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イラク侵略を許した今日では、アラブ・ナショナリズムはひどく士気を阻喪し、ぺしゃんこに打ちのめされ、アメリカが公言する自国とイスラエルの利害にそって中東の地図を書き換えようという計画に黙従する以外のなにをする気力もなくしている。 この並外れておおげさな計画でさえも、アラブ諸国からはまだなにもはっきりした集団的回答を受け取っていない。これらの国々はぶらぶら時間をつぶしながら、何か新しい展開が起こるのを待っているらしい──ブッシュやラムズフェルドやパウェルなどが行きあたりばったりに脅迫から訪問計画、つれない態度、爆撃、一方的な発表などへとよろめいているうちに何かが起こるだろうと。 事態を特にいらだたしいものにしているのは、ジョージ・ブッシュの白日夢から出てきたらしいアメリカの(あるいは中東カルテットの){ロードマップ」提案を、アラブ側が完全に受け入れたにもかかわらず、イスラエルは冷淡に、このようなものの受け入れを保留していることだ。 「ロードマップ」の意図が a) パレスチナの内戦を煽り、b)パレスチナ人がイスラエル=アメリカの「改革」要求を何の見かえりもないのに遵守するよう求めることにあることは、どんな幼い子供にも明らかである。それなのに、これまでずっとアラファトの忠実な部下だったアブー・マーゼンのような二流の指導者が、コリン・パウェルやアメリカたちを喜んで受け入れようとするのを見て、パレスチナ人たちはどんな気持ちだろう わたしたちは、この先どこまで沈むことができるのだろう?


アラブのおかれた状況
The Arab condition
Al Ahram Weekly 2003年5月22〜28日 No. 639

わたしの印象では、現在アラブ人の多くが、ここ二カ月にイラクで起きたことは、ほとんど破局に近いと感じている。たしかに、サダム・フセイン体制はどこからみても卑劣なもので、とり除かれるにふさわしいものだった。また、この体制が異様に残忍で独裁的だったことや、イラクのひとびとが受けてきたひどい苦しみに対して、多くの人が怒りを感じていたのもほんとうだ。他の政府や個人のあまりに多くがサダム・フセイン政権の存続を黙認し、見て見ぬふりをしながら普段通りの仕事にはげんでいたことには疑問の余地がない。にもかかわらず、アメリカがイラクを爆撃し政府を転覆することが容認された唯一の根拠は、道徳的な権利でも合理的な議論でもなく、たんに純粋な軍事的優位だった。長年イラクのバース党支配やサダム・フセインその人を支援しておきながら、アメリカと英国は、彼の専制に自分たちが共謀したことを否定し、自分たちは嫌悪されているサダムの圧政からイラク人を解放するのだと述べるような不当な権利をかってに手に入れたのだ。イラクの真髄である文明とその国民に対し英米がしかけた不法な侵略とその後の状況を通じて、イラクに生じつつあると思われるものは、アラブ全体にとって重大な脅威である。

いま最も重要なことは、まず第一に、アラブは内部に多くの分裂と紛争を抱えているとはいえ、実際にひとつの民族を形成しているのであり、外部の干渉に無抵抗にさらされる雑多な国々の寄せ集めではないということを、わたしたち自身が思い出すことである。一六世紀のオスマン帝国によるアラブ人支配に始まって、現在までつづいている帝国支配の明瞭な継続性がある。オスマン帝国が第一次世界大戦で崩壊した後、イギリス人とフランス人がこの地に進出した。第二次世界大戦後には、彼らに代わってアメリカとイスラエルがやってきた。近年のアメリカやイスラエルのオリエンタリズムの中でもっとも陰険に影響力を発揮してきた思想潮流のひとつは、アラブ・ナショナリズムに対する非常に根の深い敵意と、あらゆる手を使ってそれを粉砕しようという政治的決意であり、それは一九四〇年代後期から両国の政策にはっきり現れている。広い意味でのアラブ・ナショナリズムの基本的な前提は、実質的にもスタイルの上でも多元的で多様性に満ちてはいるものの、言語と文化においてアラブでありムスリムである人々(アルバート・ホウラーニが彼の最後の本で呼んだように、アラビア語を話す諸国民と言ってもよい)は、一つのネイションを形成しているのであって、単に北アフリカからイランの西国境までに散らばる国々を寄せ集めたものだけではないということだ。この前提を独自に表現すると公然とした攻撃に出会う。一九五六年のスエズ戦争やアルジェリアに対するフランスの植民地戦争、占領と追放をもたらしたイスラエルの戦争、イラク攻撃などに見られるように。最後のものは、公表された戦争目標は特定の政権の打倒だったが、ほんとうの目的はもっとも強力なアラブ国家を破壊することであった。そしてアブドゥン=ナーセルに対するフランス、英国、イスラエル、アメリカの四国による攻撃が、アラブを一つの独立した強力な政治勢力に結集させることを公然と目標に掲げる勢力を潰すためのものであったのと同じように、今日のアメリカの目標は、アラブではなくアメリカの利害にあわせてアラブ世界の地図を塗り替えることだ。アメリカの政策は、アラブの分裂、集団としての活性のなさ、軍事・経済面での弱さを糧にしている。

個々のアラブ諸国のナショナリズムと教条的な分離性の方が(エジプトであれ、シリアであれ、クウェートであれ、ヨルダンであれ)重要であり、アラブ国家のあいだの経済、政治、文化面での協調よりもずっと有用な政治的現実であるというのは馬鹿げた論議だ。もちろん完全に統合する必要があるとは思わないが、有用な協力と計画ならばどんな形のものであれ、わたしたちのネイションとしての存在を捻じ曲げてきた不名誉な首脳会談(たとえば、イラク危機の間にもたれたような)よりはましだろう。アラブ人ならだれしも(外国人もだが)質問することは、なぜアラブ人は自分たちの資金を出し合って、大義のための闘いに使おうとしないのかということだ。その大義は、彼らが少なくとも公式には支持を表明しているものであり、パレスチナ人の場合は、民衆が積極的に、熱烈に信じているものなのに。

アラブ・ナショナリズムを奨励するためになされたことでさえあれば、濫用や浅見や浪費や弾圧や愚行も許されるなどという愚論に時間をついやする気はない。これまでの記録は誇れるようなものではない。けれども断固として述べておきたいのは、二〇世紀初期からずっとアラブ人は全体としての集団的な独立を一度も達成したことはないが、その原因の一部はまさに彼らの土地の戦略的、文化的な重要性が外部の大国の邪心をそそったためだということである。今日、アラブ諸国のなかで自国の資源を望み通りに自由に処分できる国はないし、それぞれの国益にかなうような立場を取れる国もない。そのような利害がアメリカの政策を脅かすと思われるときは、とりわけそうである。アメリカが世界的な優位を確立してから五〇年余りになるが、そのあいだずっと、また冷戦終結後はとくにその傾向が強まったが、同国の中東政策は二つの原則に基づいており、その二つのみで運営されてきた──イスラエルの防衛とアラブの原油の自由な流通。これらは、ともにアラブ・ナショナリズムとは真っ向から対立するものであった。わずかな例外を除いては、あらゆる面でアメリカの政策は、アラブ人の目標に対しては侮蔑的で、公然と敵視するようなものだった。アブドゥン=ナーセルが死去して以来、アラブの統治者たちは要求されたことには何でも同調してきたのであり、彼らのあいだからアメリカに挑戦しようという者は見事なまでにひとりも出てこなかった。

彼らのいずれかが非常に極端な圧力のもとに置かれた時には(例えば一九八二年にイスラエルがレバノンを侵略したときや、イラクに対して国民や国家全体を衰弱させるための経済制裁措置が施行されたとき、リビアやスーダンが爆撃されたとき、シリアが脅迫されたとき、サウジアラビアに圧力がかかったとき)、彼らの集団としての弱さは茫然とさせるようなものであった。彼らの集団としての巨大な経済力も、民衆の意志も、アラブ国家にわずかな反抗の素振りをさせることさえできなかった。分断して統治せよという帝国主義の政策が絶大の力を発揮した。それぞれの政府が、アメリカとの単独関係に傷がつくのを恐れたらしいからだ。どんなに緊急な不測の事態が起ころうとも、そのような考慮が優先された。アメリカの経済援助に頼っている国もあり、アメリカの軍事力の保護に頼っている国もある。しかし、どの国もみな、お互いに相手は信用しないことに決め込み、また自国民の福祉については重大に考えない(つまり、ほとんど考えない)ことにしている。そういうものよりアメリカ人の高慢と軽蔑を甘受する方が好ましいと思っているのだが、アメリカ人が唯一の超大国としての横柄さを長いあいだに次第に身につけていくに従って、彼らのアラブ諸国に対する扱いは、どんどん悪くなっている。実際、アラブ諸国が外部からの本当の侵略者に対して闘うよりも、たがいの反目にせいを出してきたことは注目に値する。

その結果、イラク侵略を許した今日では、アラブ・ナショナリズムはひどく士気を阻喪し、ぺしゃんこに打ちのめされ、アメリカが公言する自国とイスラエルの利害にそって中東の地図を書き換えようという計画に黙従する以外のなにをする気力もなくしている。この並外れておおげさな計画でさえも、アラブ諸国からはまだなにもはっきりした集団的回答を受け取っていない。これらの国々はぶらぶら時間をつぶしながら、何か新しい展開が起こるのを待っているらしい──ブッシュやラムズフェルドやパウエルなどが行きあたりばったりに脅迫から訪問計画、つれない態度、爆撃、一方的な発表などへとよろめいているうちに何かが起こるだろうと。事を特にいらだたしいものにしているのは、ジョージ・W・ブッシュの白日夢から出てきたらしいアメリカの(あるいは中東カルテットの)ロードマップ提案を、アラブ側が完全に受け入れたにもかかわらず、イスラエルは冷静に、そのような受け入れを保留していることだ。ロードマップの意図がa)パレスチナの内戦をたきつけ、b)パレスチナ人がイスラエル=アメリカの「改革」要求を何の見かえりもないのに遵守するよう求めることにあることは、どんな幼い子供にも明らかである。それなのに、これまでずっとアラファトの忠実な部下だったアブー・マーゼンのような二流の指導者が、コリン・パウエルやアメリカたちを喜んで受け入れようとするのを見て、パレスチナ人たちはどんな気持ちだろう。わたしたちは、この先どこまで落ちぶれることができるのだろう?

アメリカのイラクでの計画については、これから起ころうとしているのが、一九六七年以降のイスラエルの占領のような、時代遅れの植民地支配以外のなにものでもないことは今や明々白々である。イラクにアメリカ流儀の民主主義を持ち込むというのは、基本的にこの国をアメリカの政策に一致させることを意味する。それはすなわち、イスラエルと講和条約を結び、アメリカの利益のために石油を売り、民生秩序は最低限に保たれるだけで、真の反対派も、真の制度構築も許されないということだ。イラクを内戦時代のレバノンに変えることさえ、もくろまれているようだ。それについては確信がない。けれども、いま進められているのがどのような計画かということの、小さな例をひとつ見てみよう。ニューヨーク大学の法律学助教授で三二歳のノア・フェルドマンが、イラクの新憲法を作成する責任者になることがアメリカの新聞で最近発表された。この抜擢についての説明ですべてのメディアが言及したのは、フェルドマンがイスラーム法についての卓抜した専門家であり、一五歳のときからアラビア語を学び、正統派ユダヤ教徒として育てられたということだ。だが、彼はアラブ世界で法律の仕事をしたことは一度もなく、イラクに行ったこともなければ、戦後のイラクのかかえる問題について真の実践的知識を持っているとも思われない。なんという率直な侮蔑だろう。イラクそのものに対してだけでなく、大勢のアラブやムスリムの法律家たちに対してもだ。この人たちはイラクの将来のために完璧に役立つことができるのだ。けれども、アメリカが望むのは、それを生意気な若造にやらせることだ。そうすることによって、「われわれがイラクに新しい民主主義を与えてやった」と言えるように。このさげすみの深さは、ナイフで切り分けることができるほどだ。

こうした状況に直面してアラブ人が見たところ無力らしいことには、きわめて意気消沈させられる。それに対する集団的な回答をこしらえるための真剣な努力がなされなかったからだけではない。わたしのように外部から状況を眺めて考察する者にとっては、いまこの危機の瞬間に、共同の民族的脅威とみなければならないものの中で、統治者から国民に向けての支持の要請がいっさい見受けられないのは驚くべきことだ。アメリカの軍事立案者は、自分たちが計画しているのはアラブ世界の急進的な改革だという事実を隠そうともしない。そんな変革を押し付けることができるのは、彼らの軍事力と並んで、反対するものがほとんどない状況のためである。おまけに、この試みの背後にある考えは、アラブ人の根底に流れる一体感を二度と復活しないように粉砕し、彼らの人生や願望の基盤を取りかえしのつかないほど変えてしまおうということに他ならないと思われる。

このような力の誇示に対しては、アラブの統治者たちと民衆が前例のないような団結をみせることのみが、唯一の抑止力となるだろう。けれども、そのためには、明らかに、すべてのアラブ政府が、自国民に社会を解放し、彼らを中に迎え入れ、抑圧的な治安措置をすべて解除することによって、新しい帝国主義に対抗する組織的な反対勢力を生み出すことに着手することが必要になる。むりやり戦争をさせされる民、あるいは沈黙させられ抑圧された民には、決してそのような機会をもつことはできない。わたしたちが必要とするのは、支配者と被支配者のあいだの自ら招いた緊張関係から解放されたアラブ社会だ。どうして自由と自決を守るために民主主義を歓迎しようとしないのだろうか。どうして、市民のひとりひとりが共通の敵に対する共通の闘いに喜んで動員されるようになってほしいと言わないのだろう。すべての知識人とすべての政治勢力がわたしたちと一つになって、わたしたちの人生設計を書き換えようとする帝国の計画に対抗することが必要だ。どうしてレジスタンスが急進主義者と自暴自棄な自爆攻撃者の手にゆだねられねばならないのだろう。

余談だが、二〇〇二年のアラブ世界に関する国連人間開発報告を読んだとき強く感じたのは、そこにはアラブ世界への帝国主義的な干渉、またその影響がどれほど深く、また長く後をひいているかについての理解があまりに乏しかったということだった。もちろん、わたしたちの問題のすべてが外からきたものだとは思わないが、すべてわたしたちが自分で招いたものばかりだとは言いたくない。歴史的な文脈と政治的な分裂の問題はとても大きな役割を果たしてきたのだが、国連の報告書はそんなことにはほとんど注意を払わない。民主主義の不在は、一部は西欧列強と少数派の政権や政党とのあいだに同盟関係がむすばれたことの結果であり、アラブ人が民主主義に興味を持たないからではなく、民主主義が脅威であるとドラマの登場人物の数人が見なしてきたからである。おまけに、アメリカ方式の民主主義(ふつうは自由市場の婉曲表現にすぎず、社会福祉や公共サービスにはほとんど注意が払われない)を唯一のモデルとして採用する必要もない。この問題については、もっとずっと深い議論が必要であり、ここでは充分に論じることができない。ゆえに、本題に戻ろう。

パレスチナ人が、コリン・パウエルに会うための代表団の地位をめぐって見苦しい争奪を繰り広げるかわりに、共通して一致団結を示していたとしたならば、今日、アメリカ=イスラエルの猛攻撃の下で彼らの立場がどれほどましなものになっていただろうかを考えてみてほしい。長年わたしが理解できずにいるのは、どうしてパレスチナの指導者たちは、占領に反対するための共通の統一戦略をつくりあげ、ミッチェル(上院議員)やテネット(CIA長官)や中東カルテットなどの停戦プランに振り回されるのをやめることが、いまだにできずにいるのかということだ。すべてのパレスチナ人に対して、わたしたちの敵は一つであり、彼らがわたしたちの国土や生活をどのようなものにしたいと考えているかは周知のことであり、それに対してわたしたちは一致団結して戦わなければならないと、なぜ言わないのだろう。根本の問題は、パレスチナだけでなくどこでもそうなのだが、支配者と支配される側の基本的な断絶だ。帝国主義のゆがめられた副産物のひとつである。この民主主義的な参加に対する基本的な恐れは、まるで自由を与えすぎると、政権を握っている植民地エリートが帝国当局の愛顧を失うかもしれないといわんばかりである。その結果は、もちろん、全員を共通の闘いに向けて真に動員することができないということだが、そればかりでなく、分裂と狭量な派閥主義が永続化することでもある。現状では、今日、世界中であまりに多くのアラブ市民が社会に関与せず、参加していない。

彼らが望むと望まざるとにかかわらず、アラブ人は現在、自分たちの将来に対する全面的な攻撃を、帝国主義の大国アメリカから受けている。この国はイスラエルと協調して動いており、わたしたちを平定し、服従させて、しまいにはわたしたちをただの相争う封建領主国の集まりに貶めてしまおうとしているのだ。この領主たちが一番の忠誠を誓うのは、自らの民ではなく、この超大国そのもの(およびその地方代理人)なのだ。これが今後何十年にもわたって中東地域の方向を決定することになる紛争だということを理解しないことは、みずからの目をふさぐ行為である。いま必要とされるものは、アラブ社会を、不満を抱いた民衆と、不安な指導者と、阻害された知識人の不機嫌な集合へと縛りあげてきた鉄の帯をうち破ることだ。これは、前例のない危機である。従って、それに対抗するためには、前例のない手段が要求される。第一歩は、問題の範囲をつきとめることである。その次は、わたしたちに無力な怒りと無用視される反応しかできないようにさせているものを克服することだ。そんな状態は、決して快く受け入れられるものではない。このようなぞっとしない状態に対して、そのオルターナティヴはずっと大きな希望を秘めている。


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