戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の中国「阿片戦略」の詳報

勅令「阿片謀略」

初出:昭和が終って 『噂の真相』(89.5)
戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の中国「阿片戦略」の詳報
レポーター・木村愛二(フリージャーナリスト)

その1:「極秘」資料出現

 「幻の阿片帝国」蒙疆(もうきょう)傀儡政権(1937年~1945年)の全8年史  日本が、国家政策として中国で阿片の増産を督励し、軍事機密に重用し、輸出さえしていたとは……
 筆者の思い出は敗戦直前の北京に遡る。当時は国民学校(いまの小学校)3年生だから、かなりの記憶がある。
 北京の冬は寒い。公園の池がそのままスケート場になる。だから冬の思い出が多いのだが、そのなかでも特に不気味で強烈な映像をとどめているのが、路上に放置されたままの「凍死体」である。学校へ通う道に、ゴロゴロという印象なのである。
 頭の中には映像と一緒に、その当時の日本人の大人の説明が植え付けられていた。
「支那人は昼間から阿片吸って怠けとる」 ⇒全文を読む

その2:「抹殺」「カット」「偽りの映像」

 いまの日本は、極度に大衆社会化が進み、支配層から一方的に流される情報が氾濫している。教科書と新聞、テレビ、大手の雑誌・週刊誌が取上げなければ、それは社会的な「抹殺」といって差支えない。
 「阿片戦略」は、この典型である。
 映画『ラストエンペラー』の日本上映版の試写会で、国際映画祭で写っていた「南京大虐殺」「生体実験」「阿片工場」の三シーンのカットが判明し、騒ぎになった。⇒全文を読む

その3:湮滅を免れた『極秘』文書の奇跡

 『皇軍“阿片”謀略』(千田夏光著、汐文社、1980年)の宣伝用横帯が目に入った。
 「支那事変はアヘン戦争だった?!/蒙疆銀行元行員が語る東条チャハル兵団と金融工作員のアヘン謀略の実態!/興亜院・蒙疆連絡部“経済第一課”の張家口進出から“大東亜薬品(=阿片)会議”の密計に至る、アヘンにからまる戦争の裏面史を抉る!」
 さらには、「大平首相と閣僚たちの黒い結合のルーツは?」とある。
 謎の「興亜院」が出てきただけでなく、「阿片」というドギツイしろものが突如現れたのである。ビックリしないわけがない。 ⇒全文を読む

その4:阿片「原産地」を直轄支配した日

 東京裁判では、検察側が北京市政府の文書を証拠として提出した。それは、「蒙疆」が北京への「阿片来源」だと指摘していた。
 だが当時は、それを立証する日本側の当局資料は乏しかった。「南京大虐殺」でも「731部隊」でもそうだったが、日本では、のっぴきならぬ証拠が突き付けられるまで、「中国側のデッチ上げ」という逃げ文句が世間的に通用してきた。 ⇒全文を読む

その5:大東亜共栄圏の阿片需給計画

 ところで、蒙疆の阿片は日本の阿片政策の中で、どのような位置を占めていたのであろうか。
 「大東亜共栄圏各地域を通ずる阿片政策確立に関する件」というタイプ印刷で12ページの報告書がある。「蒙古連合自治政府駐日代表部」の用箋を使用。執筆者は、「興亜院華中連絡部次長」の陸軍小将落合甚九郎。宛先は「興亜院政務部長」である。 ⇒全文を読む

その6:幻の国際商社「陸軍昭和通商」

 販売ルートには、お馴染みの「児玉機関」も登場する。阿片を機密費として、戦略上不可欠なタングステンなどの資源を求めたのだが、児玉らは、その手先となった。戦争の相手の重慶側の物資まで、横流しで手に入れていたという。
 末端の販売店には、日の丸が掲げられていた。日本人か日本国籍の朝鮮人を一人雇えば、「日章旗の掲揚」が許可され、「治外法権」が成立した。そのため、「日本の国旗凌辱事件が起り、外交問題に発展することがあったが、よく調べると中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった」(『陸軍葬儀委員長』)そうである。 ⇒全文を読む

その7:天皇の勅令「朕……之ヲ公布セシム」

 さて、「事実は小説より奇なり」というが、里見は、A級戦犯として巣鴨プリズンに入りながら、無罪で釈放された。そして言葉すくなに、こう語っているという。
 「米国の関係者が、利用価値があるとみて釈放してくれたのではないか」「法廷に提出されたのは供述調書の1部で、阿片取引の収益金の具体的な用途、とくに軍の情報謀略工作関係については、大部分が隠蔽された」
 ベトナムで里見機関のやり方を真似た米軍は、麻薬組織をはびこらせ、前線の自軍だけでなく本国にまで、大量の中毒患者を抱込む結果を招いている。「 ⇒全文を読む

参照:“大風呂敷”こと侵略の鼓吹者、後藤新平の阿片商売

 本人の弁によるとビスマルクから直接、つぎのようにいわれたというのである。
 「君は医者というよりも、どうも政治に携わるべき人物に見える」
 なにしろあだ名が「大風呂敷」だから、いちいち本人のいうことを鵜呑みにするわけにもいかないが、帰国後の後藤は事実、近代政治家としての道を歩む。 ⇒全文を読む