メディアの歴史認識が問われる「昭和100年」

中嶋啓明

首相石破は1月24日、通常国会での施政方針演説を、こう始めた。

今年は戦後80年、そして昭和の元号で100年に当たる節目の年です。これまでの日本の歩みを振り返り、これからの新しい日本を考える年にしてまいります。

「昭和100年」は今年だが、「昭和」に「改元」したのは1926年12月25日だとして、政府は「改元」から100年の来年を目標に、「関連施策」を強行するという。

政府主催の記念式典も計画され、来年の「昭和の日」の4月29日など、「昭和にゆかりのある日程で調整する」と伝えられている(共同通信昨年12月11日配信)。

政府は内閣官房に「関連施策推進室」を設置。昨年末、第1回の「関連施策関係府省連絡会議」を開催し、1月17日には2回目が開かれた。事務方が会議に示した「『昭和100年』関連施策の推進について」と題する文書では、「推進」のための「基本的な考え方」について大要、以下のように述べている。

明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した我が国は、世界恐慌の発生等により日本経済が大きな打撃を受ける中、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試み、進むべき針路を誤って戦争への道を進み、先の大戦で多くの人々が犠牲になった。この経験から、『二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。』という誓いの下、外交、通商貿易、文化交流など、多くの分野で平和を希求する道を歩み、揺れ動く世界情勢の中にあって、国際社会の安定と繁栄に貢献してきた。今後とも、この平和を希求する歩みを続けるとともに、歴史の教訓を次世代に継承していくことが必要である。/また、戦後の我が国は目覚ましい復興と経済成長を遂げ、世界有数の経済大国へと発展し、『豊かさ』を実現した。科学技術の進歩、新しい商品等の創出、インフラの整備や各種施策の推進等を通じて国民の生活水準は著しく向上し、文化・芸術やスポーツなど幅広い分野で多くの人が活躍し、世界的な舞台での活躍も数多く見られた。(略)今日の我が国は、少子高齢化の進展、感染症の脅威、地球規模の気候変動やそれに伴う自然災害の激甚化など昭和期とは異なる多くの課題や、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している。

そのうえで「基本的考え方」は、「関連施策」を打ち出す“意義”を、こう述べている

昭和を顧み、先人の躍動に学び、昭和の記憶を共有することは、平成以降の生まれの世代にとっても新たな発見のきっかけとなり、また、世代を超えた理解・共感を生むとともに、リスクや課題に適切に対処しながら、幸せや生きがいを実感でき、希望あふれる未来を切り拓ひらく機会になる。

だが、これを読んでも、なぜ「昭和100年」なのか、まったく分からない。「先の大戦」の敗戦を、大きなターニングポイントとして受け止めていることは読めるが、「昭和」が始まった1925年、あるいは26年が、何らかの分岐点になったとは、どこにも書かれていない。「戦後80年」なら、まだ分かる。だが、「昭和100年」と打ち出す意味は、どこにもない。

政府の中にも、そんな?が頭の中に浮かんでいる人間がいるのではないか。だから、「昭和100年」を「戦後80年」との抱き合わせでお茶を濁すことにした。そんな思惑の揺らぎが、石破の演説やメディアに表れているように思えてならない。

以降、メディア上ではことあるごとに、「昭和100年」を意識した紙面作りが目立つようになっている。

右翼メディアの『産経新聞』は言わずもがな。

「昭和『100年』あのとき、私は…」と打ち出す見開き2ページの特集企画を昨年8月にスタート。週1回、日曜日の掲載を続けている。

「新聞読者層の多くは『昭和生まれ』であり、その身近な歴史にノスタルジーを感じる世代でも」あるから「産経新聞社が保存する昭和の写真の数々と記事データベースを使いながら、昭和という時代を年ごとにランダムで2ページの特集紙面で」伝えるのだそうだ。

『読売新聞』は1月27日から、「戦後80年/昭和百年」とロゴに掲げた連載企画を始め、『日本経済新聞』は年明けに、タイトルに「昭和100年 変化に挑む」とのキーワードを付け加えた社説を連続した。

あるいは『朝日新聞』。教育情報に特化したサイトの「EduA」は、「このニュースって何?」と掲げた編集委員・一色清の解説記事を定期的に掲載。1月10日付の記事は「今年は昭和100年 → 日本の100年を振り返ると?」と題したもので、「100年という区切りのいい年なので、今回はこの100年は日本にとってどういう時代だったのかを振り返ってみたいと思います」と書くように、政府の側が設定したアジェンダの上で踊ることに、何のためらいも感じていないような論調だ。

1月17日に持ち回りで開かれた「関係府省連絡会議」では、事務方が聴き取った「有識者」とやらの意見の要旨をまとめた資料が配布されている。

資料によると、「有識者」は19人。そのほか、聴取のための訪問先として10団体が選ばれている。「有識者」には、慶応大商学部准教授の岩尾俊兵、東京芸大副学長の岡本美津子や東大名誉教授の山内昌之、国学院大教授の吉見俊哉ら学者、研究者が多いが、東日本旅客鉄道顧問の清野智、JTB相談役の田川博己といった経済人や音楽評論家の湯川れい子も名を連ねている。団体は、NHKのほか、JOCや国立科学博物館、西武園ゆうえんちなどだ。

要旨を読んでいて、次のような意見が目についた。

昭和の特徴は2つの時代を経験している。天皇の観点からは前半は立憲君主で敗戦後は象徴、また国民も帝国憲法と新憲法下での生活を経験しており、このような例は他にはない。敗戦もあって天皇の地位や憲法も異なり、そのような根本的質の変化が起きたことを押さえた上で昭和の多様性を捉えるべきであり、昭和は歴史の複雑性・多様性を体現した、世界史においても類い稀なる時代。

誰の見解なのか分からないが、透けて見えるのは、「日本スゴイ」。鼻持ちならないエスノセントリズムというほかない。

「有識者」は、「昭和100年」のプロジェクトの一つに、「昭和史の重要史跡」の「保存・整備」を提言。「昭和天皇が終戦のご聖断を出した御文庫附属庫」を例示し、「昭和史の最も象徴的な場所の一つ」だからと、保存を予算化し「さまざまな難しい問題があるが、将来的には一般への限定的公開なども検討して然るべきかもしれない」と要望している。

だが、そもそもこうした「史跡」は「昭和100年」であろうがなかろうが、「保存・整備」され、研究、検証、観覧の対象として「一般」に「公開」されるべきだ。「昭和100年」を契機とするところに既に、視点の偏りが内在している。天皇、皇族のための「公的財産」などというもの自体が、批判的検証の対象でなければならない。

その他、要旨にまとめられた意見は多岐にわたるが、「戦争」へのおざなりな言及はあっても、侵略戦争についての明確な批判的視点を見ることはできない。天皇制日本による植民地支配と侵略戦争、そして戦後の米世界戦略に追従し続ける戦争国家化と、その下での周辺国、地域への経済侵略、収奪の歴史に触れたものは、一切ない。

「昭和100年」? そうか、ならば、こう返そう。

裕仁の、そして天皇制の植民地支配と侵略戦争に対する責任、そして戦後のアメリカの手下として問われるべき戦争責任は、未清算、未決のまま「100年」続いている、と。

真にメディアの歴史認識が問われている。

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