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とはいえ、このような動きから若干の距離をおいたところでは、新しい世俗主義ナショナリストの潮流がゆっくりと現れてきている。一つの政党とか政治ブロックとか呼ぶには時期尚早であるが、それは少なくともほんとうに独立した広い支持を集める明瞭なグループに成長している。・・・12月のなかば、パレスチナ人に結束と抵抗を呼びかけ、イスラエルに軍事占領の無条件終了を要求する共同声明が出された。オスロ合意への復帰については意図的に口をつぐんだものだった。この声明は、アラブやヨーロッパのメディアでは広く報道されたが、合衆国ではまったく黙殺された。占領状況の改善を交渉することは占領をながびかせることに等しいと、わたしたちは考える。占領に終止符がうたれてはじめて和平が可能になるのだ。この声明文の最も大胆な個所は、パレスチナ内部の状況を改善する必要に焦点をあてている。とりわけ民主主義の強化、(現在は完全にアラファトとその配下に牛耳られている)意思決定プロセスを「ただす」こと、法による支配と司法権の独立を復活させる必要、公的資金のこれ以上の濫用の防止、公共機関を整理統合し、公共サービスのために設けられた公共機関にすべての市民の信頼をとりもどすこと、などが主張されている。そして最後のもっとも重要な要求は、新たな議会選挙の実施である。


パレスチナに芽生えるオルターナティヴ
Emerging alternatives in Palestine
Al-Ahram Online Weekly 2002年1月10−16日号 (No568)

軍事占領下に置かれ、武装も持たず、指導者にもめぐまれず、いまだに難民状態にある民族が、イスラエルの戦争機構による情容赦ない破壊への抵抗のなかで示している驚くべき不屈の精神にもかからわらず、パレスチナのインティファーダは始まって15ヶ月が経過したいまも政治的にはほとんどみるべき成果をあげられずにいる。合衆国では、政府と(ひと握りの例外はあるものの)「民間」メディアがパレスチナ人の暴力とテロについての互いの言辞をこだまするように延々と反復し、その一方で近代史上最長の35年におよぶ軍事占領については完全に黙殺する状況が続いている。その結果、ヤセル・アラファトの自治政府はテロリストをかくまい、支援さえしているというアメリカ政府の9月11日以降の公式の非難が、シャロン政権のとんでもない主張──イスラエルは犠牲者でありパレスチナ人は攻撃者である(イスラエル軍がパレスチナの民間人や資産や公共機関を無差別に容赦なく攻撃してきた40年にわたる戦争においての話だ)──を平然と後押しすることになった。その結果、現在なにが起こっているかといえば、パレスチナ人たちはイスラエル軍が管理する220ヶ所のゲットーに閉じ込められ、アメリカが供与したアパッチ戦闘ヘリやメルカヴァ戦車やF16戦闘機が人々や家屋やオリーブ園や畑に毎日のように掃射を浴びせ、民間の事業所や公共機関とならんで学校や大学も完全に機能を停止し、罪のない民間人が何百人と殺され何万人と負傷しているという事態だ。イスラエルによるパレスチナ側幹部の暗殺は止まず、失業率や貧困率は50パーセント前後に達している。こういうことが起こっているさなかに、〔アメリカの中東特使〕アンソニー・ジニ将軍は、身動きのとれない惨めなアラファトに、パレスチナ側の「暴力」についてくどくどごたくを並べている。だが、そのアラファトはイスラエルの戦車によってラーマッラーのオフィスに軟禁されており、ぼろぼろになった彼の複数の治安部隊はイスラエル軍による駐在所や兵舎の破壊のなかで命からがら逃げまどっているありさまなのだ。

さらに悪いことに、パレスチナのイスラム主義者たちはみだりに野蛮な自爆攻撃を断続的に炸裂させており、結果的にイスラエルの執拗なプロパガンダ機構といつでも出撃を待ち構えている軍隊に格好の材料を提供して煽っている。このため2001年12月中旬、ついにアラファトはがたがたになった彼の治安部隊をハマスやイスラム聖戦機構の取り締まりに差し向けざるをえなくなり、武断派を逮捕し、事務所を閉鎖し、ときにはデモ隊に発砲して死者を出すほどの事態になった。シャロンが要求を出すたびに、アラファトはとりあえずそれを満たそうと必死に努力する。だがそれに対するシャロンの応えは、さらに次の要求を出すか、事件が起こるよう挑発するか、あるいはただあっさり── 合衆国の後ろ盾のもとに── 自分は満足していないと述べ、アラファトは依然としてユダヤ人を殺すことを生きがいとしている「相手にできない」テロリストだ(それゆえ彼がベツレヘムでのクリスマスの礼拝に出席することを禁ずるというサディスト的な措置をシャロンは取った)と断定するだけなのだ。このように道理をものともしないような野蛮な攻撃が、パレスチナ人に対して、良くも悪しくも彼らの指導者である人物に対して、すでに侮辱された彼らの民族/国家としての存在に対して加えられているのだが、それに対するアラファトの反応は交渉再開を求めつづけるという不可解なものである。それはあたかも、シャロンが交渉再開の可能性にさえ明白な攻撃を加えているという事実、オスロ和平プロセスという考えがすでにまるごと消し飛んだという事実がなかったかのようだ。 わたしを驚かせるのは、パレスチナ人はイスラエルによって先住民として迫害されているということをあけすけに公言する者が、ほんの小数のイスラエル人(最近ではデイヴィッド・グロスマン)を除いてほかに誰もいないことだ。

しかし、パレスチナの現状を仔細に分析すれば、もうすこし希望のわくものが見えてくる。最近の世論調査の結果によれば、アラファトと彼に対抗するイスラム主義者たち(不当にも「抵抗勢力」を自称している)は、両者を併せても40パーセントから45パーセントほどの支持率しか獲得していない。 これが意味するのは、パレスチナの一般大衆は、自治政府のオスロプロセスに対する誤った信頼(あるいはその抑圧と汚職にまみれた法律無視の政治)も、ハマスの暴力主義も、いずれも支持していないということである。いつもながら臨機応変の策略家のアラファトは、エルサレムの名士でアル・クドゥス大学学長をつとめる筋金入りのファタハ党員サリ・ヌセイベ博士を使って一般の反応を探るための試験的な演説をさせた──イスラエルがもう少し譲歩を示せばパレスチナ人は帰還する権利をあきらめるかもしれないという趣旨のものだ。それに加えて、大勢の自治政府に近いパレスチナ著名人(もっと正確に言えば、自治政府から離れて活動したことのない人々)が、イスラエルの平和活動家(在野勢力であるか、そうでなければ実力も信用もないような人々)と一緒に声明文書に署名し共同公演会で各地を回っている。このような士気を殺ぐような行為は、パレスチナ人は和平のためならどんな代償も厭わず、軍事占領さえ受け入れる用意があるということを世界に示すためのものだとされている。アラファトは、権力の座にとどまりたいという執拗な願望についてだけは、いまだ敗北をしらない。

とはいえ、このような動きから若干の距離をおいたところでは、新しい世俗主義ナショナリストの潮流がゆっくりと現れてきている。一つの政党とか政治ブロックとか呼ぶには時期尚早であるが、それは少なくともほんとうに独立した広い支持を集める明瞭なグループに成長している。このような勢力として数えられるのは次のような人々だ。ハイダル・アブドゥルシャーフィ博士とムスタファ・バルグーティ博士(タンジームの活動家マルワン・バルグーティは彼の遠縁にあたる)、イブラヒーム・ダッカーク、 ジアード・アブー・アムル、アフマド・ハルブ、アリー・ジャルバーウィ、フワード・バグラビー、立法委員会メンバーのラウィーヤ・アッシャワーとカマール・シーラーフィ、作家ではハッサン・ハドゥルと マフムード・ダルウィーシュ、ラジャー・シェハーダ、リーマ・タラーズィ、ガッサン・アルハティーブ 、ナーセル・アルーリー、エリヤ・ズレイク、そしてこのわたし。12月のなかば、パレスチナ人に結束と抵抗を呼びかけ、イスラエルに軍事占領の無条件終了を要求する共同声明が出された。オスロ合意への復帰については意図的に口をつぐんだものだった。この声明は、アラブやヨーロッパのメディアでは広く報道されたが、合衆国ではまったく黙殺された。占領状況の改善を交渉することは占領をながびかせることに等しいと、わたしたちは考える。占領に終止符がうたれてはじめて和平が可能になるのだ。この声明文の最も大胆な個所は、パレスチナ内部の状況を改善する必要に焦点をあてている。とりわけ民主主義の強化、(現在は完全にアラファトとその配下に牛耳られている)意思決定プロセスを「ただす」こと、法による支配と司法権の独立を復活させる必要、公的資金のこれ以上の濫用の防止、公共機関を整理統合し、公共サービスのために設けられた公共機関にすべての市民の信頼をとりもどすこと、などが主張されている。そして最後のもっとも重要な要求は、新たな議会選挙の実施である。

この声明がどのような読まれ方をしたにせよ、これほど多数の民間著名人(その多くは、保健や教育や専門職種や労働関係の機能している団体・組織を背景としている)がこのような発言をしたという事実の意義は、他のパレスチナ人にもイスラエル軍にも見逃されはしなかった(パレスチナ人のあいだでは、この声明はアラファト体制へのこれまででもっとも痛烈な批判として受け取られた)。それに加えて、シャロンやブッシュの要求を満たそうとあせる自治政府が札付きのイスラム主義者たちを一斉検挙したのとちょうど同時期に、バルグーティ博士によって非暴力の国際連帯運動が開始され、およそ550人のヨーロッパ人オヴザ―バー(その多くは欧州議会議員)がこれに参加するため自費で駆けつけた。また底には規律の行きとどいた若いパレスチナ人の一団も参加しており、彼らはヨーロッパ人たちと一緒になってイスラエル軍や入植者の運動を妨害すると同時に、パレスチナ側からの投石や発砲も阻止することにつとめている。 これによって自治政府やイスラム主義者は事実上闘争現場から締め出され、イスラエルの占領それ自体に問題点を集中させることが中心課題に据えられるようになった。 このような出来事が起こっていたとき、国連では、非武装国際監視団を派遣してイスラエル軍と無防備なパレスチナ民間人のあいだに割って入らせようという安全保障理事会の決議に、合衆国が拒否権を発動していた。

この運動の最初の結果は、1月3日、バルグーティがおよそ20人のヨーロッパ人と共に東エルサレムで記者会見を催した後、イスラエル人が彼を逮捕・拘留し、二度にわたる尋問のあいだにライフル銃の台じりで彼の膝を砕き、頭部に損傷を与えたという事件だった。バルグーティは平和を乱し、エルサレムに不法侵入した(彼はそこで生まれた人であり、そこに出入りするための医療許可証を持っていたにもかかわらず)というのが、その口実だった。 もちろん、そんなことでバルグーティや彼の支持者にこの非暴力闘争を放棄させることはなことはできなかった。この運動が、すでに軍事化しすぎたインティファーダの指導権を握り,占領終了と入植地の撤退を中心課題に据え、国家樹立と平和に向けてパレスチナ人を導いていくことになることは、わたしのみるところ間違いない。イスラエルにとってはバルグーティのような、冷静沈着で理性的で尊敬されているパレスチナ人こそが脅威であり、その威力は髭をはやしたイスラム急進主義者(シャロンは好んで、イスラエルを脅かすテロリストの真髄という誤った姿で描こうとする)よりもずっと大きい。だがそれに対する彼らの処置といえば、バルグーティを逮捕することだけだ。シャロンの先のない政策の典型である。

不名誉で犯罪的な占領の事実そのものには一言もふれないくせに「暴力」を非難することだけは素早かったイスラエルやアメリカの左派は、いったいどこへ行ったのだろう?彼らに対しては、ジェフ・ハルパー Jeff Halper やルイザ・モーガンティーニ Louisa Morgantini のような勇敢な活動家のバリケード闘争(文字通りにも比喩的にも)に加わり、パレスチナに起こってきたこの新しい世俗的な先導的運動と手を携えて、イスラエルの軍事手段への抗議を始めよと、わたしは真剣に呼びかけたい。イスラエルの軍事行動を直接支えているのはアメリカの納税者であり、高価にあがなわれた彼らの沈黙なのだから。自称和平派は過去1年にわたって事態の進展に気を揉みながらパレスチナ側に和平を望む動きがないことをぼやいてきたが(いったい、いつから軍事占領下の民族が和平推進の責任を負うことになったというのか?)、実際にイスラエル軍に影響力を持つ彼らこそが今ただちに占領に反対して立ち上がる明らかな政治的義務を負っているのだ──もう十分に重荷を負っているパレスチナ人に要求を課すよう見苦しいまねはせずに、無条件でそうすべきだ。

なかには、すでに実践している者もいる。イスラエルの予備役兵数百人が占領地での軍務を拒否しており、またジャーナリスト、活動家、学者、作家などあらゆる領域にわたる人々(アミーラ・ハス、ギデオン・レヴィー Gideon Levy、デイヴィッド・グロスマン、イラン・パペIlan Pappe、ダニ・ラビノウィィッツ Dani Rabinowitz、ウリ・アヴネリ Uri Avnery)が、シャロンのパレスチナ人攻撃の犯罪的な無益さに絶え間なく非難をあびせ続けてきた。 理想的には、合衆国においても同じような声があがってしかるべきなのだが、この国ではごく小数のユダヤ系の人々がイスラエルの軍事占領に対する怒りを公然と表明しているものの、それよりずっと強力な共犯関係と大宣伝がすべてを圧倒している。イスラエル・ロビーは、ビンラディンとの戦争に、シャロンがアラファトとパレスチナ人に一心不乱にしかけている集団としての攻撃を同一化することに、一時的には成功している。残念ながらアラブ系アメリカ人社会はあまりにも小規模であり囲み込まれているため、拡大する一方のアッシュクロフト〔司法長官〕の捜査網や、人種による差別的な追求捜査、市民的自由の制限を逃れることは難しい。

従って、もっとも緊急に必要なのは、パレスチナ人を支援する各種の世俗グループのあいだの連携を図ることだ。世界中に離散しているパレスチナ人には、地理的な分散が(イスラエルによる略奪行為よりも)大きな障害となって、一つの民族としての存在を示すことさえ容易ではないのだから。占領を終わらせ、それに付随して起こってきたすべての問題に終止符を打つことが不可欠であることは、わかりきったことである。 いまこそ、それにとりかかろうではないか。 アラブの知識人が、それに実際に参加するのをためらう必要はどこにもない。


Al-Ahram Weekly Online 10 - 16 January 2002 Issue No.568

訳注
〔1〕 Tanzim アル・ファタ所属の実力行使グループ。1983年に創立され、武力闘争や民衆扇動をしている。


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