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エドワード・サイードのオンライン・コメント(随時更新)
★ しばらく、こちらのページの更新を忘れていました。いつのまにやら、『戦争とプロパガンダ』は、第四集まで出てしまいました。われながらずいぶん翻訳したものです。(→ 結局、サイードが亡くなった後で英語の集大成本が出版され、それを邦訳で出すことになりました。『オスロからイラクへ』というタイトルの分厚い本ですが、ここにある記事のかなり多くが収録されています。これを機会に脚注を大幅にみなおししました。これは徐々にサイトにも反映させていきます)

★  By birth or by choice 「生まれついてか、選び取ってか」  (23 Oct 06)
その半数が難民として祖国を離れて生きるパレスチナ人にとって、パレスチナ人のアイデンティティとはどのようなものでありうるのか。生涯、パレスチナ人であることについて問い続けたサイードの到達点は、土地や宗教や民族だけを根拠としたものではない、もっと開かれたアイデンティティのありかたでした。

難民の自助組織として出発したPLOに体現された、このような広いアイデンティティのあり方を警戒し、圧殺するために、パレスチナ人を西岸とガザに追い返し、閉じ込めようとするのがオスロ体制であったとサイードは言います。難民を忘れることを前提に進められている二国家解決案に対する根本的な問題提起として、とても重要な文章だと思います。

★ Truth and Reconciliation 真実と和解 (14 Jan 99)
このところ「一国家解決」の主張が目につくのですが、その意味するところはさまざまで、中には単なるイスラエル国家の否定にすぎないようなものもあって気になります。そこで、サイードの主張していた一国家解決とはなんであったのかを確認するつもりで、少し昔のものですが1999年1月の記事を訳してみました。バイナショナリズムによる一国家解決を正面から説いたものです。

この記事が書かれたのはオスロ和平プロセスが崩壊する手前の時期ですが、地獄の蓋が開いたようなその後の6年間も、「二国家解決」の不可能さがはっきりしただけで、基本的な問題はなにも変わっていないように思えます。

ここで訴えているのは、パレスチナ人とイスラエル人の双方が相手方の存在という動かし難い事実をありのままに受け止めなければ、両者とも一歩も前には進めないということです。シオニストの「帰還法」とパレスチナ難民の「帰還権」を同列に並べるなどパレスチナ人にとってはとうてい許しがたい不正にひびくでしょうが、それに対してサイードが自らも48年の追放で癒し難い喪失感を背負わされた世代のひとりとして切々とその必要性を語る言葉の重みを改めて感じます。

★ Dreams and delusions 夢想と妄想 (16 Sep 03)
アッバス首相の辞任とイスラエル議会のアラファト追放決議という急展開で、「ロード・マップ」はもはや過去のものになりました。でも、もうとうの前からアメリカ政府内の綱引きではすでに「ロードマップ」つぶしが動いており、キリスト教右派の票をあてにするブッシュには、しょせんこれを推進することなどできなかったということのようです。アラファトの暗殺を阻止するためにウリ・アブネリが人間の盾として議長府に入ったと聞きましたが、その後はどうなったのでしょう・・・

★ Impereial persopecive 帝国の視点 (05 Aug 03)
イクバール・アフマドによれば、文芸批評家としてのサイードの特筆すべき功績は、西洋文明の中心に帝国主義を据えたことです。近代の歴史や政治や文学の文献を見ると、西洋文明の骨格として民主主義、合理主義、リベラリズムなどは重視されてきたのに、帝国主義だけが言及されてこなかったからです。サイードによれば帝国主義の根幹にあるのは、他者をみずからの眼差しに従属させる勝手なものの見方にあります。それはフランシス・フクヤマのような保守派の思想家がリベラル・デモクラシーの優越を説き、「これ以上改善の余地のないほど申し分のないものだ」と主張するように、今もまったく同じように続いています。

★ サイードの最近の講演(「誇りと連帯」など)の映像や音声の紹介です(01/07/03)

★ Archeology of Road Map 「ロードマップ」の考古学 (Al Ahram 6/12-18)を追加 (18/06/03)
「ロードマップ」について正面から取り上げた中身の濃い記事が出ました。前回は「ブッシュの白昼夢」などと表現していましたが、着々と建設が進むアパルトヘイト「分離壁」がめざしているものとつき合わせてみれば、ロードマップは和平プランどころかパレスチナ側を徹底的におさえつける「平定プラン」であり、パレスチナが問題であることに終止符を打とうとするものだと論じています。標題に「考古学」とあるとおり、「ロードマップ」の信憑性について評価するには、「オスロ合意」成立の経緯にさかのぼって見る必要があります。この記事では、とくにパレスチナ側の交渉相手として新首相に据えられたマフムード・アッバースについて70年代から彼が果たしてきた役割と人物評を中心に、和平交渉をめぐる過去の経緯が詳述されていて、とても興味ぶかい内容。

★ Arab conditions アラブのおかれた状況  (31/05/03)
さて、今回のサイードはアラブについての考察です。ひとつのネイションとしてのアラブの存在が決定的に消滅するかもしれないという前例のない危機にある現在、それに対処するための方策も前例のないほどドラスティックなものでなければならないと説いています。

★ Give us back our democracy わたしたちの民主主義を返せ (21/04/03)
ガーディアンの日曜版に掲載されたサイードの短い記事です。現在起こっていることは、イラクの民主化うんぬんなどと言うよりも前に、アメリカの民主主義自体のが破綻しているのだということをこのところ強調しています。この一点だけでみても、遅れたアラブ、進んだアメリカなんて言うのはウソっぱちで、民主主義が機能していないのはいずこも同じ。

現地時間3月19日に米英軍によるイラク攻撃が始まる直前に、サイードはカイロのアメリカン大学で講演を行っていました。17日と19日の二回にわたる連続講演は、一回目が現在のアメリカのイラク攻撃とパレスチナ問題との関係を普遍的な人権の要求という切り口で重ねたきわめて時宜に即した具体的なものであり、二回目はもっと一般的な、人文科学研究者はなにをすべきかという話題でした。たまたま、このときの映像を観る機会があったのですが、とても病人とは思えぬような気迫がこもっていました。また学生や社会人を含むアラブの聴衆たちとサイードの質疑応答の場面は、たいへんに興味深いものでした。

これに続いて彼はレバノンに飛び、26日にはベイルートのアメリカン大学でも同様の講義を行ったようです。カイロもレバノンもサイードにとっては故郷にあたる場所ですが、イラク問題(というか本当はアメリカの問題ですが)をめぐって中東全体が根底からゆさぶられている今このときに、ここで講演を行っているというのも、なんだかすごいめぐり合わせだなあと思います。カイロでAl-Ahram のスタッフと座談会や、NHKの取材など、ほんとうに一時間刻みのスケジュールをこなしていたらしいです。

このときに取材したNHKの番組は、「サイード・21世紀への対話」 として4月26日『BSプライムタイム』22:00〜22:49(BS-1)で放送されました。ベースになっているのはラジ・スラーニというガザで人権活動を続けておられる弁護士さんとサイードの対談です。この二人は古くからの友人で、在外のパレスチナ人であるサイードが在郷のパレスチナ人の実態、とくにガザという収容所のような環境を直接に知る契機となった人物です。この二人の対談に加えて、上記のカイロ・アメリカン大学での講演の様子や、サイードが少年時代をすごした国際都市カイロの面影などがうかがわれる構成になっています。

★ Other America もう一つのアメリカ (Al Ahram 3/20-26)を追加 (31/03/03)
さて、今回のサイードは民主主義が機能不全に陥っているアメリカについて。この戦争であまりにも露骨にあらわになったその理想と現実とのおそろしい乖離。いったいアメリカでは何がおこっているのか・・・ 

★ Al Ahram (6-12 March) 責任者は誰だ Who is in charge?
アメリカの国内でも、国外でも、これほどの多くの人々が反戦の声をあげているというのに、それでも戦争をごり押しするブッシュ政権。Democracyという言葉が、これほど空疎に響いたことがかつてあったでしょうか。戦争に向けて突き進む合衆国を動かしている少数の集団は、選挙で選ばれたわけではありません。この戦争はアメリカ国民の意思を反映しているわけではなく、それはむしろアメリカの民主主義のとんでもない破綻を示しているのだとサイードは論じています。たしかに、ことの本質はアメリカの民主主義の不全にあるように思えてきます。

★ 京都造形芸術大学舞台芸術研究センターの季刊誌『舞台芸術』第三号に掲載されるサイードのインタビュー「批評、文化、パフォーマンス」の一部を、編集部のご厚意で掲載させてもらいました。
座談会形式で、とても中身の濃い議論が展開されています。カノン(古典として選別された作品群)の功罪をめぐる議論や、ローカル性と普遍性の問題など、サイードらしい問題意識でパフォーマンス・アートを軸にした芸術表現についてつっこんだ議論がなされています。最近は時節柄パレスチナについての政治評論ばかり訳していますが、本来はこちらの方面での傑出した批評家です。

Al Ahram (13-19 Feb) 偽善の金字塔 Monument to hipocrecy 次回のデモは明19日です。間に合うように大慌てで翻訳しました。「わたしたち一人ひとりが声を上げて、抗議の行進に加わらなければならない──いまこそ、そして何度も、何度も。ワシントンやテルアビブやバグダッドのようなところにいる従順な専門職員が策定した悪夢のような計画を食い止めるために、わたしたちには創造的な思考と大胆な行動が必要だ。」と、サイードも呼びかけています。 お時間のある方はぜひどうぞ。

Al Ahram (16-24 Jan) ゆるしがたい無力 Unacceptable powerlessness
18日は寒かったのに日比谷公園にはたくさんの人が集まってました。世界各地が連動したこの日の反戦デモは、「東京(主催者発表7千人)で始まり、西へ西へと移動して、ワシントン(50万)とサンフランシスコ(20万)で終わる」という大きなうねりだったようです。アメリカのデモ参加者は、「わたしたちこそがアメリカのメインストリームです、ホワイトハウスにいる人たちと少数の金持ちの方が、周辺的な存在なのです」といっていました。この国でもアメリカでも大多数の人々はきわめてまともな考えを持っているのに、その声をブロックしているのは何なのかと考えてしまいます。今回のサイードは、ひとつの文明全体が破滅の瀬戸際にあるというのにアラブ世界からは奇怪なまでに反応らしいものが出てこない、そういう許し難い無力な状況に対して一種の叱咤激励というような文章。

Al Ahram (12/19-25/2002),  緊急課題 Immediate imperative

もうすぐ2003年。年明け早々にはパレスチナ選挙を実施するとアラファトは以前から約束していました。ところがつい先日(23日)、自治政府の地方行政相が来年1月20日に予定されていた選挙は無期限に延期すると発表しました。イスラエル軍が再占領する状態ではとてもまともな選挙はおぼつかないという主張です。少なくとも数ヶ月は先延ばしされることになるようですが、そもそもどんな内容の選挙になるのかも不透明。今回の記事は、延期発表の前にかかれたものですが、差し迫った(と思われた)パレスチナ選挙を踏まえて、それがどのようなものでなければならないのかを論じています。

Al Ahram (11/28-12/04, 2002), イラクについての誤情報  Misinformation on Iraq
イラク攻撃に向けたアメリカのメディアキャンペーンは、一頃よりはトーンダウンしているようにも見えますが、意図的なウソも流すと公言しているような政府ですから、どこまで信用してよいのやら。今回の記事が「誤情報」の震源として取り上げているは、ポスト・サダムのイラク再建のオピニオン・リーダーとして英米のメディアが注目するイラクの反体制知識人カナン・マキヤ(米ブランダイス大学教授)です。

Al Ahram (11/16-20/2002),  ヨーロッパ VS アメリカ Europe versus America
アメリカでは11月19日に国土安全保障法案がとうとう上院も通過してしまいました。ここには、国防総省のIAO(情報認知局)が推進するオーウェルもどきの完全情報管理構想(Total Information Awareness plan)が入っています。ウェッブを通してすべてのアメリカ人の個人情報を集めるという計画で、クレジットカード取引、講読雑誌、医療処方箋、Eメール、学校成績、銀行預金、旅行や催しのチケット予約などの情報が政府に握られるという怖いものです。現在ケンブリッジに滞在しているらしいサイードには、こんなになってしまったアメリカに比べ、ヨーロッパがきわめて健全に映っているようです。

Al Ahram (10/10-16/2002),  イスラエル、イラク、アメリカ Israel, Iraq and the United States
London Review of Books 向けに書かれたと思われる、かなり長くてまとまった記事。ここ数回の内容を整理して詳細な情報をのせています。

Al Ahram (9/30/2002),  無力のどん底 Low point of powerlessness
インティファーダ二周年の特集記事です。ブッシュ政権はなにがなんでもイラクと戦争をやるつもりのようですが、そうなればシャロン首相はそれを利用して大規模な迫害を行なうでしょう。この記事が書かれていたとき、アラファトはふたたび議長府に監禁されていました。それに対し、イスラエルの平和運動家ウリ・アヴネリは、シャロンの望みどおりにアラファトが暗殺されれば和平への最後のチャンスが失われると警告しました。アラファトの他に二国家分立の形で和平を結べるような指導者はおらず、彼が暗殺されれば、その後に出てくるのは民主勢力ではなく、復讐を叫ぶ戦闘的な勢力に違いないからです。今後さらに大きな惨事が予想される中、サイードはあまりに無法なイスラエルの行動に、迫害の歴史とホロコースト体験の裏返しを見ているようです。これは先月の「細目にわたる懲罰」でシャロン政権の病的なサディズムを論じたたときから続いている思考です。たしかに今や、この問題の正しい呼び方は「パレスチナ問題」ではなく「イスラエル問題」だという気がしてきます。

Al Ahram (8/15-21/2002),  不統一と党派対立 Disunity and factionalism
今回はアラブ側に視点を移して、根強い党派主義が一つの民族としての協力と発展を阻んでいると論じています。もともと批判するとなると鋭い筆致で容赦なくこき下ろす人ですが、そのことは対象がアメリカやイスラエルであっても、アラブであっても、まったく同じのようです。アラブ世界の実情についてはイメージもわきにくく、捉えにくいので興味深く読みました。

★Al Ahram (8/8-14/2002), 細目にわたる懲罰 Punishment by detail
文芸批評家としてのサイードの本領発揮という省察的な文章。カフカの短編「流刑地にて」を引いて現在のイスラエルの占領政策の本質を描き出そうとしています。カフカエスクという言葉がまさにぴったりの奇怪に倒錯したシャロンの思考は、植民地支配が支配する側にも歪みをもたらすということをグロテスクに表現しているようにも思えます。

Al Ahram (6/21/1998), 新しい歴史、古い観念 New History, Old Ideas
イスラエルでは、現在思想統制が学問の世界でも強化されており、ポスト・シオニズムの歴史家(いわゆるニュー・ヒストリアン)のイラン・パペがハイファ大学から追放処分をうけようとしています。(パペ事件パペのエッセイ)その事件にからんで、少し古い記事ですが、98年パリで行なわれた学術会議をもとにイスラエルのニュー・ヒストリアンについての論考です。

★Al Ahram (7/17/2002), 一方通行 One-way street

パレスチナでは今も虐殺が続いているというのに、なんら実のある対応のできない周辺アラブ諸国。ここにいたるまでの歴史的経緯が説明されています。1967年の大敗北で初期のアラブ民族主義が敗退したのち、アラブ諸国の政策は対米協調へと大転換を遂げました。1980年代初期までにはすでにアラブ側ではイスラエルとの和平の用意は完全に整っていたのですが、それが実現しなかった原因はむしろ合衆国側の政策転換に求められるようです。それ以降、アラブ諸国・合衆国・イスラエルの関係は、前者が後者に一方的に譲歩するばかりの「→方向」の片道通行の傾向が次第に強まり、湾岸戦争を経て90年代初めにはこのパターンが完全に定着。

なお、前回の解説で触れたナショナル・イニシアティブの試みについて、サイードも当面の希望の星として言及しています。発起人のうちムスタファ・バルグーティは、この春からさかんに報道された国際連帯運動の立役者です。外国メディアを積極的に利用したこの戦術は、確かに新しいスタイルの抵抗運動が生まれつつあることを実感させてくれました。

★Al Ahram (6/19/2002), パレスチナの選挙が浮上 Palestinean election now
このところ、パレスチナ側の改革を求める声が内外の様々なところから一気に噴き出しています。とはいえ、それぞれの思惑は大きく異なっているため、「改革」の意味するところは提案者によってまったく別のものになります。毎度のことながら、同じ言葉が違う意味で使われるというのはわかりにくいものです。その背景にあるのは、これまでのアラファト自治政府に正統性を与える根拠となっていたオスロ体制が崩壊し、仕切りなおしが必要になっているということのようです。オスロに代わる新たな正統性の根拠をつくりあげることができるのは、合衆国でもイスラエルでもアラブ諸国でも自治政府の残滓でもなく、パレスチナの民衆でしかありえないとして、サイードはそのための緊急指導体制の確立を提唱しています.。そこれに呼応するように、6月17日にはハイダル・アブドゥルシャーフィー、ムスタファ・バルグーティ、イブラヒーム・ダッカ-クなどパレスチナのニューリーダーたちによるパレスチナ・ナショナル・イニシアティブ(国民発議)が発足しました。

★Al Ahram (5/22/2002), アメリカのユダヤ人の危機 Crisis for American Jews
イスラエル国内では、テルアビブで5月11日に6万人が占領政策を批判して反戦デモを行うなど、確実に風向きが変わっているのに、戦場から遠く離れたアメリカのシオニストたちだけは頑固に従来どおりの姿勢を変えず、イスラエルの政策に、イスラエル人よりも強硬に、無条件の支持を表明しています。とはいえ、もちろんそれはアメリカの一部にすぎず、ブッシュの戦争に反対する声も確実に高まっています。4月20日にはワシントンに10万人が結集しパレスチナ連帯を掲げて行進しました。(文中の雑誌名を『ニューヨーカー』としていたのは『NewYork』の誤りでした。お詫びして訂正します)
★Al Ahram (4/24/2002), イスラエルは何をしたのか What Israel has done
ジェニーン難民キャンプの虐殺事件を経て「イスラエル」という国家のありかたへの根本的な疑問がたかまっています。この国が他と同じ普通の国になることができるのかどうか、それこそがこの国の存続のカギを握る問いでしょう。

★Al Ahram (4/10/2002), この先を考える Thinking ahead
シャロンの暴走は結局は本人のみならずイスラエルにとっても墓穴を掘ることになるのでしょう。イスラエルの排他主義と好戦的態度に対するパレスチナ側の回答は「共生」の希求であると主張する今回のコメントは、今後を担う世代への影響も含めて、現在の両陣営の位置を対照的に描いています。

★Al Ahram (3/20/2002), オスロに何の値打ちがある? What price Oslo?
NYタイムズのT.フリードマンがきっかけを作ったサウジ皇太子の和平提案は現状打開の希望をほのかに匂わせていますが、それがオスロ路線の復活につながることのないようにという警戒

★Al Ahram (3/6/2002), アメリカについての考察 Thoughts about Amercia
2月中旬、米国の著名な知識人グループがブッシュ政権の対テロ戦争を世界に向けて擁護する公開書簡をワシントンで発表しました。 「何のために戦うのか―アメリカからの手紙」と題されたこの書簡にはサミュエル・ハンチントンやフランシス・フクヤマなど学者を中心に約六十人が署名しています。ますます現実との遊離を深めているようなブッシュ政権を積極的に後押しする「知識人」のふるまいに、サイードは「(この声明文は)真の良心の表明であるようにも傲慢な力の行使に反対する真の知的批判であるようにも思われない。むしろこれは、アメリカによって布告された新しい冷戦の火蓋を切る一斉射撃のように思われる」と痛烈に批判し、最近のアメリカの言論界のありかたは、かつてのレッド・パージ時代に知識人に起こったことを彷彿とさせると警告しています。

★Al Ahram(2/6/2002), 一段の締めつけ The Screw Turns, Again
なんだか悲鳴に近いような前半のトーン。かなり、現状がこたえているらしい

★Al Ahram(1/16/2002), パレスチナに芽生えるオルターナティヴ Emerging alternatives in Palestine

合衆国のメディアではとりあげられることがありませんが、パレスチナ内部では新たな世俗主義の抵抗運動が勃興しつつあります。それらの運動についての具体的な詳細と、それを踏まえた真の和平の実現にむけての提案。

Al Ahram (26/12/2001)、 イスラエルの行きづまり Israel's Dead End
パレスチナでいま起こっていることは、イスラエルのレバノン侵攻とベイルート陥落という19年前のもう一つの破局に酷似しています。いっときの沈黙のあとクリスマスに掲載されたコメントは、冒頭のダルウィーシュの詩のとおり、このような絶望的とも見える現状に、それでも希望を見出していこうとする断固とした意思の表明でした。とことん追いつめられたアラファトですが、現在のパレスチナの政治シーンには彼は必要なのだと説いています。

★The Progressive (11/2001)より、 9-11 インタヴュー by David Barsamian 
9月末日に、テロ事件いついてデヴィッド・バーサミアンが行った緊急電話インタヴュー

★Al Ahram (8/12/1998)より、 知的破局 An Intellectual Catastrophe 
すこし昔の記事ですが、とうとうノーベル賞作家になってしまったVS.ナイポールについて。すでに翻訳も出ている『イスラム紀行』と『イスラム再訪』という二冊のイスラムシリーズについての、かなりきつい批評です。9.11がなければナイポールの受賞もなかったろうとささやかれていますが、その理由がうかがわれます最近の「現代思想」に、サイードがナイポールを高く評価しているかのような記事がのっていますが、ちょっと信じられない。まあ、これを読んでご判断ください。

Al Ahram (11/21/2001)より、危険な無自覚 Suicidal Ignorance
現在までに浮かび上がってきた問題点の整理。 次回へ続く・・・。

★Al Ahram (10/31/2001)より、ふるい起たせるヴィジョン A Vision to Lift the Spirit 
現状は最悪の状態に陥っていますが、その先をにらんで、建設的な和解への道を開くには虐げられ、いじけてしまった人々の精神を引き立たせるようなヴィジョンが必要であると論じています。二つの民族の平等な共生を実現するための真の対話の必要、それを可能にする教育制度の見直しや「和解」を象徴する儀式というような具体的な提案。

New Left Review 11 (9-10/2001)より、「アラファトの責任放棄」 The Desertion of Arafat
9-11事件がパレスチナのみならず中東全体の政治シーンに大きな変革をもたらしつつあることはまちがいないようですが、その背景としてオスロ和平プロセス崩壊後の状況がどのようなものであったのかを確認する記事。第二インティファーダ鎮圧のためのイスラエルの軍事行動がエスカレートしていくなか、なんの方策も打ち出せないパレスチナ暫定自治政府(PNA)の指導力の欠如、責任放棄、腐敗を批判し、あらためてアラファトの退陣を要求しています。また、戦争状態に向かって事態がとめどなくエスカレートしていく背景に、イスラエルの側のあせり、「イスラエル国家」の理念的な破産と敗北予感があるという指摘は、9-11事件によって中東に大きな地殻変動がおこりつつあるなかで大きな意味を持ってくるのかも知れません

The Nation(10/22/2001)より、「無知の衝突」 Clash of Ignorance
9-11事件直後のブッシュ大統領の「十字軍」発言などから、西洋文明vsイスラム文明という図式がクローズアップされ、サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」理論がふたたび脚光を浴びています。それに対するサイードの反論。「ネイション」誌が初出ですが、Ahramにも後に掲載。

Al Ahram(10/3/2001)より, 「反発と是正」 Backlash and Backtrack
自爆テロ事件直後には、この事件の犯人と同一視されたアラブやムスリムに対するヒステリックな反発が高まりましたが、数週間を経て、そのような行き過ぎた反応は徐々に後退し、事件の原因について真摯に反省しようとする動きも合衆国では表面化してきました。このように自らの行動を批判的に省みる態度を、同じようにアラブやムスリムの世界にも期待したいという後段の切々としたメッセージは、なかなか心に訴えるものがあります。

Al Ahram (9/26/2001), 「集団的熱狂」 Collective Passion
9-11事件の後に出た最初のコメントで、かなり注目されたものです。サイード自身もニューヨークに永住しており、NY市民としてこの事件を体験したのですが、中東出身者にとって状況はまったく異なる意味をもつものです。事件直後はアメリカ政府内でも過激な発言がめだち、テロリスト=ムスリム全体という乱暴な等式がどこまで拡大するのか──国全体が不安と懸念に包まれるなかで、アラブ系アメリカ人には更にまた別の懸念も大きくのしかかっていることがうかがわれます。

Al Ahram (9/5/2001), 「プロパガンダと戦争」 Propaganada and War
インティファーダをめぐる情報操作とプロパガンダの戦場において完璧に近い圧勝をおさめたイスラエル。パレスチナ人の抵抗運動はすべて「暴力とテロ」に還元され、イスラエルこそが罪のない被害者であるという途方もない認識を広める「現実管理」はまさにジョージ・オーウェルの世界。

Al Ahram (11/20/2000), 「アメリカのシオニズム(3)」 American Zionism (3)
アリエル・シャロンのアルアクサ訪問を引き金として2000年9月末から始まった第二次インティファーダは、オスロ和平プロセスを崩壊させることになりした。しかし、この事態のアメリカ国内での受けとめられ方は、現実と大きく遊離したもので、メディアを通じた情報戦におけるシオニストの完全な勝利であるとサイードは指摘しています。

Al Ahram (11?/ 1997)  米英のイラク攻撃についてのコメント 地獄の黙示録 Apocalypse Now
もう、かなり古い記事ですが、クリントン政権下におけるイラク爆撃に際してサイードが指摘した(清教徒主義に根をもつ)アメリカの国民的メンタリティーの分析は、現在アメリカがアフガニスタンを絨毯爆撃していることと重ね合わせて一読に値するでしょう。ちなみに、Apocalypse Nowというタイトルは、フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」の原題で、この映画はベトナム戦争をジョセフ・コンラッドの「闇の奥」という小説に重ね合わせて描いたものです。コンラッドにはひとしお思い入れの大きいサイードが、このタイトルによって、合衆国がベトナムに対して行ったことも重ねて想起させようとしているのは秀逸。
☆☆☆ 以上の翻訳はすべて (=^o^=)/ によるものです。お気づきのこと、コメントなどがあれば、気軽に連絡してください。人名や地名の表記など間違いがあれば教えていただければ幸いです。

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