WEB雑誌憎まれ愚痴連載
元共産党「二重秘密党員」の遺言(その5)

「階級闘争」短絡思考は「マルクス読みのマルクス知らず」

 最近の「大恐慌型不況」などと言われる経済状況の中で、マルクスの「恐慌論」の見直しが、財界紙とも呼ばれる日経の経済論壇にも現われるようになった。

 一応の留保を付けた上でのことだが、『資本論』に関して、私は、今から5年前の拙著『電波メディアの神話』の冒頭部分で、次のように記していた。

(以下、「ひらがな化」し過ぎていたので一部を漢字に戻した以外は原文のまま)

 私には『資本論』を通読した経験しかないが、今のところマルクスの方法論や分析を根本的に訂正するに足る材料を持ち合わせていない。

 東西冷戦構造とソ連の崩壊以後、「マルクスは間違っていた」という趣旨の、それ見たことかという感じの論評が溢れているが、私が見た限りの文章では、その種の論者がまともに『資本論』を勉強したとは到底思えない。

 むしろ、『資本論』の内容への賛否以前の問題である。これまでに、この世紀の問題の書物を読み通すことができずに内心ジクジたる状態だったエセ・インテリが、これで長年のコンプレックスの原因の除去が可能になったと錯覚し、この世紀の怪物を一刻も早く忘却の彼方に葬り去ろうと焦っているように思えてならない。本当に自信をもって『資本論』の誤りを指摘できるのだったら、マルクスに匹敵する程度の説得力のある論文を発表すればいいのだが、そういう実例はいまだに聞こえてこない。

 私があえて「根本的に訂正するに足る材料」という微妙な表現をしたのは、他でもない。経済学としての『資本論』の分析への疑問ではないのだが、別の大問題が生じていると感じるからだ。

 第1には、その後の歴史の経過や、人類学、動物行動学などの新知識によって、人類という名の裸のサルが、マルクスの予見のような「自由の王国」への入居を果たすことができるような機能を、本当に持ち合わせているのかどうかを疑い始めたことだ。

 第2には、裸のサルそのものの愚行の数々が、自らの生存環境をも決定的に破壊しつつあるという、マルクスの予測を遥かに越えた悲劇的事態の進展である。

[中略]

 マルクスの『資本論』における方法論を人類社会の研究という側面で理解すれば、市民個人の権利をまず重視して、そこから上昇して人類社会全体に迫るという考えも出てきてしかるべきだろう。ところが現在われわれは、実際には個人の思想上の権利をことごとく無視し続けたエセ社会主義の崩壊を目前にしている。

 以上の文中の、「実際には個人の思想上の権利をことごとく無視し続けたエセ社会主義」と言う表現には、「エセ社会主義国」の電波メディア政策批判の他に、日本共産党その他の日本の政治的諸流派全体への批判と、自戒をも込めたつもりだった。

 その後、今は亡き元民放労連委員長、竹村富弥さんと、ある集会からの帰途、中央線の電車の中で交わした会話が、実は、私にとっては竹村さんの遺言になってしまった。その内に、「マルクスの間違い」があった。それは、労働組合運動に一生を捧げたという形容が相応しい竹村さんの口から出ただけに、非常な重みのある言葉だった。

「マルクスは労働者を信用しすぎたね。労働者だって普通の人間なんだから」

 私の日本共産党経験の中では、経歴書みたいなものに、「階級」だったか「階層」だったか記憶が明瞭ではないが、ともかく、自己申告の記入欄があるのが、ずっと気になっていた。私は、当時、労働組合の役員でもあったが、「労働者」ではなくて「知識人」と記入するように「指導」された。

 折りしも中国で文化大革命とやらが進行中だった。簡単に言えば当時の中国では、「労働者的ではない」という決め付けによって、「知識人階級」が各所で糾弾されていたのだが、最高「指導者」毛ちゃんも、再婚相手の江ちゃんも、その伝で行けば「知識人階級」なのである。要するに「階級」を口実にした権力闘争に他ならなかった。

 これらのモヤモヤが、一挙に噴火したかのような気分を味わったのは、昨年の1月17日、私自身にとっては61歳の誕生日当日、パリからの帰途の「一番安い」大韓航空機の狭い座席の上で、睡眠薬代わりに頁をめくり始めた本によってであった。

 最近の断片的情報によると、かの誇り高きフランス人が、アングロ・サクソン相手のコンピューター戦争に飽き果ててか、アクサン(髭)なしのフランス語通信をやっているとのことなので、以下、そうする。

 C'est Karl Marx, avec sa thorie de la lutte des classes, de la prise du pouvoir sur barricades et de la dictature du proletariat, qui a introduit la violence et la haine dans le Socialisme.

 拙訳をすると、「バリケードの上に、そしてプロレタリアート独裁によって権力を獲得するとという階級闘争の理論によって、社会主義に暴力と憎悪を導入したのは、カール・マルクスである」

 以下、マルクスにおいては「内戦」であった「階級闘争」の理論が、弟子によって「社会主義の名において」、「富める国と貧しき国との戦争」へと短絡していく、となる。

 以上は、パリはソルボンヌ大学の坂の上の狭い路地の、ルーマニア文庫、チャウシェスク独裁との闘いのために亡命してきたルーマニア人の経営するアングラ書店で始めて知り、求めてきたばかりの本、『第2次世界大戦を引き起こした責任者』(Les responsable de la seconde guerre mondiale)の冒頭部分、「執筆意図」の10-11頁に掛けての1節である。

 著者のポール・ラッシニエ(Paul Rassinier)は、元高校歴史学教授、戦前にフランス共産党から社会党に移り、戦争中にはレジスタンスでユダヤ人をスイスに逃がす活動に参加し、ゲシュタポに逮捕されて収容所に入りし、戦後は勲章授与者、国会議員、しかし、その経歴と経験ゆえに、ユダヤ人絶滅政策のデッチ上げによるパレスチナにおける領土奪取、欺瞞の侵略への謀略を直ちに見抜き、数冊の関係書を発表し、現在、「ホロコースト見直し論の父」と呼ばれている。歴史的な再評価が待たれる人物の一人である。

 私としては、もちろん、ラッシニエの言葉だからといって、そのまま盲従する気はない。たとえば、「階級闘争」と言う概念自体が、マルクスらの創始によるものかどうか、と言う疑問もある。「階級」が強く意識され、革命の原動力になったのは、マルクス以前の、いわゆるフランス大革命、かのギヨチン時代だったのではないのだろうか。

 ともあれ、このラッシニエの言葉によって、わが脳中に蘇ったのは、1960年安保改訂反対闘争の頂点で、国会議事堂を取り巻くデモの渦の中で覚え、高揚した気分で、喉も裂けよとばかりにガナリ続けた歌の1節であった。

「憎しみの坩堝(るつぼ)に、赤く燃ゆる、鉄(くろがね)の剣を、打ち鍛えよ」

「ワルシャワ労働歌」とされる実に勇ましい歌の1節である。

 この歌は国会突入にはもってこいの気分を作り出した。しかし、今思うと、これらの勇ましい歌には、社会主義思想というよりも、裸の猿の本能に強烈に組み込まれた「恐怖と憎悪」の生存本能に訴える唸りのような、巫女の祈りのような、戦の雄叫び(おたけび)のような、非常に原始的な響きがあったのである。

「マルクス読みのマルクス知らず」という言葉もある。マルクスの言葉自体をも、その弟子たちによる亜流の偏向、利用などをも、すべて考え直す必要がある。

「憎悪」は、それに対抗する「憎悪」を呼ぶ。若者の心の中に眠る「憎悪」の本能を掻き立て、結果として、組織の上からの支配を容易にし、社会主義思想を濁らせ続けてきた利口で有能な「指導者」たちの存在もある。この問題を深く追及することなしにはと思った、というよりも、この問題に気付いてしまった私は、以来、時にふれ、人にふれ、場所にふれ、考え続けているのである。

 以上で(その5)終り。次回に続く。

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