あやしげで、息苦しかった、あの儀式、国費で実施されてはならない【即位・大嘗祭違憲訴訟控訴審 陳述書】

*この文章は、即位・大嘗祭違憲訴訟の原告・控訴人である内野光子さんが裁判所に提出された「陳述書」です。2024年11月12日、この陳述書をもとに高裁で陳述もなされました。訴訟の会と筆者の承諾を得て掲載します。裁判に関する詳細は即位・大嘗祭違憲訴訟の会サイトでご確認ください。

内野光子

1 私は東京生まれですが、1946年、疎開先の小学校に入学した世代です。新しい日本国憲法のもとで教育を受けてきた一期生と言ってもいいかもしれません。中学校まで、「君が代」を歌った記憶はなく、学校給食は、脱脂粉乳のみでスタートした世代です。

高校のころから短歌を作り始め、現在に至っています。歌を作る傍ら、近現代の短歌の歴史をひも解き、調べてゆくうちに、突き当たったのが「短歌と天皇制」でした。これまでに、『短歌と天皇制』(風媒社 1988 年)、『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001 年)『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房 2013 年)などの著書を出版しています。

2 最初に着目したのが、新年の「歌会始」でした。現代短歌と別世界の宮中の年中行事と思っていましたが、現代歌人、著名歌人、人気歌人たちを巻き込み、選者に登用していることがわかりました。「歌会始」は、国民と皇室を結ぶ貴重なパイプ役割を果たし、伝統的な文化的な大事な行事と位置付けられていますが、国民が「詠進」する短歌は、あくまでも国民が天皇に詠進、捧げるものとの位置づけは、戦後から現在に至っても変わってはいません。単なる短歌コンクールではないのです。

また、伝統的文化的行事といいますが、いまの形になったのはたかだか、戦後 80 年です。文学の世界で、短歌の世界で、歌を作った人の序列を前提にした宮内庁のイベントは、日本憲法下の平等の精神に反すると思います。「歌会始」を続けるというならば、皇族たちの年中行事の一つとして、国民を巻き込むことなく、ひそかに実施したらよいと思います。

3 同様のことが、即位礼や大嘗祭にも言えることではないかと考えます。代替わりのさまざまな儀式を「諸儀式」としてまとめがちですが、その一つ一つを確かめる必要があると思います。ここでは全部を検証するわけにはいきませんが、一部、私の知る限りのことではありますが、それらの儀式はどの法律を根拠になされているのか、根拠法の有無とその中身の違憲性について述べたいと思います。

(1)「剣璽等承継の儀」
まず、2019 年 5 月 1 日の「剣璽等承継の儀」ですが、映像で見るかぎり、三権の長など二十数人がひかえた松の間に式部官長と宮内庁長官の先導で新天皇、秋篠宮、常陸宮が入り、壁際にしつらえた壇上の中央に天皇が立ち、壇の下の左右に秋篠宮、車いすの常陸宮が控えていました。そこへ剣・璽をそれぞれ捧げ持った侍従たちが、天皇の前の二つの「案」と呼ばれる台に恭しく置く。さらに、その間の少し低い台には、何か丸いもの二つが捧げられる。後で調べると、その二つの中身は、国事行為で使われる御璽(天皇の印)と国璽(国の印)であり、捧げられた後、直ちに、侍従たちが台の上の剣・璽の包みと御璽・国璽を引き取り、天皇たちとともに部屋を退出する。男性たちの床を打つ靴音ばかりが響く6〜7 分間ほどの無言の儀式でした。女性の皇族は参列できないのが慣例で、参列者側には、安倍内閣の閣僚の片山さつきが女性として初めて参列したと報じられました。

皇位の継承の証である現在の「三種の神器」のうちの剣(草薙剣)は熱田神宮に、八咫鏡は(やたのかがみ)は伊勢神宮に収められ、宮中にある剣と鏡は、形代(かたしろ)と呼ばれるレプリカであります。その鏡は賢所に、剣(つるぎ)と璽=八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は、吹上御所の「剣璽の間」に置かれているそうです。しかし、代々の天皇すら、それらの包みを開いて中身を見てはならないものとされています。

少なくとも「三種の神器」の「剣」に関していえば、これらの由来は、古事記・日本書紀にある、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した際、その尻尾から出てきたのが一本の剣であり、それを後に天照大神に献上したのが「草薙剣」であるといった神話が由来です。この神話は寓話であり得ても、裏付けのある史実でもなく、伝統でもない、荒唐無稽な、グロテスクなフィクションではないでしょうか。天皇自身も「天照大神」の「子孫」であるとは信じていないでしょうし、国民の大かたも信じられない中で、見てもいない「草薙剣」を大真面目に承継したとして、演じなければならない「剣璽等承継の儀」での姿は滑稽でもあります。

「剣璽等承継の儀」の法的根拠は、当然のことながら、皇室典範にも日本国憲法にもありません。根拠というならば、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等の挙行に係る基本方針について 」という「閣議決定」(2018 年 4 月 3 日) です。時の政府によっていかようにもできるという証左であります。

「閣議決定」では、以下のように定められました。

「1 各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統
等を尊重したものとすること

2 平成の御代替わりに伴い行われた式典は、現行憲法下において十分な検討が 行われた上で挙行されたものであることから、今回の各式典についても、基本的な考え方や内容は踏襲されるべきものであること」

さらに「剣璽等承継の儀」については以下のように記されています。

「1 剣璽等承継の儀
⑴ 御即位に伴い剣璽等を承継される儀式として、剣璽等承継の儀を行う。

⑵ 剣璽等承継の儀は、皇太子殿下の御即位の日(5月1日)に、国事行為である国の儀式として、宮中において行う。」

「剣璽等承継の儀」が「憲法の趣旨に沿い」「皇室の伝統等を尊重したもの」であったかは、先に見てきたように、承継されるべき「三種の神器」なるものがもっぱら「神話」にもとづいたものもあり、長い歴史の中での承継、移転の経緯にも疑問が多いものがあります。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」の地位継承の儀式を、「国事行為」の「儀式を行ふこと」に含めるという「閣議決定」は、憲法第7 条 10 号を拡大解釈したものと言わねばなりません。

また今回の各式典は、基本的に昭和から平成の代替わりにおける 「考え方や内容は踏襲されるべきもの」とされていますが、1909 年 2 月 11 日に公布された「登極令」によって実施された 1915 年の大正、1928 年の昭和の代替わり儀式を踏襲し、場所を京都から東京に移した点が変更されたに過ぎません。結局今回の令和の代替わり儀式が、1947 年に廃止されたはずの亡霊のような「登極令」と変わらぬ 2018 年の上記「閣議決定」の内容は新憲法下では認めがたいもので、違憲性が高いと考えます。

(2)即位礼正殿の儀
つぎに、2019 年 10 月 22 日に行われた「即位礼」の最初の儀式は、「即位礼正殿の儀」に臨むことを賢所に報告するという「賢所大前の儀」でした。正式には「即位礼当日賢所大前の儀、即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」と、宮内庁は記しています。賢所は、神話の上で皇祖とされる「天照大神」が祀られているというところです。天皇は、もっとも格式の高いという白の束帯姿、剣・璽を捧げ持つ侍従たちに先導されて賢所への回廊を進み、さらに皇霊殿、神殿を巡り、皇后も白の十二単姿で続く。侍従や女官が長い裾を、腰をかがめて移動する姿は、決して美しい姿ではないでしょう。天皇は、その各所で「お告げ文」なるものが読まれているそうですが、その声を聞いたものはいません。そして、秋篠宮を先頭に皇族たちーロングドレスの女性皇族の7人が傘をさして、あの日は雨風の強い日でしたから、砂利道を賢所に向かう姿のちぐはぐな光景には、「伝統」なるものの異様さに気づかされます。

10 月 22 日の午後に行われた「即位礼正殿の儀」にあっては、松の間に設えた八角形の帳とばりをめぐらされた、天皇用の「高御座」、皇后用の「御帳台」が並ぶ。まず、高御座の正面のとばりが開かれると、午前中の賢所大前の儀とは異なる色の束帯姿、御帳台も開かれて、皇后も午前中とは異なる色鮮やかな十二単です。ここでも、天皇の前には剣・璽が置かれ、天皇の「お言葉」といえば、「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承」を内外に宣明するとし、前天皇にならい「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」ことを誓うものでした。これに対して安倍首相が祝辞「寿詞」(よごと)を述べ、首相の万歳三唱に、参列者が唱和しています。

ここで問題なのは、高さ 6.5 mの高御座、5.7 mの「御帳台」、天皇は、床上 1.3 mの位置から「お言葉」を延べ、首相は、天皇を見上げての祝辞でありました。そこには「私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ」とあり、「令和の代(よ)の平安と天皇陛下の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます」との言葉で結んでいます。

この一連の流れの中で、日本国憲法上、いくつかの問題点があります。

① これらの儀式は、憲法、皇室典範、皇室典範特例法上の定めにもありません。あるとすれば、「閣議決定」(2018年 4 月 3 日)です。天皇の「お言葉」の最初「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより」の部分は間違いではないでしょうか。

② 「高御座」「御帳台」の設えの違いは何なのでしょうか。儀式自体もそうですが、これら二つの設えも時代によって異なります。確固たる伝統なるものはないうえに、憲法上の平等規定に違反します。

③ さらに、首相の祝辞には、「国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ」とありますが、憲法第一条「日本国及び日本国民統合の象徴」は「仰ぐ」存在ではなく、「主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。上記の上下関係は、「大日本帝国憲法」の関係を引きずっているとしか思えません。

(3)大嘗祭
毎年 11 月に行われる皇室の行事の新嘗祭は、天皇の代替わりの折には大嘗祭として行われていたという長い歴史があったことは、歴史研究上明らかなようですが、永らく中断したり、その儀式としてのあり様も様々な変遷をたどっていたりします。

今回、大嘗祭以外の諸行事「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」は、2018 年 4 月 3 日「閣議決定」の基本方針により「国事行為」とされました。大嘗祭は、同日の「内閣口頭了解」という3 行ほどの文言で決められました。それも、平成への代替わりのときの大嘗祭についての 「閣議口頭了解」(1989年 12 月 21 日)を踏襲する、とだけ記されています。

「閣議口頭了解」(1989 年 12 月 21 日)では、以下の理由で、宮内庁が取り仕切る皇室行事として宮廷費からの支出により実施することが決まりました。

① 皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である

② 天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するものと見られることは否定することはできない。

③ 国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である

④ その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は公的性格がある

令和の大嘗祭も、上記を踏襲して、宮内庁が取り仕切る皇室行事として実施、その財源は宮廷費からでした。ここで問題なのは、大嘗祭の「趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するものと見られることは否定することはできない」と明言し、さらに、「国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式」、すなわち、天皇のみが行う秘事を含むことを示唆しながら、いわば、「国の関心事だから、面倒を見なければならない」へとの飛躍は、あきらかに憲法 20 条の政教分離の原則、89 条の「公の財産の支出又は利用の制限」に反すると考えます。

宮内庁の「大嘗祭について」(2019 年 10 月 2 日)の文書でも明らかなように、この儀式の次第は「貞観儀式」(平安時代中期、870 年代)や「登極令」(1909 年)などに記述されているが、それらを通じて「基本的に異なるところはない」とも記され、今回も平成度と同様に行うとあります。

たとえば、さらに、大嘗祭のメインと言われる悠紀殿、主基殿において天皇と神とが寝食を共にすることによって皇位の継承がなされるという「秘事」に至っては、あまりにも現実離れした「ままごと」にも思えてなりません。「秘事」と称して、天皇と二人の女官しか知り得ない作業や行為であるとしながらも、さまざまな準備や用意をする人々の手を借りねばならないはずで、「秘事」はもはや建て前にしか思えません。にもかかわらず、参列者や国民には知らされないという矛盾に満ちた儀式といえます。なお、悠紀殿、主基殿における供え物の新穀の産地を決める「斎田点定の儀」も秘密裏に、亀の甲羅を火にくべて、その割れ具合による「亀卜」という古代からの占いによって都道府県を決めたといます。

これまで見てきたように、大嘗祭の諸儀式は、すでに廃止された「登極令」を持ち出して踏襲しており、現在の法的な根拠もありません。時代によって変遷してきた伝統とも言えない神事の積み重ねによって、何とも奇妙奇天烈な儀式になってしまったと言っていいでしょう。日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民総意に基づく天皇がなすべき行為、儀式とは言えず、憲法第一条に反します。

4 したがって、上記で述べた、少なくとも「剣璽等承継の儀」「即位礼正殿の儀」「大嘗祭」という儀式を国費をもって実施したことによって、私が受けた精神的な苦痛は多大なものであり、国に対する損害賠償を求めるものであります。

*初出:『即位・大嘗祭違憲訴訟の会 NEWS』 第24号、2024/12/11)

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