『9.11事件の真相と背景』(15)

「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?
アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く

電網木村書店 Web無料公開 2006.2.2

終章 神と悪魔(ファシスト、コミュニスト、
テロリスト)の最終戦争の展望

 私が、この終章のために選んだ象徴的な一連の言葉、「ファシスト、コミュニスト、テロリスト」を、初めて続けて口にしたのは、今年の春、2002年4月12日(金)のことだった。

 その日の午後、在日アラブ人らが、パレスチナの平和を願って、駐日イスラエル大使館に向けて、日本国内で初めてのデモ行進を行った。

 私が電網情報によって知ったこのデモ行進の出発地点は、市ヶ谷駅のすぐ傍の公園だった。デモ行進の途中には、私の古巣の日本テレビの社屋がある。昔懐かしい場所だから、連帯の意を表明するために、デモ行進の集合前の昼休みに、市ヶ谷駅前の道路際に立ち、持参の巨大ラジカセを使い、マイクを握って、交差点広場に向けての1時間の街頭演説を敢行した。折悪しく、いわゆる花寒、予期せざる寒風に晒されながらの辛い1時間となった。当日は伊達の薄着で出かけた65歳の私には、大変に厳しい荒行の1時間であった。

 しかしながら、私は、いささかも怯むことなく、断固として声量一杯の演説を敢行し、デモ行進にも最後まで参加した。

 その時の1時間の街頭演説の中で、私は、ふと思いついて、「正義の味方アメリカの必需品の悪魔」の類型として、アメリカの独立当時の「インディアン」に引き継ぐ近年の彼らの「悪魔化」の対象、「ファシスト、コミュニスト、テロリスト」を連呼したのである。この三つの「スト」のいずれにも、暴力の匂いが立ちこめているところが、いわゆる「味噌」である。「神」を気取るアメリカ帝国による「悪魔化」の付け目なのである。

 今回、この自分の言葉を電網検索で使うために、確か、どこかに書いたはずだと思い、「ファシスト、コミュニスト、テロリスト」で電網検索したら、ちゃんと出てきた。

 その後の2002年7月13日、阿修羅戦争掲示板に、以下の題の投稿をしていた。

http://www.asyura.com/2002/war13/msg/537.html
「正義の味方アメリカの必需品の悪魔/ファシスト→コミュニスト→テロリスト」

 以下が、その短い内容の改訂版である。

 「神と悪魔」という概念は、ユダヤ教以前のゾロアスター教に起源するようだが、ガルブレイス『権力の解剖』「条件づけ権力」の必需品の「恐怖」の材料として、今、CIA工作に起因する「テロリスト」の悪魔が、むしろ、育成されていると見れば、現状が分かりやすくなるだろう。

 問題は、このように、「言葉」の背後に潜む歴史に関する正確な予備知識の有無にある。それなしには、現状の分析もできないし、ましてや、未来を展望することなどは、とうてい不可能である。

 その視点で人類史をひもとけば、いわゆる「戦国」の最中に、そのような現状の把握と、未来の展望への努力を必然的に生み出した時代と、その典型の人物に必ず行き当たる。

 私が推奨する人物は、インドの釈迦、中国の孔子、イタリアのマキアウェルリ(マキャベリ)である。とりわけ、古代中国の周の古典的歴史記録、前722~481の242年間とされる部分の『春秋』に注釈を施して、儒教の基本文献とし、思想の中心に「仁」を据えた孔子の位置づけは重要である。いわゆる「春秋戦国時代」には、戦争と平和をめぐる思想の典型が出尽くしていると言って差し支えない。これらを、現在の状況と照らし合わせてみて、そこから未来を展望すべきであろう。

 私は、歴史と現状に関する知識を広げ深める場としても、さらなる電網の活用を考えている。その具体例を、最後に紹介して、終章の結論に代える。

 その第一は、本書の題名の「背景」に当たるもので、「石油資源争奪戦」に関する「知る人ぞ知る」歴史と現状の深層である。

カスピ海周辺の石油資源をめぐる米ロ協調の歴史と現状の深層

 この件は、以下の通信で発表したが、そこから一般に知られていない問題のみを抜粋する。出典は以下に明記してあるので省く。

http://www.asyura.com/2002/war14/msg/379.html
『亜空間通信』330号(2002・8・9)(340号と誤記を330号に訂正)
【イラク攻撃情報乱れ飛ぶ背後に米ロ石油連合とユダヤ資本の歴史もある世界戦略】

 2002年6月に石油輸出国機構(OPEC)加盟諸国は非加盟諸国との協議を予定している。グリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長は原油価格の引き上げを抑えようと、ありとあらゆる圧力をかけている。これに先立って、ロシアはすでに増産を決定した。

 9・11事件のもう一つの影響は、米ロ両国が接近し、ロシアの石油・天然ガス開発計画へのアメリカ企業の関与が増大したことである。

 この件で、私は、別途の通信を発し、投稿もしているのだが、9・11事件の直前に、シャロンがプーチンに会いにモスクワに赴いたことが、ベタ記事になっていたのである。

 以下が、電網上に存在するシャロン・プーチン会談の新聞報道例である。

http://www.pref.toyama.jp/sections/1302/kannihon/daily/01/r01/r01_09.htm
Daily [ロシア] 2001年9月 [環日本海に関する報道記事から抜粋、掲載]

2001・9・8/朝日新聞
 プーチン大統領は、シャロン・イスラエル首相との会談を受け、パレスチナとの交渉再開の可能性をさぐる大統領特使の派遣を決めた。

2001・9・7/北日本新聞
 ロシア・サハリン北東部沖の大規模石油、天然ガス開発「サハリン1」を進めている日本、米国、ロシア、インドの企業連合が、日本への天然ガス供給と並行して、パイプラインで中国へも供給する計画を検討していることが明らかになった。

2001・9・5/日本経済新聞
 プーチン大統領はクレムリンでシャロン・イスラエル首相と会談し、パレスチナとの交渉の早期開催を求めたが、和平に向けた進展は見出せなかった。

http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/article/chuto/200109/04-7.html
毎日の視点/シャロン首相がモスクワ入り 公式訪問を開始

 それ以上の情報はないが、プーチンがブッシュに9・11事件を「警告した」という情報は広く出回っている。ここにも深い謎が潜んでいる。

 以下は、ロシアの石油をめぐる欧州、ユダヤ資本の歴史的因縁の分かりやすい解説である。「ロシア・石油・採掘・資金・カスピ海・ユダヤ」のキーワード検索で発見した電網情報、「旧ソ連アジア部におけるエネルギー生産の統計的分析(1860~1961年)」(村上隆・北海道大学)の要約である。

 (旧ソ連の)エネルギー資源は、帝政ロシアからロシア革命以後の社会主義経済建設過程において、原動力として貢献し続け、1991年末の社会主義経済体制崩壊後のロシアにおいても経済の要としてますます重要な役割を果たし続けている。

 石油の産出地域として脚光を浴びるようになったのはアゼルバイジャンのカスピ海に突き出たアプシェロン半島である。この半島にはバクー市が位置するが、この市の周辺に何世紀も前から油兆がみられていた。石油の生産が開始されたのは、1813年にアゼルバイジャンがロシアに併合されてからのことである。当時のロシアの石油開発技術は後進的で、1860年代末までは手掘りで石油が汲み出されており、ロシア帝国政府はこの石油産業を直轄産業として独占支配していた。1870年に入って帝国政府が独占を放棄したことによって私企業の競争関係が生まれ、本格的な石油開発の夜明けを迎えた。その後ボーリング量が増えるに伴って産出量は急増することになる。1870年代初めになってやっと馬を使って井戸から石油を汲み上げる方法が普及するようになり、さらに1880年代末からは蒸気機械が導入されるようになった。このように、石油生産が手掘りから機械掘りに移行したことや外国資本が直接開発に加わったことがバクー油田の増産に大きく貢献した。

 このような増産は、主に外国資本の手によって実現されたのであり、ノーベルの存在が大きい。ノーベル兄弟によるノーベル・ブラザーズ石油開発会社は資本金300万ルーブルで1879年に設立された。1901年に、バクー油田開発で得た資金によってノーベル賞が設けられた。

 一方、バクーにおけるブンゲとパラシュコフスキーの2人の生産者は、ノーベル社の北方ルートに対抗してバクーからコーカサス山脈を超えて黒海沿岸の町バツーミに石油を輸送する鉄道建設に着手し、これに資金援助したのはフランスのロスチャイルド家である。そのおかげで1883年に鉄道が完成し、「カスピ海・黒海石油販売会社」を設立した。

 ロシア国内の市場に限界をみたノーベル社もヨーロッパの市場に積極的に進出し、販売競争は激化した。これに拍車をかけたのは米国スタンダード石油の進出である。ロシアの灯油がヨーロッパ市場で米国産灯油と競合するようになると、スタンダードはダンピングで対抗し、市場の争奪戦が展開された。三つ巴の競争のなかで、バクー油田の生産量は、1901年にピークを迎えた。当時、ロシアの石油のほとんどはバクー油田から産出されており、例えばピーク時の1901年の生産量はロシア全体の95%を占めた。[後略]

 以上のような最近の経過と過去の歴史的事実を通じて見えてくるのは、アメリカ、または英米を中心とする国際石油独占の19世紀以来の執念と近未来戦略である。

 ロシアを抱き込んで、カスピ海周辺の石油・天然ガス資源を確保できれば、五月蠅いサウジやイラクを、はるかに上回る量の「スペードのエース」、「オールマイティ」を握ることになる。金輪際、負ける心配なしとなり、ポーカーフェイスのブラフの技術すら必要なし、どこまでもせり上げが可能になるのである。

 しかも、ここで、カスピ海石油資源の金主として「フランスのロスチャイルド家」が出てきた。同家は、先に紹介したように、パレスチナの土地取得にも金を出していた。イギリスのロスチャイルド家の当主は、世界シオニスト機構イギリス代表でもあったが、懐が寂しいイギリス政府にスエズ運河利権買収の資金を出し、それを交換条件にして現イスラエル建国への歴史的転換点をなす「外務大臣バルフォア」からのhomeland実現約束の手紙を確保していた。つまり、石油、パレスチナの土地、中東と東西交通の要衝スエズ運河、これらのすべてに前もって、ロスチャイルド資金が投入されていたのである。

 3000年の歴史を誇るユダヤ人の中心組織が、無駄に資金を投入し、手をこまねいているわけはない。いずれ、それらの投資が、巨大な成果を生むことを期待し、見張ってきたに違いない。もちろん、お得意の情報収集に基づく謀略の限りが尽くされたのである。

 9・11事件以後の情勢の展開に関して、イスラエルとアメリカの齟齬を云々していた向きは、やはり半可通であって、ここまでの深層の深読みができなかったのである。

 その第二の重要な電網情報は、この「カスピ海周辺の石油資源」をめぐる、アメリカのCIA工作の秘められた歴史の重要かつ画期的な一頁である。

米大統領補佐官がソ連の侵攻以前のアフガニスタンCIA謀略を自認

 9・11事件からアフガン侵攻と、目まぐるしいばかりの毎日が続いた頃、ある匿名希望のわが電網宝庫読者から、私宛の私信で、新しい情報が届いた。この読者は、ユーゴ戦争に関する私の電網宝庫記事を検索で知って、それを読み、以後、カスピ海周辺の石油資源問題から各種の電網情報をたどり、いくつかの情報を提供してくれていた。その読者が、2001年10月17日に、アフガニスタンでのアメリカのCIA工作に関する新情報を発見して教えてくれたのである。以下が、その通信の内容の抜粋である。

 「ジミー・カーターとアフガニスタン支援政策の開始について、1998年に、カーター政権当時のブレジンスキー補佐官がフランスのヌーヴェルオブセルヴァトゥール誌に語った記事の採録が、インターネットにありましたので、再録してお送りします。これは、フランス語の記事を英訳したものです。[中略]以下の記事によると、カーターも補佐官や情報機関も、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻するほぼ半年前の1979年7月3日から反ソ分子への秘密援助を始めていたということです。この日、7月3日、カーター大統領が最初の秘密援助の指令に署名したとのことです」

 これは実に貴重な情報だった。この当時、つまり、私がこの情報を受けた2001年10月のことであるが、アメリカは、アフガン空爆を開始した。日本の大手メディアは一斉に、日本人向けのアフガニスタンの現代史の解説を始めていた。どのメディアも、「1979年12月」に「ソ連が侵攻」してから、アメリカがCIA工作を開始したのだと説明していた。この説明だと、「いきなり」侵攻したソ連が一方的な悪者になり、その時のCIA工作の結果として、いわゆる「イスラム原理主義者」の「テロリスト」を育成してしまったアメリカの方が、相対的に善玉になってしまう。

 私は、急遽、フランス語の記事の存在も確かめ、一応は読み、参照しながら、英語の方との対訳の形式にして、即日、以下の通信で発表した。その中から日本語の部分だけを、若干の改訂を加えて紹介する。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/akuukan-01-10-47.html
『亜空間通信』47号(2001・10・17)
【ムジャヒディン援助はソ連の侵攻以前のCIA謀略と大統領補佐官が認めていた】

 以下が英語版の電網宝庫で、英語だけの原文が入っている。

http://www.counterpunch.org/brzezinski.html
Zbigniew Brzezinski: How Jimmy Carter and I Started the Mujahideen

 以下がフランス語の原文の画像である。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/brzezinski.gif
LES REVELATIONS D'UN ANCIAN CONSELLER DE CARTER

 このフランス語の題名の拙訳を「元カーター大統領補佐官が語る歴史の真相」とする

[以下、拙訳の全文]

 ズビグニュー・ブレジンスキーに対する『ル・ヌーヴェル・オブゼルヴァトゥール』(フランス)1998年1月15‐21日号のインタビュー記事(76頁)

質問 CIAの元長官、ロバート・ゲイツは、彼の回顧録『物陰から』の中で、「アメリカの情報機関はソビエトの干渉の6か月前にアフガニスタンでムジャヒディンを援助し始めた」と述べた。この期間に、貴方はカーター大統領の国家安全保障補佐官であった。したがって貴方は、この工作で何らかの役割を果たしたと思われるが、その通りか?

ブレジンスキー はい、その通り。政府の公式発表に基づく歴史によれば、ムジャヒディンに対するCIAの援助は1980年、すなわち、1979年12月24日にソビエト軍がアフガニスタンに侵攻した後に開始されたことになっている。しかし、現在まで極秘にされてきた事実に基づくと、この記述は完全に間違っている。実際には、カーター大統領がカブールのソ連寄り政権の敵手に対する秘密の援助のための最初の指令に署名したのは、1979年7月3日であった。まさしくその日、私は大統領に向けて、この援助がソビエト軍の干渉を誘発するであろうという私の意見を彼に説明するための書面をしたためた。

質問 この危険を承知の上で、貴方は、この隠密作戦の唱導者の一人となった。ところで多分、貴方自身、この時にソビエトの参戦を望み、この作戦を、それへの挑発と見なしていたのではないか。

ブレジンスキー まったくその通りとは言えない。我々はロシアが介入するように背中を押したわけではないが、故意に彼らがそうする可能性を増やしたのである。

質問 ソビエトが彼らの干渉を正当化して、彼らの意図が、アフガニスタンへのアメリカ合衆国の隠密の関与に反対して戦うことにあったと主張したとき、人々はそれを信じなかった。しかし、真実の基礎があった。貴方は現在、何ら後悔しないか。

ブレジンスキー 何を後悔せよと言うのか。あの隠密作戦は卓見であった。あれは、ロシアをアフガニスタンの罠に嵌める効果を挙げたのであって、それを貴誌は、私に後悔せよと言うのか。ソビエトが公然と国境を越えた日、私はカーター大統領宛てに書いた。我々は今、ソ連にベトナム戦争を与える機会を得た、と。その通りに事態は進み、ほぼ10年の間、モスクワは、政府が耐えられない戦争を続けねばならなくなり、その紛争が軍の士気崩壊とついにはソビエト帝国の解体をもたらしたのである。

質問 貴方は、イスラム[原理主義]を援助し、将来のテロリストに武器と助言を与えたことについても、まったく後悔しないのか。

ブレジンスキー 何が世界の歴史の上で最も重要なのか。タリバンか、または、ソビエト帝国の崩壊なのか、わずかばかりの扇動されたイスラム教徒なのか。あるいは中央ヨーロッパの解放と冷戦の終結なのか。

質問 あれを、わずかばかりの扇動されたイスラム教徒と言うのか。現在、イスラム原理主義は世界の脅威を代表すると、何度も繰り返し語られているが。

ブレジンスキー ナンセンス! 西側にはイスラム教に対しての世界的な方針があったとも語られているが、愚かなことである。世界的なイスラム教などはない。イスラム教を、民衆扇動の目的や感情を抜きにして、合理的な方法で見るべきである。あれは15億人の信者を擁する世界の主要な宗教である。しかし、原理主義のサウジアラビアと、穏健なモロッコと、戦闘的なパキスタンと、西欧びいきのエジプトと、あるいは、中心アジアの世俗主義と、それらの中のどこに共通したものがあるか。キリスト教国の団結と似たり寄ったりである。

*この雑誌には少なくとも二つの版がある。米国議会図書館にあるおそらく唯一の例外を除くと、アメリカ合衆国に送られた版はフランスの版より短くて、その短い版にはブレジンスキー・インタビューが入っていない。[後略]

 この最後の「*」印以下の部分は、英語版の訳者の注釈を拙訳したものである。これも、アメリカの巧みな情報操作の手口の一つである。

 なお、前記のごとく、『ル・ヌーヴェル・オブゼルヴァトゥール』の側は、質問の中で、当時の「ソビエト」の「主張」を記している。以下、その部分だけを繰り返す。

質問 ソビエトが彼らの干渉を正当化して、彼らの意図が、アフガニスタンへのアメリカ合衆国の隠密の関与に反対して戦うことにあったと主張したとき、人々はそれを信じなかった。しかし、真実の基礎があった。[後略]

 つまり、1979年から1980年頃にも、「ソビエト」の方の「主張」を検証すれば、その主張と一致する「合衆国の隠密の関与」の「真実の基礎」を明らかにできる契機があったのである。この時にも、「ソビエト」の歴史的な評価は別として、やはり、アメリカの動き、謀略を疑うべきだったのである。

 当面、イラク攻撃をめぐって、様々な憶測が飛び交っているが、ここでは、単に概略の予測を述べるに止める。

 アメリカ=イスラエル同盟を中心とする人類史上空前の巨大な諸勢力の連合は、それぞれ、互いに矛盾する思惑を内部に抱え込みながら、人類集団自らが作り出し、人類から外化した「フランケンシュタインの怪物」としての「資本」の衝動の命ずるままに、これまでの「国家」「民族」の歴史の枠を超えた世界支配構想の実現に向けて、熾烈な戦いを繰り広げることになるであろう。諸情報を総合すると、イラク攻撃には、ボーリングゲームの全部倒しのストライク、または「将棋倒し」の狙いがある。サウジアラビアやイランも含めたイスラム圏の石油資源の「独り占め」をたくらみ、それによって世界の「首根っこ」を押さえようとする「資本」の衝動を見るべきであろう。

 しかしながら今、この「フランケンシュタインの怪物」の無限の衝動を制御し得る思想は、どこにも見い出せないのである。

あとがき

 本書の主題は今なお、さらに熾烈に展開中である。すでに「はしがき」で予告したように、本書の資料編も予定している。そこでさらに数多い残された謎の解読に挑む。

 すでに本文中にもその一部を記したが、匿名の方も含む多くの情報源に感謝する。

 なお、本書の校正に関しては、私の最初のメディア論の単行本『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』以来の友人である岡田治さんの協力を得ることができた。ここに、本書の出版に至るまでの23年にわたる友誼への深い謝意を表させて頂く。