連載:元共産党「二重秘密党員」の遺言(その12)

(中央)に私が厳しく反論、関係幹部の総退陣を要求

1999.3.19 WEB雑誌憎まれ愚痴連載

 前回に再録した「増田紘一(中央)」の名による「ルーマニア問題での大きな誤解」(『赤旗』「評論特集版」「特集・臨時増刊第2号「第19回党大会議案についての意見」1990.6.19. No.697)に対する私からの再反論は、同上6号(1990.6.19. No.703)に載った。私は怒っていたから、当然、手厳しい表現を用いた。以下のようである。


ルーマニア問題で(中央)氏に再反論

徳永 修(埼玉)

 私の意見(本臨時増刊第1号掲載)を「大きな誤解」とする増田(中央)氏の文章(2号)は、およそ反論の体をなしていないが、一応忍耐して再反論の努力をする。ただし、表現が多少厳しくなるのは止むを得ない。

 増田氏の文章は、私と山本氏(北海道)の意見をまとめて切って捨てるという、いわば十把ひとからげの非礼な構成であり、しかも、紙幅の関係などの考慮で私がいささかも論及していない問題を「誤解」だの「十分に理解しない」だのと難癖付けながら、当方が中心的な論点とした証拠資料(資料のマテリアルには唯物、の訳もある)問題には言及せずというおよそ唯物弁証法(弁証法はギリシャの対話術に起源)のイロハさえわきまえぬものである。本来ならば充分に1冊の単行本になるだけの材料がある問題なのに、苦労して論点を絞っている貧乏暇なしの下部党員の苦労を全く理解していないといわざるを得ない。

 この問題に関しての中央の対応の共通点は、まことに単純で、一貫して物的証拠を無視または回避していることである。だから私の前記意見では、「この問題に関する資料収集と分析の努力の経過を詳細に明らかにし、論議と判断の材料を提供すべきだ」と求め、かつ一部の例証としてアムネスティ・インタナショナルの年次報告などの要点を記した。さらに他の多くの意見や政治評論家加藤哲郎氏の「再びルーマニア問題について」(赤旗評論特集版1990.6.25)などで、チャウシェスク独裁の問題点について、私の主張通り「もっと早く事態の分析ができた」ことを示す多数の証拠の存在が指摘されている。

 ところが、この期に及んでも増田(中央)氏は「チャウシェスク政権末期では実態もことさらに隠蔽されていて、人権揉爛の決定的な証拠の把握もきわめて困難」といい張っている。「決定的な証拠」という表現で逃げを打つ用意をしているのかもしれないが、最高裁の真似だけはやめて欲しい。

 特にアムネスティ・インタナショナルの年次報告の取扱い方には重大な疑問がある。元赤旗ブカレスト特派員いわなやすのり氏は同報告から「一九七七年三月の重要な人権アピールに署名した多くの人びとが拘留され、セクリターテ(冶安警察、つまり、チャウシェスクの秘密警察のこと:筆者)によって計画的に殴打され、虐待された。同アピールはパウル・ゴマ(一九七七年後半に亡命した反体制作家)が発したもので、これには少なくとも三百名が署名していた」(1990.3.4.サンデー毎日)と翻訳引用(私も英語版原文を確認)したが、これに反論した国際部長(当時)緒方靖夫氏は、なぜかこの一九七七年の記述を争わずに同じアムネスティ・インタナショナルの別な「拷問報告書」と「国連報告」のみを引用し、年次報告に関しては「八○年代に入ってルーマニアの記述がありますが、これは、訴えがあれば記載されるというもので、…ここでルーマニアがとりあげられたことをもつて、即人権侵害の国と断定することができないことは明白です」と引用なしの誤断をしている。私にはとうてい年次報告を読んだ上での文章とは思えないのだが、少なくともアムネスティ・インタナショナルの報告に一定の証拠価値を認めた論旨である。

 私は、いわなやすのり氏とはなんの縁もゆかりもないが、この時点で少なくとも証拠上、緒方靖夫氏の反論の仕方は不自然であり不利であると、一党員として心配して意見を出したのがことの始まりである。

 ところが、その後の中央の主張の中には、アムネスティ・インタナショナルのアの字も出てこなくなった。今回の増田氏の文章も同様である。誠にア然とせざるを得ない。しかも、私が国際部に確めたところ、中央はアムネスティ・インタナショナルの年次報告書を所持していない、というのである。

 これは一体どういうことなのであろうか。もし、意図的に虚言を弄しているのであれば、ケアレスミスで謝れば済むところを、引き逃げの犯罪行為に深入りしているのだと自覚すべきである。

 私はまた、今回の「議案討議応募原稿」の党内における取扱いにも関連する問題点だけは指摘して置きたい。確に中央の専従者も忙しく専門的に活動している積りだろうが、こちらだっで、仕事を持ちながら、つまりは現在の社会のあらゆる矛盾と現場で対決しながら、その上、大衆活動と党活動までやっているのである。

 どちらが本当にのっぴきならない戦いをしているのか、ひとつ間違えば奈落の底という真剣勝負をしているのか、労働を通じて日常普段の唯物弁証法の実地訓練をしているのか、頭を冷やして規約や綱領、原典を読み直してほしいと思う。

 日本資本主義の現状は、政治的文化的評価はともかく、世界経済を左右する質と量を誇っている。経営者も官僚も中間管理職も、それなりに優秀で過労死に象徴される猛烈振りを発揮している。現場では「実は資料を見ていませんでした」の弁解は許されないのだ。ましてや、資料の存在が確認された後にもなお「資料がなかった」と強弁し続けるなどは、話にもならない。冷笑され無視されるだけ終わらず、即クビである。

 さらに私は、規約で許容される限度内(時代遅れの不満はあるが、それはここでは論じない)で可能な限りの党員の意見を求めているが、自分の意見を表明したものは全て私に同意している。その上で、止むに止まれず多忙を押して文章化の苦労をしているのである。他の反対ないし修正意見の諸氏の多くについても同じ事情だろうと推察している。

 ところが、1990.6.19.赤旗「潮流」欄は、「一般新聞」の取り上げ方を論評しつつ、ことさらに「異見」という造語を二度も用い、「幹部批判」はごく一部だといわんばかりに、「一般新聞がさっそく『異見』にとびつきました」として反対意見への軽率な敵意を煽っている。私はこの中央の現状を、中国で批判された「山上主義」、アフリカ植民地解放闘争で批判された「マウンテン・トッピズム」の一種であると考える。たかが五十万人、たかが数パーセントの得票率に自己満足し、テレビに出たり、反対意見が届かぬ代々木「クレムリン」内のみに安住している状態が原因であり、「存在が意識を決定」してしまうのである。

 他の反対ないし修正意見の諸民の多くもそうだろうが、私ら第一線党員は決して「腰を抜かして一などいない。党と科学的社会主義の真骨頂を発揮すべき乱世だと思うからこそ、正すべき部分は一日も早く正し、優等生的ないい抜けを計るばかりで現場の闘争の邪魔になる獅子身中の虫は即刻退治すべきたと痛感しているだけだ。また五十万人の中に無数の信頼すべき仲間がいることを長い実践経験を通じて熟知しているからこそ、「一般新聞」のややもすればまぜっかえしの論評を恐れずに、この公開討議に参加しでいるのである。 中央は、反対意見にも、ではなく、真撃な反対意見にこそ、謙虚に耳を傾けるべきである。「二、三人」の「異見」などではない。

 最後に、百聞は一見に如かず、とか。今や日光東照宮よりも著名な「チャウシェスク宮殿」の敷居を跨ぎながら、その背景に想いを致す点で不十分だった諸氏を、このまま先見性を旨とする科学的社会主義の党の専従者として置くには大いに不安があるので、大会は諸氏に自己批判書と進退伺いの提出を求め、特別監査委員会を設置して個別審議するのが筋であろう。

 以上の私からの再反論に対しては、前回にも記したように、「十把ひとからげの非礼な構成」という批判が徹えたものか、私一人に対する(中央)再反論が出た。

以上で(その12)終り。次回に続く。


(その13)さらに(中央)からの再反論の「嘘」
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