Edward Said Extra  サイード・オンラインコメント

2週間前、およそ百万部を発行する週刊誌『 New York』は「アメリカのユダヤ人の危機」と題する一連の調査報告を掲載した。その主題は、「イスラエルにおけると同様、ニューヨークにおいても[それは]生き残りをかけた問題なのだ」というものだ。 この突拍子もない主張については要点をかいつまんで説明する気にならないが、その代わり一言だけいっておこう。「わたしの人生で最もたいせつなもの、すなわちイスラエルという国」(この雑誌が引用した有名なニューヨーカーたちのひとりの発言だ)について、ここに描き出されたイメージはあまりにも苦悶に満ちているため、米国のマイノリティのなかで最も成功している有力なこの集団が、実際にその存在を脅かされているかのような気がしてくるほどだ。引用された他の人々のなかには、アメリカのユダヤ人たちは第二のホロコーストの危機に直面しているとまで言う者もいた。掲載された記事の一つで著者が語ったように、アメリカのユダヤ人の多くはイスラエルが西岸地区でやったことを熱狂的に支持しているのは確かである。


アメリカのユダヤ人の危機
Crisis for American Jews
Al Ahram Weekly 2002年5月16〜22日 No.586号

数週間前、ジェニーンの包囲攻撃が行なわれていたとほぼ同じころ、ワシントンではイスラエルを擁護する声高なデモが開催された。演説したのは上院議員や主要ユダヤ系団体幹部、その他の有名人など、広く衆目を集める人々ばかりだった。各人とも、イスラエルのすべての行動に対する無尽蔵の連帯意識を表明した。政府を代表したのは国防省ナンバー・ツーのポール・ウォルフォウィッツだった。昨年9月以来ずっとイラクのような国を「始末する」ことを提唱しつづけている極右のタカ派である。 ウォルフォヴィッツはまたイスラエル支持者のなかでも徹底した強硬派として知られており、その演説は他の講演者たちと同じような内容(イスラエルを賞賛し無条件の全面支持を表明する)だったが、意外なことにふと「パレスチナ人の苦しみ」についても言及した。 この一言で、彼は大きなブーイングを浴びせられることになった。ブーイングはあまりにやかましく、長いあいだ続いたため、ウォルフォヴィッツは演説を続けることができず、面目をなくした格好で壇上を去った。

このできごとの教訓は、アメリカに住むユダヤ人のイスラエルに対するおおやけの支持においては、パレスチナ人という人々が現実に存在することを認めるようなものはいっさい容認されず、ただひとつの例外がテロリズム、暴力、悪意と狂信のからみで持ち出される場合だということだ。そのうえ、「他の側」の存在を見ること(それについて聞くことはもとより)に対するこのような拒絶は、イスラエル人のあいだの狂信的な反アラブ感情をはるかに上回るものだ。パレスチナで闘争の最前線に立っているのはもちろん後者である。イスラエルでは、最近のテルアビブにおける反戦デモに60,000人が参加し、占領地で軍役につくことを拒否する予備役軍人が増加しており、(少数であるとはいえ)知識人や団体が継続的に抵抗を維持しており、いくつかの世論調査ではイスラエル人の大半はパレスチナ人との講和のために占領地から撤退する用意があるという結果が示されている。以上のことから判断するに、イスラエルのユダヤ人のあいだには、少なくとも政治活動のダイナミクスが働いている。 だが、合衆国にはそれがない。

2週間前、およそ百万部を発行する週刊誌『New York』は「アメリカのユダヤ人の危機」と題する一連の調査報告を掲載した。その主題は、「イスラエルにおけると同様、ニューヨークにおいても[それは]生き残りをかけた問題なのだ」というものだ。 この突拍子もない主張については要点をかいつまんで説明する気にならないが、その代わり一言だけいっておこう。「わたしの人生で最もたいせつなもの、すなわちイスラエルという国」(この雑誌が引用した有名なニューヨーカーたちのひとりの発言だ)について、ここに描き出されたイメージはあまりにも苦悶に満ちているため、米国のマイノリティのなかで最も成功している有力なこの集団が、実際にその存在を脅かされているかのような気がしてくるほどだ。引用された他の人々のなかには、アメリカのユダヤ人たちは第二のホロコーストの危機に直面しているとまで言う者もいた。掲載された記事の一つで著者が語ったように、アメリカのユダヤ人の多くはイスラエルが西岸地区でやったことを熱狂的に支持しているのは確かである。例えば、あるユダヤ系アメリカの談話には、彼の息子はいまイスラエル軍に入隊しており、「武装しており、危険で、パレスチナ人を一人でも多く殺そうとしている」というくだりがある。

アメリカで恵まれた生活をしていることの罪悪感も、この種の妄想的な思考に一役買っているのだが、最大の要因となっているのは、幻想と神話への常軌を逸した閉じこもりであり、それは世界でも他に類をみない無思慮なナショナリズムと教育に由来するものである。 2年近く前にインティファーダが発生してからというもの、アメリカのメディアと主要ユダヤ系団体は、アラブ世界やパキスタン、さらには合衆国のものさえ含めたイスラムの教育に対し、一貫してありとあらゆる攻撃を続けてきた。 アメリカとイスラエルに対する憎悪、自爆攻撃の美徳、ジハードへの無条件の称賛などを教えたかどで、イスラムの諸政府・権威がアラファトのパレスチナ自治政府とならんで非難された。 だが、アメリカのユダヤ人がパレスチナ紛争について教えられたことがどのような結果をもたらしたかについては、ほとんど語られることがなかった。彼らが教わってきたのは、「パレスチナは神によってユダヤ教徒に与えられた」「そこには誰も住んでいなかった」「その土地はイギリスから解放された」「原住民たちが逃走したのは、彼らの指導者が命じたからだ」「実際にはパレスチナ人などというものは、最近テロリストとして登場するようになった以外には存在しない」「アラブ人はすべて反ユダヤ主義者であり、ユダヤ人を殺したがっている」ということである。

このような憎悪の煽動のどこをさがしてもパレスチナ人という民族の現実性は存在しない。もっと端的に言えば、パレスチナ人のイスラエルに対する憎しみと敵意が一方にあり、イスラエルが1948年以来パレスチナ人に対してしてきたということが他方にあるのだが、この両者のあいだに何の関係づけもされていないのだ。これではまるで、難民化、一つの社会の破壊、西岸とガザの35年におよぶ軍事占領という歴史のすべて ──何十年におよぶ大虐殺、爆撃、追放、土地収奪、殺害、包囲攻撃、屈辱、何年にもわたる集団懲罰、暗殺などについては言うまでもない──がまったく何の問題にもならないといわんばかりだ。イスラエルがパレスチナ人の憤怒や敵意や根拠のないユダヤ嫌いの犠牲になってきたからだ、というのがその理由とされている。 ユダヤ人国家によってユダヤ人の名においてなされた個々の行動の、実際の首謀者としてイスラエルをとらえ、その行動とパレスチナ人の怒りや復讐の感情とを結びつけてみようという考えは、たいていのアメリカのイスラエル支持者の心にはけっして浮かばない。

根底にある問題は、パレスチナ人は人間としては存在しない、すなわち、他のすべての人々と同じように、歴史や伝統や社会や苦しみや大望を持った人間としては存在しないということである。なぜこんなことがこれまでアメリカのイスラエル支持者の大半(決して全員ではない)に通用してきたのかということは、追及してみる価値のある問題だ。それは、パレスチナに先住民がいたという知識にさかのぼる。シオニスト指導者たちはみなそれを知っていたし、それについて語っている。だが、この事実は、植民地化を妨げかねないようなものだったため、決して認めることはできなかった。 それゆえシオニストたちはぐるになって事実を否定するか、さもなければ(実際の証明のための現実には触れにくい合衆国では特にそうなのだが)反現実をつくりだすことによってそれをごまかすことを慣習にしてきた。何十年にもわたって、学校では、シオニストの開拓者がやってきたときパレスチナ人などいなかったと教えられた。従って、石を投げて占領に抵抗する雑多な種族の人々はただのテロリストの集まりであり、殺されても仕方のないやつらだ、ということになる。 要するにパレスチナ人は、物語とか集団としての実在性といったものにはいっさい値しないのであり、それゆえ変容させられて本質的に否定的なイメージのなかに溶解されねばならないのだ。 これはみな、ゆがめられた教育の結果である。これを少しずつ分け与えられてきた何百万という子供たちは、政治・イデオロギー的な目的、すなわちイスラエルへの高い支持を維持するために、パレスチナ人は完全に人間あつかいされなくなったということに、まったく気づかぬまま育った。

なにが驚きと言って、それはこのような歪曲のなかで、民族間の共存という概念がなんの役割も果たしていないことだ。アメリカのユダヤ人たちは、アメリカにおいてユダヤ人であるとともにアメリカ人として認知されることを望んでいる。そのくせ、イスラエルが建国以来ずっと抑圧してきた別の民族には、アラブ人であるとともにパレスチナ人であるという同じような地位を与えることを渋っているのだ。

通常の政治学をおおきく超越したこの問題の根の深さは、合衆国に何年も住むことになってようやく気がつくことである。 シオニスト教育によってパレスチナ人の存在が知的に抑圧されるようになった結果、イスラエルがなにをしようとそれはみな犠牲者の行為だという、思慮のない危険なまでに歪んだ現実感覚が生み出された。上述した様々な記事によれば、危機に陥っているアメリカのユダヤ人は、ひいてはイスラエルの極右翼ユダヤ人と同じようなことを感じていることになる。すなわち、自分たちは危険にさらされており、存続が危うくなっているという意識だ。これは、もちろん現実とはなんのかかわりもないものであり、むしろ浅薄きわまりないナルシシズムによって歴史や事実を覆してしまうような一種の幻覚状態に関係したものである。 ウォルフォウィッツ演説中の件の発言について最近だされた弁護では、彼が言及していたパレスチナ人については一言も触られれず、ブッシュ大統領の中東政策が弁護されているだけだった。

これはとてつもない人間性のはく奪だ。事態を一段と悪くさせているのが、パレスチナ人の闘争をゆがめ、価値を損ねる自爆攻撃だということも、言っておかねばならない。 歴史上の解放運動はすべて、自分たちの闘争は生きるためのものであり、死ぬためのものではないと断言してきた。 なぜわたしたちの闘争だけが例外でなければならないのか。わたしたちが敵のシオニストを教育し、わたしたちの抵抗は共生と平和を提唱しているということを示すのが早ければ早いほど、彼らが思いのままにわたしたちを殺害し、テロリストとして以外には絶対に言及しないなどということも許されにくくなるだろう。なにも、シャロンやネタニヤフのような人物を変えることができるなどと言っているわけではない。 わたしが言いたいのは、パレスチナ人というものが存在するということだ。イスラエル人やアメリカ人と同じようにパレスチナ人という集団が存在するのであり、このいずれの集団に対しても、武器や戦車や人間爆弾やブルドーザーなどの力では問題の解決にはならず、さらならる妄想と歪曲を双方に生み出すだけだということを、戦術戦略を駆使して気づかせてやる必要があるのだ。
5月24日 (=^o^=)/

Al-Ahram Weekly Online 16 - 22 May 2002 Issue No.586


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