日本近現代「意外史」@憎まれ愚痴

◆勅令「阿片謀略」

戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の中国「阿片戦略」の詳報

 東京神田の古書店に3つのダンボール箱が現れた。売主の身元は伏せられている。だが中身の古びた書類は、紛れもなく、蒙古連合自治政府の日本人元高官、経済部次長の旧蔵資料であった。「軍」「官」「民」挙げての湮滅作戦を免れれた当局資料の奇跡的な出現に、長年の研究者は興奮を押え切れない。
 戦後43年を経て、第1級の「極秘」当局側1次資料が、有無をいわさず立証する日中15年戦争期最悪の国家犯罪秘録。「幻の阿片帝国」蒙疆(もうきょう)傀儡政権(1937年~1945年)の全8年史が、いま、日本人全体に問直す。(文中敬称略)
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「大風呂敷」こと侵略の鼓吹者、内務大臣にまで成り上がった後藤新平の阿片商売

 さらに重大な問題が、巧みに隠蔽または偽装されたまま、最近まで事実上、アカデミズムに無視されてきた。後藤らは台湾の産業開発に先んじて阿片専売による巨利を企み、成功していたのである。
 阿片の吸飲は日本国内では厳禁だった。中国本土でも禁止運動が広がっていた。それを知りながら、後藤は、台湾では阿片を禁止せずに「漸禁」の専売政策を実施し、「医療用」に専売したのである。「漸禁」の名による阿片許可の政策は、財政目的だけではなくて、現地人を阿片漬けにし、反抗を押さえる目的をも合わせ持っていた。イギリスと中国の阿片戦争の例を引くまでもなく、阿片は歴史的に、植民地支配の根幹としての役割を果たしてきたのである。 ⇒全文を読む

関東大震災の報道検証

 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。
……石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。
 「記者の1人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。
……帰って来た者の報告では、正力君から、『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』と頼まれたということであった」
 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、というのが下村の論拠だった。下村は台湾総督府民政長官を経験している。植民地や朝鮮人問題には詳しい。そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。
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南京大虐殺vsホロコースト神話

▼南京大虐殺とホロコーストは別物(1998.4.15)

 まず私は、戦争中に北京にいたという事情もあり、日本が行った侵略戦争への批判では、少なくとも、気持ちの上では人後に落ちないつもりです。
 南京大虐殺とホロコーストを一緒くたにして、「これも否定するのと同じだ!」という議論は……

▼本多勝一「南京大虐殺」/100人斬りの大嘘

 当時においては、実は単に自称「左」、または「心情左翼」と称される読者の確保に熱心な「エセ紳士」こと朝日新聞社の社用で、ヴェトナム戦争や中国文化大革命の情報取りに従事した被告・本多勝一を、それだけで「左」の「ジャーナリスト」だと誤解する向きが多かったのである……

▼『週刊金曜日』『出版レポート』座談会記事批判

 だが、本多が自分の全集の「南京大虐殺」関係1冊に添えて私に送り付けてきた1997年12月5日付けファックスでは、次のように、日本の大陸侵略と「ガス室」をわざと混同……

▼高嶋教授「百人斬り」公開書簡

 同じSAPIO(98.2.25)で貴兄の記事の前に載っていた井沢氏の文章には、私が目下、告発中の「ヒトラーと協力してパレスチナ強奪を狙った政治的シオニストの捏造による大嘘の謀略」こと、いわゆる「ユダヤ人絶滅計画」について、何も自分では調べずに「歴史的事実」と断定している部分があります。
 私自身も、今から19年前の旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』で、短い文章ですが、同じ誤りを……

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関連:編集長の辛口時評 抜粋

2006.05.27 ホロコーストと南京「大虐殺」はデマゴギーの双璧で化けの皮剥げ同時並行

  『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』は、2006年5月、草思社刊である。
 著者の東中野 修道には、「南京事件」に関して、数冊の著書があるが、今回の書評では、小林 進, 福永 慎次郎が共著者の『南京事件「証拠写真」を検証する』2005年1月、草思社刊の続編として評価されている。
 以下、そのレビュー(月刊『WiLL』2006年7月号)を、そのまま紹介する。