Edward Said Extra  サイード・オンラインコメント

シャロン政権の虚勢と凶暴性の背景にあるのは、揺るぎはじめたイスラエルの自信だ。元来の意味でのシオニズムをほんとうに信じている者はどんどん減っているようだ。イスラエルについての事情通は次のように現況を要約している。「シオニズムはもはや、政治工作の道具やスローガンでしかない・・・今日シオニズムとはなにかって?それは思想の骨董品で、そこを探せばだれでもかれでも──右翼も左翼も、中道派も、政教分離派も、伝統主義者も、超伝統主義者も──自分たちがいま熱をあげていることを正当化する根拠を見つけられるという具合だ。イスラエルはもうかなり以前から本格的にポスト・シオニスズムの時代に入っているのだ」。

もちろん、だからといってイスラエルの世論に突然の光明がさしたというわけではない。純粋に救済的なナショナリズムとしての原初的なシオニズム信仰がゆっくりと修正される過程で、望ましくないものが置き去りにされた──下位イデオ ロギーとしての、アラブ人への敵意と軽蔑に満ちた人種差別だ。だが、空洞化し腐朽しつつある公認教義の足元に堆積した、この偏見のはきだめを、イスラエルの存在理由として世界に吹聴してまわるのことは、原初のシオニズムを喧伝するのに比べてずっとむつかしい。

アラファトの責任放棄
The Desertion of Arafat
New Left Review 11, September-October 2001号

パレスチナ人に対するイスラエルの抑圧は9月11日の惨劇の後、いちだんと激しさを増している。西岸地区のジェニーン、ジェリコ、ラーマッラーなどの町が夜明け前に急襲され、警察施設や政府の建物、民家が破壊された。ラーマッラーの Beituniya 地区では、珈琲店や、モスクや、幼稚園が砲撃を受けた。だが欧米のメディアでは、これらはみな「まきぞえになった民間の被害」としてじゅうぶん容認できるものであり、ほとんど言及する価値はないものとされる。しょせん、このようなイスラエルの侵略行為も、かれこれ一年近く続いている日常的なできごとにすぎないのだ。アル=アクサ・インティファーダの発生このかた、600人以上のパレスチナ人が殺され(イスラエル側の死者の4倍)、15,000人が負傷した(イスラエル側の負傷者の12倍)。イスラエル国防軍は日常的に暗殺をくりかえし、かれらがテロリストだと主張する人々を気のむくままに狙い撃ちしているが、ほとんどの場合は罪のない人々がハエでも始末するかのように殺されているのである。8月には、14人のパレスチナ人が攻撃ヘリコプターとミサイルを使用するイスラエル軍によって公然と殺害された。かれらがイスラエル人を殺すのを「予防する」ためだというのがその理由だが、少なくとも2人の子供と、5人の大人が巻きぞえをくらって一緒に殺害されており、もちろんそのほかにも多数の民間人が負傷した。

アメリカから寄付された戦闘爆撃機、攻撃ヘリ、無数の戦車やミサイル、超一級の海軍と最高水準の諜報機関で身を固めた(自前の核兵器のことはさておき)イスラエルが虐待している人々は、家や土地を奪われ、大砲も戦車もなく、空軍もなければ(ガザにあるたった一つのオンボロ飛行場はイスラエルが管理している)陸軍も海軍もなく、近代国家における自衛機構らしいものはなにも持っていないのである。イスラエルによるパレスチナ自治区の閉鎖は、その残酷さにおいて植民地支配の歴史をみても匹敵するものはあまりない。ガザ回廊には130万人の人々が閉じ込められているが、有刺鉄線で囲まれたこの狭い回廊地帯におおぜいの人間がいわし缶詰のようにすし詰めで監禁されているのだ。西岸地区では200万近くの人々が閉じ込められており、両地区とも出入り口はイスラエル国防軍が管理している。南アフリカのアパルトヘイト体制のもとでさえ、アフリカ人のホームランド(黒人自治区)を爆撃するためF16ジェット戦闘機が投入されるようなことはなかった。しかし、パレスチナ人の町や村では、現在それが起こっているのだ。

このような容赦ない猛攻撃の背景には、もっと長期にわたるロジックが存在している。 パレスチナ社会の破壊は1948年に始まる。ここに生まれついた住民の68パーセントが追放され、そのうち450万は今日にいたるまで難民のままにおかれている。その後1967年に開始された34年にわたる占領支配を通じて、破壊はずっと進行しつづけているのだ。たまたまそこにいたのが悪いという理由で一つの民に数十年にもわたって毎日のように加えられているイスラエルの弾圧は、パレスチナ人がそこで生活することを不可能にし、それによって彼らにいっさいの抵抗を断念するか、さもなければ逃げ出すように強いるのが狙いなのだ。事実、昨年から現在までに150,000人がヨルダンに脱出している。地域リーダーたちは占領軍によって投獄・国外追放され、零細な事業は没収によって活動不能に陥り、農場は破壊され、大学は閉鎖され、学生たちは授業出席を阻まれている。パレスチナの農民や事業主は、他のアラブ諸国に製品を直接輸出することができない。つまりイスラエルを通過しないかぎり彼らの製品は国外に搬出することができず、その際にはイスラエルに税を払わねばならないのである。ひとこと で言って、その目的は、アメリカの研究者サラ・ロイが「脱開発」de-developとよんだように、パレスチナ社会の開発を阻止・後退させることだったのだ〔1 〕

今日、パレスチナ人たちは約63カ所の孤立した小地区に分断されており、それらの間にはイスラエルの入植地が点在し、それを結ぶ専用道路が縦横無尽に走っている。この道路網はアラブ人には解放されていないため、かれらは大量失業に追い込まれている。60パーセントが職を失い貧困にあえいでいる。ガザと西岸地区では人口の半分が一日2ドル以下の生活を強いられている。たとえ占領地のなかであっても、ある地区から隣の地区へと移動することは自由ではない。かれらはイスラエルの設けた検問所を通過するために長い時間列をつくって待たねばならない。検問所では、年配者や病人や学生や聖職者たちが何時間にもわたって拘束され屈辱的な扱いを受けるのがあたりまえのことになっている。パレスチナ人の栽培するオリーブや柑橘類の樹木およそ150,000株が懲罰として根こそぎにされ、2000棟の家屋が取り壊され、かれらの土地の大きな部分がより多くの入植者(現在およそ400,000人)を送り込むために没収され、あるいは軍事目的で破壊された。

1993年に始まったオスロ合意にもとづく「和平プロセス」について言えば、これはただ占領支配の外装を一新しただけのものだ。1967年に奪取された領土のわずか18パーセントという御しるし程度の土地を、〔ナチ占領下のフランスの〕ヴィシー政権のようなアラファトの腐敗した自治政府に返還するという申し出がなされているが、この自治政府の役割は本質的にイスラエルのために自国民を監視し、徴税することなのだ。マーティン・インダイクデニス・ロスのようなイスラエル・ロビーの元メンバーを含む合衆国の役人たちが画策した、8年にわたる、実りのない、貧困化を進めるだけの継続「交渉」の期間中、パレスチナ人は虐待の激化、入植地の拡大、投獄者の増加をあじわってきた。そこには、2001年8月以来の東エルサレムの「ユダヤ化」と、それに伴うオリエントハウス占領および内部品の没収も含まれる〔2 〕。イスラエルは土地権利証書や地図など貴重な記録を盗んだのだ。1982年にベイルートにおいてPLOの保管していた記録書類が没収されたのと同じやり方だ。

これらすべてが起こるきっかけを作ったのは、2000年9月28日にアリエル・シャロンが、〔当時の首相〕エフード・バラクの派遣した護衛と兵士1000人に囲まれてエルサレムの神殿の丘(ハラム・アッシャリーフ)に理由もないのに傲慢な訪問を行うという、国連安全保障理事会でさえ満場一致で非難した行動である。そんなことをすればどうなるかは子供でも予想できた──数時間のうちに植民地支配に反対する一斉蜂起が発生し、その最初の犠牲者として8人のパレスチナ人が射殺された。

シャロンの「自制」

その数カ月後、シャロンは選挙に圧勝して政権についたが、その使命は基本的にパレスチナ人を「服従させる」ことであった──痛い目にあわせて服従させるか、さもなければ追い出してしまえ。「アラブ殺し」としてのシャロンの前歴は、30年前にさかのぼる。1982年、〔レバノンの〕サブラーとシャティーラの両難民キャンプでの大虐殺事件が彼の軍隊が監視するなかで起こった(この事件の責任を追求されて、彼は現在ベルギーの裁判所に起訴されている)よりも前のことである。けれども彼はばかではない。パレスチナ人が抵抗の行動を起こすたびに、彼の軍隊は弾圧の度合いを一段ずつ高めていった──包囲を強化し、 さらに多くの土地を強奪し、物資の供給をさらに細らせ、ジェニーンやラーマッラーのようなパレスチナ人の町にいっそう深くまで侵攻し、占領の犠牲者たちの生活をいっそう耐えがたいものにしていった。

その一方で、 弾圧が強まるたびに彼のプロパガンダ装置が稼動し、イスラエルはたんに自己「防衛」しているだけだ、問題の地域を「安定」させ「治安の回復」を図っているだけで、「テロリズムを妨げる」ことが唯一の目的だと宣伝するのである。シャロンとその手先は、アラファトさえ「テロリストの頭目」として攻撃するが、アラファトは文字通りイスラエルの許可なしでは移動することもできないのだ。そのように攻撃しておきながら、一方ではまた「われわれ」はパレスチナの人々に不満があるわけではないと宣伝するのだ。なんとけっこうなパレスチナ人へのお恵みか!こんなものが「自制」だというのなら、パレスチナ人を脅迫するために計算づくで言いふらしている「全面侵攻」に訴える必要など、どこにあるというのだ?

イスラエルが大きな政治基盤を確立し、1967年以降の累計で920億ドル以上の援助を引き出してきた合衆国では、パレスチナ側の犠牲者は名前もかおも報道されることはなく、全国ニュースの番組でかろうじて言及される程度のあつかいにとどまっている。ユダヤ人に死者が出たときには、あつかいは異っている。ハイファやエルサレムの自爆攻撃によるひどい人命の損失は、速やかにおなじみの説明の枠組にはめ込まれた。すなわち、アラファトは彼のテロリストたちを抑制するためのじゅうぶんな措置を講じてこなかった。彼らの憎しみが「われわれ」やわれわれの最強の協力者にはかり知れぬ危害を与えかねない。イスラエルは自国の安全をしっかり防衛しなければならない、等々。 

思慮ある評者ならつぎのように言いそえるだろう。「この人々は結局、何千年にわたってうんざりするほど抗争を重ねてきたのだ。どちらの側もあまりに多くの被害をこうむっており、衝突はなんとして止めねばならない。とはいえ、子供たちまで戦いに送りだすパレスチナ人のやりかたを見ると、イスラエルが今後どれほどのものを我慢しなければならないかがまたもや暗示される。」そこで、憤慨しながらも自制 を保ちつつ、イスラエルは無防備のジェニーンにブルドーザーと戦車を使って侵攻した、というわけだ。アメリカでは、広報合戦におけるイスラエルの一方的勝利はあまりにも決定的であり、このうえまだ数百万ドルを広告キャンペーンに投じて、ズービン・メータや、イツハク・パールマン、アモス・オズのようなスター〔いずれも著名なユダヤ系の音楽家や作家〕を起用し、自国のイメージの改善をはかる必要などほとんどないように思われる。

この8月にアメリカのテレビ番組で交わされた、パレスチナ自治政府閣僚ナビール・シャースとイスラエル労働党の新党首となったアヴラハム・ブルグ国会議長(当時)とのあいだの大論争は、上述のパターンを再確認するものだった。そしてまた、パレスチナ自治政府の広報担当をつとめる人々にパレスチナ人の国益を堂々と弁護する力がないことが、またもや証明されたのである。ブルグはいい気になってずうずうしい嘘八百を次から次へと並べたてる──「イスラエルは常に平和を望んできた」「イスラエルは冷静を保とうと努力しているのに、アラファト(すべてを操っているのは彼だ)や自治政府にたきつけられたパレスチナ人テロリストたちがイスラエルの子供たちを残忍に殺害しかねない」「民主主義と平和を愛する者として、パレスチナ側に和平推進派が不在であることを懸念している」「自分とシャースのただ一つの相違点は、自分(ブルグ)はシャロンに抑制的な影響をふるうことができるが、シャースはアラファトに何の影響もおよぼすことができないところだ」。

これらのことはみな、古典的なプロパガンダのスタイルをとって──うそも百万べん繰り返せば信じ込ませられる──イスラエルこそがパレスチナ人に苦しめられているのだという主張につながっているのである。シャースは卑屈にちぢこまり、この虚言のごたまぜに対し、「パレ スチナ人も同じく平和を望んでいる」「自分たちもオスロ合意の復活を願っている」「自分たちも自制に努めている」と哀れっぽく応えるばかりであった。シャースはまた、ミッチェル報告〔3〕をパレスチナ側は金科玉条のように扱うとも述べた。だが、そもそもこの〔ミッチェル元上院議員を委員長とする国際調査委員会の〕の報告はアメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)〔米国の有力なイスラエル・ロビー〕の資金援助を受けたものであり、〔委員の〕ウォーレン・ラドマンとミッチェル本人はともに、かつて上院議員をつとめていた頃、このイスラエル・ロビーでもっとも多額の献金を受けていた人々である。

ブルグのような殊勝ぶった悪党と対決する貴重な機会を与えられたというのに、シャースをはじめアブドル・ラッボ〔文化情報相〕やエラカート〔地方行政相〕やアシュラウィ〔4 〕のようなパレスチナ側の広報担当者たちは、ブルグに向かってただ単に「イスラエルは毎日のように戦争犯罪をほしいままにしている」と釘をさすことが、なぜできないのだろう。ほんとうに何百万という人々が、移動したり、食料を購入したり、医療処置を受けたりすることもできぬ状態に置かれているという事実を指摘するだけのことが、なぜできないのだろう。何百という人々が殺され、何千という家屋がなぎ倒され、何万という果樹が根こそぎにされ、広大な土地が没収され、入植地の拡大は続いており、しかもすべてが「和平プロセス」と呼ばれた期間に起こっていたということを、なぜ指摘しないのか。一度でいいからキッシンジャーやラビンのへたな亜流を返上して、人間として話すことが彼らにはできないのだろうか?通常は信頼できるガッサン・ハティーブ のようなスポークスマンでさえもが、ウイルスに感染していたように思われる。

もちろん停戦や合意などについての質問に答えるることは必要である。けれどもこれらの人々は、パレスチナ人が日々体験している恐ろしい生活からあまりにも疎くなってしまい、それについて言及することさえできないというのだろうか?ミッチェル報告やパウエルの中東訪問に関する質問に答える際には、基本的なポイントを外してはならない。すなわち、イスラエルによるパレスチナの軍事占領が存続する限り、平和はありえないということである。暴力行為の圧倒的に多くの部分──戦車、飛行機、ミサイル、検問所、入植地、兵士──はイスラエルの側が行使しているのである。

アラファトの職務放棄

だが、パレスチナ人に巻きつけられたイスラエルの輪縄が締めあげられているというのに、アラファトはいまだに自分と崩壊寸前の政権をアメリカが救ってくれると期待している。これまでにも増して、彼とその仲間たちはアメリカの保護を乞いつづけるようになっている。パレスチナ人には、もっとましなものが与えられてよいはずだ・アラファト一派が統率しているかぎり希望はないと、わたしたちははっきり言わなければならない。みずからの民のもとにとどまり、彼らに医療品や実際的な組織を与え、真の指導性を発揮するかわりに、アラファトは過去一年のほとんどをバチカンやラゴスなどさまざまな場所に停泊してすごし、架空のオブサーバーやアラブの援助や国際的支援などを、恥も外聞も(知性さえも)なく懇願して回ったのである。こんなものが指導者といえようか。パレスチナ人が必要としているのは、本当に国民とともにあり、国民に帰属する指導者たちである。実際に現場で抵抗しているのは国民であり、太ってスパスパ葉巻を吸う官僚たちではない。彼らは私腹を肥やすこととVIPの身分を更新することしか眼中になく、品位のかけらもなく、信頼性の痕跡ものこっていない。

アラファトはもう終わりだ。もう認めようではないか──彼には指導力もなければ企画力もなく、状況を少しでも変える手段を講じることもできず、その唯一の役割は、みずからの民の窮乏にたかって物質的利益を得ている自分とオスロの仲間たちを利することだけだ。彼の存在が、どのような前進の可能性もはばんでいるということは、あらゆる世論調査の結果が示している。わたしたちに必要なのは、イスラエル人が大手を振って国民を殺害しているというときにローマ法王やジョージ・ブッシュに卑屈にひれ伏したりしない、思考力と企画力と決断力のある団結した指導部だ。レジスタンス運動の真のリーダーたちは、一般の人々の必要にちゃんと応え、現場の現実を踏まえ、みずからも他の人々と同じような危険と困難にさらすものである。いまやイスラエルの占領に対する解放闘争は、すこしでも気概のあるパレスチナ人ならば誰もが支持する立場を取るようになっている。

アラファト一派が望むように、オスロ合意が焼き直しされたり蘇生されたりするようなことがあってはならない。いま必要なのは、抵抗と解放を強力に推し進めるための大衆行動であり、オスロ合意──こんなイカサマを誰が信じるものか──や愚かしいミッチェルプランなどへの復帰を口にして人々を惑わせることではない。

先のない軍事行動にはまりこんでしまったイスラエルのあがき

アイルランドの詩人・評論家ジェームズ・カズンズJames Cousins が1925年に述べたように、すべての植民地権力は「みずからの国民的才能を自然に進化させることに注意をむけるのを妨げる、偽りの自己中心的な先入観」にとらわれており、「欺瞞的な立場を不自然に防衛しようとするあまり、ひらかれた公正さの道をはずれて、不正直な思考や発言や行動というねじ曲ったわき道へと脱線してしまう」。植民地支配者はすべて、この道をたどった。なにごとにも学ぶことなく、なにごとにも立ち止まることなく、ようやく彼らがそこから撤退したときには──イスラエルが南レバノンにおける22年間の占領から逃げ出したように──疲弊しきって大きく損なわれた人々がとり残されたのである。もしシオニストの計画がユダヤ人の希求を満たすためのものであったというなら、そもそもユダヤの追放と迫害にはなんの関わりもなかった他民族になぜこれほど多くの新しい犠牲者を必要としたというのだろう?

シャロン政権の虚勢と凶暴性の背景にあるのは、揺るぎはじめたイスラエルの自信だ。元来の意味でのシオニズムをほんとうに信じている者はどんどん減っているようだ。イスラエルについての事情通は次のように現況を要約している。「シオニズムはもはや、政治工作の道具やスローガンでしかない・・・今日シオニズムとはなにかって?それは思想の骨董品で、そこを探せばだれでもかれでも──右翼も左翼も、中道派も、政教分離派も、伝統主義者も、超伝統主義者も──自分たちがいま熱をあげていることを正当化する根拠を見つけられるという具合だ。イスラエルはもうかなり以前から本格的にポスト・シオニズムの時代に入っているのだ」。

もちろん、だからといってイスラエルの世論に突然の光明がさしたというわけではない。純粋に救済的なナショナリズムとしての原初的なシオニズム信仰がゆっくりと修正される過程で、望ましくないものが置き去りにされた──下位イデオ ロギーとしての、アラブ人への敵意と軽蔑に満ちた人種差別だ。だが、空洞化し腐朽しつつある公認教義の足元に堆積した、この偏見のはきだめを、イスラエルの存在理由として世界に吹聴してまわるのことは、原初のシオニズムを喧伝するのに比べてずっとむつかしい。

イスラエルの国際的地位はこれまで通り強力だと、ペリー・アンダーソンPerry Andersonはこのジャーナル(New Left Review)で論じたが、彼のように考えている人たちは大きな間違いをおかしている[原注2]。アメリカの、そしてやや穏やかだがヨーロッパの主要各紙の社説や論説欄が(テレビのニュースについては言うまでもない)いかに執拗に偏向していようと、おそらくは、パレスチナ人が国家主権をもつ権利の正当性が完全に無視されることができた時代はもはや過ぎ去ったようだ。追放と暗殺というイスラエルの政策を大目に見ることを可能にするような何らかの特別な道義的地位をイスラエルが獲得しているという考えは、もはや一般のヨーロッパ人やアメリカ人の多くが受けいれるところではない。この占拠国家にはまだ、外国の帝国主義勢力の保護がついている。けれども国際世論の法廷では孤立が深まっており、イスラエル人はそれに気づいている。合衆国にいるイスラエルの仲間たちが、新たなインティファーダを鎮圧しようとする試みがはまり込んだ袋小路からイスラエルを救出する方策を求めてのたうちまわるなかで、窮余の策に訴えた理由を、このことが説明する。

戦略・国際研究研究所〔米〕のエドワード・ルットワークEdward Luttwak はイスラエルの「独自の発達をとげた軍事能力の発揮」に狂喜したが、それは国防軍がラーマッラーでムスタファ・ジブリ〔PLFP議長〕の首をはね、その他にも何十人というパレスチナ側のリーダーたちを意のままに殺害することを同国がゆるしたことを指していた[原注3]。CIA国家情報委員会の元副会長グラハム・フラーGraham Fullerは、占領地域の周りに「ベルリンの壁」を(文字通り)築き、「多国籍軍」によって内部を警備させてパレスチナ人を監禁することを強く要請した[原注4]。また、ニューヨーク・タイムズ紙の人気コラムニスト、トーマス・フリードマンThomas Friedmanは、「唯一の解決方法は、イスラエルと合衆国がNATOを招聘して西岸地区とガザを占領させ、NATOの管理するパレスチナ国家の設立を図ることかもしれない。コソボやボスニアの流儀だ」と意見を述べている[原注5]。こうした残忍で非常識な計画から透けて見えるのは、イスラエルが敗北しつつあるという懸念である。もしパレスチナに本物の指導体制があったならば、このことを世に暴露する術を承知していたことだろう。しかしながら、9月11日の惨事は、いまや間違いなくムスリム世界やアラブ世界の政治地図を大きく再編しつつある──当事者のだれもが予想もしなかったような危険な方向で。



2001年9月17日

原注


[1] Elie Barnavi, 'Sionismes', in Elie Barnavi and Saul Friedlander, Les Juifs et le XXe siecle, Paris 2000, pp. 229-30.
[2]「ベツレヘムへの疾走」 、ニュー・レフト・レヴュー 10、7-8月2001年
Perry Anderson, 'Scurrying towards Bethlehem', NLR 10, July- August 2001.
[3]「イスラエルの報復は正当だ」ロサンゼルス・タイムズ 2001年8月30日
'Israel's Retaliation is on Target', Los Angeles Times, 30 August 2001.
[4]「中東にベルリンの壁を築け」、ロサンゼルス・タイムズ 2001年8月14日 
'Build a Berlin Wall in the Middle East', Los Angeles Times, 14 August 2001.
[5]「中東の行き詰まりの打開」、ニューヨーク・タイムズ 2001年8月24日
'A Way Out of the Middle East Impasse', New York Times, 24 August 2001.

訳注
〔1〕「脱開発」という言葉は、「脱ダム宣言」なんて言い方と同じように現在の日本の文脈ではむしろ「むやみな開発中心主義を脱却する」というポジティブな意味で使われていますが、ここでの意味は本文にあるとおり占領地区の開発を意図的に阻止し、経済を困窮させる意図的な政策のことです。 Sara Roy はハーヴァード大学の中東研究所の研究員で、パレスチナ経済に関してはアメリカ随一の研究者。 The Gaza Strip: The Political Economy of De-development (Institute for Palestine Studies, 1995)
〔2〕Orient House: 東エルサレムにおける事実上のPLO本部。2001年8月9日のエルサレムのレストランへの自爆テロへの報復として、翌日から無期限占領された。オリエントハウスはPLOや自治政府が、将来の国家独立時の東エルサレム首都化をにらみ、執務拠点や外交に使用している施設。東エルサレムをパレスチナ国家の首都にすることを目指すパレスチナ側のシンボル的な施設だった。イスラエル警察は強制的に乗り込み、建物にイスラエル国旗まで掲げたという。
なお、東エルサレムの「ユダヤ化」とは、東エルサレムに住むパレスチナ人の住民としての権利を剥奪し、東エルサレムを実質的に「ユダヤ人の街」として既成事実化することを指す。
〔3〕Michel Report: 2000年秋からの対立激化について調査と打開策の提案をめざした国際調査委員会(委員長・ミッチェル米元上院議員)の最終報告書。2001年5月21日、正式にイスラエルとパレスチナ双方に伝達された。即時無条件の暴力停止と紛争解決交渉の開始、共同治安維持活動の再開を双方に求め、さらにイスラエル政府に対しては、(1)パレスチナ自治区でのイスラエル人入植活動の全面凍結 (既存入植地での人口自然増による拡充も認めない)(2)非武装パレスチナ人に対する殺傷兵器の使用を停止――などを進言した。同時にパレスチナ自治政府には、(1)イスラエル軍・市民に対するテロ活動の停止 (2)テロリストの逮捕――などを求めた。<CNN:http://cnn.co.jp/2001/WORLD/05/21/Middleeast.report/> なお、次のサイトで英文の全文を読むことができる <http://www.gush-shalom.org/archives/Mitchel.html>
〔4〕Hanan Ashrawi:米国のTVへの出演も多く、有名なパレスチナ自治政府のスポークスウーマン。自治政府評議会議員。米国で教育を受け、サイードの弟子にもあたる。1991年以降の中東和平交渉でPLOの報道官をつとめ、その後パレスチナ自治政府閣僚(高等教育相)もつとめた。後にアラファト勢力の政治腐敗等を批判してPLOと訣別、自らの組織MIFTAH <http://www.miftah.org/>を設立した。 著書:This Side of Peace : A Personal Account, May 1995, Simon & Schuster Books 邦訳『パレスチナ報道官―わが大地への愛』猪股直子訳 朝日新聞社 2000年11月


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