中嶋啓明
天皇徳仁、皇后雅子は4月7日、硫黄島を日帰りで訪問する。宮内庁が3月21日、正式に発表した。「戦後80年」を口実に、「戦没者慰霊」を掲げて行う一連の「巡幸啓」の一環だ。
例えば翌22日の『毎日新聞』朝刊は、「両陛下 来月硫黄島訪問」と掲げて次のように伝えている。
宮内庁は21日、天皇、皇后両陛下が4月7日に太平洋戦争末期の激戦地、東京都小笠原村の硫黄島を日帰りで訪問し、戦没者の慰霊碑などで拝礼されると発表した。(略)硫黄島では旧日本軍2万人以上、米軍は約6800人が戦死した。/両陛下は政府専用機で羽田空港から海上自衛隊硫黄島航空基地に向かう。島の概要説明などを受けた後、旧日本軍が最後の拠点とした『天山壕(ごう)』の上に国が建立した『硫黄島戦没者の碑』(天山慰霊碑)と、東京都が日米双方の戦没者を追悼するために建てた『鎮魂の丘』で供花と献水をする。/また、1968年に島が米国から日本に返還された後も帰島がかなわない旧島民のため、小笠原村が整備した『硫黄島島民平和祈念墓地公園』に足を運び、供花をする。遺族や元島民の家族らとの懇談も調整されている。
「太平洋戦争末期の激戦地」「旧日本軍2万人以上、米軍約6800人が戦死した」「帰島がかなわない旧島民」……。
どの新聞、メディアも同じような「言葉」を使い、同じような表現で、同じように伝えている。
“事実”を連ねたつもりなのだろう。だがやはり、伝えられない事実がある。
「本土防衛」のために住民を強制的に追い出して島を壊滅させ、その後も軍事基地として占有するために強奪したまま、島民に戻ることを許さない。
そんなふうには書かれない。戦前、戦後の天皇制国家の犯罪は巧妙に隠される。
その一方で、慰霊碑などで拝礼し、供花、献水して、遺族らと懇談までしてくださると、天皇、皇后両陛下のありがたき思し召しだけは強調するのだ。
早速、『朝日新聞』は3月30日の朝刊で、一つの紙面を全面使った企画特集記事を載せた。やはり“陛下の朝日”だ、仕事が早い!
「戦争の記憶と責任 慰霊の旅」と仰々しく掲げた記事は、硫黄島訪問から始めて沖縄、広島、長崎と訪ねて回る今年の「巡幸啓」について「両陛下が各地の戦没者を慰霊することで、知られざる歴史に光が当たるという側面もある」と手放しで持ち上げている。
“関係者”や“識者”を総動員して、「国に対して厳しい思いを持つ人の感情をほぐすことにもつながった」だの、「今の天皇陛下も(前天皇明仁、前皇后美智子の)『平成流』にならいつつ、時代に合わせて進歩した形を模索している」(()内は引用者)だのと、天皇制国家と歴代天皇の責任を免罪するための印象操作に力を尽くすのだ。
明仁、美智子は1994年2月、「戦後50年」を隠れ蓑に硫黄島を訪れた。
その際も、加害に居直り戦争責任から逃れてすっとぼける国家、天皇に、被害者の側が頭を撫でられ慰撫されるという、倒錯という以外の何モノでもない光景が、メディアを舞台に繰り広げられた。
今回も同様の記事が乱舞することになるのかと思うと、ウンザリせざるを得ない。
戦争政策の捨て駒にされたことへの悲痛な怒りを回収し、霧消させる。それが「慰霊訪問」の最大の眼目であることは明らかだ。
▽露骨さ増す軍の関与
天皇の「慰霊巡幸」をめぐる欺瞞、問題は、これまでも繰り返し指摘されているので、これ以上は本サイトの別稿に譲ろう。
ここではほかに、軍事面から見える「巡幸啓」の実態に少し触れておこうと思う。
今回の徳仁訪問ではまだ明らかになっていないので、明仁訪問時の様子を、当時の報道から拾って記録しておく。
当時の自衛隊の関与は、「史上最大の作戦」と報じられるようなものだった。
以下に紹介する内容はいずれも、明仁訪問の数日前に、予定や自衛隊側の意向として伝えられたものなので、実際にその通りに強行されたのかどうかは分からないことを断っておく。
『毎日新聞』は94年2月9日の朝刊に「自衛隊が大量動員/航空機20機、護衛艦3隻」とのタイトルの記事を載せた。
それによると、自衛隊による警護は、宮内庁からの依頼を受けて防衛庁(当時)が準備を進めた。明仁らを乗せて飛ぶ自衛隊機の運用の根拠は、自衛隊法100条の5「国賓等の輸送」だった。
往路の羽田から硫黄島までは空自の国産ジェット輸送機C1、硫黄島—父島間と父島—羽田間は海自の救難飛行艇US1、父島—母島間の往復には海自の対潜ヘリコプターHSS2が使われ、宮内庁や都庁の随行員らの輸送用を含めると、航空機関係はC1が3機、US1は2機、HSS2などヘリ5機が動員されるほか、数基ずつの予備機が待機し、さらに海自はヘリコプター搭載型護衛艦3隻を、小笠原周辺に出動させることになったという。
一方、共同通信は、94年2月6日に「小笠原近海波高し?/戦闘機など史上最大の作戦/両陛下訪問で自衛隊」と報じた。
航空、海上自衛隊の航空機20機以上、護衛艦約10隻と2000人を超す隊員が加わり、昭和天皇の「大喪の礼」、明仁の「即位の礼」を上回る「(自衛隊)創設以来最大の『作戦』になる見通し」(()内は引用者)と。
記事によると、特別機と東京都の職員ら同行者用の予備、支援機を入れると、C1輸送機は「少なくても5機前後が必要」で、空自はほかに、洋上の飛行ルート監視のためE2C早期警戒機を投入し、訓練を兼ねて、数機のF15戦闘機を哨戒飛行に就かせるという。
さらに「海上自衛隊はもっと『大兵力』を動かす」と指摘し、US1救難飛行艇やHSS2対潜ヘリ、P3C対潜哨戒機など「出動機はざっと15機に上る」と伝えている。
『毎日』によると、小笠原周辺に展開するヘリ搭載型護衛艦は3隻だが、共同通信は「訓練を名目に第一線のヘリ搭載護衛艦10隻の艦隊が洋上基地となり、小笠原周辺で警戒に当たる」と書いている。
警護のための動員は自衛隊だけではない。共同通信は、海上保安庁が巡視船十数隻や航空機を派遣する予定で、「南の空と海は大混雑しそう」と指摘している。
天皇警護は、大演習の格好の機会だったのだ。
さて、今回はどうか。明仁訪問時と同様の大作戦になるのか。それを確認しようと防衛省に尋ねたが、宮内庁に聞けと、冷たくあしらわれただけだった。
ただ、何かと「前例踏襲」と言われる皇室、宮内庁だ。時折「改革」だ!何だと、得意げに吹聴することもあり、結局はご都合主義的に言葉をもてあそんでいるにすぎないのだが、「前例踏襲」が皇室、宮内庁の体質の一側面であることもまた、真実だろう。
天皇と自衛隊との結びつきは明仁時代からより露骨になり、拡大、強化されながら、より日常化してきている。現段階では詳細は分からないが、徳仁訪問でも、それなりの大演習が展開されるであろうことは予想できる。
▽安保再編、強化を後押し
折しも3月24日には、陸海空3自衛隊を一元的に指揮する防衛省の統合作戦司令部が正式に発足、始動した。徳仁訪問の警護もまた、司令部発足の“意義”を確認する最重要任務の一つになるだろう。
首相石破茂は3月29日、中谷元防衛相と共に同島を訪れ、日米合同の「戦没者追悼式」に参列した。徳仁訪問の「露払い」だ。現職首相の硫黄島訪問は2013年4月の安倍晋三以来で、戦後50年の1995年に始まった合同追悼式への参列は、現職首相では石破が初めてという。追悼式には、米国防長官ヘグセスも参列。翌30日には、中谷はヘグセスと市ヶ谷の防衛省で、初の日米防衛相会談に臨んだ。
中谷とヘグセスは、「日米同盟の抑止力、対処力強化で一致した」と報じられ、中国脅威論を煽った。さらにヘグセスは、在日米軍司令部について、日本側の統合作戦司令部発足に対応し、作戦指揮権を持つ統合軍司令部に再編する計画をスタートさせたことを明らかにし、日本の防衛費の大幅な増額を中谷に迫った。
そんな中で、徳仁、雅子は硫黄島を訪れる。日米安保体制の再編強化に、最高権威者としてお墨付きを与え、それを後押しする役割を持つのが、徳仁の「慰霊巡幸」なのだ。警戒しないわけにはいかない。