『9.11事件の真相と背景』(1)

「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?
アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く

電網木村書店 Web無料公開 2006.2.2

編著者舌代・はしがき

編著者舌代 ― 木村愛二

 本書の第1章と第2章を共著者の三浦英明、その他の部分と全体の調整を木村が担当した。以下、注釈抜きの「私」は木村である。私のインターネットホームページ(以下、電網宝庫)『憎まれ愚痴』のURLはhttp://www.jca.apc.org/~altmedka/である。

 私は、9・11事件以後、1年余の間に390通、1日平均1通以上の通信を発し、その主要記事を電網宝庫に収め、無料公開している。インターネット(以下、電網)情報に触れることができる読者向けに、半角英数字のURL(所在位置)を添えて、わが電網宝庫に収録した『亜空間通信』の号数と発行日を記す。興味があれば随時、その全文を見て頂きたい。これは、9・11事件以後の事態に関する私の個人的な「電網情報戦争」実録原資料でもある。『亜空間通信』以外の電網情報に関しても、URLを添えて読者の便宜に供する。『亜空間通信』を含む引用の終わりには[後略]と記す。

 なお、電網宝庫は時として消滅したり、転送情報には発信源が記されていなかったりするが、私は、これらを活字メディアでもよくある「匿名情報」の伝達に位置づけ、私の電網宝庫に収めている。

 なお、この「9・11事件」は、謎が多いことでも史上空前である。必ずや、今後も、議論が沸騰するに違いない。その際には、電網情報の検索が不可欠となる。

 そこで、私は、これまでに得た情報を整理し直し、私の電網宝庫『憎まれ愚痴』の中に関連電網情報の国際的リンク基地、「9・11事件国際リンク基地」を設ける。そこには手始めとして、まず最初に、本書の中に記した電網情報のURLリストを収める。それを基礎として、順次拡充し、題名をダブルクリックしさえすれば、世界中の電網宝庫に直接飛ぶことができる目次を設ける。

 本書を手引きとして、大いに議論の波が広がることを期待する。「9・11事件国際リンク基地」のURLは以下とする。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/911-world-link.html

はしがき

 私は、2001年9月11日にアメリカで起きた大事件を、9・11事件または9・11と呼ぶ。世間一般では、「テロ」とか「同時多発テロ」とか呼び、今もなおそれを続けているが、私は、その呼び方自体が、いわゆるキーワード(鍵言葉)による世論操作の策謀に引っかかった重大な間違いであり、特に言論機関や言論人に対しては、あえて警告する。

 この呼び方は極悪な政治犯罪への軽率かつ自覚なき荷担行為にすらなっているのである。

 中国の儒教の基本文献、五つの「経」の筆頭の『易経』には、「乱を生ずる所は、則ち言語を以て階をなす」とある。儒教は政治学であり、「階」は「秩序」の意味である。争乱のような重大事態に際して、指導者は言葉を選び、それに基づいて秩序を作り直すべし、という教えである。

 ブッシュ大統領または「極右」イスラエルとアメリカ帝国の「陰の政府」の代理人は、今回の9・11事件を「テロ」と言い張り、「戦争だ!」と叫ぶことで「階」をなし、「戦争」を彼らの「秩序」としたのである。この「秩序」とは、湾岸戦争に際してブッシュ(親)大統領らが宣言した世界支配構想、「新世界秩序」(後述)のことであった。だから、この彼らの「秩序」を拒否する者は、まず最初に、彼らの「言葉」の「階」を拒否しなければならないのである。

 私は、以下のように事態を整理し直して考える。

 2001年9月11日にアメリカで「大事件」、または「大惨事」が起きた。この大事件は、今では911、または英語の発音の「ナインワンワン」または「ナイン・イレヴン」だけで世界中に通用するようになった。戦前の日本の軍人によるクーデター、226(ににろく)、515(ごいちご)事件と同様である。本書では、この事件を、9・11事件または単に9・11と記し、「きゅう・てん・いち・いち」と区切って発音する。

 私は、日本中の大手から中小のメディア、市民運動の末端のチラシに至るまでが、一斉に9・11事件を「同時多発テロ」とか呼び始めた頃、しばし憮然となり、ややあって、次の言葉を思い出した。それを読み直して、これまでに何度もあったこと、別に驚くに当たらずと思い定め、やっと気を取り直した。

 以下は、私自身の言葉ではなくて、10年前の拙著『湾岸報道に偽りあり/隠された十数年来の米軍事計画に迫る』の序章、「帝国主義戦争と謀略の構図」の中で抜粋して引用した『月刊アサヒ』(1991・4)における静岡大教授中西輝政の発言である。

 「歴史家としてこれを見ますと、世界の人たちが一瞬にしてリアリズムを失った」「なだれを打って、国連による新秩序とか法の支配を口にする」「憑きものがついたんじゃないか」「みんながそのレトリックに乗った」

 つまり、ほとんど同じことが、またもや起きたわけである。

 この事件と事件以後の国際的な状況は、極めて複雑かつ難解である。アメリカ、アラブ、イスラエル、それらの諸国と日本との関係、歴史的経過の予備知識なしには、理解し難いものである。

 ところが、私の半生の古巣、いわゆるメディアの世界とか、この問題では専門筋の位置づけの「中東通」業界では、残念ながら、およそあらゆる商売、業界に付き物のこととは言え、半可通の理解に基づく議論、言論が横行し、商売が先行し、世論を誤導している。それでも「商売になる」のだから、改善の見込みは「百年河清を待つ」の類である。

 しかし、黙って見過ごすわけにはいかないし、批判を公言しておかないと、同類と見なされかねない。メディアの世論誤導は、私自身の人生の恥でもある。そのために、私の物言いには、どう押さえても、最初から喧嘩腰のような感じが出てしまう。主題そのものが難しいせいだと思って、しばらくは我慢してつきあって頂きたいのである。

 さらに言えば、今や、このような突発事件と、その後のますます目まぐるしく展開する事態に追いつくためには、片仮名語が嫌いな私が「電網」と呼ぶインターネットの情報網の駆使ができなければ、お先真っ暗になる。そこで、できるだけ煩雑を避けながら、電網から得た情報を、私自身がこの間に発した電網通信とあわせて適宜、配置する。

 電網情報検索エンジンの作業速度は急上昇し、非常に便利になった。自分がどこかの掲示板に投稿した文章も、記憶にある「鍵言葉」を数個入れただけで、直ちに探し出してくれる。本棚や書類綴りを探すよりも楽である。本文中にも、その具体例を随時示す。

 電網情報を入手したり、情報交換するためには、英語も不可欠になった。

 とはいえ、電網を操る技術とか英語だけを覚えても、予備知識の蓄積、経験、明確な目的がなければ、情報洪水の処理ができずにおぼれてしまって、事態の分析、判断などは、とうていできなくなる。「目的」に関しては以下、旧著の文章を若干改訂増補して繰り返すが、これを私は、この種の問題には不可欠な「故知」と考えている。

 古代中国で何百年も続いた戦国時代の故知の集大成、『孫子』の名で伝わる軍略書には、「故上兵伐謀」(最上の戦争は敵の謀略を未然に破ること)とある。

 もしも「平和のペン」を自称する者が「戦争の剣」、または戦争屋に戦いを挑み、勝利、すなわち念願の恒久平和の実現を目指すのなら、平和のペンの側には、この「故知」の「上兵」以外の戦いの道はない。戦争屋の謀略を一刻でも早く見破り、彼らが「平和」だの「正義」だのを「守る」と称して武力行使に踏み切る前に、真の平和を求める世論形成をなしとげ、彼らの血に塗れた手を縛り上げるしかないのである。

 これまでの自称「平和のペン」は、「謀略」を見破る力量を欠いていたし、それどころか、『孫子』が「下策」とした戦い方に相当する「革命は銃口から生まれる」主義の武装闘争に熱中したり、自爆を心情的に支持したりし、そのくせ、謀略の疑惑を投げかけるのを恐れて、避け、逃げ惑っていた。だから、湾岸戦争を防止できなかったし、その後も同様だったのだが、今からでも遅くはない。失敗の教訓を可能な限り早く整理し、現在の事態にも警告を発しつつ、今後に備えることが肝要であろう。

 この「敵の謀略を未然に破る」という目的意識がないと、単なる興味本位の「情報お宅」の遊び、または、おどろおどろの物語で読者を釣るだけの言論商法に堕する。

 私は、本書の発表に至る作業を、飯の種にする気もなければ、単なる職業的な意味での仕事でもなく、自分自身の人生の戦いの一環として位置づけてきた。いわば自分の一生の名誉を賭けた命がけの戦いなのだから、右顧左眄や八方美人気取りは無用である。そんなことでは最初から敗北、または、よくても無益な対峙の持久戦、消耗戦への道に陥ることになる。断固、「鬼神もこれを避く」の気概で、ことに当たるべきなのである。

 私は、日本テレビを相手取って、16年半の不当解雇撤回闘争を経験した。その争議の最中に多くのことを学んだが、最大の教訓は、次の言葉に集約される。このような考え方は、実のところ、多くの軍学書に共通しているのである。

 「敵と戦うのは簡単だ。味方と戦うのが一番難しい」

 戦いの要求、目的、戦略を明らかにし、戦いの中心となる集団を形成するためには、たとえ普通には味方の陣営に属すると思われる人物や組織に対しても、ときには、命がけの対決を挑み、いわゆる味方の中での主導権を確立しなければならないのである。もちろん、「非暴力抵抗」を選択する私の「対決」の手段は、言論以外にはあり得ない。この場合も、そうなのである。だから、言論として許容される範囲内での限りを尽くして率直な表現をする。

 9・11事件を謀略とする疑惑に関しては、事件発生から半年後の今年、2002年3月に、フランスで、ティエリ・メサン(Thiery Meyssan)という名の45歳のジャーナリストが書いたEffroyable Imposture(「ぞっとする詐欺」または「恐るべきペテン」)という題名の本が出て、6月には22万部の超ベストセラーとなり、パリ発、8月21日のロイター通信記事には、英語版もニューヨークで出版とある。これで私も、かなり、やりやすくなった。

 ドイツからも、以下に抜粋して紹介するように、同様の疑惑の声が伝わってきた。

http://www.asahi.com/column/aic/

〔木村註〕以下の引用は、このasahi.comの電網記事。このURLの後ろにTue/tan.htmlがついて、以下の日付、May 07, 2002の記事が取り込めたのだが、毎週更新なので現在は別の記事になっている。

「欧州どまんなか」 May 07, 2002
陰謀論が陰謀論をひきおこす

 日本に、アンドレアス・フォン・ビュロー(64歳)というドイツ人など知る人はいないと思われる。彼は25年間連邦議員をつとめ、ヘルムート・シュミット首相の下で1970年代国防政務次官、1980年から1982まで科学省大臣にまでなった社民党の政治家である。今は政界から引退して弁護士をしている。

 「9月11日」のテロ事件以来、ウサマ・ビンラディンを黒幕とする国際社会の通説に対して、異説が次から次へと生まれ、世界中を駆け回る。過去の人ビュロー元大臣が時の人になったのは通説、インターネットに異議を申し立てたからである。 多くの疑問が「陰謀論」として抑えられて世論操作されていることにビュローさんは憤慨する。

 陰謀論は複雑な現象を単純化するので、欧米社会では評判が悪い。またこれは反ユダヤ主義と結びつくので、特にドイツのメディアは陰謀論を極端に警戒する。それでもビュローさんのインタビューが新聞に掲載されるのは地味で誠実な政治家だったというイメージが彼にあるからである。

 彼は容疑者がたくさんの足跡を残していることに「象の群れがジャングルを歩いたよう」と皮肉る。これも、彼が長年議会の諜報活動監視委員会にいた経験から、プロの秘密情報機関ほど国家の不法活動の痕跡を消すために、偽の証拠をたくさん残すことを知っているからである。[後略]

 ただし、逆の動きも多い。8月31日には、当然、翌日からの9・11事件一周年の9月を意識したのであろう、テレビ朝日、NHKの双方が、9・11事件の全貌に迫るかのような宣伝文句の長時間番組を放映した。テレビ朝日の方は、『ザ・スクープ』(9月で番組終了)で、長い題名の最後に「世紀のウソに迫る」とあったが、大袈裟に「世紀のウソ」というわりには、何のことはないのだった。「ブッシュらが事前情報を得ていたのに云々」でしかなかった。期待外れである。逆に、アメリカから新情報を得たり、独自取材したりして、結局は「アルカイダ犯人説」の上塗り、「証拠はあった!」の繰り返しに成り果てていた。

 メディア報道のこの習癖は非常に重要なので、以下、先のドイツ人、アンドレアス・フォン・ビュローさんの意見の中から、以下の「皮肉」の部分だけを復唱する。

 彼は容疑者がたくさんの足跡を残していることに「象の群れがジャングルを歩いたよう」と皮肉る。彼が、プロの秘密情報機関ほど国家の不法活動の痕跡を消すために、偽の証拠をたくさん残すことを知っているからである。[後略]

 本書出版の目的は多岐にわたるが、発端の最大の眼目は、以上のような「プロの秘密情報機関」が、世論操作のためにわざと残した「たくさんの足跡」、「偽の証拠」に惑わされたり、騙されたりすることなく、9・11事件を、日本の大手メディアが異口同音、一斉の合唱状況で報じたような「テロ」などでは決してなく、「テロを装った戦争挑発の謀略」の疑惑が濃厚であることを、ありあまるほどの証拠によって示すことにある。さらには、それをふまえて、副題の後半、「アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心」へと迫ることになる。

 この作業を裁判に例えると、9・11事件を「テロ」でなくて謀略であると完全に立証しきり、裁判官や陪審員を説得し、世論を形成し、勝利判決を勝ち取るまでに至るのは、たやすいことではない。しかし、逆に「テロ」だという証明の方も、まるでなされていない。容疑者に関する証拠は、まるで示されていない。あるのは風評ばかりである。つまり、これでは、誰にも、「テロ」だと断定することなどは、できっこないのである。

 本書ではさらに、この事件の真相と背景が、大手メディアによって、いかに歪めて伝えられたか、その原因は何かを問い、その仕組みを明らかにする。実は、この仕組みの方が、事件そのものに数倍する複雑な問題を孕んでいるのである。

 その際、重要な問題の第一は、どうやって、この複雑怪奇な物語を、「分かりやすくする」か、なのである。ただし、それは、単純化するという意味ではない。

 9・11事件の真相も背景も、およそ考え得る限りの事件の中で、最も複雑怪奇である。それを思い切って「分かりやすく」し、その背景に迫るためには、まず出発点で、「分かる」の語源とされる「分ける」を徹底するに越したことはないだろう。まずは、事件の要素を徹底的に分解し、整理し直すことである。

 今度は、都合のよいことに、この事件とその後の状況の中で、「二分法」という言葉が普及した。これが一番簡単な「分ける」または「分解」の方法である。

 一番最初の分解は、この事件が「テロ」なのか、それとも、私の主張のような「テロを装った戦争挑発の『謀略』」なのか、という「二分法」である。

 本書では、まず始めに、事態の徹底的な分解から整理へ、そして最後には、総合的な組み立て直しへと進む。筋書きを分かりやすく、読み下しやすくするために、大筋の流れを重視し、枝葉末節にわたることは極力避ける。できる限り簡素にし、細部の枝葉の取り残し部分は、再吟味の材料として残し、別途、資料編を作って盛り込み、注釈、資料紹介、索引などを加え、今後の長期にわたるに違いない議論、研究に備えることにする。決定的な材料が不足している謎については、後日、新しい情報を加えて再検討することにする。

 いわゆる類書の検討と論評も資料編に収める。類書は、9・11事件以後、たくさん出ているが、膨大な最新の電網情報の処理に追われて、いちいち細部を検討する時間の余裕はなかった。この点も、別途、資料編で原稿を改めて論ずるが、軽率な大手商業メディアばかりでなく、先行の類書の中にもすでに、必要な調査の努力なしに、9・11謀略説を「いい加減な風説」(広瀬隆『世界石油戦争』)と切り捨てたり、「明らかに反シオニスト勢力のプロパガンダ」(浜田和幸『アフガン暗黒回廊』)と決めつける例が出ている。だから、それが大手メディアにも影響を与えているであろうことだけは、一応、指摘しておく。

 このような「切り捨て」「決めつけ」に関しては、以下の本文の中で、そのような言説がいかに証拠を無視しているかを論証し、決定的な反論となる材料を列挙した。

 それらの「おどろおどろ」型の類書と決定的に違ってくるであろう本書の特徴は、9・11事件をめぐる細部の基本を深く押さえながらも、むしろ、なぜ、これだけの疑惑が沸騰しながら、アメリカとイスラエルが、世間周知の暴虐な侵略戦争を継続できるのか、その様々な仕組みの解明を重視し、その背後に潜む「現代神話」に、いわば決死の肉迫を敢行する点にある。 

 9・11事件の真相解明について私は、10年前の拙著『湾岸報道に偽りあり』の延長線上の「自分の仕事」と思い定め、全力を挙げて取り組んできた。

 だが、私の戦争と平和の問題に関する思いの原点は、1991年の湾岸戦争よりもさらに46年前の1945年、私が8歳の夏、北京の日本人専用の国民学校の講堂で聞いた「敗戦」の「詔書」にある。それまでの幼心に叩き込まれた「神国」「現人神」が突如崩壊し、真っ赤な大嘘と知り、ついでアメリカ占領下の日本で「民主主義国」アメリカの人種差別の現実、大嘘を知り、さらには「社会主義の祖国」ソ連の大嘘を知り、1991年の湾岸戦争では、あの残虐極まりない「弱い者いじめ」の戦争に日本が「貢献」し、しかも、その世論作りに、私がそれまでの30年間の基本的な職業としていたテレヴィ放送の大嘘が駆使されたことを、またもや知ったのである。この恨み、晴らさずにおくものか、戦争屋の謀略を暴かずにおくものか、というのが私の人生を賭けた戦いの思いなのである。

 私の戦いの目標を要約すると、「戦争と嘘」の暴露になる。その戦いの具体的な課題が、今回は特に「テロ」という言葉の使用への批判に集約されるのである。だから、多少、表現がきつくなるのは、ご容赦頂きたい。


序章 9・11からアフガニスタン攻撃に至る経過の基本的問題点