒として、彼自身が「テロリスト」という言葉を「悪」に分類していることを見抜き、アラブ・イスラム「過激派」とアメリカ帝国を同列に扱い、双方を批判する「喧嘩両成敗」型の優等生主義者なのだと判断すべきなのである。

 アメリカ帝国批判ならば、もっと強烈にアメリカを「破落戸国家」と呼ぶ著名なアメリカ人の論者はたくさんいる。実践的な活動家として評価するのならば、チョムスキーにもサイードにも見るべき実績はない。権威として反戦学生の看板に担がれただけのことである。

 なぜ、日本の「心情左翼」読者を食い物にする大手メディアは、ケネディ政権の司法長官で、その後も、湾岸戦争当時から「国際行動センター」を主宰し、爆撃下のイラクやユーゴにも出かけ、アメリカの対外政策を批判し続け、今もなおペンタゴンを数万人が取り囲む大行動を繰り広げている骨っぽい指導者のテキサスのカウボーイ、ラムゼイ・クラークを挙げないのか。

 もちろん、私は、いわゆる知識人や一定の地位のある教職者を、すべて「薄味」と決めつけているのではない。私は、「ホロコースト見直し論者」の国際的代表格のフォーリソン博士とは、1995年の『マルコポーロ』廃刊事件以来の付き合いである。拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディも、同じく戦う文化人であるが、1998年1月、そのガロディが被告の刑事事件、「ホロコースト」裁判が行われた際には、フォーリソンがパリで行きつけの安宿の世話までしてくれた。1週間、毎日、一緒にパリ地裁に通い、ホテルの喫茶店や彼の部屋で何度も話し合った。フォーリソンは元ソルボンヌ大学教授である。イスラエル支持の極右シオニストからの襲撃で半殺しの目に遭ったこともあるが、決して節を曲げない「勇者」である。日本の歴史から実例を挙げれば、大塩平八郎もいた。要は、画期的な時期に、自己の信念を貫くために命を投げ出すだけの覚悟があるのかないのか、なのである。今は発言だけで命を失う危険はない。少なくとも、自分の地位ぐらいは賭けて発言すべきなのである。

 さらに強い直接的な影響を持つのは、日本が置かれている国際的な状況である。


第8章 アメリカ=イスラエル=日本の連鎖構造理解が不可欠

(「その2」は第11章にあります。)